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番外編ーchildren’s story 2ー〈悠葉目線〉
〈1〉
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「強いストレス……ですか?」
広くゆったりとした部屋の中に、淡い春の陽が差し込んでいる。ここは綾世院長の診察室だ。
窓辺に飾られた観葉植物の鉢植えの緑が、白い部屋の中でひときわ鮮やかだ。壁際に据えられた大きなデスクにはデスクトップモニターが置かれ、そこにはとある患者の電子カルテが表示されている。
「ええ。きみの第二性発現を阻害している要因は、今のところそれしか見当たらないのです」
「ストレス……かぁ」
「何か心当たりがありますか?」
「……」
須能悠葉は、きっちりと着付けた和服の膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。そして、微かに唇を引き結んだあと、曖昧な笑顔を浮かべる。
「いや……特には思い当たりません」
「そうですか……ふうむ」
医療技術の向上に伴い、血液検査による第二性の確定時期が格段に早まり、概ね十歳を過ぎたあたりで第二性の判定が可能となっている。
一万件に一、二例は判定ミスが起こるらしく、精度を百パーセントまで上げることが今後の課題らしい。
そんな状況だというのに、今年で十五歳の悠葉は、いまだに第二性が確定していない。
第二次性徴期でありながら、いまだどっちつかずの悠葉は、つまるところ相当異様な存在なのだ。
今年十一歳になる妹の香純でさえ、すでに判定が出ているというのに……だ。
「確か、香純さんはアルファだったそうだね。そのことも、きみの心に何しら影響を及ぼしているのでは?」
「……あー……まぁ、あれはちょっとびっくりしましたけど」
「びっくりしたよね。ほかにも何か感じた?」
「まあ……あいつならそっちやろなぁ、とは思いましたけど」
「……なるほど」
きっと、綾世医師の望む答えではない事柄を口にしているのだろう——と感じ取りつつも、悠葉は言葉を切った。思春期の子ども心は複雑なのだ。
「んー……そろそろカウンセリングを受けてみない? きみ自身も気づいていない気持ちがあるのかもしれないし」
「別に何も悩んでへんけど……まぁ、父と相談してからお返事します」
「そうですね、わかりました。じゃ、診察は以上です」
「ありがとうございました」
そつなくそう答えると、綾世はやれやれといった諦めムードな顔をしつつ微笑んだ。
当初は鼻息も荒く、『ものすご~~~~~く貴重な事例なんで、血を採らせてもらえませんか!?』と迫ってきていた綾世だが、悠葉があまり協力的な態度を取らないことや、検査を重ねても原因がはっきりしないということがわかり始めてきてからは、綾世の興奮もなりを潜めている。
そっちのほうが怖くないので悠葉としてはありがたいのだが、綾世の提案するホルモン療法などを全て断り続けていることもあって、ここへ来ることをかなり億劫に感じ始めている
悠葉のケースは非常に稀な事例として扱われ、一、二か月に一度の頻度で綾世医師の診察を受けているのだ。
——どっちでもなくても、別にかまへんしなぁ……
ストレスに心当たりがないわけではない。
けれど、それはわざわざ他人に話して聞かせるほどのことではないと思っている。
それに、実生活で不便を感じることも特にはない。中三にもなって第二性がはっきりしていないからといって、学校でいじめを受けるわけでもない。
別にずっとこのままでもいいといえばいいのかもしれないし……むしろ、そっちのほうがいいとさえ思っている。
幼い頃からアルファになりたかった。
けれど、今はそこまでアルファになりたいとは思っていない。かといって、オメガになりたいかと言われると、それもやはり抵抗がある。
——別にもう、どっちでもええわ。
自分に言い聞かせるように心の中でひとりごとを呟いてみるも、心奥底にわだかまったままのモヤモヤは消えてはゆかない。
悠葉はこっそりため息をつきつつ立ち上がり、手元に抱えていた羽織を広げた。
「さて、今日も国城邸に泊まるのかい?」
悠葉が診察用の椅子から立ち上がると、綾世が微笑みを浮かべつつ声をかけてきた。診察が終わったためか、これまでより少し気軽な口調だ。
「はい。今日は俺ひとりやけど」
「そう。こっちへ来るのは、三ヶ月前の診察の時以来……だっけ?」
