Blindness

餡玉(あんたま)

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第1章 ー結糸ー

7、隠し事

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「……はっ……!!」


 結糸は、ガバリと身体を起こした。
 辺りを見回してみると、そこは葵の部屋の真下にある、いつもの自分の部屋だった。

 六畳の小さな部屋。ベッドと小さな机、そしてウォークインクローゼットがあるだけの、シンプルな部屋だ。


 ——え……!? 何これ!? 俺……葵さまと……。


 自分が身につけているものを見下ろしてみると、愛用しているシャツ型のパジャマを着ている。自分の白濁でどろどろに汚れていたはずの身体は何事もなかったかのように清められている。


「……なんで……?」


 呆然としながら、天井のそばに造られた明かり取りの小さな窓を見上げてみる。外は明るく、白い光が溢れている。時計を見てみると、時刻は午前六時だった。


「え……何、これ。まさかの夢オチ……」
「結糸ー。起きたかー?」

 その時、軽いノックの直後に素早くドアが開いた。慣れているものの、それではノックの意味がないだろうといつも思う。朝の忙しい時間帯、勢田はとにかくせっかちなのだ。

「せ、勢田さん……おはようございます……」
「薬の作用は、使用量と深い関係があります。ある量以下では作用が現れず、ある量以上では有害な作用を生ずるおそれがあります。定められたとおりの用法・用量を守りましょう」
「えっ?」
「薔薇の庭に落ちてた薬、お前のだろ。しかもこの量……ひょっとして、毎日飲んでたんじゃねーだろうな」
「っ……」

 そう言いながら勢田が内ポケットから取り出したのは、結糸が隠し持っていた錠剤の束だった。結糸の顔から、さっと血の気が引いていく。


 ——やっぱり、夢じゃなかったんだ……!! どうしよう……バレたんだ。……っていうか、なんで俺、自分の部屋で寝てるんだ!? 何があったんだ!?


「勢田さん……あの……」
「葵さまとヤりまくってたのに、どうしてここにいるのかって?」
「うぐ……」
「やれやれ……何から話せばいいのやら……」

 勢田は結糸のベッドに腰を下ろし、苦り切った顔で頭をかいた。珍しく、勢田の髪の毛が少し乱れる。

「……あの、俺……」
「ああ、大丈夫だ。オメガだってことは、黙っといてやる」
「え!? なんで!?」
「なんでって……。今まで隠し続けていたってことは、よっぽどの事情があんだろ。祖父さんのこともあるだろうし」
「せ、勢田さん……!」
「それに、葵さまもお前を手放す気はないみたいだしな」
「えっ……」

 葵の名を聞き、心臓が大きく跳ね上がった。顔が熱くなり、ずくんと身体の中心が切なく疼く。
 そんな結糸の表情を見て、勢田は苦笑しつつ小さくため息をついた。

「お前が葵さまを慕ってることも、知ってたし」
「へっ?」

 勢田はそう言って微笑むと、すらりとした脚を組む。先端が緩やかに尖った黒い革靴は、今日もぴかぴかに磨かれている。

「……昨日の晩、丸一日ぶりに葵さまから連絡あったんだ」
「連絡……え? てか、丸一日って?!」
「お前が薔薇の庭で倒れたのは、一昨日の夕方だ。つまりお前と葵さまは、ほぼ二十四時間ヤりまくってたってこと」
「ヤり…………って、もっと他に言い方ないんすか……」
「細かいことは気にすんな。夜中にな、葵さまから震え声で電話かかってきたんだよ」

 勢田はそう言って、内ポケットから小さな携帯電話を取り出し、小さく振って見せた。これは緊急時に葵と勢田をつなぐものであるが、ここ最近は一度も使われたことがなかったらしい。しかし、この二日間で立て続けに電話が鳴ったのだという。

「『結糸が動かなくなった。……助けてくれ』って」
「動かなく……?」
「慌てて駆けつけてみたら、お前……ヤり疲れてぐうすか寝てやがったんだ。葵さまはシャツだけ羽織った格好で不安そうな顔して、布団に包んだお前のことをずっと抱いてた」
「……葵さまが……?」
「葵さまは、自分がやりすぎたんだって、結糸を壊してしまったかもしれないって、すごく怯えた顔をしてた。あんな顔、初めて見たよ。俺は、あの人が目が見えなくなった直後からここで働いてるけど、後にも先にもあんな顔は初めてだった」
「……」
「なんつーかさ、今回のことで、アルファも人間なんだなぁって思ったわな。特に葵さまは目が見えないのにあんなにも優秀で、人格も出来てて、どっか人間離れした存在だなって感じてたけど。……あんな顔見てたら、やっぱりあの子もただの十九歳だったんだよなって思った」

