Blindness

餡玉(あんたま)

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第1章 ー結糸ー

4、決定事項

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「……兄さん、どういうつもりだ」

 部屋に入って来た兄の声を聞き、葵は低い声でそう尋ねた。蓮は悠々とした動きで腕を組むと、小首を傾げて目を細める。

「須能のこと、気に入らなかったか」
「気にいるもなにも……。五年ぶりに会って、いきなり迫られても困る。いきなりそんなことできるわけないだろ」
「ふふ、葵は本当にうぶだね。明日明後日には、もう一人、お前のために選んだオメガが来るんだぞ? 少しくらい、色気を見せてもいいんじゃないのか?」
「……もう一人?」

 蓮はそう言いつつベッドに近寄り、憮然とした顔で座っている葵の頭をそっと撫でた。そして同時に、葵の背後で固まっている結糸のほうへ視線を向ける。

「……ん? 君は葵の世話係だな。なんだ、その格好は」
「あっ……も、申し訳ありません……!」

 結糸はとっさに正座して、深々と頭を下げた。
 今結糸が身につけているのは、淡いグレーのパジャマシャツのみだ。着丈は膝の少し上のあたりまでしかないし、足元は裸足。その上、結糸は朝の淫夢の始末を終えたばかりであったから、下着さえもつけていない。心細さのあまり泣きそうになりながら、結糸ただただ頭を垂れていた。

 すると、葵の手がすっと背中に置かれた。結糸ははっとして、ベッドの上にうずくまったまま葵を見上げる。葵は煩わしげに蓮の手を払いのけ、いつになく不機嫌そうな声でこう言った。

「須能が俺の寝込みを襲って来て、騒ぎになったんだ。結糸はすぐに駆けつけてくれたから、こんな格好なんだよ」
「ね、寝込みを襲うなんて……いややなぁ、物騒な言い方せんといてくださいよ」
「実際そうだろ。俺は、そういう野蛮なことをする人間は好きになれない」
「や、やばんて……」

 葵に冷たくそう言われ、須能はしゅんとなってしまった。蓮は喉の奥で低く笑うと、わしわしと葵の髪の毛を撫でる。

「まぁそう言ってやるな。須能がずっとお前に惚れてたことは知ってるだろ」
「……」
「それに、お前ももうすぐ二十歳だ。社交界デビューも近い。そろそろ正式なパートナーを決めなければな」
「……つがいを選べ、ということか?」
「いいや、違うよ」

 蓮はベッドに腰掛けると、葵の頬を両手で包み込み、白く曇った瞳を覗き込んだ。結糸は慌ててベッドから降り、窓のそばに控えている勢田の背後に立つ。

 葵の瞳は蓮の方を向いているが、色のない瞳から感情は窺い知れない。蓮は少しばかり寂しげに目を細め、細く整った形をした唇で、葵の頬に触れた。


 ——ひいぃ……すごい、綺麗……。


 ただの挨拶なのだろうが、顔貌かおかたちの美しい兄弟が触れ合っているという絵面は、破滅的に耽美だった。結糸は勢田の背後で思わず興奮してしまい、ギロリと勢田に睨まれた。

「番など選ぶ必要はない。僕が求めるのは、国城家の血を継ぐ子を産むための、優秀なオメガだ。昔から何度も言っているだろう」
「……昔から何度も言っているけど、俺は、兄さんのそういう考え方が嫌いだ。だから、子を成すためだけという意味で俺にパートナーを選べというのなら、お断りだな」
「ふ……そう言うと思ったよ。でもね、葵。これはお前の義務でもある。優秀なアルファを産み、次世代へこの血をつないでゆく義務が」
「……またそれか。そんな話をするために、わざわざ俺に会いに来たのか?」
「国城家直系の血を継ぐ者は、今この世に僕とお前としかいない。これから先、この家を盛り立て繁栄を続けさせていくためにも、僕たちの血を引く家族が必要だ。分かっているだろう」
「……」
「この家のために、協力して欲しいんだよ、葵。だから須能を呼んだんだ。お前のために」


 ——葵さまのため葵さまのためって……全部、蓮さまの思い通りにしたいだけじゃないか……。


 結糸は蓮の言葉に、反発を感じずにはいられなかった。しかし、使用人ごときが国城家当主である蓮に意見できるわけもなく、ただただ奥歯を噛み締めることしかできなかった。

 葵はじっと押し黙ったまま、真一文字に唇を引き結んでいる。蓮はそんな弟の頬を優しく親指で撫でながら、ふっと柔らかく微笑んだ。
 それは、輝かんばかりに神々しい笑顔である。しかし結糸の目には、冷え冷えとした恐ろしいものに見えた。