「うん、この間は父さんがこっちで仕事あったし、二、三日滞在させてもらいました」
「そう。今回はゆっくりできるの?」
「いや、学校も稽古あるし、この土日で一泊するだけ」
「そうですか、国城家のみなさんによろしくお伝え下さいね」
「はい。では、失礼します」
悠葉は愛想笑いを浮かべ、丁寧にお辞儀をして診察室を後にした。
いつもは両親のどちらかが付き添って上京するのだが、そろそろ慣れてきたこともあって、今回は付き人の有栖川と二人だけでここまで来た。
車で待機している有栖川にスマートフォンで連絡を入れ、悠葉は人知れず長い長いため息をつく。
ついでにメールをチェックしてみると、紫苑からのメッセージが入っていた。『何時ごろ着く予定? 待ってるよ』というシンプルな内容だが、三か月ぶりに恋人に会える高揚感が込み上げて、悠葉の唇にも自然と笑みが浮かんでくる。
この春から、悠葉も高校一年生だ。ひとつ年上の紫苑は、葵や蓮も通っていたフォートワース学園高等部に進学した。
あいかわらず時折胃を痛めながらも、優秀な成績を収めていると聞いている。
この一年でぐっと背が伸びた紫苑には、ここ最近どちらかというと葵の面差しを強く感じるようになった。佇まいに凛々しさが備わり、表情にも落ち着きが出てきているため、悠葉よりもずっと大人びて見える気がする。
前回の訪問時、庭で双子とサッカーに高じていたとき、紫苑と葵が連れ立って学校から帰宅する姿を目にしたことがあった。
門の外で車を降り、玄関までのアプローチを親子で歩いているだけだというのに、悠葉の目には素晴らしく気高いものに見えたものだった。
政財界の要人の子息が多く通うフォートワース学園では、学校行事でさえ社交の場となるため、父親である葵が主に参加することになっている。
何やら難しい話をしていたのか、紫苑はいつになく生真面目な表情で父の言葉に頷きを返していた。きっちりと着こなした制服姿には聡明さがあらわれ、国城家の男にふさわしく、アルファとしてのまばゆいオーラが溢れている。
スーツ姿できびきびと歩く葵と歩調を合わせている姿は、すでに一端のビジネスマンのようにも見え、悠葉は声を掛けることを躊躇ってしまうほどだった。
だけど、駆け寄っていく双子に気づき、紫苑はすぐに表情を緩めた。そして、双子の向こうにいる悠葉を視界に捉えた瞬間、ぱぁっと輝くような笑顔を浮かべてくれた。
その表情を見て、悠葉はようやく安堵する。やっぱり紫苑は紫苑なのだと思えたからだ。
東京と京都という隔たりがあるぶん、会う時はいつも少なからず久しぶりな感じがする。そのため、ますますアルファとしての輝きを増してゆく紫苑の魅力についていけていない気がして、毎回ちょっと臆してしまう。
それを紫苑に伝えると、「ばかだなぁ、俺は俺だよ」と言って笑ってくれる。幼いころと全く同じ笑い方で。
だが、ちょっと目を離した隙に、どんどん紫苑ばかりが大人になっていってしまうような気がして、離れている間は落ち着かないのだ。
アルファなのかオメガなのかもわからないまま、大人になることを拒絶しているかのように頑なな自分が、情けなく思えてしまう瞬間もある。
だけど紫苑はいつだって、「悠葉は悠葉だもん。俺の気持ちは変わらないよ」と優しく手を握ってくれる。お互いに好意は伝え合っているものの、紫苑が悠葉に触れてくるのはその程度だけ。……まだまだ、全くといっていいほどに恋人らしい距離感になりきれないふたりだ。
それもこれも、どっちつかずの悠葉を刺激しないように気を遣ってくれているのだとわかるから、余計にモヤモヤしてしまう。
もっと紫苑に触れてみたいと、心の奥底では思っている。だけど……ずっとこのまま、子どもの頃から続いているこの距離感が続いてゆけばいいのにとも思うのだ。
何もかもがどっちつかずで、宙ぶらりんだ。悠葉をもやつかせるには十分すぎる状況である。
けれど、これが第二性発現の阻害要因というわけではないだろう……と、悠葉にはわかっていた。
˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚
こんばんは、餡玉です。
ひさびさに『Blindness』の番外編を書きました。
今回は悠葉目線のお話でございます。
もっと短くする予定でしたが、どんどん長くなってしまいましたので、全四話となっております。
本日より四日間、21時に更新してゆきますので、よろしければお付き合いくださいませ!
