琥珀に眠る記憶

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第6章 襲撃、再び

8、奪われた半身

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 十五センチほど開いた扉の向こうに、自分と同じ目があった。

「……千秋」
「え?」

 舜平が顔を上げる。

 珠生はさっとドアを開けて外に出ると、後手にドアを閉めて千秋と向き合った。
 千秋は怒っているような、困っているような複雑な表情を浮かべて立っている。手に差し入れらしき紙袋を持っている所を見ると、舜平の見舞いに来たようだ。
 しかしその表情を見ている限り、珠生と舜平のやり取りをどこからか見ていたことは明らかだった。
 それに気づかなかった自分を悔いる。

「千秋……来てたんだ」
「うん、差し入れ持って来た……けど。必要なかったわね」
 千秋は右手に持った紙袋を、ぐいと珠生に押し付けた。
「珠生をどこかへやっておいて、舜平さんにまで手を出すの?」
「千秋……またそんなことを」
「何で……あたしから全部奪っていくの?」
 千秋は抑えた声で、じろりと珠生を睨んだ。その目の真剣さと微かな憎しみの色に、珠生はびくっと肩を揺らす。

「千秋、ちゃんと話そう。説明するからさ」
「嫌よ、あんたの言葉なんて信じない!」
「そんな……」
 騒ぎ出す千秋の声に、看護師や他の患者たちが目を向けた。電話を終えて戻ってきた湊も、二人の声に気づく。
「もう……訳わかんない!!」
 千秋は珠生に背を向けて、カツカツとヒールの音を響かせて走り去っていった。珠生は呆然と、去っていく千秋の背を見ていることしか出来なかった。
 ドアが開いて舜平が顔を出すと、すぐに千秋の後を追って走り出した。ドア越しに話を聞いていたらしい。

 立ち尽くす珠生に駆け寄った湊は、珠生の肩を掴んで揺さぶった。
「おい!! お前が追いかけんでどうすんねん!?」
「……分かってるよ……でも」
「何や?」
「訳わかんないのはこっちだよ……! あの馬鹿!」

 珠生はそう吐き捨てると、千秋と舜平の後を追って走りだす。湊もその後を追った。
 

 +  +


「おい! 待てや!」
「いや! 離してよ!!」
 陸上部で全国大会レベルの千秋の駿足を、舜平は必死で追いかけた。病院の裏手から出て数十メートル走った所で、ようやく千秋の腕を掴む。
「離してって、言ってるでしょ!!」
 千秋の平手が舜平を襲うが、舜平は事も無げにその手を掴むと、ぎゅっとその手首を握りしめた。千秋はハッとして、舜平を見上げる。

「……珠生かと思った。ごめん」
「ったく、けが人を走らせておいて……」
 葉山の持ってきたパジャマとスリッパ姿の舜平を、頭の先から爪先まで見下ろすと、千秋はようやく身体から力を抜いた。
「なんで、舜平さんが追いかけてくるのよ」
「……二人の会話が聞こえてな。穏やかじゃなかったから」
「あなたも、何か知ってるんでしょ。珠生のこと」
「……ああ、知ってる」
 あっさりと認める舜平に、千秋はばっと顔を上げた。

「教えてよ、珠生はどこに行ったの?」
「あいつはあいつやで。千秋ちゃん、ちょっと混乱してるだけやと思う。一回ちゃんと、話したほうがええよ」
「舜平さんもそう言うんだ。……みんなして、何を隠してるの?」
「隠してるわけじゃない。ちょっと長い話になるだけや。落ち着いて聞いてほしいねん」
「……」

 穏やかに言い聞かせるように言葉をかける舜平を、千秋はじっと不安げに見上げていたが、ふと足元に感じる生暖かい空気に目を落とした。


 足元にぼんやりと紫がかった霧が流れている。
 千秋の目線に気付いた舜平も足元を見て、目を見開いた。


 ——これは……佐々木衆の結界術。


「しまった……!」
 はっとして千秋を見ると、珠生と殆ど同じ形をした大きな目が、ぼんやりと光りを失って虚ろに開かれていた。
 すうぅ、と細い線香の煙のようなものが、千秋の鼻や口へと吸い込まれていく。

「おい……!」
 思わず手を伸ばしたが、千秋の身体はまるで操り人形のようにがっくりと折れて地面に崩れた。そして直後、再び糸を張られたように勢い良く起き上がると、後ろに一回転して舜平から距離を取り、地面に降り立つ。

「……くっくくく。猿之助さまの言うとおりだ。面白いものを見せてもらった」
 濃くなっていく霧の中で、千秋の目が光った。紫色の光が、ぎらりと動く。舜平は愕然とした表情を浮かべて、豹変した千秋の姿を見つめた。

「さすが、千珠殿の片割れ。人間にしては強い霊気だ。……そして、疑心暗鬼に満ちている。なんと心地よい身体だろう……」
 千秋の目が大きく見開かれ、勝ち誇ったように大声で笑い出した。

「お前……誰や」
「また会ったな、舜海よ。えらく無茶をした割には、元気そうではないか」
「……影龍か」
 千秋はにやりと邪悪に笑った。濃い霧の中には、誰もいない。夕方の丸太町通は混雑するのが普通だ。人も車もいないはずがないのにもかかわらず、町はしんと静まり返っていた。

「この女、返して欲しいか。猿之助さまの憑坐となっているあの女の体も」
「……当たり前やろ」
「それならば、草薙の剣をこちらに渡してもらおう。明日の丑三つ時、御所へ来い。業平にもそう伝えておけ」
「お前……改心したんかと思ったら、全然やな」
「ふん、お前らごときの言葉が、私に届くと思うたか」

 その時、バリィン……と分厚いガラスの割れるような音が響き渡った。
 まるで光の矢のように、千珠の宝刀が結界術を破って突き抜けたのだ。
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