いつかの食卓

餡玉

文字の大きさ
上 下
5 / 7

絶望に効くカスタード

しおりを挟む

 僕はずっと真面目に生きてきた
 両親に言われるがままたくさん勉強して、いわゆる”いい”高校、”いい”大学に進学し、”いい”会社に入るために、就職活動にいそしんでいる。

 だが、結果は惨敗。
 両親から強く勧められた大企業からは、軒並みお祈りメールを受け取った。

 なにがいけなかったのだろう。
 適切な時期に就活をスタートし、マニュアル通りにエントリーシートを書いて送り、筆記試験はすべてハイスコアでクリアした。
 面接だって、前もって完璧に準備した。各社の企業理念や業務内容を頭の中に叩き込み、何を問われても流暢に答えられるようにしておいた。

 ……なのに、ダメだった。

 こうしておけば間違いないと親から言われたルートを、まっすぐに歩んできた。道を踏み外すことなく、真面目にそこを歩いてきた。
 ただ言われるがままに歩いていけばそれでいいと思っていた人生は、それなりに楽ではあった。何も、自分で考える必要がなかったからだ。

 大学四回生の春、内定はまだひとつももらえていない。
 バイトだサークルだと遊んでばかりの同級生たちは次々に内定をもらっているのに、どうして僕だけ内定がもらえないのだろう。

 僕のなにがいけないのだろうか。どこに欠陥があるのだろうか。

「おい、おいっ! 何やってんだよお前っ!」

 ぐいと腕を引かれた瞬間、ゴッ……!! と凄まじい轟音とともに特急列車が目の前を通過していく。
 よろめいた拍子に尻もちをついた僕の耳に、カンカンカン……と踏切の警告音が今更のように聞こえてきた。

 どうやら僕は、ぼんやりしたまま閉じた踏切に侵入しかけていたらしい。あのまま歩き続けていたら、今は——……そう思うと、心臓がドッドッドッと不穏に鼓動し、全身から汗が吹き出す。

「バカか!! どこ見て歩いてたんだよ死ぬ気か!?」
「あ……いや、ぼうっとしてて……」
「ぼーっとって……はぁ~、びびった」

 街灯の下で僕と同じように尻もちをついているのは、スーツ姿の若い男だった。

 きっと、この人はサラリーマンなのだろう。どこからも選ばれない僕とは違って、この人はどこかの会社から必要とされ、社会の歯車として世のため人のためになっている。

 ——いいなあ。どうやったら、僕はあっち側にいけるんだろう。

「まったく、気をつけろよ……って、なんだ? なんで泣いてんだよ!?」
「……就活の」
「え?」
「……就活のコツを、教えてもらえませんか……?」
「はぁ?」

 死にかけたことでプツンと何かが切れてしまったらしい。
 社会から拒絶されるたびにこらえてきた苦いなにかが、どっと僕の内側から溢れ出す。

 ここは、大学から駅へ通じるゆるい坂道の終わりにある踏切だ。遅刻ギリギリでこの踏切につかまってしまうと、坂道を全力ダッシュしなくてはならないため、学生たちからは評判の悪い踏切である。

 閉館時間までこもっていた図書館から、いつどうやってここまできたのか覚えていない。卒論の文献を探している途中で、すべての望みを賭けていた企業から最終面接の結果がメールで届いた。

 内容は、いつも通り。


 ——『今後のご活躍をお祈り申し上げます。』


「僕は社会人にはなれないのでしょうか? うっぅ……どこからも必要とされないのは、なぜなんでしょうか……? ずっと真面目にやってきたのに、まわりからどんどん遅れをとって、誰からも、相手にされなくて……っ」

 アスファルトにへたりこんで嗚咽を漏らす僕を見て、スーツの男は眉根を下げて呆れたようにため息をつく。
 そして、僕に手を差し出してきた。

「まぁ、立て。みんな見てるぞ」

 午後九時すぎとはいえ、まだこのあたりにはひと気も多い。とっくに開いた踏切の向こう側には商店街があり、遅くまでやっている飲み屋も軒を連ねている。線路を渡ってくる人々が、好奇の視線を僕に向けていた。

 かぁっと頬が熱くなる。すぐさまそこから立ち去りたかったけれど、腰が抜けていて自力では立ち上がれない。仕方なくサラリーマンの手を取って立ち上がり、会釈してそのまま逃げ出そうとしたが……。

「そこのたい焼き、食ったことある?」
「……ありません」
「じゃあ、ひとつ奢ってやる。甘いもん食えば気分もマシになるだろ」
「いえ、そんなことをしていただく必要は」
「ほら、いくぞ」

 線路沿いにあるたい焼き屋だ。店先にちょうちんをぶら下げ、年季の入った赤い暖簾に、白抜きの文字で『たいやき』と書いてある。通学中に毎日のように目にしていたが、近づいたことは一度もなかった。

 サラリーマンは気軽な調子でたい焼き屋のほうへ歩いていく。もはや断る理由も逃げる元気もない僕は、ふらふらとサラリーマンのあとについていった。

「おじちゃん、カスタードふたつ」
「あいよ」

 ——カスタード?

