琥珀に眠る記憶

餡玉

文字の大きさ
上 下
81 / 535
第6章 襲撃、再び

7、吐露

しおりを挟む
 地下鉄丸太町の駅の改札口の前に、制服姿の湊が立っていた。

「珠生はどうもなさそうやな」
「うん、俺はね」
「でもなんか、浮かない顔やな」
「……さっき起きたから」
「そっか」
 千秋との諍いのことは、何となく言い出せなかった。二人は連れ立って地上に出ると、総合病院の方へと足を向けた。

「学校、どうなってた?」
「山辺はクビやって。犯罪のことに関して、表沙汰にはせぇへんから直ぐにやめろってことになったらしい」
「そっか……。通り魔云々のことは?」
「緑川先生が校長に色々と進言しててな。体育館の窓ガラス全部割られたことや、生徒の教室爆破事件なんかで、学校のイメージは落ち気味や。そんなに生徒に憎まれるような教育をしてんのかってな」
「全部俺のせいだ……。なんか、悪いことしちゃったな」
「別にお前が悪いわけちゃうやん。あ、ほんで、さらに通り魔なんて学校に入り込んだことが分かったら、どんだけ恨まれてんねんって思われるやろ? それこそうちの学校の評判おしまいやから、何とか伏せようってなったらしいわ」
「じゃあ、先輩の思うように進んだってことだね」
「そうや。やれやれ」
「それにしても、詳しいね」
「まぁ、元忍やからね。これくらいのことは余裕や。それくらいのことしか、今の俺にはできひんからな」
「そんなことないよ。俺は学校に湊がいてくれて、すごく心強いから」
「そうか? お前がそう言ってくれるんやったら、俺も嬉しいけどな」
 湊は静かに微笑んで、珠生を見下ろした。珠生はそんな湊の落ち着いた気に触れて、心が落ち着くのを感じていた。

 柊がいつも千珠を影から守ってくれていたように、湊の静かに包み込むような気はとても安心できる。

「柊」
「ん?」
「ありがとう」
「え? どうしたん?」

 不意に昔の名前で呼ばれ、湊は驚いたような怪訝な表情を見せたが、少し嬉しそうでもあった。

「何でもない」
 珠生も笑ってそう言うと、また前を向いて歩き出す。



  +



「あらぁ、珠生くんと湊くんじゃないの」
 いつになくテンションの高い葉山が、二人を笑顔で迎え入れた。その向こうでは、舜平がベッドの上にあぐらをかいて微妙な顔をしている。
「どうも、葉山さん。お元気そうですね」
と、湊が静かな声でそう言った。
「そう? 珠生くんのお父さん、とっても素敵ね。背も高いし、教授ってことは頭もいいし、何よりも優しくていいわ」
「……どうしたんです?」
 珠生はびっくりして葉山を見返す。

「さっきまで、先生が見舞いに来てくれてはったんやけど。最近藤原さんにこき使われてるから、先生の優しさが異常に心に染み入ったらしい」
「……あ、そうなんだ」
「今、お母さんとは別居なんでしょ? 珠生くん、私をお母さんって呼んでみたくない?」
「ええっ。そんなに気に入っちゃったの? 頼りないですよ、あの人」
「いいのいいの、私はそういう人のほうがいいの」
「だいぶお疲れなんやなぁ」
と、湊は同情を込めてそう呟いた。
「俺は止めませんけど勧めもしませんよ」
と、珠生は面倒くさそうにそう言った。
「ドライな子ね」
 葉山は少しつまらなそうにそう言って、健介の持って来たフルーツのかごから幾つか果物を手に取った。

「まぁいいや。ふたりとも何か食べる?」
「いや、いいですよ。それより、俺らいるんで、葉山さんは少し休んだほうがいいんとちゃいます?」
 湊はそう言って、葉山の手から果物を取る。

「湊くんも……優しいのね」
 葉山の目が、きらりと光った。
「優しさに飢えすぎでしょ。もう今日は帰って寝てくださいよ」
と、舜平は胡座をかいた膝の上に肘をつく。
「そう……ね。そうしようかな。今夜も藤原さんと修行でしょ?」
「はい……すいません」
「あ、いいのいいの。藤原さん、仕事中はだるだるなのに、あの時間だけはいきいきしているからきっと楽しいのね」
「そうなんですか?」
「ええ、そうよ。今はホテルで寝てるはず……私も休ませてもらうわ」
 葉山はスーツの上着を腕に引っ掛けて、バッグを持つ。
「じゃあね、みんな」
「お疲れ様です」
 湊が律儀に一礼して葉山を送り出す。葉山は笑顔で手を振りながら、帰っていった。

