琥珀に眠る記憶

餡玉

文字の大きさ
上 下
55 / 535
第4章 境界

4、沈黙

しおりを挟む
 舜平の車に乗りこんでからずっと、珠生はぎゅっと腕を組んで俯いていた。
 車は、夕方の渋滞した御池通りを、のろのろと北へ進んでいる。

「舜平さん……」
「ん?」
「家には……帰りたくないです」
「え? でも……」
「少し、遠回りしてくれませんか……」
「ああ、ええよ」
 珠生は、さっき湊に話した内容を舜平にも伝えた。猿之助が、自分の部下を蘇らせて自分たちの邪魔をしにかかっていることを。
 舜平は忌々しげに表情を歪めて、「くそっ」と呟いた。
 信号で車が止まると、舜平は珠生をじっと見つめた。

「……怖かったやろ」
「……はい」
「猿之助……ぶっ殺す」
 怒りに揺れる瞳を、舜平は前方へ向けた。信号は赤のままだ。
 珠生はそっと、そんな舜平の腕に触れる。珠生に上着を貸している舜平は、半袖の黒いTシャツ一枚だった。
「そんなに怒らなくていいですよ」
「でも……やり方が汚すぎるわ」
「俺が、うまく力を使えないから駄目なんですよ」
「お前は悪くない」
 舜平はきっぱりとそう言って、まっすぐに珠生を見た。その強い瞳に、珠生はどきりとする。

 舜平の溢れる気を感じて、急に気が緩んできた珠生の目から、ぽろぽろと涙があふれ始めた。舜平ははっとしたように、珠生を見つめた。

「珠生?」
「すみませ……。なんか、急にほっとして……」
 ひく、ひくっとしゃくりあげて涙を流す珠生を抱きしめてやりたかったが、信号が青になったため、舜平はアクセルを踏んだ。手を伸ばして、珠生の頭を撫でる。
「……気持ち、悪かったんです……怖いし、痛くて……もう、どうしていいか分からなかった……」
「そうか……」
「千珠は……あんなに強かったのに、俺……にはあんな力……なくて……」
「草薙を守ったやろ、お前が」
「たまたまですよ……きっと。俺……何なんだろう、よくわからないよ……」
「珠生……」
 舜平ははっとして、急に車線を変えて右に折れた。一方通行の空いた道を選び、どんどんと車を走らせていく。

「どこ行くんですか」
「言いにくいけど……ラブホ」
「……えっ!? なんで、」
「お前の怪我、俺が治したる。……辛かった記憶も、塗り替えてやる」
「っ……」

 舜平の頬には、やや赤みがさしている。しかし彼は何も言わずに、ただ車を走らせた。珠生はどきどきと不思議にざわめく胸をなだめつつ袖口で涙を拭い、暮れていく京都の町並みを眺めた。

 明日からはゴールデンウィーク。町中は楽しげに飲み歩く人々や、大荷物を持って駅へと急ぐ人たちが目についた。

 明後日には千秋もこっちへ来るというのに、自分のこの有様は何だろう。
 珠生は息をついて、シートに深くもたれかかって目を閉じた。

 疲れた。ひたすらに。
 珠生は重たい瞼を閉じて、そのまま寝入っていた。




 ****



 湊は、こんなにも怒っている彰も佐為も、見たことがなかった。
 前世から、佐為はいつも飄々として余裕たっぷりで、いつもにこにこ笑っていて、まったく思考の読めない不思議な男だった。

 しかし、早退して藤原の仕事を手伝っていた彰が、再び学校へやってきたときのその顔を、湊は一生忘れないと思った。湊からの知らせを受け、説明を電話で聞いた彰は、葉山とともに学校へと舞い戻ってきたのだ。

 彰の目は、いつもと変わらない様子にも見えた。しかし、その瞳の奥には、轟音とともに湧き上がるマグマのような怒りの気が揺らいでいた。

 美術室は、立入禁止のテープが張り巡らされてはいたが、誰もいない。学校にはもう、教師も残ってはいない。
 学校の外で彰を待ち、再び校内に入り込んだ湊と彰、そして葉山は、惨状の痕跡も生々しい美術室を検分しているのである。

 彰の目には、あちこちに珠生の妖気の残渣が見て取れていた。恐怖によって爆発したその妖気が、真壁の中に巣食った清水保臣たちの霊魂を焼き尽くしたのだろう。それほどまでに珠生を恐怖させたその行為に、彰は目付きを変えたのだ。

「……珠生は?」
「舜平に連絡して、つれて帰ってもらいました」
「そう。それならいい」
「これ……珠生くんがやったのね」
 暗い校舎の中、ペンライトの明かりが照らす。葉山が逆手に持ったペンライトの光は、美術室のあちこちを照らしだしていた。ガラスは全て砕け散り、破片すら残っていない。椅子や机は壁にめり込むようにして、教室の四方に固まっていたし、壁紙はまるで溶かされたようにめくれはがれている。

「猿之助、どこまでも忌々しいやつだ」
 彰の低い声が、誰も居ない校舎に響く。いつもと様子の違う彰を、葉山は何も言わずにちらりと見た。
「また、学校の人らに忘却術をかけるんですか?」
と、湊。
「……そうだな。真壁の絡んだ記憶だけ、消そうと思う」
「そんなこと、できるんですか?」
「できるよ、少しエネルギーを使うけどね」
「何で、真壁のことだけを?」
「今回は、猿之助のやったことだ。真壁にこれだけたくさんの罪を負わせるのは可哀想だからね」
「……確かに」
 真壁美一には、彼の長い人生があるのだ。彰は、自分たちのいざこざによって人間一人の人生を潰すのはお門違いだろう?と、彰は言った。

「しかし猿之助は……必ず殺す」

 冷ややかに響く彰の声に、湊と葉山は何も言えなかった。
 割れたガラスの窓から、夜の冷たい風が吹き抜けていく。
しおりを挟む
感想 48

あなたにおすすめの小説

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

傷だらけの僕は空をみる

猫谷 一禾
BL
傷を負った少年は日々をただ淡々と暮らしていく。 生を終えるまで、時を過ぎるのを暗い瞳で過ごす。 諦めた雰囲気の少年に声をかける男は軽い雰囲気の騎士団副団長。 身体と心に傷を負った少年が愛を知り、愛に満たされた幸せを掴むまでの物語。 ハッピーエンドです。 若干の胸くそが出てきます。 ちょっと痛い表現出てくるかもです。

ヤンデレBL作品集

みるきぃ
BL
主にヤンデレ攻めを中心としたBL作品集となっています。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
⚠️Dom/Subユニバース 一部オリジナル表現があります。 ハイランクDom×ハイランクSub

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

Take On Me 2

マン太
BL
 大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。  そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。  岳は仕方なく会うことにするが…。 ※絡みの表現は控え目です。 ※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

処理中です...