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第三章 過去と今
七、殺してはいけない
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「待って!!」
白蘭の前から、男が横っ飛びに吹っ飛んだ。
雨の中現れたのは、見たこともない黒髪の青年だった。息ひとつ乱さず、その青年は男の襟首を掴み上げると、その顔に拳を一発めり込ませる。
「殺しちゃ駄目だ!」
青年は、悲しげな目をして白蘭を見下ろし、そう叫んだ。白蘭ははっと、我に返った。
「誰だお前!! この野郎!」
歯のない男が、太刀を振りかざして黒髪の男に斬りかかった。黒髪の青年はひょいひょいとその太刀を身軽に交わしつつ、ひらりと後ろに一回転して地面に降り立つ。
そのあまりの身軽さに目を見張った盗賊は、太刀を握り直して突っ込んでいく。
「この化物がぁああ!!」
黒髪の青年はその太刀をも地面に低く伏せてかわすと、その体勢から踵を突き上げて男の顎を砕いた。もんどり打って倒れた男の手から、ぽろりと太刀がこぼれ落ちる。
青年は立ち上がり、白蘭の方へと歩み寄ってきた。
千珠を彷彿とさせる身のこなしと強さに、白蘭は呆然としてその青年を見あげた。整った顔立ちに、微かに悲しみを乗せて、その青年は白蘭の前に座り込む。
「殺しちゃいけない。君の手を血に汚しちゃいけないよ」
「……は……僕は……」
「でも、守りたかったんだよね。君の妹と、珠緒を……」
「兄様……」
立ち上がって珠緒の手を引く白蘭が、ひくひくとしゃくりあげながら白蘭の元へ近づいてきた。
珠緒は頬に血を付けたまま、大きな目で無表情に白蘭を見ていた。そして黒髪の青年をその目に認めると、珠緒は白露の手からするりと抜け出し、そちらへ駆け寄った。
「よるー! よるう!」
「珠緒。もう大丈夫だよ。遅くなってごめんね」
「よる……。あなたが夜顔さま……?」
と、白蘭が白露の肩を抱きながらそう尋ねた。
夜顔は珠緒を抱き上げて、二人を見下ろしてにっこりと笑う。
「うん、僕は夜顔だよ」
「夜顔様……」
しくしくと兄にすがって泣きながら、白露は夜顔を見あげた。珠緒がすっかり安堵しているのを見て、この人物が信用に足る者だと理解する。
徐々に小ぶりになってくる雨の中、ぜいぜいと息を切らせて槐が駆けつけた。
すでに大の字になって伸びている二人の盗賊を見て、槐は夜顔を見た。
「……この者たち、そなたが?」
「あ……はい……」
夜顔は珠緒を抱いたまま、罰が悪そうに目を伏せた。槐は顎を砕かれ伸びている男と、頬を腫らして伸びている二人の盗賊を見下ろして、白蘭たちの姿をようやく確認した。
「君たち……怪我はない?」
「はい……。夜顔様が、来て下さったので……」
と、白蘭は腹を押さえながらそう言った。白露もこくりと頷く。
「あの……朝飛様が……朝飛様が死んだって……盗賊が……」
白蘭の目から、ぼろぼろと涙が溢れだした。
槐は険しい表情を浮かべたまま、ぐいと拳で涙を拭いながらしゃくりあげている白蘭に近づき、膝をついた。
「……あの忍のお方が、そんなにやすやすとやられてしまうとは思えない。ひとまず、城へ戻ろう」
「……はい」
「大丈夫ですよ」
すっと、影のように木立の間から姿を現した忍装束の男が、冷静な声でそう言った。そこにいた者たちが仰天する。
「……雪代様」
名を呟かれ、雪代は口布を下ろした。色の白い肌が、黒い忍装束の下でつややかに光る。
「朝飛様は生きておられます。かなり血を流しましたが、大丈夫です」
「本当ですか……!? 良かった……!」
心の底から安堵した白蘭が、がっくりとその場に膝をついて座り込む。
白露もほっとしたように表情を緩め、兄の肩に手を触れた。雪代はひとつも表情を動かさず、槐と夜顔の側に歩み寄ってきた。
