琥珀に眠る記憶

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第7章 戦の前

5、特別警戒態勢壱式

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 京都府警に勤務する岡本洋介は、この四月に警察官になったばかりの新人だった。
 京都御所での警察官不審死事件から一ヶ月と経たない今日、何故か突然京都御所の集中警護に当たるべしという命令が京都府警察本部から下された。

 詳しい説明がないことを岡本は怪訝に思ったが、回りにいる上司や先輩たちは何も不思議に感じている様子は見られないため、岡本はただその命令に従って御所周辺を警備していた。

 現地へ到着し、その物々しさに驚く。黒いスーツ姿の人間がそこかしこに立って、厳しい目着きであたりを見回しているのだ。
 警察官はあくまでも御所周辺の警備。御所内には入ることができないらしい。
 隣に立つ年配の警察官に、岡本は小声で尋ねた。

「あの……あの人達は?」
 年配の警察官はじろりと岡本を見て、直ぐに視線を前に戻した。そして、小声で言う。
「ありゃ政府の人間や。宮内庁のな」
「宮内庁……? 誰か皇族の方が来はるんですか?」
「いや、分からん。特殊警備形態壱式という命令の出たときは、俺らは何も聞かんとここを警備しなあかんねん」
「何も聞かず……ですか」
「せや。そういう決まりや」
 岡本は怪訝な表情を浮かべたまま、閉じられた御所の各門を見た。一体中で何が行われているというのだ。

 御所周辺の丸太町通、今出川通、烏丸通、河原町通という京都でも主要な道路は全て封鎖され、人っ子ひとり歩いていない。突然道路を迂回するように言われた京都市民たちの怒りの声が、聞こえてくるようだった。

「何なんだ……?」
 制服姿で蛤御門に立つ岡本は、密かにあたりを見回すが、それが分かりそうなヒントは何も転がってはいない。
 近辺の学校はすべて休校とされており、いつもは賑やかなこの烏丸通が、不気味にしんとしている。そんな岡本の目の前を、一台の黒塗りのセダンが通過していった。

 蛤御門の少し先で停車した車から、黒いスーツの若い女が現れた。長い髪をひとつに束ね、流した前髪を少し手で押さえると、歩み寄ってきた他の黒スーツの男と言葉をかわして、門の方へと歩いて行く。
 何となくその女を見ていると、車からもう一人誰かが降りてくる。
 背の高い、私服姿の少年だ。
 まるで観光にでも来たかのような気楽な表情で少年は薄笑いを浮かべ、ベージュのパンツのポケットに手を突っ込んで歩いている。白いシャツの上に複雑な柄の描かれた小洒落たベストを羽織り、女の方へと歩み寄る。
 間近を通り過ぎた少年とちらりと目が合い、岡本はぎょっとした。

 外見はまだ高校生程度なのに、その目付きは逆らいがたい威圧感を秘めていた。すぐに目をそらした少年は、細く開けた門をすり抜けて、御所の中へとするりと消えていった。

 誰だ……あれは。
 何であの少年はこの中に入っていくんだ?

 少年たちが消えていった門の方をまじまじと見ていると、年配の警察官が岡本の脇を小突いた。

「あまり見るな」
「え……?」
「いいから、前を向いとけ」
「はい……」

 一体これから、何が始まるというのか。
 岡本はただ前方を見据えて姿勢を正して立っていた。
 時刻は午後一時。眩しい太陽が、御所の新緑をきらきらと彩っている。



 +


 昨日自分にプロポーズをしてきたとは思えないような飄々たる態度で、彰は葉山の隣を歩いている。
 広い御所の中にくまなく気を巡らせながら歩いている彰の表情は、いつになく真剣だ。
 そして、どこか楽しそうでもある。

「うまく結界が張ってあるじゃないか。しかしあそこまで警官を配備する必要あったの?」
「この日のために宮内庁で作成された警察向けのマニュアルがこれなんだから、仕方ないでしょう。まぁ、何が起こるかわからないからこれくらいはしておかないといけないのよ」
「何も起こらせるつもりはないけどな」
 きっぱりとそう言った彰の顔は、年齢以上に大人びて見えた。ため口をきけるような雰囲気ではなく、葉山はごほんと咳払いをした。

「術式の陣は御所の中です。三重に結界を張っています」
「ほう、よくそんなに術者が集まったね」
「各寺院に招集をかけたところ、きちんと指令どおりの人数が集まりましたので」
「ふうん、さすが歴史を重んじる街だ。正しくこの日のことが伝承されているらしい」
「ええ、当然です」
「ねぇ、何で敬語なの?」
「術式が終わるまでは、けじめとして」
「ふうん、別にいいのに」
 彰はちょっと唇を歪めて笑うと、すぐに前方を見て歩き出した。

 丹塗りの承明門の前に来ると、前に立っていた黒いスーツの男が、彰を見て恭しく頭を下げて、ゆっくりと扉を開く
 彰は笑みを浮かべたまま、中へと進む。
 白い玉砂利の敷かれた広い空間に、巨大な陣が描かれていた。

 彰は、目を見開いて笑顔を浮かべる。

「素晴らしい、よく再現してある」
「ありがとうございます」
「なんて懐かしいんだ……」
 彰はポケットから手を出して、腕まくりをした。細く引き締まった手首にに巻きついた黒い小さな数珠が、きらりと光った。

 陣の周辺には、僧侶たちがうろうろ闊歩しながら更に陣を書き加えている。
 最終的には、この紫宸殿前の広場をすべて覆い尽くすほどの円陣が描かれるのだ。
 彰はすたすたと陣の中心まで歩みを進めると、腕組みをして空を仰いだ。

 目を細めると、あの日の空が見えるようだった。
 五芒星の浮き上がった青い空のことが。
 あの日共に術を成した土御門衆の面々一人ひとりの顔が、蘇る。

 ふと、承明門じょうめいもんの上を見て目を見開く。
 陽炎のように、千珠の白い姿が見えた気がしたのだ。陀羅尼を倒した時、千珠はそこに仁王立ちしていたという。
 佐為は直接その風景を見ていないが、それはこの地に刻まれた場所の記憶なのか、夕闇に向かって立つ千珠の背中と揺れる長い銀髪が見えた。

 彰は微笑んだ。
 皆の魂、ここにいるんだな。転生していない者も、している者の記憶も、すべてここにある。

 我々は守られている。


 しくじるはずがない。猿之助など、恐るるに足りぬ。


「土御門の衆よ。君たちの力を借りるぞ」 


 彰はそう呟くと、目を閉じて合掌した。
 
 
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