琥珀に眠る記憶

餡玉

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第7章 戦の前

7、守るべき風景

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 その頃、警察官の岡本は欠伸をしていた。
 一時間ほど前に、黒塗りのセダンが御所内に入っていってからは、何も起こっていない。
 朝からこの場所に詰めていた岡本は疲れていた。特にすることもなく、何を聞いても教えてもらえず、この状況にも慣れてきたため、気が緩んでいるのだ。

 ずっと隣で仏頂面をしていた年配の警官は、夕食を取るといって今はいない。余計に気が緩む。
 背後で物音がして、岡本ははっとした。
 振り返ると、昼過ぎに見たスーツの女が、烏丸通に面した蛤御門はまぐりごもんから外へ出てきたのだ。
 長い髪を揺らして、伸びをしながら道路の方へと脚を進めてくる女を、岡本は何となく眺めていた。

「お疲れさま。すみませんね、こんな長い時間」
 ふと、岡本の視線に気づいた女がそう言った。岡本は慌てて姿勢を正すと、道路の方を向く。
「いいえ、これも仕事ですので」
「なるほど、そうですね。……あ、来た来た」
 女が北の方向を見るのを、岡本もつられて目をやった。黒いSUVがのろのろとこちらへ走ってくるのが見える。
 女は手を振って、蛤御門から中へ入るように指示を出している。

「お疲れさまです、葉山さん。すごいね、すんなり入れた」
「ああ、珠生くんお疲れ。この車のナンバーは、前もって警備の人たちに伝えてあるからよ」
「いつの間にナンバーまでチェックしたんや……怖っ。この人ら怖っ」
 助手席の窓が開いていて、そこから少年と若い男の声がした。岡本はその場に似つかわしくない若者の声が気になって、そちらを見た。

 助手席からその女に笑いかけている少年の美貌に、岡本は息を飲んだ。
 街灯の明かりに照らされ、少し影になっているものの、その少年の端正な顔立ちは目を引いた。
 その時、ふと目を上げた少年と、岡本の視線がぶつかる。
 透明な瞳を、岡本は直視することが出来ずに、慌ててまた道路の方へと体ごと方向転換する。

 気付いた時には、すでに車は御苑内へと消え、女の姿もそこにはなかった。
 一体、この中では何が行われようとしているのだろう。
 岡本は、改めて気になり始めた。


「一体何をはじめるつもりだ……?」


 +


 蛤御門の側に車を停めて、葉山、珠生、舜平は御所の中を進んだ。
 じゃりじゃりと、砂利道の感触が足の裏から感じられる。極力街灯を減らしている御所の中は、やや薄暗く、静かだ。
 珠生は数日前、草薙の移送の時に起きた出来事を思い出す。
 あれから十日と経っていないが、すでに数年前のことのように遠く感じた。
 それほどまでに、あの頃の自分と今の自分の力の差は大きく、ここに立っている意味も違う。

「彰くんはもうここへ来ているわ。藤原さんと術式の確認をしているの」
 砂利道を、ヒールで歩きにくそうに進みながら、葉山がそう言った。
「湊は?」
と、珠生。
「またどこからともなく現れるんちゃうか?」
と、舜平はジーンズの尻ポケットに手を突っ込んで歩きながらそう言った。
「まさか。こんな厳重な警備をくぐって来れないわよ。ちょっと連絡してみ、」
 葉山が苦笑しながら携帯電話を取り出していると、欝蒼とした梅林の影から、すっと動くものが見えた。
 薄暗がりの中に立っているのは、湊である。

「それがね、入れるんですよ俺は」
「……み、湊くん。一体どうやって」
 葉山は、驚いて取り落とした携帯を拾いあげながらそう言った。湊は肩をすくめる。
「石薬師御門から普通に入って来ました。あっちの警備、ちょい手薄なんちゃいますか? ま、あれくらいの警備、俺にとってはなんてことないねんけど」
「……お前もつくづく不気味な奴やな」
と、舜平はげんなりした顔をしてそう言った。
「ま、いいからいいから。さ、行きましょう」
 湊は眼鏡を少し上げると、三人の先に立って歩き出した。珠生は苦笑して、厚手のパーカーとジーンズという、珍しく軽装な湊の背中を見ていた。

 建礼門をくぐり、四人は承明門の前に立った。珠生は、不思議にざわめく胸をそっと押さえつつ、丹塗りの門を見上げた。

 かつてここで、陀羅尼を迎え撃つ夜を迎えたことを思い出す。
 あそこに立ち、見渡した都の町並みと生ぬるい風。立ち込める紫色の黒い霧。自分とは違う鬼の匂い……。

「珠生?」
 先に歩きかけていた三人が振り返って珠生を見た。
 珠生はぐっと身体を縮めると、地面を蹴って承明門の上へひらりと飛び乗った。
 その身の軽さを見慣れてはいる三人であったが、明るい所で改めて見ると、その常軌を逸した動きに目を見張ってしまう。

 珠生は承明門の上に立つと、そこから京都の町並みを眺めた。
 当然ながらあの頃とは違う風景。
 それでも珠生の頬を撫でるその風は、どこかしらあの頃と同じ匂いがした。

「千珠」
 ふと、すぐ横で誰かの声がした。そちらを見ると、そこには黒い陰陽師衆の装束を身にまとった佐為が立っていた。
 珠生は息を呑む。
「こんな所に立っている姿を見ると、あの頃を思い出すよ」
 佐為は微笑んで、珠生に歩み寄ってきた。ふと、自分の足元に目を落とすと、今日履いてきたジーパンとスニーカーではなく、淡い灰色の袴と草履が見えた。
 自分の手を見下ろすと、その指先には細く尖った爪と、珊瑚の数珠。
 珠生は思わず、あたりを見回した。

 そこには、五百年前の都の風景が広がっていた。さっきまで見えていた京都タワーの明かりや、電柱やビルなどの影は一切消え、夜闇に沈む都の街並みがそこにあるのだ。

「佐為……これは」
「これから君が護る世界の、過去と未来。千珠、君の中にある風景だ」
「……俺の、中に」
「そう、そして珠生の中に」
「……」
 千珠は、佐為を見た。佐為は暗い町並みを静かな目で見渡しているが、口元は微笑んでいる。

「君を、ずっと待っていた」
「佐為……」
 佐為はにっこりと微笑んで、紫宸殿の方を振り向いた。千珠も同じように振り返ると、白い砂利の敷き詰められた広場に、十六夜の術式がくっきりと描かれているのが見える。

「これは……あの時の」
「そう、十六夜の術式だ。懐かしいだろう?」
 頬にかかる銀髪を左手で押さえながら、千珠はその円陣を見下ろした。複雑な文字の描かれた大きな円陣は、あの時確かに千珠の足元にあったものだ。
「君の力を、またここで披露してくれたまえ」
「……ふん、そのためにここまで来たんだ」
 千珠は事も無げにそう言って、円陣を見下ろして勝気に笑った。

「その前に、片付けなきゃいけない奴らがいるけどな」
「そうだね。でも僕らは負けないさ。何も心配することはない」
 
 佐為の声が、急激に遠ざかる。
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