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第二章 青葉にて
一、槐の来訪
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青葉の国。早朝。
焦茶色のさらりとした髪の毛を結い上げた痩躯の青年が、城の周りを見廻っていた。
彼は何ごとも異常が無いことを確認すると、馬の手綱を引いて城の方へと轡を向ける。
ぱらぱらと眉にかかる前髪を揺らして、並足の馬に揺られるその青年は、この国の早朝の景色の美しさに目を細めた。
その瞳は髪の毛と同じ焦茶色で、勝気で利発そうな目元をしている。つんととがった鼻ときりりとした眉の乗ったその顔に笑みを浮かべて、その青年は三津國城へと戻ってきた。
「槐、お帰りなさいませ」
厩のそばで槐は馬から降りると、声をかけてきた女に手綱を渡す。
「やはり美しい国だな、ここは」
そう言って、槐は笑った。
源槐。
源千瑛の長男であり、千珠の弟に当たる人物である。
槐は三年前に神祇省に入省し、時を同じくして神祇省長官を引退した父・千瑛と同じく神祇官として朝廷に仕えている身だ。
「佐為さまは?」
槐は厩に馬をつないでいる女に尋ねた。その女も神祇官であり、槐の妹弟子のような存在だ。名を石蕗縁という。
「まだお休みのようですが」
「そう、そろそろ起こさないとな」
二人は連れ立って歩きながら、そんなことを話し合う。
離れの客間に入ると、佐為が大あくびをしながら、黒装束に着替えているところであった。
「ああ、おはよう」
「お早うございます、佐為さま。お疲れは取れましたか?」
「うん、大丈夫だよ。昨日は少し到着が遅くなってしまったからねぇ。君たち、どこ行ってたの?」
「早朝の見廻に出ておりました」
と、槐は生真面目にそう言った。
「あ、そう。君も頑張るな」
佐為はまた大あくびをして、ぎゅっと帯を締める。
「今日は青葉の結界を張り直す大切な日です。不届きなものがおらぬかと、心配になりましたので」
「そうだね。まぁ、大丈夫でしょ。今更ここを攻め落とそうなんて奴は、この世にはいないよ」
「そうですね」
この三人は、数年前に佐為が青葉に張った防御結界術を締め直すべくやって来ているのだった。
本来は陰陽師衆の誰かが供として同行する予定であったが、久しぶりに兄である千珠に会いたいという槐が、佐為に頼み込んでついて来たのである。
槐は、千珠と会うのは数年ぶりであった。昨晩は到着が遅くなり、すぐに離れに案内されたため、城主である大江光政にすらまだ挨拶をしていない状況である。
これから挨拶に向かうと佐為に言われ、槐は居住まいをただした。すらりとした佐為の背中を追いながら、槐は三津國城の中を進んだ。
以前ここへ来た時も、こうして佐為の背中を追っていたような気がする。
槐は二十になった。
秋には都で祝言を控えており、その挨拶も兼ねてここへ来た。
佐為は齢二十九であったが、妻は娶っていない。相変わらず飄々としている上、外見もあまり老けることもない。若々しい張りを持つ透き通るような白い肌をしているのは、佐為が妖の血をその身に持っているからなのかどうかは定かではない。
佐為は、陰陽師棟梁である芦原風春の右腕として、陰陽師衆の中でもかなりの権力を持つようになっていた。
しかし、佐為は権力などにはまるで興味を示してはいない。汚れ仕事や厳しい仕事は全て自分が行い、御旗としての風春を立てながら、陰陽師衆という組織を守っている。
槐は幼い頃から陰陽寮の置かれている土御門邸に出入りしており、佐為や風春とも親しかった。槐が入省してからも、その縁は続いている。
神祇省長官を務め上げた父・千瑛を目指して精進を続けている槐であったが、父の名があまりにも有名なため、入省当初は、槐の努力一つではなかなか彼の評判は上がらなかった。
しかし、槐は腐ることなく、生真面目に地道にその道を進んだ。幼い頃、光政に言われた言葉を胸に、自分の歩幅を守って精進してきた。
その甲斐あって、槐は少しずつ周りにも認められる力と評判を身に着けつつあった。秋の祝言で身を固め、男として身を立てていかねばならないのである。
「すまないな、遠路はるばるご足労いただいて」
上座に座った光政は、にこやかに佐為たちを歓迎した。
「いいえ、楽しみにしてたんですよ。またここへ来れるのを」
と、佐為もにっこりと笑ってそう言った。
「槐も、ご報告があるしね」
「ほう、何だ?」
佐為に話を振られて、槐は再び頭を深く下げた。顔を上げると、はきはきと光政に告げる。
「私、源槐。この秋に祝言を上げる運びと相成りました」
「おお、そうか。それはめでたいな」
光政はすっかり青年へと成長した槐を見て、笑顔でそう言った。
「以前会ったときは……まだ十四,五だったな。すっかり大人の男の顔になったものだ。俺も嬉しいぞ」
「ありがとうございます」
「礼儀作法も素晴らしい。さすが、神祇省のお役人となると違うな。……まったく、うちの家臣どもにも見習わせたい」
光政は肘置きに肘をついて、苦笑しながらそう言った。
「まぁいいじゃないですか。僕そちらのほうが寛げますし」
と、佐為は笑みを浮かべてそう言った。
「早く会いたいだろう? 槐も、久方ぶりに兄と会うのだ、ゆっくり過ごされよ」
「はい、でも……私は早めに戻るようにと、上官にも言われておりますので……」
「そうなのか? まぁそれもそうか、都の護り人となったのだものな」
「槐は真面目だからねぇ。ま、僕はしばらく居させてもらおうかと思っているよ」
佐為は槐の肩をぽんと叩いた。自由な佐為を見て、槐はため息をつく。
「まったく、後で風春殿に叱られても知りませんよ。私は庇いませんからね」
「あはは、風春さまは怖くないよ。まぁ……業平様のお耳には入らないように細工をしておかなくちゃ」
二人のやり取りを見て、光政は笑った。
外は夏空が晴れ渡り、早朝の爽やかな風が吹いている。
暦は文月。蝉の声が賑やかに響き渡っていた。
焦茶色のさらりとした髪の毛を結い上げた痩躯の青年が、城の周りを見廻っていた。
彼は何ごとも異常が無いことを確認すると、馬の手綱を引いて城の方へと轡を向ける。
ぱらぱらと眉にかかる前髪を揺らして、並足の馬に揺られるその青年は、この国の早朝の景色の美しさに目を細めた。
その瞳は髪の毛と同じ焦茶色で、勝気で利発そうな目元をしている。つんととがった鼻ときりりとした眉の乗ったその顔に笑みを浮かべて、その青年は三津國城へと戻ってきた。
「槐、お帰りなさいませ」
厩のそばで槐は馬から降りると、声をかけてきた女に手綱を渡す。
「やはり美しい国だな、ここは」
そう言って、槐は笑った。
源槐。
源千瑛の長男であり、千珠の弟に当たる人物である。
槐は三年前に神祇省に入省し、時を同じくして神祇省長官を引退した父・千瑛と同じく神祇官として朝廷に仕えている身だ。
「佐為さまは?」
槐は厩に馬をつないでいる女に尋ねた。その女も神祇官であり、槐の妹弟子のような存在だ。名を石蕗縁という。
「まだお休みのようですが」
「そう、そろそろ起こさないとな」
二人は連れ立って歩きながら、そんなことを話し合う。
離れの客間に入ると、佐為が大あくびをしながら、黒装束に着替えているところであった。
「ああ、おはよう」
「お早うございます、佐為さま。お疲れは取れましたか?」
「うん、大丈夫だよ。昨日は少し到着が遅くなってしまったからねぇ。君たち、どこ行ってたの?」
「早朝の見廻に出ておりました」
と、槐は生真面目にそう言った。
「あ、そう。君も頑張るな」
佐為はまた大あくびをして、ぎゅっと帯を締める。
「今日は青葉の結界を張り直す大切な日です。不届きなものがおらぬかと、心配になりましたので」
「そうだね。まぁ、大丈夫でしょ。今更ここを攻め落とそうなんて奴は、この世にはいないよ」
「そうですね」