 勢田は携帯電話を内ポケットにしまいこみつつ、しみじみとそう語った。

 結糸には、葵がどんな顔をしていたのかなんて、まったく想像がつかなかった。勢田の言うように、結糸も葵のことを心のどこかで神格化していたのかもしれない。葵が動揺のあまり声を震わせる姿など、想像もつかないのだ。

 結糸は葵の優しさや強さに惹かれているが、その実、いつも葵が何を考えているのかはよく分からない。優しくて紳士的、時に意地の悪そうなことを言って結糸をからかってみたりするものの、葵の表情はいつも淡々としていて、その気持ちをうかがい知ることは難しい。

 そんな葵が見せた動揺……結糸の胸は、どきどきと早鐘を打ち始めた。

「葵さまは、お前がオメガであることは他言無用だと言っていたよ。お前の体調が戻ったら、いつものように世話をして欲しいって。明日は検査入院だ、お前、付き添って差し上げろよ」
「じゃ……俺……ここにいて、いいんですか……?」
「まぁ……。俺としても、急にお前がいなくなるのは困るしな」
「……」

 結糸はほっと安堵した。しかし同時に、不安が結糸の心を縛り付ける。

 それはつまり、葵が蓮に隠し事をしなくてはならなくなるということだ。目の手術、そしてパートナー選びが重なる、この重要な時期に……。

 結糸は顔を曇らせた。勢田はそんな結糸の背中をぽんぽんと叩きながら、こんなことを問う。

「さっきも聞いたけど、お前、抑制剤毎日飲んでたのか?」
「……はい……」
「おいおいおい、やっぱそうかよ。いいか、そんな飲み方ありえねぇから! よく今まで何も起こらなかったな!!」
「す、すみません……!!」
「ちゃんと処方してもらったやつじゃねぇんだろ、これ。いつから飲んでる」
「ええと、二年……かな。街で、安いのを売ってるんです。昔からそこで買ってて……」
「二年も毎日飲んでたのか!? そんなもん、効かなくなるに決まってるだろ!」
「……すみません。効き目薄まってるかもって思ってたけど、量増やせば大丈夫かなって……」
「そんな単純なもんじゃねぇだろ、まったく。……俺の古い友人が、医者をやってんだ。お前のことを話したら、すぐに薬を準備してくれた。これからは、こんな安くて怪しい抑制剤を飲み続けるんじゃなくて、そいつのところでちゃんとした薬をもらえ。あいつは口が硬い。大丈夫だから」
「すみません……」
「今の様子を見てる限り、発情期は抜けたみたいだな」
「……そう、かも……。この一週間、ずっと体調おかしかったし……」
「そうか。……あと、これを飲んどけって」

 す、と手渡されたのは、淡いブルーの錠剤だった。見たこともない薬名が刻まれた小さな粒を見下ろして、結糸は困惑気味に勢田を見つめた。

「事後避妊薬だ。……こんなもん、本当は渡したくはないけど……。もし今、お前が葵さまの子を孕んでましたみたいなことになったら、事態が余計にややこしくなる」
「……あ、はい……そうですよね……」


 ——葵さまの子を孕む……。そうだ……俺はオメガだもんな……。


 あんなことをしてしまった以上、葵の胤が結糸の中に根付いていないとは言い切れない。結糸は勢田の手から錠剤を取り、それを口に含んで水差しの水を飲んだ。そして、重いため息をつく。

「……俺……どうしたらいいんですかね……」
「それは俺にも分からねぇよ。……お前はどうしたいんだ」
「俺は……」


 ここを出て行きたくはない。今まで通りずっと、葵のそばにいたい。結糸の願いはそれだけだ。


 葵と肉体関係を結んでしまったが、結糸はそれ以上の関係を望めない、というか、望んでいいわけがない。あれは、オメガのフェロモンにあてられた若いアルファとしての、ごくごく自然な反応なのだ。そこに葵の感情を、期待してはいけない……。


「俺は、今まで通り……葵さまをお支えするだけです」
「……そうか、それでいいんだな」
「はい。早く行かなきゃ、葵さまを起こさないと」
「そうだな。早くお前も着替えろよ」
「はい」

 結糸は頷いて、立ち上がろうとした。しかし下半身はずんと重く、立ち上がった拍子によろめいてしまう。勢田は「おっと」と言って結糸の腕を掴んで支えた。

 脚の付け根は筋肉痛のようにずきずきと痛み、腰はずっしりと重だるい。

 普段通りに立ち働けるような体調ではないけれど、結糸はぐっと脚に力を込めて、まっすぐ背筋を伸ばした。
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