琥珀に眠る記憶

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第3章 波乱

7、よみがえる魂

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 はっとして二人がそちらを見ると、そこには今時の女子大生風の格好をした、若い女が立っていた。

 ふわふわとカールした茶色い髪、隙のない化粧を施した顔は垢抜けていて、身に着けている服装も流行を追っている。
 ついさっきまで、繁華街で買い物をしていたかのような、当たり前のように街中を歩いていそうな女だ。
 しかしその目には、どろどろとした紫色の闇が渦巻いていた。ばっちり塗ってあるマスカラのまつ毛の下、二人を見つめるその目が細まる。

「……ようやく会えたな。お前たち」 
 ごく普通の女の声で、そう言った。隠しても隠し切れない禍々しい霊気が、その華奢な身体からかぎろい立つ。
 彰はさっと珠生の前に立つと、じっとその女を睨みつけた。そして、目を見張る。

「お前……佐々木猿之助か」
 彰の驚愕した声に、女は楽しげに笑った。その笑い方は高慢で、そしてとても嬉しげである。
「……よく分かったな。その通りだ。お前らに企てを邪魔されて殺された、あの男だよ」
「佐々木……猿之助」

 珠生もその名を呟いた。それと同時に、当時の記憶がフラッシュバックして、珠生は少しふらついた。

 かつて猿之助は、陰陽師衆棟梁として権勢を振るっていた。しかし猿之助は、自身の復讐のためにその権力を利用した。危険な妖鬼を魔境から召喚し、禁術を使って使役し、帝の殺害を企てた男である。

 しかし猿之助の企ては、藤原業平によって妨げられた。その後業平は陰陽師衆棟梁として都をよく護り、人々に平穏な暮らしをもたらした。佐為は、業平の懐刀として動いていたのである。

 そして千珠も、都を護りたいと願う業平の想いに賛同し、力を貸した。都という場所は、千珠ににとってもまた想い入れの深い場所でもあったからだ。

 五百年前の、京の都。
 そこでは色々なことがあった。猿之助のぎらつく双眸と邪悪な笑みを思い出し、珠生は奥歯を噛み締める。

「これはこれは、千珠殿ではありませぬか。随分とまぁ、弱々しいお姿に」
 女は首を伸ばして、珠生の姿を見据えると、胸に手を当てて深呼吸をした。
「この女、あなたに随分と嫉妬をしているものでね。とても居心地がいい」 
「嫉妬……?」
 女の姿の猿之助は、にやりと残酷に笑った。可愛らしく現代的な姿形と合わないその不気味な表情に、珠生はぞっとした。

「憑依したのか。どうして現世に……」
 彰はじっと女から目を離さずに、そう尋ねた。
「お前らが現世に蘇った理由は知っている。私とて、元は陰陽師衆の棟梁だ。……この意味が分かるか」
 女はまっすぐに彰を見て、唇の片方を吊り上げた。

「十六夜結界を破壊する。現世で、鬼門を開いてやろう」
「なんだと……!」  

 彰の驚愕を見て、女は楽しげにまた高笑いすると、今度は珠生のほうを見た。

「いいことを教えてやろう。これは、あの相田舜平という若造の女だ」
「え……」
「くだらぬプライドの高い女でな、あの男に捨てられたことが悔しうてならんのだ。自分に非があるとは思いたくないこの女、お前のせいでこうなったと思い込んでいる」
「……そんな人、知りませんよ」
「あの男は舜海だろう? そして現世でも、千珠殿の尻を追い掛けているらしい。この女は、敏感にそれを感じ取っているのだ」
「……そんな」
 珠生は愕然とした。自分のせいで、この女性に猿之助の亡霊を取り憑かせてしまったのだ。
 彰はまたずいっと珠生の前に立ちはだかると、印を結ぶ。

「縛!」
 じゃらじゃらとどこからともなく金色の鎖が湧き、女の体に巻きつくと、がしゃん、と大きな南京錠が生まれてきて錠を施す。
 両腕を囚われても尚、女は薄ら笑いを浮かべていた。

「……現世では、人が一人死ぬと大騒ぎするようだな。面倒な世の中になったものだ」
「殺しはしない。ちょっと大人しくしておいてもらうだけだ」
と、印を結んだまま彰は冷たくそう言った。
「分からぬか。私は霊体だ。誰にでも乗り移る……」
 すうっと女の目から紫色の光が消え、糸の切れた人形のようにその場に倒れかけた。慌てて彰は、その身体を抱きとめる。

「今日は挨拶に来たまで……また会おう。佐為、千珠殿……」
 すうっと猿之助の気配が薄まり、紫色の霧も徐々に色を失っていった。何の物音もしなかった街に、いつもの喧騒が戻る。行き交う車の音、傘をさして通りを歩く人々。
 珠生ははっとしてあたりを見回す。彰も吉田梨香子の身体を抱きかかえたまま、呆然と街が息を吹き返す様子を見守っていた。

「……佐々木、猿之助」
 憎々しげにその名を呟く彰は、梨香子を横抱きにして立ち上がった。珠生も傘を拾って、二人に傾ける。
「……とりあえず、急病人ってことで警察に届けよう」
「はい」
 二人は屋根の張り出した交番の前に梨香子を座らせると、そそくさとその場を後にした。

