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第7章 戦の前
9、気配
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午前零時。
外では、陰陽師衆の子孫達が結界術を張るべく動き始めた。
珠生たちは皆、紫宸殿の中にいる。藤原は自分の前に座った若者たちを見て、穏やかに微笑んだ。
「……さて、ここに御札を作っておいた」
藤原はすっと、数枚の紙片を取り出して床に置いた。
「これを彼らの肉体に貼り付けると、佐々木衆の霊魂が抜けるのだ。皆各々持っておいてくれたまえ」
「はい」
皆が数枚ずつ、その札を手に取った。複雑な細かい文字が、丁寧に墨で描かれている。
「彼らが肉体を持った兵隊だけで来るとは思えない。きっとその当たりの低級霊を操って人間に憑依させ、ここへ連れてくる可能性もある」
「そんなことが……」
と、珠生が呟く。
「大丈夫、低級霊が入った器など、この札がなくとも私が引き剥がす。珠生くんは大勢を相手にするのが得意だから、その低級霊たちを祓って欲しい」
「はい」
「猿之助は珠生くん、影龍を佐為だ。佐為から、葉山は治癒の術を使えるから後方に置いておけと言われたので、あの少年霊と守清は舜平くんが当たれ」
「おっし」
舜平は気合が入ったようで、拳をぱしっと自分の掌に打ち付けた。
「私はしんがりで幽体剥離の術を行いながら援護する」
皆が無言で頷く。力の漲ったいい目をしていると、藤原は満足気に微笑んだ。
「皆の力量は知っている。大丈夫、人質は取り返せる」
「はい」
藤原は珠生を見てそう言った。珠生も藤原を見据えて、頷いた。
「さて、腹が減っては戦はできぬ。夜食を用意してあるから、皆食べなさい」
葉山が大きな紙袋を持って現れ、皆に弁当を配った。
「気が抜けるわ」
と、受け取りながら舜平がそう言うと、藤原は笑った。
「力が入りすぎても駄目だからね。あ、私ももらうよ。腹が減ったな」
藤原も葉山から弁当を受け取っている。葉山はてきぱきとポットに入ったお茶などを準備し始めた。無言で湊もそれを手伝う。
「あら、いいのに」
「いいんです。俺、霊力とかないし、こういう時は役に立てへんから」
と、湊は苦笑しつつそう言った。
「そう……」
葉山は湊に紙コップを渡しながら、「でも、ちゃんと見ていてね、皆のこと」と小声で言った。
「分かってます」
湊はそれだけ言うと、皆にお茶を配りはじめた。
板張りのひんやりとした暗い建物の中で、燭台の明かりだけがぼんやりと揺れている。その暗さの中にいると、人工的な明かりに満ちた現代から遠ざかるような感覚に陥る。
何となく皆が無言で食事を摂っている中、がたん、と木の扉が開いて徳人が顔をのぞかせた。
「兄さん、絶対防御結界も張り終えたで」
「ああ、すまんな」
「お、夜食か」
「お前たちはもう食べたやろ」
「せやったせやった」
徳人はにっと笑って、また顔を引っ込める。関西弁を喋っている藤原が珍しく、珠生は顔を上げた。
「業平様、関西弁なんですね」
「え? ああ、京都出身だからね、私は」
「昔からたまに京ことばでしたよね、業平様」
と、佐為が言う。
「そうだなぁ、仕事を離れるとちょっと出たりしたかな」
「へぇ、そうなんだ」
と、珠生が微笑む。
珠生の笑顔で、その場が何となく和んだ。藤原はまた微笑む。
「この術式が終われば、私はしばらくまた東京勤務だ。寂しいよ」
「え、そうなんですか?」
と、彰が驚いたようにそう言った。知らなかったらしい。
「そう、でも、葉山を置いていくから、細々した後処理は彼女に頼んでくれ」
皆の食べ終えた箱を片付けながら、葉山が顔を上げる。
「そういうことなんで、よろしく。当分高級ホテル住まいだわ、夢のようね」
「後処理か……葉山さんで片が付くの?」
と、彰がそんなことを言うと、葉山はむっとした顔で彰を睨んだ。
