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第三章 それぞれの抱くもの
二、結界術・不知火
しおりを挟むあまり機嫌のよくない舜海と一足先に城へ戻っていた佐為は、天守閣の上に登って青葉の国を見渡していた。
ここから、結界術を発動するのだ。
眼下に広がる瀬戸内の海と、豊かな山々に挟まれた美しい国。佐為はそこここに咲く桜の花や、明るく営まれている人々の生活を見下ろして、微笑んだ。
自分の生まれた場所とは、大違いだと思った。
春先の強い風が、佐為の短い髪を乱していく。
「やるのか?」
背後に、千珠の気配がした。屋根伝いに跳んで、ここまで上がってきたらしい。振り返ると、佐為は微笑む。
「ああ」
「ありがとうな、昨日は」
「ううん、いいんだ」
佐為は銀髪をなびかせる千珠を眩しげに見つめる。今日は忍装束ではなく、白い衣に淡い灰色の袴を身に付けている、華やかな千珠の姿を。
「美しい国だね。つい見とれてしまった」
「ああ。そうだな。都もいいけど、田舎もいいもんだろ」
「うん、とても落ち着くよ。やはり、都は色々と騒がしいからね。人間も、妖も」
二人は並んで、景色を眺める。
「……僕の生まれた国とは、大違いだと思っていたところだよ」
「お前の国……。藤之助に拾われたって言ってたよな」
「うん。山城の北端の方の村でね、貧しいところだった。物もなく、人の心も貧しい、寒い場所だった」
「……そうか」
佐為は目を細めて、かつての自分を思い起こすように話した。
「僕の父は半妖で、そんな村から離れて暮らしていたんだ。僕は両親とひっそり暮らしていた。あの頃は幸せだった」
千珠は何も言わずに、佐為の涼しげな横顔を見た。佐為はゆっくりと瞬きをする。
「貧しい国っていうのは、すぐに争いごとが起こるんだ。父は半妖とはいえ、君みたいなすごい力は持っていなくてね。人ではないという理由だけで、殺されてしまった。母も、一緒にね。大したものはなかったけど、家財道具や食料や畑……全てを奪われた。僕は、一人で隠れているように言われていたんだけど、結局見つかってしまった」
「……惨いな」
「そうだね……でも、もっと酷いことは起こる。僕は昔はもっと可愛らしくてね、運悪く、そこの地主に気に入られてしまったんだよ。そこから数カ月は、まさに悪夢だ」
「え……」
佐為はこともなさげに、少し笑みすら浮かべて続けた。
「僕の身体を玩具にしてね、色んな事をされた。小さかったから、今はあまり覚えていないのが幸いだ。でもその時に、この力が目覚めたんだよ」
佐為はぎゅっと拳を握りしめ、手元を見下ろす。
業平以上の霊力を持ち、その力の操作にも長けた佐為。目に見えぬ力を思いのままに操る、佐為の自信に満ちた表情を思い出しながら、とつとつと語られる過去に、千珠は耳を傾けていた。
「気づいたら、地主を殺していた。何が起こったのかまるで分からなくて、僕はただただ、呆然と死体の転がる暗がりの中に座り込んでいたんだ。そんな時、藤之助様と出逢った」
佐為は、懐かしそうに笑う。
「傷だらけの僕を見て、大丈夫かと尋ねてくれた。そしてすぐ分かったんだろうな、僕の霊力と今の状況を。藤之助さまは僕を馬に乗せて、陰陽師衆の元に匿ってくれたんだ」
「……そうだったのか」
「僕の本当の名、佐為という名ではないんだよ。当時その国で名乗っていた名前は、仮のものだったからね。……これは藤之助様がつけてくださった名前だ。本当の名は、両親しか知らない。大切なものだ」
「本当の名」
「うん。君には、教えてあげようかな。もし、何か君に良くないことが起こった時、この名を呼べば、僕はすぐに駆けつける。君は、僕にとっては同胞だ。……兄弟のように感じているから」
「佐為……」
佐為は千珠を見て、微笑んだ。千珠に負けるとも劣らない真っ白な美しい肌、淡い栗色の髪と瞳が、太陽に透けるようだった。
佐為は千珠の耳元で、こっそりと自分の名を囁いた。
「……美しい、名だな」
「ありがとう。君が持っていてくれ。今僕の本当の名を知っているのは、この世に君ひとりだけだ」
佐為はぐっと伸びをした。そして、清々しくため息をつく。
顎を仰向け、青空を見上げると、佐為は両手を合わせて印を結んだ。
「ああ、なんか身軽になった。さてと。じゃあ、すっきりしたところで術をかけましょうかね」
佐為は不敵に笑みを浮かべると、ぐるりと下を見回して詠唱した。
「天海、地山、風雪、水月、雷鳴」
佐為の声と共に、五箇所に貼られた護符から光が生まれ、まっすぐに天へと駆け登っていく。
それは上空で巨大な五芒星を描くと、かっと眩く光り輝いた。佐為の身体から風が巻き起こり、そばにいた千珠の身体をふらつかせる。
「陰陽五行、結界術・不知火! 急急如律令!」
佐為の身体から、光と風が迸る。上空に浮かんだ五芒星が光を増して巨大化し、天蓋のように地上へ光の帯を下ろした。
「結印!」
光の帯が硬度を持ったかのように壁となり、青葉の国を取り囲んで結晶化する。まるで美しい水晶に取り囲まれたかのように、国がすっぽりと覆われた。
佐為が印を解くと、俄に光の壁は見えなくなった。
上空に浮かんでいた五芒星も消え、何ごともなかったような青空が再び二人の頭上に広がってゆく。
千珠はその術の巨大さに目を見張るばかりであった。国全体を覆う結界術。陀羅尼の時は数人がかりであの大きさの術だったが、佐為はたった一人でこの国を覆う大きさの結界を創り上げたのだ。
「……すごいな」
千珠は心底そう言った。佐為はくるりと千珠を振り返ると、誇らしげに笑う。
「だろ? ……でも」
佐為はがっくりと膝をついた。千珠が慌てて身体を支えると、佐為は顔を青白くして肩で息をしていた。
「かなり、力を使うんだけどね……」
「大丈夫だ、連れて降りてやるから」
千珠は佐為をおぶると、ひょいひょいと身軽に屋根から屋根を伝って地上まで降りた。
「ほんとに身軽だな」
佐為は千珠の背中でそんなことをつぶやく。千珠は佐為を脇から支えて、離れの方まで連れ行く。
「ありがとう、あと……ちょっと甘いものがあると嬉しいんだけど」
佐為は青い顔をしながらそう言った。千珠は苦笑すると、「分かったよ」と言った。
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