「この盗賊たちは、私がひっ捕らえて帰ります。お二人は、お子たちを」
「あ、はい……」
珠緒を抱っこしたまま、夜顔は気圧されたように頷く。雪代のきっちりとした口調に、面食らっているのだ。
槐は盗賊を見下ろして、「一人では大変でしょう。僕も手伝いますよ」と申し出た。しかし雪代は首を振り、「お客人にそんなことはさせられませぬ。これは、忍寮が起こした不祥事。私が片付けて参ります」と言う。
「……不祥事って……」
と、槐は困惑した顔をした。
「朝飛様、白蘭様、白露様、皆さんが気を抜きすぎたからこうなったのです。珠緒様をも危険に晒すなど」
「……」
雪代の冷たい口調に、白蘭たちはうつむいた。厳しい言葉に、夜顔は顔をしかめる。
「無事でよかったとか、そういうことを思わないんですか? あなた方は仲間なんでしょ?」
と、夜顔。
「仲間。……そうですね、そうに違いありません。しかし、事実は事実ですから」
と、雪代はにべもない。
「……夜顔様、いいんです、その通りですから」
白蘭は沈んだ声だが、しっかりとした口調でそう言った。
「僕が、わがままを言ったからこうなったんです。僕が悪いんです」
「兄様、私も……」
「妹を引っ張りこんだのも僕です。僕が全部、悪いんです。雪代さまの言葉は間違ってません」
「でも……」
納得の行かない表情の夜顔を、じっと槐は見つめていた。夜顔の言いたいことも、雪代の言い分も理解できる。
槐は子どもたちを見下ろして、ため息をついた。
「とりあえず、帰ろう。みんなこれでは風邪を引いてしまう」
皆が槐を見た。
槐は白蘭たちに手を差し出して、「お説教は向こうでゆっくり聞くとしましょう。……でも、よく戦ったな、白蘭殿」と言った。
白蘭の目から、またぼろぼろと涙が溢れ出す。唇を噛み締め、白蘭は槐の手を握った。
「……はい」
「よるう、あそぼー」
夜顔に抱かれてすっかり機嫌をよくした珠緒が、可愛らしい声でそんなことを言った。その場に合わない珠緒の台詞に、夜顔は少しだけ微笑んだ。
白蘭の前から、男が横っ飛びに吹っ飛んだ。
雨の中現れたのは、見たこともない黒髪の青年だった。息ひとつ乱さず、その青年は男の襟首を掴み上げると、その顔に拳を一発めり込ませる。
「殺しちゃ駄目だ!」
青年は、悲しげな目をして白蘭を見下ろし、そう叫んだ。白蘭ははっと、我に返った。
「誰だお前!! この野郎!」
歯のない男が、太刀を振りかざして黒髪の男に斬りかかった。黒髪の青年はひょいひょいとその太刀を身軽に交わしつつ、ひらりと後ろに一回転して地面に降り立つ。
そのあまりの身軽さに目を見張った盗賊は、太刀を握り直して突っ込んでいく。
「この化物がぁああ!!」
黒髪の青年はその太刀をも地面に低く伏せてかわすと、その体勢から踵を突き上げて男の顎を砕いた。もんどり打って倒れた男の手から、ぽろりと太刀がこぼれ落ちる。
青年は立ち上がり、白蘭の方へと歩み寄ってきた。
千珠を彷彿とさせる身のこなしと強さに、白蘭は呆然としてその青年を見あげた。整った顔立ちに、微かに悲しみを乗せて、その青年は白蘭の前に座り込む。
「殺しちゃいけない。君の手を血に汚しちゃいけないよ」
「……は……僕は……」
「でも、守りたかったんだよね。君の妹と、珠緒を……」
「兄様……」
立ち上がって珠緒の手を引く白蘭が、ひくひくとしゃくりあげながら白蘭の元へ近づいてきた。
珠緒は頬に血を付けたまま、大きな目で無表情に白蘭を見ていた。そして黒髪の青年をその目に認めると、珠緒は白露の手からするりと抜け出し、そちらへ駆け寄った。
「よるー! よるう!」
「珠緒。もう大丈夫だよ。遅くなってごめんね」
「よる……。あなたが夜顔さま……?」
と、白蘭が白露の肩を抱きながらそう尋ねた。