「大丈夫です。これでもその手の仕事は色々とこなしてきたので」
「ふうん。ほんとに大丈夫かな」
「何よ、文句あんの?」
「まぁまぁ。佐為、お前も当分京都だろう? 葉山を手伝ってやってくれよ」
「……業平様がそう言うのなら」
彰が渋々といった顔で頷くと、葉山はつんとした顔で後片付けを続けた。
見慣れてきた彰と葉山の口喧嘩に、皆が笑っている。
そんな中、ふと珠生は異様な匂いを嗅ぎ取った。
弾かれたように立ち上がると、珠生は扉を開けて外に出た。驚いた皆の顔にも、緊張が走る。
珠生は外に出て、ひくひくと鼻を動かした。
腕時計は、午前一時過ぎを指している。
「何かいます。……妖だ」
背後に立った彰に、珠生はそう言った。
「十六夜結界が少しずつ緩み始めた。それに引きつけられて、妖が集まりやすくなっているんだよ。でも、入っては来れないはずだ」
「いいえ……何匹か、中にいます」
「何だって?」
と、彰は少し眉をひそめた。
「時限式の召喚術か? 猿之助め、小癪なことを……」
「俺、行ってきます」
珠生はそう言って、ひょいと外へ出ていった。一飛で紫宸殿の階段から地面に降り立つと、たたっと軽く走っていく。
「一人で行くな、危ないやろ」
と、舜平もその後を追って走っていく。
二人が駆けていく様子を見守りながら、藤原はじっと印を結んであたりを探った。
「猿之助はまだ近くには来ていない……こちらを攪乱する気かな」
「昔の猿之助らしからぬ小技ですね」
と、彰。
「そうだな。……なりふり構わずやって来たか」
空を見上げると、上空はどんよりと曇り始めていた。
綺麗に見えていた月が厚い雲に覆われて、気づけば闇に消えている。
+ +
珠生は走りながら胸の前で合掌をし、宝刀を抜いた。うぞうぞとうごめいている妖魔の影を見つけると、珠生の目が鋭くなる。
たんっ、と砂利を蹴って土塀の上にひらりと上り、その上を駆ける。珠生の匂いに気づいた妖が、威嚇するように声を上げた。
珠生は地上で蠢いている妖を飛び降りざまに切り裂いた。
ぎゃぁぁあ、と金切声を上げて、妖魔が煙とともに消え失せる。
「珠生! 後ろや!」
舜平の声に、珠生はさっと振り向くと鋭く刃を横に薙いだ。珠生の背中を狙っていたもう一匹の妖が、霧散する。
「白光雷! 急急如律令!」
舜海の背後から生まれた白く輝く細い矢が、群れていた妖に突き刺さる。耳をつんざくような悲鳴と、濃い瘴気が辺りに撒き散った。
珠生はその場からひらりと後退すると、舜平の隣に膝をついた。
「あんまり霊力を無駄遣いしないほうがいいんじゃないですか?」
「これくらい、なんでもないわ」
「病み上がりのくせに。まぁ見てなって」
珠生はそう言って勝気に微笑むと、ふっと掻き消すように姿を消した。舜平が目を丸くしていると、数メートル先で宝刀が翻る光が見えた。
その度に上がる妖の悲鳴を聞きながら、舜平は珠生の姿を見失うまいと、じっと暗がりを見据えていた。
一瞬で妖の懐に斬り込み、間違うことなく妖の首を刎ねる珠生の姿が、千珠のそれと重なって見えた。
倒れかかった妖の身体を蹴り、飛び上がって次の妖に斬りかかる身の軽さと鮮やかな身のこなし。
着地すると同時に姿を消し、次の妖魔に斬りかかる疾さ。
珠生はあっという間に、その場にいた妖全てを殲滅していた。
直刃の宝刀を握りしめ、倒れた妖を見下ろしている珠生の姿は、戦の最中、一個隊の山のような死体の中に佇んでいた、齢十四の頃の千珠とよく似ていた。
こちらを向いた珠生の眼の色が、金色に輝いて見えることに、舜平はもう驚かなかった。
「……さすがやな」
「ちょっと……血を浴びました」
「大丈夫か? 着替えるか」
「いや、いい。そんな時間ないだろうし」
「……そうか」
「一体何のつもりだろう」
「そうやな、これくらいの数、お前がやれば一瞬なのにな」
「……今何時?」
「一時四十分」
「早く戻ろう」
二人は急ぎ足で、紫宸殿の方へと向かって走った。