「賑やかな人やな」
と、舜平は半分起こしたベッドに背をもたせかける。
「元気そうやん、舜平」
 湊は病室の窓の方へ進み、下や上を見回してから舜平に向き直った。そうやって辺りを確認するのが癖らしい。
「まあな。回復力も昔どおりやから。ちょっと医者に怪しまれてるし、はよう出たいねんけど」
「いつまでおるん?」
「明日退院すんねんけどな。書類関係、藤原さんが引き受けてくれるらしい」
「なるほど」

 二人がそんな話をしている間、珠生はいつものようにベッドサイドの椅子に座った。舜平と目が合うと、珠生はぽっと頬を染めて目をそらし、俯く。

「珠生、お前もなんか疲れた顔やな」
と、舜平が気遣わしげにそう言った。
「そうやな。やりすぎたんか?」
と、湊。
「えっ? 何を?」
と、舜平が慌てて湊にそう聞き返すと、湊は不思議そうな顔をして、「修行や」と言った。
「あ、ああ、修行ね、修行!! せやな、うん!」
と、舜平はぎこちなく笑う。
「……何言ってるんですか、舜平さん」
 珠生は呆れたようにそう言って、ため息をついた。
「ただの寝不足だよ。多少は疲れてるけどね」
 珠生は色が白いため、目の下のくまが少し目立っていた。明け方は暗くて気づかなかっただけなのか、それともあれから何かがあったのか、舜平には分からなかった。

 湊から学校の状況を聞き、舜平は安心したように息をつく。舜平は彰の様子などを知りたがったが、湊は今日はまだ連絡を取っていないと言った。
「ちょっと電話してみるわ」
と、湊は病室を出ていった。

「なんかあったやろ、あれから」
 湊がいなくなると、舜平は珠生にそう尋ねた。珠生は苦笑して、「舜平さんには、かなわないな」と言った。
「なんでもお見通しだ」
「まぁ……何となくや」
「千秋にね、あんたは誰だって、珠生を返してって言われたんだ」
 舜平に朝方の千秋とのやり取りを話して聞かせるうち、珠生はまた悲しくなってきてしまった。

「俺は俺だって、思ってるけど……本当は違うのかなって。ずっと今まで自分は自分だと思って生きてきたけど、今はもう違うのかもしれないよね」
「そんなことない。……それに、人はちょっとずつ変わっていくもんや。千秋ちゃんは、それについていけずに戸惑ってるだけやろ」
「うん……でも……。変わりすぎだよね、多分」
「まぁ……今回ばかりは、しゃあないやろ。身近な……しかも双子の片割れやったら、そら戸惑うわ」
「うん」
「信じるかどうかはあの子次第やし、話してみてもいいんちゃう?」
「そうだね……」
 珠生は疲れたように目を閉じて、ベッドに肘をついて額を押さえた。珠生の頭の上に、舜平のあたたかい掌が置かれる。

「そう弱腰になるな。お前はお前やろ」
「……うん」
 見あげた舜平の笑顔が優しい。珠生はふと、泣きたくなった。
 珠生は立ち上がると、舜平の肩に顔を埋めた。さっきまで感じていたどろどろとした不安が、すっと消えて行く。
 舜平の手が背中に回り、ぎゅっと珠生を抱きしめる。


 ——何でこう、お前と離れられないんだろうな……と呟いて、髪をかきあげる千珠の姿が蘇る。舜平は珠生の背を抱く手に力を込めて、目を開いた。


 どこへも向かわない二人の関係を、戸惑いながらも続けていたあの頃のことを思い出す。
 今の不安定な珠生にとって、自分が必要であるということは分かっている。でも、こんな関係を続けていていいのかということは、考えものだ。

「あの……もう大丈夫だから。湊が戻ってくる、離してよ」
「離れたいなら、自分から離れたらええやろ」
「じゃあ……手、離してよ」
 珠生はぐいっと舜平の胸を押し返した。舜平の真っ直ぐな目が、珠生の目を見つめる。

「……そんな目で見ないでくださいよ」
「え? そんな目って?」
「今にも襲いかかってきそうな目です」
「アホか。そんなこと思ってへんわ」
「どうだか」
 珠生はそう言いながらもちょっと笑った。
「俺……湊見てくるついでに、なんか飲み物買って来る」
「はいはい」
 ごろりとまたベッドに横になった舜平が、ひらひらと手を振って気のない返事をした。

 ふと、ドアの取っ手に手をかけた珠生の動きが止まる。
しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

ある少年の体調不良について

雨水林檎
BL
皆に好かれるいつもにこやかな少年新島陽(にいじまはる)と幼馴染で親友の薬師寺優巳(やくしじまさみ)。高校に入学してしばらく陽は風邪をひいたことをきっかけにひどく体調を崩して行く……。 BLもしくはブロマンス小説。 体調不良描写があります。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...