夜顔は珠緒を抱き上げて、二人を見下ろしてにっこりと笑う。
「うん、僕は夜顔だよ」
「夜顔様……」
しくしくと兄にすがって泣きながら、白露は夜顔を見あげた。珠緒がすっかり安堵しているのを見て、この人物が信用に足る者だと理解する。
徐々に小ぶりになってくる雨の中、ぜいぜいと息を切らせて槐が駆けつけた。
すでに大の字になって伸びている二人の盗賊を見て、槐は夜顔を見た。
「……この者たち、そなたが?」
「あ……はい……」
夜顔は珠緒を抱いたまま、罰が悪そうに目を伏せた。槐は顎を砕かれ伸びている男と、頬を腫らして伸びている二人の盗賊を見下ろして、白蘭たちの姿をようやく確認した。
「君たち……怪我はない?」
「はい……。夜顔様が、来て下さったので……」
と、白蘭は腹を押さえながらそう言った。白露もこくりと頷く。
「あの……朝飛様が……朝飛様が死んだって……盗賊が……」
白蘭の目から、ぼろぼろと涙が溢れだした。
槐は険しい表情を浮かべたまま、ぐいと拳で涙を拭いながらしゃくりあげている白蘭に近づき、膝をついた。
「……あの忍のお方が、そんなにやすやすとやられてしまうとは思えない。ひとまず、城へ戻ろう」
「……はい」
「大丈夫ですよ」
すっと、影のように木立の間から姿を現した忍装束の男が、冷静な声でそう言った。そこにいた者たちが仰天する。
「……雪代様」
名を呟かれ、雪代は口布を下ろした。色の白い肌が、黒い忍装束の下でつややかに光る。
「朝飛様は生きておられます。かなり血を流しましたが、大丈夫です」
「本当ですか……!? 良かった……!」
心の底から安堵した白蘭が、がっくりとその場に膝をついて座り込む。
白露もほっとしたように表情を緩め、兄の肩に手を触れた。雪代はひとつも表情を動かさず、槐と夜顔の側に歩み寄ってきた。
「この盗賊たちは、私がひっ捕らえて帰ります。お二人は、お子たちを」
「あ、はい……」
珠緒を抱っこしたまま、夜顔は気圧されたように頷く。雪代のきっちりとした口調に、面食らっているのだ。
槐は盗賊を見下ろして、「一人では大変でしょう。僕も手伝いますよ」と申し出た。しかし雪代は首を振り、「お客人にそんなことはさせられませぬ。これは、忍寮が起こした不祥事。私が片付けて参ります」と言う。
「……不祥事って……」
と、槐は困惑した顔をした。
「朝飛様、白蘭様、白露様、皆さんが気を抜きすぎたからこうなったのです。珠緒様をも危険に晒すなど」
「……」
雪代の冷たい口調に、白蘭たちはうつむいた。厳しい言葉に、夜顔は顔をしかめる。
「無事でよかったとか、そういうことを思わないんですか? あなた方は仲間なんでしょ?」
と、夜顔。
「仲間。……そうですね、そうに違いありません。しかし、事実は事実ですから」
と、雪代はにべもない。
「……夜顔様、いいんです、その通りですから」
白蘭は沈んだ声だが、しっかりとした口調でそう言った。
「僕が、わがままを言ったからこうなったんです。僕が悪いんです」
「兄様、私も……」
「妹を引っ張りこんだのも僕です。僕が全部、悪いんです。雪代さまの言葉は間違ってません」
「でも……」
納得の行かない表情の夜顔を、じっと槐は見つめていた。夜顔の言いたいことも、雪代の言い分も理解できる。
槐は子どもたちを見下ろして、ため息をついた。
「とりあえず、帰ろう。みんなこれでは風邪を引いてしまう」
皆が槐を見た。
槐は白蘭たちに手を差し出して、「お説教は向こうでゆっくり聞くとしましょう。……でも、よく戦ったな、白蘭殿」と言った。
白蘭の目から、またぼろぼろと涙が溢れ出す。唇を噛み締め、白蘭は槐の手を握った。
「……はい」
「よるう、あそぼー」
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