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第7章 戦の前
4、理解者
しおりを挟む丸太町にある済世会丸太町総合病院に、舜平は入院している。
午前中の診察で、すっかり傷の治りきった舜平の身体を診て、ベテラン医師は訝しげに首をひねっている。
数日前に撮ったレントゲンと今日のものを比べ、舜平の身体を触診し、また首をひねった。
「君……相田舜平くんだよね。レントゲン、間違ってないよなぁ……」
「あ、はい……」
「変だな、この骨折が二日で治るはずないんだが……」
「映り間違いちゃいますか? 撮る時俺、暴れたんちゃいます?」
「そんなことでこんな映り方しないよ。うーん……」
「まぁいいじゃないですか。もう俺、退院していいんですよね」
「うーん……まぁ、治ったのはいいんだけどね……」
医師は首をひねりながら、まだ唸っている。診察室のドアが開いて、看護師が顔をのぞかせた。
「先生、相田さんのお父様がもうお迎えに来ていて、急いでいらっしゃるみたいなんですが」
「あ、そう。……まぁ、お大事にね。退院の手続きは受付でしてください」
「はい、ありがとうございました」
舜平ぎこちなく笑い、そそくさと診察室を出ていった。
受付に藤原の姿が見え、小走りにそちらに駆け寄る。
「ありがとうございます、色々」
受付で書類に記入を終えた藤原修一は、元気そうな舜平を見てにっこり笑った。今日もぱりっとした黒いスーツ姿だ。
「いいんだよこれくらい。さ、着替えておいで」
「はい、ちょっと待っててください」
舜平は一旦病室に戻って着替えると、荷物をまとめてロビーへ戻ってきた。
藤原は先程の看護師と談笑していたが、看護師の瞳はキラキラして、憧れの表情を藤原に向けている。
「おまたせし……」
「ああ、舜平。じゃ、行こうか。お世話になりました」
父親風に藤原はそう言うと、看護師に一礼し、舜平を促して外へ出た。
天気のいい日で、さわさわと吹き抜ける風が気持ちが良かった。舜平は大きく伸びをすると、駐車場の方へ歩き出した藤原の後を追う。
「藤原さん、もてますねぇ」
「いやいや、こんな大きな息子がいる設定なのにな。この年で電話番号を渡されるとは思わなかったよ」
「え? もらったんですか?」
「ああ。君、いる?」
「いやいや、結構です。おかしいでしょ」
舜平は手を振って、困り顔の藤原を見た。昨晩はよく眠ったのか、いつになく顔色がよく、表情にも余裕があった。それに、決戦を前にしているせいか、藤原の顔は張りがあり、いつもよりも若々しい。こういう時に元気になるところは、業平の時と同じだと思った。
「葉山さんは?」
「彼女はまだ寝かしている。昨日佐為の手当を頼んでいたからね、疲れたろうし」
「ああ、あの首の傷……治ったんかな」
「完治したと葉山は言っていたよ。佐為は終電に間に合ったので帰したらしい」
「ああ、一応高校生ですもんね」
「変な感じだよ」
藤原は苦笑しながら、黒いセダンに乗り込んでエンジンをかけた。舜平は助手席に乗り込む。
「今夜も頼んだよ。毎度毎度、君には体を張らせて申し訳ないが」
「何言ってはるんですか。好きでやってるんですから」
舜平の自宅へと車を走らせながら、藤原は微笑んだ。
「私の息子も、君くらいしっかりしてくれていたらなぁ」
「え、お子さんいるんですか? 東京に?」
「ああ、そうなんだ。高校三年生、受験生だよ」
「へぇ~賢いお子さんなんでしょうね」
「ところがどっこい、息子はいわゆる不良でね……一時期はえらく苦労した」
「ええっ、業平様のお子さんが?」
「全国飛び回ってて、全然構ってやれていなかったからかなぁ……悪い仲間とつるんでね。今は彼女ができて、将来を考えなおしたのか、大学へ行くと言い出したんだが」
「へぇ……愛の力ですね」
「そうだね。親はなくとも子は育つとは、よく言ったものだ。まぁ……元はそんなに勉強のできない子じゃなかったから、それなりに善戦はすると思ってるけどね」
「きっと大丈夫ですよ。目標があれば」
「そうだね」
藤原は前方を見たまま、微笑んだ。目尻の皺に、家族での苦労や仕事での苦労が滲んで見える。それでも藤原の表情は、昔と違わず凛としていた。
自分の父親は坊主だが、威厳や貫禄という言葉からは遠く離れたところにいる男だ。藤原のような立派な父親を持つということが、子どもにとってどういう影響をもたらすものなのか、舜平には分からなかった。
山道をすいすいと登っていく乗り心地のいい車の中で、舜平は木漏れ日を眺めた。窓をあけると、森の匂いが鼻に心地いい。
「珠生くんは、君から見てどうだ。落ち着いたと思うかい」
「……いや、まだちょっと、不安定かなと思いますね。でも、力の使い方はすっかり戻ってるし、大丈夫でしょうが」
「あの力を得て、戸惑っている?」
「それはありますね。この間も、藤原さんとの修行の後病院に……」