 サラリーマンの選択に耳を疑う。
 たい焼きは和菓子に分類されるのだから、中身はあんこが一番合う。カスタードなんて洋風なものが合うわけがない、邪道だ。正しくない。

「ほれ」
「……ありがとうございます」

 渡された小さな紙袋から、鯛の頭がのぞいていた。ぽかんと呆けた顔をして、僕にかじられるのを待っている。

「カスタード……」
「ん? 嫌いだった?」
「いえ……いただきます」

 空腹だったのは確かだ。ぽかんとした鯛の頭に、僕はかぶりと噛みついた。

 さく。
 思いのほか軽い食感に驚かされる。これまで食べたことのあった皮の厚いものとは違い、ここのたい焼きはパリッとした薄皮だった。

 そしてそこから溢れ出すのは、とろっとしたカスタードクリーム。やわらかく舌を包み込むほのかな甘さが、とても優しい。

 カスタードはこんなにも美味しいものだっただろうか。もっと尖って、ねっとりと砂糖がちな甘さを想像していたが、どちらかというとミルクのような風味が強い。

 舌と鼻腔を包む甘い香りは洋風のそれなのに、さくさくとした薄皮の食感との組み合わせは違和感がなく、すこぶる美味い。
 舌で溶けるカスタードクリームがみるみる僕の力となって、からっぽになっていた全身に染み渡っていく。

「お……おいしい」
「だろ? あんこもいいけど、この店はカスタードが絶品なんだよ。疲れたときは必ず寄るんだ」

 サラリーマンはそう言って、カラッと笑う。そしてさくさくとすべてたい焼きを平らげて、僕にこんなことを言い放った。

「君、友達いないだろ」
「……っ、な、なんで」
「図星? ここまで追い詰められてるところを見ると、話し相手がいないんだろうなと思ってさ」
「いや! ……話す相手がいないわけではないんですが」

 同じゼミの学生の中には、口をきく相手くらいはいる。だが、ゼミ室を出れば他人に近い。
 たまに飲み会などに誘われるが、どういう顔をしてその場にいればいいのかわからないし、僕なんかが参加したところで誰かが喜ぶわけでもないだろうから、全て断ってきた。

 僕がぽつぽつとそう話すと、サラリーマンはふっと笑ってこう言った。

「カッコつけてないで、君の失敗談を人に話してみたらどうだ? 周りの学生たちだって、うまくいってそうに見えても、実際は色々抱えてるもんがあるかもしれないぞ」
「か、かっこつけてなんか」
「孤高を気取っても、孤独が増すばかりだぞ。社会人になったらな、友達なんて作りたくても作れないぞ。……失敗できるのも、今のうちだけなんだからな」

 ふと重い口調になったサラリーマンの横顔を盗み見る。苦々しい表情で見つめる先には、さっき僕が踏み込みかけた遮断機があった。

 警告灯が、サラリーマンの瞳を赤く染めている。

「お仕事、大変なんですね」
「……。いや、大したことないさ。やり切れないことは、多いけどな」
「そうですか……」
「まぁ、俺からのアドバイスはそんなところかな。じゃ、今からでもしっかり友達作るんだぞ」
「はい……善処します」

 僕の口調がおかしかったのか、サラリーマンが結んだ唇を歪めて小さく笑う。
 そしてたい焼きの紙袋をぎゅっと握りつぶしてゴミ箱に捨て、「じゃあな」と言って去っていった。

 おごられたカスタード味のたい焼きの甘みのおかげか、さっきまで僕を包んでいた絶望はなりをひそめている。

 見ず知らずの相手だったが、一番の悩みを人に話せたせいだろうか。がらにもなく、明日のゼミでは自分から誰かに声をかけてみようと考えてしまえるほどには、心が軽い。

 ——あの人も、力を補うために、たい焼きを買いに来たのかな。

 カンカンカン……ふたたび遮断機がゆっくりとおりてゆく。

 銀色の特急列車が、視界の端から端へと突き抜けていった。




 了
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

僕らは出会う、青く輝く月明かりの下で。

望月くらげ
ライト文芸
二葉は市内で自殺スポットとして有名な鉄橋の上にいた。 このままここから飛び降りて死んでしまおう。 足をかけた二葉に声をかけたのはうっすらと向こう側が透けて見える青年だった。 自分自身を幽霊だという青年レイから死ぬまでの時間をちょうだいと言われた二葉は、タイムリミットである18歳の誕生日までの四週間をレイと過ごすことになる。 レイは死にたいと言う二葉に四週間の間、鉄橋に自殺に来る人を止めてほしいと頼み――。 四週間後、二葉が選んだ選択とは。 そして、レイの運命とは。 これは死ななければいけない少女と幽霊との切ない青春ストーリー 登場人物 水無瀬 二葉(みなせ ふたば) 高校三年生 17歳 18歳になる四週間後までに死ななければいけない レイ 鉄橋の地縛霊。 自殺した少年の霊らしい。 死のうとした二葉の時間をもらい、ある頼み事をする

