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第二章 呪詛、そしてふたりの葛藤
七、躊躇い
しおりを挟む舜海は皆が遠ざかっていく気配を感じながら、じっと千珠を見下ろして唇を引き結んだ。
久しぶりに二人きりになった千珠を前に、ためらっていた。
弱り切った千珠の気を高めてやらなければならないのは分かる。しかしひとたび触れてしまえば、千珠を求めてやまない自分の欲望を抑えきれなくなるのではないかという不安もあった。
しかし、目の前に横たわる青白い顔の千珠を見ていると、すぐにでも回復させてやらなければと焦る気持ちもある。
舜海は意を決して千珠の顔の横に手をつき、その白く美しい顔を覗き込んだ。
長いまつげが、時折痙攣するように震え、かすかに開いた唇から熱い息が漏れる。額に触れると、かなりの熱を感じた。
「……苦しいんやな」
舜海はそう呟くと、ゆっくりと顔を寄せて千珠の唇を覆った。
すう、と息を吹き込むと、酸素を欲するように千珠が唇をより強く求めるのを感じた。一旦唇を離して顔を見ると、千珠の呼吸がわずかに増えるのが分かる。
舜海はもう一度、千珠に息を吹き込んだ。
懐かしい感触だった。千珠の唾液が、まるで媚薬のように舜海の脳を痺れさせ始める。
「う……ん……」
千珠の唇が動き、声がした。舜海はぱっと顔を離し、千珠の肩を揺さぶった。
「おい、千珠……。大丈夫か?」
「あ……俺……」
かすかに目を開いた千珠は、ぼんやりと舜海を見上げていた。舜海はその頬に手を触れる。
「おい、しっかりせぇ」
「……夢を……みたよ……」
「へぇ、そうか。どんなんやった?」
「夜顔が……な。楽しそうに、笑ってた……」
千珠はそう言うと、ふっと目を細めて微笑んだ。舜海は、その笑顔に魂ごとからめとられてしまうほど、魅了された。
――千珠はあいも変わらず、とても美しい。
「お前のおかげやな」
「だと……いいけど……」
千珠の声はかさかさに掠れている。舜海は竜胆が置いていった竹製の水筒を手に取り、千珠の身体を起こして水を飲ませようと、その肩に手を差し伸ばした。
しかし、つと千珠の指が舜海の腕に触れる。
「お前が……呑ませてくれ……」
千珠はぼんやりとした目付きで、そんな事を言った。
舜海は操られているかのように、促されるままに自分の口に水を含み、千珠の上に屈みこんだ。
口移しの水が、わずかに千珠の頬の上を滑り落ちる。
舜海はそこから唇を離すことが出来ず、吸い付くように自分を求める千珠を貪った。
何度も、何度も二人は舌を絡め、深くお互いを求め合った。
千珠の白い腕が舜海の首に絡まり、更に身体を寄せてくる。舜海は思わず千珠を強く抱きしめて、無意識に名前を呟いていた。
「千珠……」
「ん……。……あっ……」
千珠の衣の裾を捲って、舜海の手が千珠の肌に直に触れた。忍装束の下履きの上から、千珠の根を掌で擦ると、千珠がか細い声を漏らす。
「……は……ぁ……っ」
千珠の熱っぽい声と、自分の髪を乱すその手つきに、舜海の意識は奪われていく。下履きの帯を解いてしまおうと手をかけた瞬間、千珠がびくっと身体を震わせて舜海を見あげた。
ぴた、と舜海は手を止める。
「あっ……すまん」
舜海はぱっと身体を離して、ぎゅっと目を閉じ頭を振った。
背後でゆっくりと、千珠も起き上がる気配がした。そして、衣を治す衣擦れの音がする。
「……舜海……」
「……気を高めた。それだけのつもりやってんけど……」
「……やめるなよ」
思いもよらぬ千珠の言葉に、舜海は振り返った。
「え……、でも……」
「いやだ……もっと、欲しいんだ……舜」
「何言ってんねん、落ち着け、千珠」
千珠は四つ這いになって舜海ににじり寄ると、切なげな表情で舜海をじっと見つめた。それだけで、舜海の心臓はばくばくとと跳ね上がる。
「……いや、あかん。これ以上触れてしまうと、止められへんくなる」
舜海は千珠から目を逸らした。
「もう遅い。もう……止められないよ」
ふ、と千珠の手が頬に触れた。視線を戻すと、すぐそばに千珠の顔があり、少し悲しげな色を浮かべた琥珀色の瞳が、舜海を見上げている。