そして、このたび、『Blindness』にも表紙を描いていただきました。
ご担当くださったのはwhimhalooo先生です。
あまりにも美麗なので、ぜひぜひご覧くださいませ♡
広くゆったりとした部屋の中に、淡い春の陽が差し込んでいる。ここは綾世院長の診察室だ。
窓辺に飾られた観葉植物の鉢植えの緑が、白い部屋の中でひときわ鮮やかだ。壁際に据えられた大きなデスクにはデスクトップモニターが置かれ、そこにはとある患者の電子カルテが表示されている。
「ええ。きみの第二性発現を阻害している要因は、今のところそれしか見当たらないのです」
「ストレス……かぁ」
「何か心当たりがありますか?」
「……」
須能悠葉は、きっちりと着付けた和服の膝の上でぎゅっと拳を握り締めた。そして、微かに唇を引き結んだあと、曖昧な笑顔を浮かべる。
「いや……特には思い当たりません」
「そうですか……ふうむ」
医療技術の向上に伴い、血液検査による第二性の確定時期が格段に早まり、概ね十歳を過ぎたあたりで第二性の判定が可能となっている。
一万件に一、二例は判定ミスが起こるらしく、精度を百パーセントまで上げることが今後の課題らしい。
そんな状況だというのに、今年で十五歳の悠葉は、いまだに第二性が確定していない。
第二次性徴期でありながら、いまだどっちつかずの悠葉は、つまるところ相当異様な存在なのだ。
今年十一歳になる妹の香純でさえ、すでに判定が出ているというのに……だ。
「確か、香純さんはアルファだったそうだね。そのことも、きみの心に何しら影響を及ぼしているのでは?」
「……あー……まぁ、あれはちょっとびっくりしましたけど」
「びっくりしたよね。ほかにも何か感じた?」
「まあ……あいつならそっちやろなぁ、とは思いましたけど」
「……なるほど」
きっと、綾世医師の望む答えではない事柄を口にしているのだろう——と感じ取りつつも、悠葉は言葉を切った。思春期の子ども心は複雑なのだ。
「んー……そろそろカウンセリングを受けてみない? きみ自身も気づいていない気持ちがあるのかもしれないし」
「別に何も悩んでへんけど……まぁ、父と相談してからお返事します」
「そうですね、わかりました。じゃ、診察は以上です」
「ありがとうございました」
そつなくそう答えると、綾世はやれやれといった諦めムードな顔をしつつ微笑んだ。
当初は鼻息も荒く、『ものすご~~~~~く貴重な事例なんで、血を採らせてもらえませんか!?』と迫ってきていた綾世だが、悠葉があまり協力的な態度を取らないことや、検査を重ねても原因がはっきりしないということがわかり始めてきてからは、綾世の興奮もなりを潜めている。
そっちのほうが怖くないので悠葉としてはありがたいのだが、綾世の提案するホルモン療法などを全て断り続けていることもあって、ここへ来ることをかなり億劫に感じ始めている
悠葉のケースは非常に稀な事例として扱われ、一、二か月に一度の頻度で綾世医師の診察を受けているのだ。
——どっちでもなくても、別にかまへんしなぁ……
ストレスに心当たりがないわけではない。
けれど、それはわざわざ他人に話して聞かせるほどのことではないと思っている。
それに、実生活で不便を感じることも特にはない。中三にもなって第二性がはっきりしていないからといって、学校でいじめを受けるわけでもない。
別にずっとこのままでもいいといえばいいのかもしれないし……むしろ、そっちのほうがいいとさえ思っている。
幼い頃からアルファになりたかった。
けれど、今はそこまでアルファになりたいとは思っていない。かといって、オメガになりたいかと言われると、それもやはり抵抗がある。
——別にもう、どっちでもええわ。
自分に言い聞かせるように心の中でひとりごとを呟いてみるも、心奥底にわだかまったままのモヤモヤは消えてはゆかない。
悠葉はこっそりため息をつきつつ立ち上がり、手元に抱えていた羽織を広げた。
「さて、今日も国城邸に泊まるのかい?」
悠葉が診察用の椅子から立ち上がると、綾世が微笑みを浮かべつつ声をかけてきた。診察が終わったためか、これまでより少し気軽な口調だ。
「はい。今日は俺ひとりやけど」
「そう。こっちへ来るのは、三ヶ月前の診察の時以来……だっけ?」
「うん、この間は父さんがこっちで仕事あったし、二、三日滞在させてもらいました」
「そう。今回はゆっくりできるの?」
「いや、学校も稽古あるし、この土日で一泊するだけ」
「そうですか、国城家のみなさんによろしくお伝え下さいね」