 雨の中、早足で歩きながら二人は地下鉄に乗るべく地下への階段を駆け下りる。そして、タイミングよくやって来た地下鉄に飛び乗った。
 珠生は息を弾ませていたが、彰は呼吸一つ乱さずに、暗い出入口の車窓を見つめていた。
「送ってくよ」
 彰は珠生を見ずにそう言った。珠生は頷くと、ドアに寄りかかってため息をついた。
「……面倒な事になった。業平様に連絡しないと」
「そうですね」
 松ヶ崎駅に到着し、二人は地上へ出る。彰はきょろきょろと物珍しそうにあたりを見回していた。
「こっちにはあまり来ないから、新鮮だな。雨もやんだ」
「市内と比べて何もないでしょう? ……斎木先輩はどこに住んでるんですか?」
「佐為でいいよ。さっきまでそう呼んでたじゃん」
 彰は笑ってそう言った。珠生も苦笑する。


 +


 珠生は彰を家に上げると、コーヒーを入れた。
 彰はうろうろと物珍しそうに珠生の家を歩きまわり、イーゼルに置かれた絵に目を留めて覗きこむ。

「千珠だ。これ、君が描いたんだね」
「はい。引っ越して早々、鴨川の桜の下で彼を見ました。その時、舜平さんと出会って……」

 いきなりキスされました、とは言えず珠生は黙った。彰はしげしげと絵の中の千珠を見つめていた。

「そう……これがきっかけか」
「はい。どうぞ」
 珠生は彰にソファをすすめ、センターテーブルにマグカップを置いた。彰は嬉しそうに、湯気の出ているカップを手にとった。
「美味しい。まさか君にこんなことをしてもらうようになるなんて、想像もしなかったよ。面白い」
「はぁ……」

 珠生はここ数日夢で見たことや、起きたことを全て彰に話して聞かせた。彰はいつになく真面目な顔で、真剣に珠生の話を聞いていた。

「はは、そうか。千珠の力か」
「笑い事じゃないです。今日は真壁って人から佐為が記憶を消してくれたからいいけど……」
「あのくらい、いくらでもやってあげるよ。何なら、生徒全員の昨日の記憶を消してもいいよ」
「そんなこと、できるんですか?」
「ああ、僕はそういうの、得意だからね」
 彰は得意げにそう言って笑った。珠生は安堵したように、大きく息をついた。

「……すみません」
「何、君が謝ることじゃない。それに、猿之助もしばらくは何もできないだろうさ」
「え?」
「君と同様、あいつにも全く霊気が戻っていない。ああやって人の心の闇に付け入るのが精一杯だろう。しかし……」
 彰は一口コーヒーを飲んで、ため息をついた。
「猿之助は業平様と並ぶ力を持っていた陰陽師でもある。完全に力を得られると厄介だな……」
「怨霊ってやつですよね? ……そういう人達も、力を取り戻すことがあるんですか?」
「猿之助はありとあらゆる術を知っているからね。きっと、力を取り戻すための策を講じてくるはずだ」
「……そうなんだ」
「そんな顔しないで、大丈夫だから」
 彰はぽん、と珠生の肩を叩いた。そして安心させるように笑ってみせる。
「あの霧による結界術と憑依で、あいつもかなり力を使ってしまったはずだ。しばらくは何も起こらないさ」
「はあ……」
「ただ、京都御所に安置してある草薙の剣の場所は移動させておかなきゃならない」
「くさなぎの剣?」
「まだ思い出してはないだろうが、千珠は厳島で、海神わだつみと対峙している。その時に使われたのが、草薙の剣だ。強力な神気を宿した神の御剣みつるぎ。今それは、京都御所の地下に安置されているんだ」 
「へぇ……」
「結界術を張り直す上で、最も重要なアイテムのひとつさ。猿之助が狙わないはずがないからね」

 そう言って、彰はまた一口、コーヒーを飲んだ。

「舜平の彼女のことも、君は気にしなくていい」
「……」
 彰はまるで珠生の心を見透かすようにそう言った。はっとして顔を上げると、彰はコーヒーを飲みながら続ける。
「そういうことは彼ら二人の問題だ。君は何も言わないほうがいい。かえってややこしくなるから」
「……はい」
「今日のことは、僕から彼に連絡しておく。……明日から試験だし、珠生は勉強しないとね。最初の試験だから」
「……試験、か」
「ややこしい事に巻き込まれてるから、そういうことが億劫になる気持ちもわかるけど、勉強はちゃんとしておいたほうがいいよ。全てが終わってからも、僕らはこの世界で生きていくんだからね」
「そうですね」

 本当にこの人は、自分の考えていることをすべて見透かすようだ。と珠生は思った。心でも読めるのか?

「珠生は素直だね。千珠もこれくらい可愛かったらねぇ」
 千珠と性格を比較されるにつけ、それは皆に言われていた。珠生はどう返事をしていいのか分からず、曖昧に笑ってみせる。
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