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23、このガチムチは……?〈泉水目線〉

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「ちょ……嶋崎くん……きみ、どんだけ足、速い……はぁ、はぁっ……」

 えらく体格のいいガチムチマッチョが、一季のあとから現れた。扉の前でぜーぜーと息を切らしつつ、研究室へふらりと入って来る。
 初対面だが、嵐山の顔には見覚えがある。身体がでかいので、職員懇親会の時、遠目にも目立っていたのだ。

「ん……? あなたはたしか、講師の……」
「あっ、あんた、噂の若きイケメン准教授……」 

 嵐山はしげしげと泉水を観察し、今度はジロジロと一季を眺め回した。その不躾な目線に一季を晒すことに抵抗を感じ、泉水はサッと恋人の前に立ちはだかった。

 明らかに警戒心をむき出しにしている泉水の対応に、嵐山は何やらピンと来たらしい。泉水と一季を指差して見比べながら、「あ~……」と声をあげた。

「その感じ……まさか、嶋崎くんの新しい恋人って、このイケメン?」
「ちょっ……嵐山さん!」
「……ん? 新しい恋人?」
「なるほどねぇ。確かに、優しそうだし誠実そうだし……あっちのほうでも忍耐力がありそうだ」

 何やらとげとげしい、含みのある言い方だ。泉水は二人の間にどことなく不穏なものを感じ取り、ちらりと一季を見下ろした。一季もまた、どことなく気まずげな表情である。

「へぇ~~~~、あんたがね……。ふーん、なるほど。すごい上玉ひっかけたんだな、嶋崎くん」
「そっ……そんな言い方しないでくださいよ。あなたには関係ないじゃないですか」

 目眩から立ち直った一季は泉水の前に出て来ると、嵐山を突き放すようなきつい口調でそう言った。

 嵐山の無遠慮なセリフ、いつになく苛立ちの滲む一季の視線、そして「新しい恋人」発言……。


 ——ひょっとして、嶋崎さんとこのガチムチ……。


「ええと……。知り合い、なん?」
と、泉水は隣に佇む一季に尋ねてみた。すると一季は気まずげな表情を浮かべつつ、小さく一度、頷く。

「……」
「……」
「ま、今はそんなことより」

 果てしなく気まずい空気が漂う中、嵐山がずずいと研究室の奥へと押し入って来た。そして、泉水のデスクにもたれかかり、不機嫌そうに腕を組んでいる里斗の方へ、つかつかと歩み寄っていく。

「おい、そこの図々しいクソビッチ野郎!! こんなとこで何してんだよ!!」
「わっ……! な、何するんですかぁ!?」
「こんのケツマンゆるゆるの泥棒猫!! 僕の木下さんを誘惑しておきながら!? もう他の男をつまみ食いか!? ふざけんなよこのクソビッチ!!」
「ひ……っ、な、何なんですかこの人!! 塔真先生……たすけて……!!」

 小柄な学生の胸ぐらを、ムキムキマッチョの大男が掴み上げていると言うのは、どう見ても放っておけない絵面である。嵐山に首根っこを掴まれて、真っ青になりながら揺さぶられている里斗を見ていることに耐えかね、泉水はすぐに間に割って入った。

「おい、学生相手になんてことしとんねん! 手ぇ離さんかい」
「うわぁん、先生……! こわいよぉ……」

 すると里斗は、さっと泉水の背後に隠れた。それを見た嵐山は、ずれてもいないメガネをかちゃかちゃと押し上げながら、こめかみに青筋を浮かべつつ、刺々しい声でこう言った。

「ほほ~~、さっすが准教授。イケメンで? 高学歴で? しかもその年で准教授で? ハァ~~~なるほど、ハイスペック男は余裕をお持ちだ」
「はぁ? そんなん今関係ないやん。ていうか、あんたかて教員やろ! ありえへんで、学生に手をあげるなんて」
「ほ~う。ご立派なことを仰ってますが、じゃあ、学生に手を出すのは、教員として許されることなんですか?」
「手を出す…………って、いやいやいやいやいやいや!! 出してへん!! 出してへんて!! その子が勝手に上に乗っかって来て……」
「へ~~~上に乗っかられて喜んでたんですか? これはこれは、とんだエロ教師だなぁ」
「うぐっ…………」
「しかも、どの程度の付き合いかは分かりませんが、恋人の目の前でそんなことするなんて信じられないな~。あぁ……なるほど、嶋崎くんとのセックスに満足できないから……」
「……嵐山先生……!! いい加減にしてください……!」

