琥珀に眠る記憶

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第1章 再会

7、舜平の戸惑い

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 ——警戒されている……。

 背中にざくざくと突き刺さる視線が痛い。舜平は人知れず眉を寄せた。二メートル近く距離を空けて後ろを歩いている珠生の視線が、痛いのである。

「あの、俺、本当に一人で帰れますから」
「……あのさ、俺、言っとくけど変な趣味ないからな」
「え? ああ……いや、まぁそれはなんとなく分かりますけど」
「そうやろ!? 俺、どう見てもまともやろ!! あん時は……何やったんかな。急に、君と昔からの知り合いやったような、懐かしい気持ちになってな」
「……」

 珠生は驚いた。この男も、自分と同じ気持ちを感じていたということなのだろうか……。

 ピピっと、ロックの外れる音がする。暗闇の中、ライトの点滅する明かりが二人を照らした。

「君、やっぱり何か見えたんやな。まぁ乗り。寒いやろ」
「はい……」
 舜平の車は車高の高いSUVだ。四輪駆動でパワーがあり、見晴らしのいいこの車を舜平はとても気に入っている。
 実家は市内からかなり離れた場所にあり、同じ京都とはいえ車がなければ行動が制限されるため、この車はほぼ舜平が通学やアルバイトのために利用しているのだ。

 珠生は助手席に乗り込むと、ドアを閉めた。舜平はハンドルに手を置いて、じっと暗闇を見つめている。

「俺、昔から幽霊のたぐいはよう見んねん。こんなん言うたら変人やと思われるのは分かってるけど、実際見えるもんは見えるから、しゃーないよな」
「……はぁ」
「俺な、実家が寺やねんか。だから余計に見えるんかもしれへんな」
「……」
 舜平は珠生の方を向いて、ちょっと笑った。珠生はふと、思いを馳せるように暗い窓の方へと顔を向けて、呟くような声で話し始めた。

「白い着物を着た、銀色の長い髪をした人を見ました。多分……男だと思う」
 ぽつりと、そう呟く珠生の横顔。品良く整った横顔が、暗がりに浮かび上がっている。
「俺と、多分同じ年くらいかな。……さっき、家でも見えたんです」
「……そうなんや」
「まるで、窓に映った僕の姿が、その人になっていたみたいに見えた。それで、怖くなって……ここへ」
「……」

 舜平は何も言わず、エンジンをかけて車を発進させた。手を伸ばして、カーステレオから流れ出すラジオの音を絞った。
「そら、怖かったやろう。俺にも覚えがあるわ」
「……俺、どうしちゃったんだろう。精神科とか行ったほうがいいですかね」
「それは遠まわしに俺にも行けと言ってへん?」
「……そうは言いませんけど」
 舜平は少し笑うと、右腕を窓にかけて頬杖をつき、左手だけでハンドルを操作した。

 珠生は不思議と、舜平といて落ち着くことに気付き始めていた。頭痛に苦しんだあの時も、舜平に触れられるとすぐに治ったことも不思議だった。あんなことをされたっていうのに……。

 それに幽霊が見えるって? お祓いか何かできるってことか? と、珠生はちらりと舜平の横顔を見ながら考える。

「明日は学校?」
「いいえ、明後日が入学式です」
「ああ、高校生になるんや。どこの学校?」
「明桜です」
「ええっ! さっすが……教授の子は賢いんやな。関西トップの高校やん」
「別に……大学受験がしたくなかっただけですから」
「そうかぁ、いやまぁ、確かに賢うそうな顔してんもんな。えっと……名前、なんやっけ」
「沖野珠生です」
「沖野? 各務じゃないん?」
「僕らは母親の姓を名乗ってるから……。どっちでもいいんですけどね」
「僕らって?」
「双子の姉がいるんです」
「へぇ、そりゃさぞかし美人なんやろうな。珠生くんとおんなじ顔なんやろ?」
「ええ、まぁ」

 淡々と返事をする珠生に、舜平はぽんぽんと質問を投げかけた。会話がうまく回っている気がして、まるで話し下手を克服したような気持ちになった。人との会話に苦痛しか感じたことのなかった珠生にとって、それは特別な体験で、さっきまで感じていた恐怖が少しずつ少しずつ薄れていく。

 舜平は迷うことなく珠生たちの自宅に到着すると、サイドブレーキを引いた。
「ありがとうございます……。あの……」
「ん?」
「上がって行きませんか? お茶くらい、出します……。あの、お礼に」
「え? ああ……」
 舜平はシートベルトを外しながらそんなことを言う珠生の顔を見た。ちらっと目が合った瞬間、何故かどきんと心臓が大きく跳ねる。

 暗闇できらめく大きな目は、舜平にそばにいて欲しいと物語っていた。
 可憐な容姿をしている珠生が、ひどく不安げな表情を浮かべて自分を頼りにしているということが、無性に舜平をときめかせるのだ。

「ああ、ほな……おじゃましようかな。先生が帰ってくるまで、一緒に留守番しとこか」
「はい」
 ほっとしたように珠生は微笑んだ。初めて見る珠生の笑顔に、舜平は何故かまたどきりとする。


 ——……か、かわいい。


 無意識にそう思ってしまった自分に、舜平は一人密かに衝撃を受けていた。
 慌てて気を引き締めるように首を降り、さっさと一人で先に降りている珠生を追って、エントランスに入る。