「はい。では、失礼します」
悠葉は愛想笑いを浮かべ、丁寧にお辞儀をして診察室を後にした。
いつもは両親のどちらかが付き添って上京するのだが、そろそろ慣れてきたこともあって、今回は付き人の有栖川と二人だけでここまで来た。
車で待機している有栖川にスマートフォンで連絡を入れ、悠葉は人知れず長い長いため息をつく。
ついでにメールをチェックしてみると、紫苑からのメッセージが入っていた。『何時ごろ着く予定? 待ってるよ』というシンプルな内容だが、三か月ぶりに恋人に会える高揚感が込み上げて、悠葉の唇にも自然と笑みが浮かんでくる。
この春から、悠葉も高校一年生だ。ひとつ年上の紫苑は、葵や蓮も通っていたフォートワース学園高等部に進学した。
あいかわらず時折胃を痛めながらも、優秀な成績を収めていると聞いている。
この一年でぐっと背が伸びた紫苑には、ここ最近どちらかというと葵の面差しを強く感じるようになった。佇まいに凛々しさが備わり、表情にも落ち着きが出てきているため、悠葉よりもずっと大人びて見える気がする。
前回の訪問時、庭で双子とサッカーに高じていたとき、紫苑と葵が連れ立って学校から帰宅する姿を目にしたことがあった。
門の外で車を降り、玄関までのアプローチを親子で歩いているだけだというのに、悠葉の目には素晴らしく気高いものに見えたものだった。
政財界の要人の子息が多く通うフォートワース学園では、学校行事でさえ社交の場となるため、父親である葵が主に参加することになっている。
何やら難しい話をしていたのか、紫苑はいつになく生真面目な表情で父の言葉に頷きを返していた。きっちりと着こなした制服姿には聡明さがあらわれ、国城家の男にふさわしく、アルファとしてのまばゆいオーラが溢れている。
スーツ姿できびきびと歩く葵と歩調を合わせている姿は、すでに一端のビジネスマンのようにも見え、悠葉は声を掛けることを躊躇ってしまうほどだった。
だけど、駆け寄っていく双子に気づき、紫苑はすぐに表情を緩めた。そして、双子の向こうにいる悠葉を視界に捉えた瞬間、ぱぁっと輝くような笑顔を浮かべてくれた。
その表情を見て、悠葉はようやく安堵する。やっぱり紫苑は紫苑なのだと思えたからだ。
東京と京都という隔たりがあるぶん、会う時はいつも少なからず久しぶりな感じがする。そのため、ますますアルファとしての輝きを増してゆく紫苑の魅力についていけていない気がして、毎回ちょっと臆してしまう。
それを紫苑に伝えると、「ばかだなぁ、俺は俺だよ」と言って笑ってくれる。幼いころと全く同じ笑い方で。
だが、ちょっと目を離した隙に、どんどん紫苑ばかりが大人になっていってしまうような気がして、離れている間は落ち着かないのだ。
アルファなのかオメガなのかもわからないまま、大人になることを拒絶しているかのように頑なな自分が、情けなく思えてしまう瞬間もある。
だけど紫苑はいつだって、「悠葉は悠葉だもん。俺の気持ちは変わらないよ」と優しく手を握ってくれる。お互いに好意は伝え合っているものの、紫苑が悠葉に触れてくるのはその程度だけ。……まだまだ、全くといっていいほどに恋人らしい距離感になりきれないふたりだ。
それもこれも、どっちつかずの悠葉を刺激しないように気を遣ってくれているのだとわかるから、余計にモヤモヤしてしまう。
もっと紫苑に触れてみたいと、心の奥底では思っている。だけど……ずっとこのまま、子どもの頃から続いているこの距離感が続いてゆけばいいのにとも思うのだ。
何もかもがどっちつかずで、宙ぶらりんだ。悠葉をもやつかせるには十分すぎる状況である。
けれど、これが第二性発現の阻害要因というわけではないだろう……と、悠葉にはわかっていた。
˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚˚✧₊⁎⁎⁺˳✧༚✩⑅⋆˚
こんばんは、餡玉です。
ひさびさに『Blindness』の番外編を書きました。
今回は悠葉目線のお話でございます。
もっと短くする予定でしたが、どんどん長くなってしまいましたので、全四話となっております。
本日より四日間、21時に更新してゆきますので、よろしければお付き合いくださいませ!
そして、このたび、『Blindness』にも表紙を描いていただきました。
ご担当くださったのはwhimhalooo先生です。
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