白雪姫は処女雪を鮮血に染める

かみゅG
ライト文芸
 美しい母だった。  常に鏡を見て、自分の美しさを保っていた。  優しい父だった。  自分の子供に対してだけでなく、どの子供に対しても優しかった。  私は王女だった。  美しい母と優しい父を両親に持つ、この国のお姫様だった。  私は白雪姫と呼ばれた。  白い雪のような美しさを褒めた呼び名か、白い雪のように何も知らない無知を貶した呼び名か、どちらかは知らない。  でも私は、林檎を食べた直後に、口から溢れ出す血の理由を知っていた。  白雪姫は誰に愛され誰を愛したのか?  その答えが出たとき、彼女は処女雪を鮮血に染める。

私に取り憑く、2体のパワハラ上司達

Green hand
大衆娯楽
以前働いていた職場(病院の下請け会社で厨房業務)で出会った上司達と私の話を日記風?で書きました。 何とか忘れてスッキリしたいという思いで、面白おかしく実体験を私視点で書いています。ほぼ、愚痴です。愚痴嫌いな方は、不快感を覚えるかもしれません。 こうして文字にして当時を振り返ってみると・・・くだらないですね。賛否両論あるかもしれませんが、仕事の事で会話が噛み合わない、人と相性が悪いのはかなり効率が悪いし、苦痛ですね。私もあの上司2人も、苦手意識が邪魔をして、歩み寄りが足らなかったのかもしれません。 私が感じる位なので、皆さんはもっとくだらなく感じていることでしょう。ただこのくだらない小さな悪意の積み重ねが、年月を経て徐々に人を壊していくのです。 世の中には、職場でもっと酷い目に遭われている方がいることと思います。そんな方にも読んでいただいて、少しでも笑って元気になってもらえたらいいなと思います。 という事で、こんな調子で話はまだまだ続きます。状況説明を簡単に抑えるつもりでしたが、大分スペースを取るようになってしまい、読みにくいかもしれません。 長いので完結しないで中断してしまう可能性もありますが、完結目指して頑張ります!よろしくお願いします。 だんだん終盤に向かって、下らなさは変わらないのですが、告発めいた内容を1部投稿させていただいております。日記内の私自身が悪霊に毒されて、面白おかしく書くことを忘れがちになっていますが、8割下らない事なので上司側や私側に共感したり、笑っていただけたらと思います。 やっと、書き終えることが出来ました!それもこれもこんな駄文を読んで下さった皆さんのおかげです。少しずつ公開させていただきますので、よろしければもう少しの間お付き合い下さい。 それから、[お気に入り]にして下さった方、ありがとうございます!励みになりました!

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

僕の主治医さん

鏡野ゆう
ライト文芸
研修医の北川雛子先生が担当することになったのは、救急車で運び込まれた南山裕章さんという若き外務官僚さんでした。研修医さんと救急車で運ばれてきた患者さんとの恋の小話とちょっと不思議なあひるちゃんのお話。 【本編】+【アヒル事件簿】【事件です!】 ※小説家になろう、カクヨムでも公開中※

短編集

門松一里
ライト文芸
門松一里の奇妙な世界。

COVERTー隠れ蓑を探してー

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
潜入捜査官である山崎晶(やまざきあきら)は、船舶代理店の営業として生活をしていた。営業と言いながらも、愛想を振りまく事が苦手で、未だエス(情報提供者)の数が少なかった。  ある日、ボスからエスになれそうな女性がいると合コンを秘密裏にセッティングされた。山口夏恋(やまぐちかれん)という女性はよいエスに育つだろうとボスに言われる。彼女をエスにするかはゆっくりと考えればいい。そう思っていた矢先に事件は起きた。    潜入先の会社が手配したコンテナ船の荷物から大量の武器が発見された。追い打ちをかけるように、合コンで知り合った山口夏恋が何者かに連れ去られてしまう。 『もしかしたら、事件は全て繋がっているんじゃないのか!』  山崎は真の身分を隠したまま、事件を解決することができるのか。そして、山口夏恋を無事に救出することはできるのか。偽りで固めた生活に、後ろめたさを抱えながら捜索に疾走する若手潜入捜査官のお話です。 ※全てフィクションです。 ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。

処理中です...