 ——……おいおい、こんなガキに、何を俺はときめいてんねん。俺には彼女もおるし……というか男には興味ないぞ。


 肩甲骨の浮いた華奢な背中を追いかけながらエレベーターで三階へ登ると、珠生は舜平を部屋へ招き入れた。
 その部屋の有り様からは、珠生がえらく慌てて出ていった様子がありありと伝わってくる。キッチンの床にはコーヒーがぶちまけられ、割れたカップもそのままだ。
 舜平は部屋の中をくるりと見回し、リビングに置いてあるイーゼルと絵の具に目を留める。
「珠生くんは絵描くんか?」
「はい」
 床を拭って後片付けを終えた珠生が、キッチンに立ってコーヒーを入れている。舜平は改めてぐるりと部屋を見回した。

 特別何かがいる気配はない。
 舜平が椅子に座ると、いいタイミングで珠生がコーヒーを差し出してくれた。
「どうぞ……」
「ありがとう」
 自分の向かいに座る珠生は、いつの間にかグレーのパーカーを羽織っていた。両手でマグカップを包みながら息を吹き掛けている姿が、また可愛らしく見えて愕然とする。

「……どうしたんや、俺」
「え?」
 思わず独りごちた舜平に、珠生は怪訝な表情を浮かべている。慌てて首を振ると、無理やり笑顔を見せた。
「おいしいわ」
「それはどうも」
「……ここには、幽霊とかはおらへんよ。今は」
 舜平の言葉に、珠生はびくっと肩を揺らし、目だけであたりを窺い始めた。
「やっぱり、病院に行ったほうがいいのかな。頭痛もしたし……あんな頭痛、なったことないし」
「まぁそれも一つやけど……。少し様子見てもいいんちゃう? 疲れてるだけかも」
「でも……父さん、あんまり家にいないし……またこんなことになったらと思うと怖くて。俺、ホラーとか駄目なんですよ」
「ああ。そうか……」
 舜平はポケットからスマートフォンを出すと、番号を表示させて珠生に見せた。珠生が舜平を見上げる。

「怖くなったら、俺に電話してきたらええよ。あんまりにも怖いことがあったら、すぐ来たるわ。車やし、すぐやで」
「……はぁ、でも……」
「こんなこと、先生にも言いにくいやろ? 俺なら、見えるもん見えるから、何とかしてやれるかもしれへん」
「……はい」
 珠生は立ち上がると、部屋から自分の携帯電話を持ってくる。そして、慣れた手つきで舜平のスマートフォンを操作すると、自分の情報をそこに登録していた。

「一応、俺のも入れときました」
「おう、サンキュ」
 珠生は少し落ち着いたのか、ごくごくとコーヒーを飲んでいた。そんな姿も可愛く見えて、思わず微笑む。
「何ですか?」
 不思議そうな顔をして、珠生が舜平を見上げた。珠生に見惚れていた舜平は慌てて目を逸らす。

「明後日入学式か、明日は何してんの?」
「……別になにも」
「俺の親父に、会ってみぃひんか?」
「え? な、何でですか……」
「俺の親父、坊主でな。胡散臭いやつやけど、霊視とかできんねん。何か分かるかもしれへん」
「霊視……ですか。あやしいなぁ」
「ま、あやしいよな……でもま、ただ怖がってるのも嫌やろ?」
「はい……。でも、滅茶苦茶お金とか取られるんじゃないんですか?」
「そんなことせぇへんよ。必要な人には無料でやっとるから」
「へぇ……。そうなんだ」
「明日は午前中はバイトやし、昼から迎えに来たるわ」
「はぁ……。でも……」
「京都は地理がまだ分からへんやろ?」
「はい」
「ほな、ここで待っとき」
「……ありがとうございます。親切なんですね」
「そうかぁ? 普通やろ」
 舜平は軽く笑うと、コーヒーを飲み干した。

 まぁ確かに、いつもよりは親切かもしれない。何だか分からないが、この少年にはついつい手を差し伸べたくなってしまう何かがあった。

 それにしても、綺麗な顔だちだ。明るいところでしっかりと珠生の顔を見るのは初めてだが、きめ細やかな肌や目鼻立ちの美しさには、はっとさせられてしまう。

 舜平には付き合っている女がいるが、その女の素肌よりもずっときれいだ。少し色素の薄い髪の毛や、長い睫毛に縁取られた大きな目はどちらかというと女性的で、まだ華奢な体型もどことなく中性的。危うい美貌の見せる美しさに、気づけばついつい見惚れてしまっていた。

「何ですか?」
 舜平の視線に気付いた珠生が、胡散臭いものを見るような眼差しを向けてくる。
「……いや、珠生くん、モテるやろ」
「まさか。嫌味ですか」
「何でやねん。こんな綺麗な顔してたら、さぞかし女子が喜ぶやろうなと思って」
「顔は……まぁ、それなりかもしれませんけど。俺、人付き合い苦手だから全然もてませんよ」
「ふうん。もったいないな」
「そうですかね」

 珠生はあくまでも淡々と自分を語る。その時、呼び鈴が鳴って健介の帰宅が告げられた。

 いそいそとインターフォンに対応する珠生を眺めつつ、舜平はイーゼルの上に乗った、まだ何も描かれていない真っ白なキャンパスに目を留める。

 ふと、そこに白い少年の影を見たような気がした。
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