琥珀に眠る記憶

餡玉

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第6章 襲撃、再び

4、露見

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 千秋は見てしまった。
 夜中にベランダに出ていく珠生の姿を。
 それだけならいい、珠生はこの三階のベランダから迷うことなく飛び降りたのだ。

 何となく眠れず、暗いキッチンで水を飲もうとしていた千秋は、思わず手にしていたペットボトルを取り落とした。
 慌てて窓に駆け寄って、ベランダに裸足で飛び出して下を見たが、珠生の姿はなかった。

「……なんで?」
 混乱する頭のまま、千秋はあちこちを見回したが、珠生の姿もなければ人の気配もない。

 見間違い?
 いや、違う。

 珠生は何かを隠している。絶対に。何か、とんでもなく大きな事を。
 疑惑が確信に変わっていく。珠生の纏う空気の違いも、ちょっとずつ見せる表情の変化も、それならば説明がつく。

 
 珠生はあんなふうに、鋭い目をする子じゃなかった。

 感情に任せて、声を荒げるような子でもなかった。


 他人に、あんなふうに積極的に触れようとする子でもなかった。


 ……少なくとも、自分の知っている珠生は。
 

 それから千秋は、暗いリビングのソファの上で、ずっと珠生を待っていた。今、問いたださなければ、はぐらかされてしまうに違いない。帰ってくる所を押さえるのだ。
 まるで張り込み中の刑事のような思いで、千秋はずっと暗い窓の外を見つめていた。

 しかし、うとうととしていたらしい。かすかな物音にはっとして頭を起こすと、ベランダに人影が見えた。

 どうやって登ったのか、珠生が手すりを超えてベランダに降り立つ姿がぼんやりと見える。千秋は立ち上がって、珠生の部屋のドアに耳を当てた。窓を開け閉めする音や、衣擦れの音が聞こえてくる。

 何の前触れもなくドアを開けると、暗い部屋の中できょとんとして千秋を見返す珠生がいた。

 その表情が、みるみる強張る。千秋は自分の考えが当たっているということを確信する。

「珠生」
「なんだよ……急に入ってきて」
「あんた、どこ行ってたの?」
「えっ?」
「あんた……あたしに何を隠しているの? ねぇ、一体どうしたっていうのよ」
 千秋は珠生に近寄ると、珠生のシャツをぐっと掴んだ。そうしてみると、ほんの少し、珠生のほうが背が伸びていることに気づく。


 ——中学校を卒業するまでは、ほとんど同じ身長だったのに……。


 そんなかすかな変化でさえ、今の千秋には少し悲しく感じられた。


 珠生ははっとして、ドアを閉めた。ドアを背に振り返った珠生は、「父さんが起きる」と小声で言った。
「ここ、三階だよ。どうやって帰ってきたの?」
「それは……配管を伝って……」
「飛び降りたよね? それは? どうやったの?」
「……そこから見られてたのか」
 珠生は自分に腹を立てるかのように眉を寄せると、疲れたようにベッドに座り込んだ。千秋はそんな珠生の前に膝をついて、珠生の腕を強く掴んだ。

「ねぇ、あんたどうしたの? 何が起こってるの?」
「……話した所で、信じてもらえるような話じゃないよ」
「え……?」
「自分だって、まだ信じられない部分が多いんだ」
「話してみてよ。あたし、知りたい。じゃなきゃ、こんな一ヶ月やそこらで、珠生がこんなに変わっちゃったこと、受け入れられないよ」
「……」
 珠生はじっと黙って床を見下ろしている。自分を見ようとしない珠生の態度が、千秋をいらだたせた。
 ふう、とため息をつく珠生は、自分と同じ遺伝子を持っているとは思えないほどに、大人びて見える。

「ごめん……ちょっと、整理してから話したい」
「今は無理ってこと?」
「ごめん……ちょっと、今は疲れてるんだ」
 珠生は取り繕うように笑うと、千秋を見た。
 千秋はどきりとした。眼の前にいるのは珠生なのに、まるで知らない少年が目の前に座っているように見えた。


 ——そういえば、最初にここに来た時も、珠生の顔が違う人間の顔に見えた……。


「……あんた、本当に珠生なの?」
「何言ってんだよ」
 珠生はぎくりとして、不安げな千秋の目を見つめた。彼女の目は、じっと探るように珠生の目を見据えて離さない。
「珠生を、どこへやったの?」
「千秋……?」

 珠生は千秋の肩に触れようと手を伸ばしたが、千秋はそれを激しく払いのけて立ち上がった。微かに、千秋の目の奥に怯えの色が見え、珠生はショックを受ける。

「あたしは、あんたなんか知らない……誰なの?」
「千秋、俺……珠生だよ。俺は俺だよ」
「嘘! あたしの目が誤魔化せると思ってるの?」
「……」
 珠生は呆然として、片割れの姿を見つめていた。バシッと鋭い音がして、千秋の平手が珠生の頬に赤いあざをつける。


 互いに、これが夢ならどんなにいいかと思っていた。


「返してよ! 珠生を返して!」
「落ち着けよ、俺は珠生だって言ってんだろ」
「違うよ! あんたは珠生じゃない!」
「いい加減にしろよ! 今までの俺が本当の俺だっただなんて決めつけるなよ!! 千秋に何が分かるんだ!」
 取り乱して喚き出す千秋に、珠生も思わず声を荒げた。千秋はハッとして、驚愕の表情で珠生を見返す。

「俺だって……、分からないよ。何が本当かなんて、分からないんだよ」
「……珠生」
 珠生は軽くめまいを覚えて、どさっとベッドに座り込むと、額を押さえて俯く。
「やめてくれよ……もう」
「……何でそんな、悲しい顔してるのよ。泣きたいのはこっちだよ」
 千秋の目から涙が流れだす。ぐいっとそれを手で拭うと、千秋は部屋を出ていった。
 ばたん、と響くドアの音が珠生の心を重くする。


 ——自分の半身が、遠くへ行ってしまった。


 互いにそう感じていたが、今の二人には、歩み寄る方法など分からなかった。
 珠生はベッドに横になり、腕で目を覆った。


 この時ほど、平穏に暮らしていた時の自分に戻りたいと思ったことはなかった。
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