自分の男根をしゃぶり尽くしていた珠生の妖艶な目付きが蘇り、舜平ははっと口をつぐんだ。あの時の珠生は、明らかに少し様子が変だった。
「……君のところに来たのかい? あの後」
「あ、はい……。あの、妖力を使うと、俺が欲しくなるとか……言ってて」
「ああ、そうか。彼を抱いた?」
「いいえ、そこまではしてません」
「そう。変わらないねぇ、君たちも」
「そうですねぇ……」
舜平は照れくささを押し殺しつつ、外を見た。あの晩の、珠生の瞳を思い出す。
この数週間で、珠生の目付きは事あるごとに舜平を惑わせた。出会った頃の、控えめで淡々としていた珠生、千珠の感情に戸惑う珠生、蘇った力に目をぎらつかせる珠生、そして妖艶に自分を誘う珠生……。本人はきっと舜平以上に、そんな自分の心の変化に戸惑っているはずだった。
「酷なことをしてしまったかな……私は」
「と言いますと?」
「千珠さまは、のんびり天国暮らしがしたかったんじゃなかろうかと思ってね」
と、藤原は笑った。
「でも、こう言った術式に関わってもらったばかりに、また現世に引っ張りだして」
「あいつも望んでたことじゃないですか。大丈夫ですよ。都を守るのが、自分の使命だと思ってるんちゃうかな」
「だといいけどね。さて、着いたよ」
藤原の車が、白い砂利の上に停まった。礼を言って車から降りると、藤原も外に出てくる。大きく伸びをしながら、清涼な空気を吸っている様子だった。
「いつ来ても、いい空気だな」
「市内とはちょっと違いますからね」
舜平が荷物の入った紙袋を後部座席から取り出していると、父親の相田宗円が砂利を踏んで出てきた。作務衣姿だ。
「や、どうもどうも。息子がお世話になりまして」
と、藤原に丁寧に一礼している坊主頭を見て、舜平は驚く。
「なんや、おとんは家におったんか。旅行行ってたんやろ?」
「いや、旅行行ってんのは母さんと早貴だけやで。俺はな、藤原さんに頼まれて色々と準備をしとった」
「え……?」
藤原はにこやかに舜平と宗円を見比べた。
「今夜の術式の準備に加わっていただいていたのだ。ここは比叡山延暦寺の末寺だからね、きっと、お父上にもその力があると思っていた」
「え、なんで……」
「舜平、お前がまさかなぁ……そんな力持ってるなんて、思わへんかったわ。父さん、嬉しいぞ」
「何……言ってんの」
「昔からなぁ、変なものばかり見てたから、何かあるとは思ってたけど……国を守る力持ってるなんてな」
「藤原さんから、聞いたんか」
「そうだよ。一応全て、説明はさせてもらった」
藤原はスラックスのポケットに手を入れて、微笑む。こうして宗円と見比べると、本当にダンディな男だとしみじみ思う。
「父さんも、お前の援護したるからな。しっかりやれ」
「あ、ああ……」
いまいち状況が飲み込めないまま、舜平は頷く。藤原は舜平の肩を叩くと、
「とりあえず、しばらく休むといい。夜また、迎えを寄越すよ」と言った。
「あ、はい、分かりました」
「では、失礼します」
藤原は二人に一礼して、その場を後にした。
父親と二人、庭で黒のセダンを見送った舜平は、ざあっと髪を乱す風に目を細めた。
「珠生くんも、お前と同じなんやってな。あんなに怖がってたけど、もう大丈夫なんか?」
「うん、まぁな。……あぁそっか、霊視してもらったんやっけ。もう何年も前のことみたいに感じるわ」
「お前の前世の時代のことは、書物で読んだことがあるぞ。いやはや、お前がなぁ……。気の感じが変わったの、おかしいなぁとは思っててんけど」
「ま、俺は何も変わらへん」
「せやな」
宗円は腕組みをして笑うと、舜平を見た。目を見合わせると、何となく笑えてきた。
まさか親子で術式に関わることになるとは思わなかった。少し共犯めいた思いが湧ていくる。
「あれやな、お前が小さい頃、母さんに隠れてプラモデルを買いだめた時のことを思い出すわ」
「ああ、後からバレてめっちゃ怒られたっけな」
二人はそんな平和な思い出に笑い合った。
「お前がパーツを散らかすからバレたんやで、アホが」
「はぁ? そもそもおとんがコソコソするから余計に怒られたんやろうが、ハゲが」
「ハゲちゃうわ。これは敢えて剃ってるんや。今朝も剃った」
「はいはい、分かった分かった」
「まぁ今夜のことは、母さんには内緒やで。心配するからな」
「心配も何も……信じひんやろこんなこと。せいぜい、おとんが浮気して外泊してんのちゃうかって疑われるくらいやろ」
「それは余計に困るわ。お前、ちゃんとアリバイを証言せぇよ」
「分かってるって」
そんな会話をしながら、二人は家の中へと戻る。宗円は力強く舜平の首に腕を回した。
「頑張れよ、舜平」
「痛い痛い、言われんでも、そうするわ」
自分よりもしっかりとした身体つきになった息子の身体に成長を感じつつ、宗円は意気揚々と笑った。
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