 勝ち誇ったドヤ顔で泉水を言い負かそうとしている嵐山に向かって、一季が地底を這うかのような低い声で、ピシリとそう言い放った。そして、本気の怒りを滾らせた眼差しで、嵐山をぐっと睨みつけている。

 言いようのない凄みを湛えた一季の表情に、泉水はごくりと息を飲んだ。普段穏やかな一季だからこそ、怒っている顔にはやたら迫力がある。こんな状況だと言うのに、一季の怒り顔にちょっときゅんとしたことは、当分黙っておこうと泉水は思った。

「どの口で、そのようなことを言っておられるんでしょうね。ご自分の行動は棚上げですか?」
「あ~。……えーと」
「そこの学生さんとあなたの間に何があったのかということはこの際どうでもいいですが、教員が学生に手を上げるなんて言語道断です。僕から委員会に報告したっていいんですよ」
「そ、それはやめてくれよ……。僕と君の仲じゃないか」
「仲……?」


 ——仲って……ひょっとして、やっぱ、この二人……。


「仲? 何のことでしょうか。塔真先生にくだらない言いがかりをつける前に、ご自分の行動をじっくり省みたほうがよろしいのでは?」
「ふ、フン……」

 一季は毅然とした口調で嵐山を黙らせ、そして、キュッと唇を引き結んでうつむいた。


 様々な関係性が渦巻く塔真研究室の中に、ずーんと重たい空気が沈殿している。


 するとその時、開けっ放しのドアをコンコンとノックする音が響いた。三人が一斉にそちらを見ると、田部貴彦が、ちらちらと中を覗き込んでいる。

「あの、塔真先生……? さっきから電話、鳴らしてたんすけどぉ~」
「えっ……!? あ、す、すまん。気づかへんかった」
「あ、あのですね。次の講義で使用予約入ってたプロジェクター、まだ誰も受け取りに来てなくて……その、次のコマまであと15分くらいしかないし、いちお、確認ていうか……」

 田部までつられて気まずげにしているということは、話の内容が外に漏れてしまっていたということだろうか。泉水は思わず顔を覆いたくなったが、深呼吸して気を取り直し、田部に向かって笑みを浮かべた。

「すんません、すぐ取りに行きますわ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
「あぁ……僕も授業だ。行かないと」

 嵐山はハンカチで額の汗を拭うと、せかせかと研究室を出て行った。田部もまた、きょろきょろと落ち着かない様子で研究室の中を見回しつつ、ちらりと一季を見たあと、廊下に出て行く。


 ——うわぁ……もう、何やこれ。頭ん中ぐるぐるしてて……どうにもならへん……。


 泉水は入り口の脇に引っ掛けていた白衣を手に取ると、うつむいている一季の肩にそっと触れた。そして低い声で、「……今夜、話させてください」と言い残し、研究室を後にする。


 ——あの様子だと、あのガチムチと嶋崎さん……昔付き合うてたってこと? 浮気された相手って、あいつのことなんやろか……。


 愛しい一季を、あの嫌味な男が無碍に扱っていたのかと思うと、怒りのあまりはらわたが煮え繰り返りそうになる。泉水はぐっと奥歯を噛み締め、怒りと苛立ちを誤魔化すように、細く長いため息をついた。


 ——ていうか、……ていうかや。ってことは、あのガチムチ眼鏡野郎に、嶋崎さん、抱かれてたって……こと? 俺に触られんのは嫌がったのに、あのガチムチには……。


「うう…………はぁ。マジか……」
「え? 先生? 具合でも悪いんすか?」
「あ、いや……大丈夫。何でもないで」


 一季があんな男に……と想像すると、思わず苦々しい声が漏れてしまう。


 重たい気分を抱えたまま、泉水は田部とともに廊下を歩いた。
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