253 / 339
第六章 想い合うということ
四、蒼天の下に眠る
しおりを挟む千珠は翌朝、昨日術式を行った場所へとやって来ていた。見晴らしの良い丘の上に突き立った叢雲の剣の傍らに、千珠は片膝をつく。
雷燕はそこに眠っている。
美しい空と海を、一望できるこの丘の上で。
千珠は、耳飾りのなくなった左耳に触れた。そこには石を留めていた金色の金具だけが、千珠の耳たぶに残っている。千珠の身体と心を蝕むほどのの夜顔の禍々しい力は全て、紅玉が引き受けてくれた。
——……夜顔に返すものが、なくなってしまったな……。
千珠はそう思いながら、別れ際の夜顔の顔を思い出す。
ふと、佐為の気配に気づいた千珠は、くるりと背後を振り返った。
「佐為」
「もう歩きまわっていいのかい?」
佐為は柔らかな表情を浮かべて、千珠に歩み寄った。千珠は頷いて、風に弄ばれる長い髪を押さえる。
「ああ……。こんなもん、平気だ」
「強がっちゃって。雷燕に貫かれた傷が、そんなすぐに治るわけないよ」
「……」
千珠は少しむっとした顔をしたが、何も言い返さない。佐為は笑った。
「僕が気を高めて上げようか?」
「いい。遠慮しとく」
千珠は即座にそう応えた。佐為は目をぱちぱちとさせて、苦笑した。
「そんな即答されると、傷つくな」
「……すまん」
二人は軽く笑い合い、また海を見やる。穏やかに響く波の音が心地良い。嘘のように晴れ渡った空が、眩しかった。
「何、考えているの?」
「……いや、別に。この空、見えてるかなってな」
「そっか」
佐為も黙って、海と空を見つめた。境界の曖昧な青色が、美しかった。
千珠はふと、そんな佐為の横顔を見ながら尋ねた。
「都にはいつ戻る?」
「先立って業平様は戻られるんだけど、風春様がしばらく残るから、僕も一緒に残るよ」
「そうか」
「山吹さんは、しばらく動かせないしね」
「……そうだな」
「君は早く帰りたいだろう? 宇月に会いたいんじゃないの?」
千珠は、ちらっと佐為を見た。佐為の真面目な顔を見て、千珠は少し頬を染めると、もう一度きらきらと輝く水面を見やった。
「……ああ、会いたい」
佐為はにっこりと笑って、千珠の肩を叩いた。
「君はわかりやすくていいや」
「五月蝿いな」
千珠は憮然としてそう言った。
「きっと怒ってるよ、宇月は怒ると怖いから」
「……そうだよな。はぁ、また殴られる」
「はは、宇月には弱いな、君も」
佐為に促され、二人は一緒に屯所の方へと足を向けた。
❀
屯所へ戻ると、鷹を腕に止まらせた柊が濡れ縁に座っていた。
忍の連絡用に使われている鷹だ。名を、鷹丸という。身体を覆う焦茶色の羽毛はつやつやとして、いかにも元気な若鳥である。
その脚に括りつけられた書状を見て、柊は息をついた。
「何か?」
と、佐為。
「いや、光政様も無事だと連絡が来た」
柊は振り返って笑った。千珠も安堵してため息をつく。
「はぁ、良かった」
「全く、ひやひやしましたよ、千珠さま」
柊は鷹丸を肩に止まらせて餌を与えながらそう言った。鋭いくちばしで、鷹丸は勢い良く餌をつついている。
「本当に、助かったよ。柊お前、結構やるんだな」
「そらね、忍頭ですから。……でも、山吹は助けてやれへんかった」
柊はじっと目を閉じて、悔し気な顔を見せる。初めて見る柊のそんな表情に、千珠は目を見張る。
「あいつの女としての人生を、俺がふいにしてしもうたんや。もう、謝っても謝りきれん」
「柊さんだって怪我してたんだ。仕方ないよ」
佐為が慰めるようにそう言って、柊の羽織の下の晒しに目をやる。
柊は太腿と脇腹に深い傷を負っていた。血が多く流れたため、今も顔色は良くない。
「そんなこと言ってないで、今はお前が元気になれ」
千珠は柊の前に立つと、強い口調でそう言った。
「早く山吹を連れて帰ってやろう。そのためにも、俺たちが早く回復しなきゃだめだろう」
「……そうですね」
柊はふっと笑うと手を伸ばして、着流した衣から覗く千珠の腹の傷を撫でた。そこにもしっかりと晒しが巻かれて痛々しい。
「千珠さまかてぼろぼろやん。あなたが一番に元気になってくれへんと、困りますよ」
「分かってるよ」
「一週間は、ここで過ごします。千珠さまも、ちゃんと休んでおいてくださいよ。一人で勝手に遠くへ行かんように。傷の手当はちゃんと受けて、それから……」
「ああもう、五月蝿いな」
千珠はいつものように膨れ面をすると、ぷいと柊の前からいなくなった。佐為がそれを見て、声を立てて笑う。
「いつもこうなの? 柊さん、まるで父親のようだ」
「……やっぱりそう見えるんか……」
柊はがっくりと肩を落として、ため息をついた。
11
お気に入りに追加
233
あなたにおすすめの小説
新しい道を歩み始めた貴方へ
mahiro
BL
今から14年前、関係を秘密にしていた恋人が俺の存在を忘れた。
そのことにショックを受けたが、彼の家族や友人たちが集まりかけている中で、いつまでもその場に居座り続けるわけにはいかず去ることにした。
その後、恋人は訳あってその地を離れることとなり、俺のことを忘れたまま去って行った。
あれから恋人とは一度も会っておらず、月日が経っていた。
あるとき、いつものように仕事場に向かっているといきなり真上に明るい光が降ってきて……?
獅子帝の宦官長
ごいち
BL
皇帝ラシッドは体格も精力も人並外れているせいで、夜伽に呼ばれた側女たちが怯えて奉仕にならない。
苛立った皇帝に、宦官長のイルハリムは後宮の管理を怠った罰として閨の相手を命じられてしまう。
強面巨根で情愛深い攻×一途で大人しそうだけど隠れ淫乱な受
R18:レイプ・モブレ・SM的表現・暴力表現多少あります。
2022/12/23 エクレア文庫様より電子版・紙版の単行本発売されました
電子版 https://www.cmoa.jp/title/1101371573/
紙版 https://comicomi-studio.com/goods/detail?goodsCd=G0100914003000140675
単行本発売記念として、12/23に番外編SS2本を投稿しております
良かったら獅子帝の世界をお楽しみください
ありがとうございました!
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
親友だと思ってた完璧幼馴染に執着されて監禁される平凡男子俺
toki
BL
エリート執着美形×平凡リーマン(幼馴染)
※監禁、無理矢理の要素があります。また、軽度ですが性的描写があります。
pixivでも同タイトルで投稿しています。
https://www.pixiv.net/users/3179376
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/98346398
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる