異聞白鬼譚

餡玉

文字の大きさ
上 下
313 / 339
第二章 青葉にて

八、困りごと

しおりを挟む

 夜半過ぎ、舜海は青葉の寺に帰ってきた。
 かなりの酒を飲んだのか、顔は赤く体中から酒の匂いを放ちながら帰宅した舜海を、山吹は迷惑そうな顔もせずに迎え入れた。

「夜顔は?」 
玄関先に座り込んで草履を解きながら、山吹に尋ねると、山吹は珍しくほわりとした笑顔を見せた。
「もう、寝ましたよ。可愛らしい子ね」
「そうなんか? お前がそんなこと言うの、珍しやん」
「だって、見た目によらず幼くて素直で、可愛かったわ」
「言葉を覚えたのが遅かったから、成長が遅いんかもしれんな。千珠は?」
「お堂で待ってるって」
「そうか。さて……どうするかな」
「お水、持って行くわ」
「おお、すまんな」
「酒臭いって、文句言われるわよ」
「……」

 舜海は裸足で、板張りのひんやりとした廊下を歩きながら、袖を抜いて腕を組んだ。
 法堂へ続く回廊から、霞かかった下弦の月を見上げる。法堂の扉は開いていて、中からぼんやりとした蝋燭の灯が見えた。 
 中を覗くと、本尊の前に千珠が座っている。

「酒臭いぞ」
 近寄る前からそんなことを言われ、舜海は吹き出した。山吹の言ったとおりだ。
「すまんすまん。今、山吹が水もってきてくれるから」
「まったく……。仲良くやってるじゃないか」
「まぁな。ええ女や」
「そうだな。今夜も夜顔が世話になった」
「……あいつ、どうや?」
 千珠は本尊を見上げてため息をついた。なにか悩んでいる時の千珠の顔だ。

「……過去を知りたいと言ってきた。俺なら知ってるだろうってさ。藤之助は教えてくれないんだそうだ」
「藤之助のやつ、どえらい仕事を押し付けてきたもんやな」
「いずれ言うつもりはあるんだろうが……俺からどこまで話したものか」
「そうやなぁ……」
「千珠さまからお伝えしたほうがいいのではないですか?」
「うわ!!」
 いつの間にか側に座っていた山吹に驚き、千珠は飛び上がった。盆に水の入った器と茶の湯の準備をして、山吹はすぐそばに正座しているのだ。

「いつ来た」
「先程から」
「……忍はやめても気配を消す癖は治んないのか?」 
と、千珠は山吹から湯のみを受け取りながらそう言った。
「お気づきにならないなんて、よほどお困りのようですね」
「……」
 千珠が口をとがらせて黙りこむと、舜海は大笑いをし始めた。
「あはははは、一本取られたな、千珠」
「五月蝿い」
 山吹から水を貰うと、舜海はそれを一気に飲み干した。ふうと息をついて、山吹を見る。

「ほんで、お前はどうしてそう思ったんや」
「……苦しい過去を乗り越えることのできたあなたの言葉なら、夜顔様に伝わるような気がします」
「……過去か」
「あなたがどう生き、どうその罪と向き合ってこられたか……その想いがあるからこそ、あなたは彼を助けたのでしょう?」
「……そうだな」
「だからこそ、千珠さまからお伝えするのが良いかと……。失礼、でしゃばった真似を」
 たくさん喋りすぎたことを悔いるように、山吹はそっと自分の口を押さえた。千珠は首を振る。
「いや、お前の言うとおりだ。……山吹にそんなことを言われるなんて、びっくりした」
「……あなたについてまわることが多かったですから」
「しかし、よく喋るようになったじゃないか」
「大きなお世話です」
 感心したようにそんなことを言う千珠に、山吹は無愛想な言葉を残して法堂を出ていった。ぎぎ……と重い扉が締められる。

「俺も、山吹の言うとおりやと思うな」
 舜海も茶を一口すすると、そう言った。千珠は掌を暖めている湯のみを見下ろしながら、頷く。
「そうだな……」
「国へ戻れば藤之助がちゃんとまた話をするやろ。お前はお前の言葉で伝えてやれ」
「うん……」
「なんや、自信ないんか」
「いや……夜顔、よく笑って可愛いんだ」
「ほう」
「あの笑顔を……消してしまわないかと思うと、ちょっとな」
 千珠はまた、本尊を見あげた。くすんだ金色の千手観音像が、静かな眼差しで千珠を見下ろしている。

