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第三章 それぞれの抱くもの
六、昼下がり
しおりを挟む青葉の国の城主、大江光政は勉学に勤しんでいた。
人と妖との関係について歴史を紐解きながら、自分には見えない裏の世界で、いったい今何が起こっているのかということについて、宇月から知識を得ているのである。
いつになく元気の無い宇月に、光政はその理由を問うていた。
宇月は少しばかりためらっていたが、光政に先ほどの須磨浮丸のことやを話して聴かせる。昨晩千珠が堕ちたという一件もあり、光政は難しい顔で肘置きに頬杖をつくと、ふむと唸って目を閉じた。
「……今夜は満月だ」
「はい」
「いつも以上に守りを固めねばならないな。兵を出そう。祓い人とやらの仕業であるなら、相手は人間なのだろう?」
「ええ、そうですね」
「城はもちろんだが、国の各屯所に命を出し、いつも以上に盤石な備えをするようにさせよう。それで何かが止まるかは分からぬが」
「いいえ、威嚇にはなると思います。よろしくお願い致します」
「うむ」
ふと、宇月は不安げな顔をした。光政はじっと宇月を見つめて、こう訊いた。
「お前と千珠、今後どうしていきたいのかな」
「えっ……?」
「互いの気持ちが決まっているのなら、すぐにでも祝言をあげてはどうだ?」
「しゅ、祝言でございますか」
真っ赤に顔を染める宇月を見て、光政は微笑む。
「千珠はお前から見たらまだまだ子どもかも知れないが、宇月と夫婦になれば、もっと落ち着いてくれるかもしれんぞ」
「そ、そんな。私など、滅相もない。千珠さまには、もっともっとふさわしいお方が今後現れるかもしれないですし……」
「何を言う。俺には、お前といるときの千珠の顔が一番美しく見えるがな。あいつがお前を愛しているということは、もはや疑いようがない」
「……はぁ」
「気乗りしない理由でもあるのか?」
「……いいえ。なんだかまだ、信じられなくて。あれだけお美しくお強い方が、私なぞを本当に……」
「自分を卑下するな。お前は素晴らしい女だ、千珠もよく分かっているさ」
「はぁ……」
「しかし、お前をこんな風にまだまだ不安にさせるということは、あいつも男としてなってないな」
光政はそう言って、からりと笑う。宇月も苦笑して、丸い肩をすくめた。
「光政様、まずは柊さまの祝言が先ですよ」
「おお、そうだったな。なかなか良い女ではないか」
「はい。なんだかんだと言いながらも、柊さまはお幸せそうです」
「この一件が終わったら、すぐにでも宴を開こう。あいつの照れくさそうな顔が、早く見たいものだ」
「はい」
光政が自分を励ますために、こんな時にも関わらず華やかな話題を持ちだしたことが、宇月には何となく分かっていた。
心優しい君主に、宇月は心底感謝していた。国に迷い込み、千珠を攻撃した自分をこうして召抱えた上に、国の宝である千珠と夫婦になってはどうかとまで言ってくれる。
宇月は微笑みながら、光政との勉学に戻った。
❀
緒川淳之介と須磨浮丸は、隣の部屋で眠っている佐為の護衛をしながら、静かに書物を繰っていた。開け放たれた唐紙のすぐ側に腰掛け、縁側を眺めていた浮丸は、ふと目だけ動かして淳之介の様子を窺う。
淳之介はきちんと正座をし、文机の上に書物を広げて読み耽っている。集中しているのかあまり身じろぎせず、目と項をめくる指だけが動いている。
静かな午後の昼下がり。
立浪は忍頭の柊とともに、能登で共に戦って負傷したというくノ一の見舞いに出ており不在である。
今が好機……と浮丸はぱたんと静かに書物を閉じて、ゆっくりと立ち上がった。
「……浮丸?」
淳之介の声が背中からかかる。首だけで振り返ると、淳之介は不思議そうな顔をして浮丸を見つめていた。
「どないしたん?」
「……本に飽いた。ちょっと国を見て回ってくる」
「え? でも勝手にそんな事したらあかんのやないの?」
柔らかい京訛りの淳之介に、浮丸はいささか腹立たしさを覚えながら、ぷいと背中を向ける。淳之介も立ち上がったのだろう、衣擦れの音がした。
「なんなら浮丸も寝てたらええよ。昨日寝てへんねやろ?」
自分よりも頭一つ分ほど背の高い淳之介が、すぐ横に立つ。浮丸はそちらを見ようともせず、黙って草履を履き始めた。
「ねぇ、浮丸……あかんて」
「五月蝿い。俺に指図すんなや。歳は同じでも、陰陽師として働いた年数はずうっと俺のほうが多いねんぞ」
「あ……うん……」
「お前は佐為さまの護衛しとけ。ここにおれば、なんも起こらへんやろうけどな」
冷ややかな言葉と、冷ややかな目つきに、淳之介がたじろぐのが分かった。こうやって、すぐにふらりとよろけてしまう淳之介にはいつも苛立たされて、つい更に酷いことを言ってしまう。
すたすたと離れの客間を離れていってしまう浮丸の小さな背中を見つめながら、淳之介は佐為が起きたら何と説明したらいいのかと考えあぐねていた。また自分が怒られる……。それに、なぜか青葉に来てからの浮丸はいつも以上に苛立っているようにも見える。
「どないしたんやろ……」
淳之介の呟きに、隣の部屋で寝転んでいる佐為は目を開いた。本当は、ずっと前から起きていたのである。
佐為は淳之介の影がまた部屋の奥へと戻る様子を見守りつつ、すっと懐から白い紙を取り出した。それは蝶の形をしており、中心には赤い五芒星が描かれている。
佐為はそれに唇を寄せると、ふうっと息を吹きこんで指先に乗せる。寝転んだまま腕を伸ばし、指先をぴんと伸ばすと、蝶は佐為の白い指先の上に羽ばたきながらちょんと止まった。
「……行っておいで」
佐為が囁くと、蝶はひらひらと浮丸の後を追うように飛んでいった。薄く開いた唐紙の隙間から外へ出ると、ひらひら、ひらひらと舞いながら消えていく。
「さてさて、何が掛かるかな……」
佐為はほくそ笑んで、また目を閉じた。
隣で淳之介がくしゃみをする音が、小さく聞こえた。
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