「抱けよ、俺を」
「だから、それは……」
言葉ではそう言いつつも、はだけた衣服や乱れた銀髪、そして白い肌が否応なく舜海の目を引いて、無意識に頬に手が伸びてしまう。
「舜……お願いだ……、欲しい、もっと……」
いつものように、高飛車な言葉が帰ってくるかと思いきや、千珠は悲しげな声で懇願してきた。そして、するりと腕を伸ばして舜海に口づけてくる。
勢いに負けた舜海は、そのまま千珠に押し倒される格好になった。
「おい……! やめろって」
「いやだ……いやだよ……」
千珠は、舜海の上に馬乗りになると、更にその唇を貪るように吸い付いた。千珠の巧みな動きに絡め取られぬように、舜海はぎゅっと目を閉じて細い腕を掴むと、ぐっと引き離す。
「……やめろ!!」
「舜……欲しい、お前の唾液も、体液も全部……」
「だめだ! 俺はもう……お前には……!」
「それならばもう……お前を喰ってしまいたい!!」
千珠は、悲痛な声でそう叫んだ。舜海ははっとして、馬乗りになっている千珠を見上げる。千珠の顔は、苦しげで、悲しげだ。
「もう……俺だって、どうしていいか分からないよ……」
千珠は舜海の襟を掴んだまま胸に顔を埋めて、そう訴えた。舜海を押し付けたまま、歯を食い縛って震えている。
「お前が思っている以上に、俺だってお前が必要なんだ! でも……このままじゃいけないことだって分かる! それでも……俺は、俺は……!」
「千珠……」
再び舜海の胸に顔を埋めた千珠の肩に、舜海はそっと手を触れる。そして、静かに言い聞かせた。
「……久しぶりにこうなって、お互いちょっと混乱しているだけや。だってそうやろ、今まで俺ら、うまいことやってこれてたやないか」
「……」
「俺の気で、お前は元気になったやろ?」
「うん……」
「今、前みたいにお前を抱いたら、今までの努力が水の泡や。だから、俺はこれ以上のことはしぃひん」
舜海は、きっぱりとそう言った。千珠は顔を上げて舜海を見る。
「落ち着け、千珠。今、この感情に流されたらあかんと思う。そうやろ?」
「……うん」
「俺だって我慢してるんや。何度、お前に食われたほうがましやと思ったか」
「え?」
「お前になら、食われてもええ。でもそれは、今じゃない」
「……舜海」
千珠は、舜海のまっすぐな目を見下ろして呟いた。ゆっくりと舜海の上から下りると、あぐらをかいて下を向く。
「ごめん……」
「だから、気持ち悪いから謝んな」
「五月蝿い」
「はは、それでいい」
舜海は千珠の頭をぽん、と撫でた。千珠が目を上げる。
「城へ帰ろう。きっと槐も宇月も、心配して待ってる」
千珠の目が揺れた。琥珀色の瞳の中に、すうっと光が戻ってくるようだった。
「何ごともなかったような顔で、槐の前ではかっこつけとけ」
「……ああ」
千珠はぎこちなく唇に笑みを乗せると、立ち上がろうとした。しかし、まだ本調子ではないのか、ぐらりとふらつく。舜海は慌てて立ち上がり、その身体を支える。千珠は額に手を当てて、少し目を閉じていた。
「大丈夫か?」
「少し目眩がしただけだ。いける」
千珠は衣を脱ぐと、脱がされていた鎖帷子を身につけた。白い肌が黒い鎖に覆われるのを、舜海はただただじっと見守っていた。
その上に黒い忍装束を纏い、千珠はぎゅっと帯を締めた。頭巾は巻かずに首に引っ掛け、刀を背負う。
振り返った千珠は、いつもの凛とした千珠だった。さっきまで動揺し、子どものように感情を顕にしていた姿は、なりを潜めている。
「行こう」
「ああ」
先に立って法堂を出ようする千珠に続く。すると千珠は、くるりと振り返って舜海の襟をぐいと引き寄せ、少し背伸びをして舜海に口づけた。
驚いている間もなく、千珠は唇を離した。そして一瞬だけ、舜海の目をひたと見つめる。暗がりの中で、千珠の目がうるりと光るのを、舜海はただ見つめ返すことしか出来なかった。
そして何も言わず、千珠はさっさと外へ出ていく。
舜海はそんな千珠の黒く細い背中を見つめながら、繋がれた愛馬のもとへ向かい、のろのろと歩を進めた。
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