「お前かて、一時期はどうなることかと思ってたけど、よう笑うようになったやん」
「俺か?」
「ああ、そうや。泣いてばっかりだったお前が、この国を支えて、都を守って、皆に愛されて……俺はそんなお前をずっと近くで見てきたつもりや」
「……」
 千珠の琥珀色の目が、じっと舜海を見つめた。舜海は笑顔を見せて続ける。
「今や妻子ある立派な男になって、家族ができて、幸せやろ?」
「……うん」
「今のお前なら、大丈夫や。千珠」
 舜海の手が、千珠の頭にぽんと載せられた。千珠はどき、と跳ね上がる鼓動を誤魔化すように不機嫌な顔をすると、その手を邪険にする。

「頭撫でるなよ! もう子どもじゃないんだぞ」
「はいはい、すまんな」
舜海は両手を顔の前で開いて、降参の姿勢を見せて笑った。
「でも、ありがとう……舜海」
「おや、素直やな、明日は雪か」
「五月蝿い」
 静かに微笑む千珠を、舜海は愛おしげに見つめていた。

 もう何年も千珠には触れていない。二人の関係は、友人に近い形で落ち着いているように思えた。互いに守るべきものが増え、互いを良き相談相手として認め合ってきた。

「槐が祝言をあげるらしいで」
「えっ! そうなのか?」
「まだ聞いてなかったん?」
「……話ってそれだったのか。ばたばたして聞いてやれなかったな。夜顔をこっちに連れてきたりしていたから……悪いことをした」
「あいつ、千瑛殿と千珠のあとを必死で追っかけてきたみたいやで。子どもの頃は学問嫌いで落ちこぼれ気味だったが、今はすっかり神祇省の期待の星なんやて、佐為が言うてた」
「そっか……明日はちゃんと話したいな」
「夜顔のこと、気にしていたな。無意識の内に恐れた、と殿に話していた」
「……槐はあの時、夜顔の姿ははっきり見ていない。しかし、あれだけ大きな殺意をもろに浴びて狙われたんだ、身体は覚えているんだろうな」
「せやな……。あの二人は合わせへんようにしたほうがええな」
「ああ」
「明日は結界術の締め直しや。その間、夜顔はここにいさせよう」
「すまんな」
「ええって。今夜も、お前は城へ戻れ」
「でも……」
「あんまり夜顔にばかり気を向けていると、槐がやきもちやくからな」 
そう言って、舜海は笑った。
「やきもち?」
「あいつは大人になったけど、心はちっちゃい槐のままや。もっと兄上と遊びたい、もっと兄上に認められたい、もっと一緒にいたいって、それだけを望んでる」
「そうか……」
「今日の宴での顔見てりゃわかるわ。ずっとお前を探してたし、昼間夜顔に刀を抜いたことを恥じていた」
「……気にしなくていいのに」
「ま、そのへんもようよう話してやれ」
「そうするよ」
 千珠は立ち上がって、伸びをした。結っていない銀髪を揺らして、法堂を出ていく。

「術式は早朝だ。寝坊するなよ」
 戸口に立って、千珠が舜海にそう声をかけた。舜海はひらひらと手を振って、「分かっとる分かっとる」と言う。

「お前も、考えすぎんとすぐ寝ろよ。……おやすみ」
 舜海がそう言うと、千珠は横顔で少し笑って、すいも姿を消した。

「さてさて、どうなることやら……」
 舜海の呟きが、がらんとした暗い法堂に響く。本尊の前にきっちりと正座をすると、舜海は懐から長い数珠を取り出し、目を閉じて合掌した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

男子学園でエロい運動会!

ミクリ21 (新)
BL
エロい運動会の話。

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

壁穴奴隷No.19 麻袋の男

猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。 麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は? シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。 前編・後編+後日談の全3話 SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。 ※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。 ※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

短編エロ

黒弧 追兎
BL
ハードでもうらめぇ、ってなってる受けが大好きです。基本愛ゆえの鬼畜です。痛いのはしません。 前立腺責め、乳首責め、玩具責め、放置、耐久、触手、スライム、研究 治験、溺愛、機械姦、などなど気分に合わせて色々書いてます。リバは無いです。 挿入ありは.が付きます よろしければどうぞ。 リクエスト募集中!

受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店

ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

淫獄桃太郎

煮卵
BL
鬼を退治しにきた桃太郎が鬼に捕らえられて性奴隷にされてしまう話。 何も考えないエロい話です。

処理中です...