その時、上空で何かが爆発するような音が響き渡った。
外では、陰陽師衆の子孫達が結界術を張るべく動き始めた。
珠生たちは皆、紫宸殿の中にいる。藤原は自分の前に座った若者たちを見て、穏やかに微笑んだ。
「……さて、ここに御札を作っておいた」
藤原はすっと、数枚の紙片を取り出して床に置いた。
「これを彼らの肉体に貼り付けると、佐々木衆の霊魂が抜けるのだ。皆各々持っておいてくれたまえ」
「はい」
皆が数枚ずつ、その札を手に取った。複雑な細かい文字が、丁寧に墨で描かれている。
「彼らが肉体を持った兵隊だけで来るとは思えない。きっとその当たりの低級霊を操って人間に憑依させ、ここへ連れてくる可能性もある」
「そんなことが……」
と、珠生が呟く。
「大丈夫、低級霊が入った器など、この札がなくとも私が引き剥がす。珠生くんは大勢を相手にするのが得意だから、その低級霊たちを祓って欲しい」
「はい」
「猿之助は珠生くん、影龍を佐為だ。佐為から、葉山は治癒の術を使えるから後方に置いておけと言われたので、あの少年霊と守清は舜平くんが当たれ」
「おっし」
舜平は気合が入ったようで、拳をぱしっと自分の掌に打ち付けた。
「私はしんがりで幽体剥離の術を行いながら援護する」
皆が無言で頷く。力の漲ったいい目をしていると、藤原は満足気に微笑んだ。
「皆の力量は知っている。大丈夫、人質は取り返せる」
「はい」
藤原は珠生を見てそう言った。珠生も藤原を見据えて、頷いた。
「さて、腹が減っては戦はできぬ。夜食を用意してあるから、皆食べなさい」
葉山が大きな紙袋を持って現れ、皆に弁当を配った。
「気が抜けるわ」
と、受け取りながら舜平がそう言うと、藤原は笑った。
「力が入りすぎても駄目だからね。あ、私ももらうよ。腹が減ったな」
藤原も葉山から弁当を受け取っている。葉山はてきぱきとポットに入ったお茶などを準備し始めた。無言で湊もそれを手伝う。
「あら、いいのに」
「いいんです。俺、霊力とかないし、こういう時は役に立てへんから」
と、湊は苦笑しつつそう言った。
「そう……」
葉山は湊に紙コップを渡しながら、「でも、ちゃんと見ていてね、皆のこと」と小声で言った。
「分かってます」
湊はそれだけ言うと、皆にお茶を配りはじめた。
板張りのひんやりとした暗い建物の中で、燭台の明かりだけがぼんやりと揺れている。その暗さの中にいると、人工的な明かりに満ちた現代から遠ざかるような感覚に陥る。
何となく皆が無言で食事を摂っている中、がたん、と木の扉が開いて徳人が顔をのぞかせた。
「兄さん、絶対防御結界も張り終えたで」
「ああ、すまんな」
「お、夜食か」
「お前たちはもう食べたやろ」
「せやったせやった」
徳人はにっと笑って、また顔を引っ込める。関西弁を喋っている藤原が珍しく、珠生は顔を上げた。
「業平様、関西弁なんですね」
「え? ああ、京都出身だからね、私は」
「昔からたまに京ことばでしたよね、業平様」
と、佐為が言う。
「そうだなぁ、仕事を離れるとちょっと出たりしたかな」
「へぇ、そうなんだ」
と、珠生が微笑む。
珠生の笑顔で、その場が何となく和んだ。藤原はまた微笑む。
「この術式が終われば、私はしばらくまた東京勤務だ。寂しいよ」
「え、そうなんですか?」
と、彰が驚いたようにそう言った。知らなかったらしい。
「そう、でも、葉山を置いていくから、細々した後処理は彼女に頼んでくれ」
皆の食べ終えた箱を片付けながら、葉山が顔を上げる。
「そういうことなんで、よろしく。当分高級ホテル住まいだわ、夢のようね」
「後処理か……葉山さんで片が付くの?」
と、彰がそんなことを言うと、葉山はむっとした顔で彰を睨んだ。
「大丈夫です。これでもその手の仕事は色々とこなしてきたので」
「ふうん。ほんとに大丈夫かな」
「何よ、文句あんの?」
「まぁまぁ。佐為、お前も当分京都だろう? 葉山を手伝ってやってくれよ」