この三人は、数年前に佐為が青葉に張った防御結界術を締め直すべくやって来ているのだった。
本来は陰陽師衆の誰かが供として同行する予定であったが、久しぶりに兄である千珠に会いたいという槐が、佐為に頼み込んでついて来たのである。
槐は、千珠と会うのは数年ぶりであった。昨晩は到着が遅くなり、すぐに離れに案内されたため、城主である大江光政にすらまだ挨拶をしていない状況である。
これから挨拶に向かうと佐為に言われ、槐は居住まいをただした。すらりとした佐為の背中を追いながら、槐は三津國城の中を進んだ。
以前ここへ来た時も、こうして佐為の背中を追っていたような気がする。
槐は二十になった。
秋には都で祝言を控えており、その挨拶も兼ねてここへ来た。
佐為は齢二十九であったが、妻は娶っていない。相変わらず飄々としている上、外見もあまり老けることもない。若々しい張りを持つ透き通るような白い肌をしているのは、佐為が妖の血をその身に持っているからなのかどうかは定かではない。
佐為は、陰陽師棟梁である芦原風春の右腕として、陰陽師衆の中でもかなりの権力を持つようになっていた。
しかし、佐為は権力などにはまるで興味を示してはいない。汚れ仕事や厳しい仕事は全て自分が行い、御旗としての風春を立てながら、陰陽師衆という組織を守っている。
槐は幼い頃から陰陽寮の置かれている土御門邸に出入りしており、佐為や風春とも親しかった。槐が入省してからも、その縁は続いている。
神祇省長官を務め上げた父・千瑛を目指して精進を続けている槐であったが、父の名があまりにも有名なため、入省当初は、槐の努力一つではなかなか彼の評判は上がらなかった。
しかし、槐は腐ることなく、生真面目に地道にその道を進んだ。幼い頃、光政に言われた言葉を胸に、自分の歩幅を守って精進してきた。
その甲斐あって、槐は少しずつ周りにも認められる力と評判を身に着けつつあった。秋の祝言で身を固め、男として身を立てていかねばならないのである。
「すまないな、遠路はるばるご足労いただいて」
上座に座った光政は、にこやかに佐為たちを歓迎した。
「いいえ、楽しみにしてたんですよ。またここへ来れるのを」
と、佐為もにっこりと笑ってそう言った。
「槐も、ご報告があるしね」
「ほう、何だ?」
佐為に話を振られて、槐は再び頭を深く下げた。顔を上げると、はきはきと光政に告げる。
「私、源槐。この秋に祝言を上げる運びと相成りました」
「おお、そうか。それはめでたいな」
光政はすっかり青年へと成長した槐を見て、笑顔でそう言った。
「以前会ったときは……まだ十四,五だったな。すっかり大人の男の顔になったものだ。俺も嬉しいぞ」
「ありがとうございます」
「礼儀作法も素晴らしい。さすが、神祇省のお役人となると違うな。……まったく、うちの家臣どもにも見習わせたい」
光政は肘置きに肘をついて、苦笑しながらそう言った。
「まぁいいじゃないですか。僕そちらのほうが寛げますし」
と、佐為は笑みを浮かべてそう言った。
「早く会いたいだろう? 槐も、久方ぶりに兄と会うのだ、ゆっくり過ごされよ」
「はい、でも……私は早めに戻るようにと、上官にも言われておりますので……」
「そうなのか? まぁそれもそうか、都の護り人となったのだものな」
「槐は真面目だからねぇ。ま、僕はしばらく居させてもらおうかと思っているよ」
佐為は槐の肩をぽんと叩いた。自由な佐為を見て、槐はため息をつく。
「まったく、後で風春殿に叱られても知りませんよ。私は庇いませんからね」
「あはは、風春さまは怖くないよ。まぁ……業平様のお耳には入らないように細工をしておかなくちゃ」
二人のやり取りを見て、光政は笑った。
外は夏空が晴れ渡り、早朝の爽やかな風が吹いている。
暦は文月。蝉の声が賑やかに響き渡っていた。
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