「そうそう、それ以外にも話があって来たんだよ。お前の目の手術の日取り、決まったからな」

 気軽な口調で、蓮は葵にそう告げた。弟への相談など一切なかったのであろう、葵は僅かに目を見開いて、驚きの表情で兄を見上げている。

「え……? あの手術はリスクが高いから、当分無理だって……」
「分家の若い青年が、交通事故で死んだんだ。今ならあの目をお前にやれる」
「っ……」
「葵。難しい手術になるが、僕はお前のためだけに、最高の医療チームに大金を注いで来た。彼らはこの二年で、数件の眼球移植再生手術に成功している。ドナーもいる。このチャンスを逃す手はない」
「……」

 葵が息を飲む。そして同様に、結糸もただただ驚愕していた。

 葵の目が、見えるようになる——それは、結糸にとっても喜ばしい現実だ。葵の目に光が戻れば、彼は暗闇から解き放たれ、その素晴らしい能力をより大きく羽ばたかせることができるのだから。

 しかし、結糸が感じていたのは寂寞だった。
 目が見えるようになれば、葵はもう、結糸の手など必要としない。葵に必要とされなくなったとき、結糸の存在意義とは何だろう。葵は国城家の男として世界のいただきに立ち、きらびやかな社交界で優れたオメガたちと愛し合う。それが本来の葵の姿なのだ。

 その時、葵の傍らには結糸はいない。
 結糸はふらつきそうになる身体にぐっと力を込め、体側で寝間着を握りしめた。

「僕はね、葵。もう一度、お前自身の目でこの世界を見て欲しいんだ。僕たち兄弟の抱えているものの大きさを、自覚して欲しい」
「……それは、してる。見なくても分かってる。だから俺はこうして、」
「いや、分かってない。分かってないから、パートナーを選びたくないなんて、甘えたことが言えるんだ。それに今の目のままじゃ、お前がやれる仕事には限界がある。ゆくゆくは、お前に僕の右腕になって欲しい。分かるだろ?」
「……」
「僕に力を貸してくれ、葵」

 蓮の言葉と声色は穏やかだが、断固とした響きがある。蓮は、他者の意見など最初はなから聞く気がないのだろう。葵に告げていることは、全て蓮の……ひいては国城家としての決定事項であり、確定した未来なのだ。

 しんとした沈黙が、葵の部屋に満ち満ちている。結糸は緊張と不安で震えながらも、胸の内に湧き上がる数多の疑問に対して声をあげそうになることを、必死で堪えた。


 ——蓮さまは、葵さまの意思を何一つ聞いちゃいない。これでいいのか? 葵さまは、どうして何も言わないんだろう……。


 痛いほどの沈黙を破ったのは、意外なことに須能だった。
 須能はのんびりとした調子で「ふぁーあ」と大欠伸をし、着物の袖で少し口元を覆って微笑んだ。

「ま、葵くんも寝起きでそんな話聞かされてもかなんやろし、そのくらいにしておいてあげたらどないでっしゃろ」
「……うん、まぁ、そうだな。悪かったな、葵」
「……」
「ねぇ蓮さま、久々に会うんやし、僕と朝食なんてどうですか? ちょっとは時間、あらはるんでしょう?」
「そうだね、それもいいか」

 蓮はベッドから立ち上がり、もう一度葵の頭を撫でた。蓮は、自分の方を見ようとしない葵の姿に若干寂しげな表情を浮かべたものの、すぐに愛想のいい笑みを浮かべて須能のほうへと歩み寄る。

「行こうか。今日は天気がいい、庭で食事を」
「お、ええですね。……あぁ、葵くん、僕は当分こっちにいますから、その気になったらいつでも呼んでな」
「……こっちにいる? ずっとここに泊まるのか?」
「いえいえ、さすがにそこまで厚かましいことはしませんよ。須能流の演舞場がありますからね、そこに泊まります。こっちでの仕事も片付けがてら」

 須能はそう言ってしゃなりと笑うと、蓮の傍らに寄り添うように立った。須能の所作は何もかもが流れるように美しいが、結糸の目には、須能が蓮に媚びているようにしか見えない。

 なんだかとても、嫌な気分だった。
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