「……業平様がそう言うのなら」
彰が渋々といった顔で頷くと、葉山はつんとした顔で後片付けを続けた。
見慣れてきた彰と葉山の口喧嘩に、皆が笑っている。
そんな中、ふと珠生は異様な匂いを嗅ぎ取った。
弾かれたように立ち上がると、珠生は扉を開けて外に出た。驚いた皆の顔にも、緊張が走る。
珠生は外に出て、ひくひくと鼻を動かした。
腕時計は、午前一時過ぎを指している。
「何かいます。……妖だ」
背後に立った彰に、珠生はそう言った。
「十六夜結界が少しずつ緩み始めた。それに引きつけられて、妖が集まりやすくなっているんだよ。でも、入っては来れないはずだ」
「いいえ……何匹か、中にいます」
「何だって?」
と、彰は少し眉をひそめた。
「時限式の召喚術か? 猿之助め、小癪なことを……」
「俺、行ってきます」
珠生はそう言って、ひょいと外へ出ていった。一飛で紫宸殿の階段から地面に降り立つと、たたっと軽く走っていく。
「一人で行くな、危ないやろ」
と、舜平もその後を追って走っていく。
二人が駆けていく様子を見守りながら、藤原はじっと印を結んであたりを探った。
「猿之助はまだ近くには来ていない……こちらを攪乱する気かな」
「昔の猿之助らしからぬ小技ですね」
と、彰。
「そうだな。……なりふり構わずやって来たか」
空を見上げると、上空はどんよりと曇り始めていた。
綺麗に見えていた月が厚い雲に覆われて、気づけば闇に消えている。
+ +
珠生は走りながら胸の前で合掌をし、宝刀を抜いた。うぞうぞとうごめいている妖魔の影を見つけると、珠生の目が鋭くなる。
たんっ、と砂利を蹴って土塀の上にひらりと上り、その上を駆ける。珠生の匂いに気づいた妖が、威嚇するように声を上げた。
珠生は地上で蠢いている妖を飛び降りざまに切り裂いた。
ぎゃぁぁあ、と金切声を上げて、妖魔が煙とともに消え失せる。
「珠生! 後ろや!」
舜平の声に、珠生はさっと振り向くと鋭く刃を横に薙いだ。珠生の背中を狙っていたもう一匹の妖が、霧散する。
「白光雷! 急急如律令!」
舜海の背後から生まれた白く輝く細い矢が、群れていた妖に突き刺さる。耳をつんざくような悲鳴と、濃い瘴気が辺りに撒き散った。
珠生はその場からひらりと後退すると、舜平の隣に膝をついた。
「あんまり霊力を無駄遣いしないほうがいいんじゃないですか?」
「これくらい、なんでもないわ」
「病み上がりのくせに。まぁ見てなって」
珠生はそう言って勝気に微笑むと、ふっと掻き消すように姿を消した。舜平が目を丸くしていると、数メートル先で宝刀が翻る光が見えた。
その度に上がる妖の悲鳴を聞きながら、舜平は珠生の姿を見失うまいと、じっと暗がりを見据えていた。
一瞬で妖の懐に斬り込み、間違うことなく妖の首を刎ねる珠生の姿が、千珠のそれと重なって見えた。
倒れかかった妖の身体を蹴り、飛び上がって次の妖に斬りかかる身の軽さと鮮やかな身のこなし。
着地すると同時に姿を消し、次の妖魔に斬りかかる疾さ。
珠生はあっという間に、その場にいた妖全てを殲滅していた。
直刃の宝刀を握りしめ、倒れた妖を見下ろしている珠生の姿は、戦の最中、一個隊の山のような死体の中に佇んでいた、齢十四の頃の千珠とよく似ていた。
こちらを向いた珠生の眼の色が、金色に輝いて見えることに、舜平はもう驚かなかった。
「……さすがやな」
「ちょっと……血を浴びました」
「大丈夫か? 着替えるか」
「いや、いい。そんな時間ないだろうし」
「……そうか」
「一体何のつもりだろう」
「そうやな、これくらいの数、お前がやれば一瞬なのにな」
「……今何時?」
「一時四十分」
「早く戻ろう」
二人は急ぎ足で、紫宸殿の方へと向かって走った。
その時、上空で何かが爆発するような音が響き渡った。
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