異聞白鬼譚

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第五章 千珠、死す

二、記憶

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 おいで……。


 差し伸べられた人間の手と、優しい呼び声に目を覚ます。

 ただの燕であったはずなのに、いつまで経っても死は訪れなかった。仲間たちが一羽二羽と翼を畳むのを見届けながら、何故自分にはその時が訪れないのだろうと不思議に思っていた。


 寂しさにも飽いた頃、俺は一人の少年に変化へんげすることを覚えた。ずっとずっと憧れていた、人間の姿に。


 ——おや? お前は妖だね。そんなところで、一人で暮らしていくのかい?


 森の中でひとり暮らす俺の元へ、村の男がやって来た。人の良さそうな、好好爺こうこうやだ。


 ——遊びにおいで、お前の歌を、聞かせておくれ。


 艶やかな黒い翼で、自由に青空を飛び回る。軽やかに歌を歌いながら。
 歌う俺を見上げる、楽しげな人間たちの姿。


 笑っていた、みんなが。
 楽しくて、幸せだった。


 いつまでもこの村で、あたたかな人間たちと一緒にいたかった。
 そのために、害をなす妖を追い払って平和を保った。
 人と妖が争わぬように。親しくこの世に在ることが出来るようにと。


 しかし、平和は恒久のものではない。
 悪意はどこにでも、産まれゆくものだ。



 突然襲う、胸の鋭い痛み。
 血が流れ、肉が裂ける。


 胸を貫く、一本の矢。
 見下ろせば、そこには矢をつがえた祓い人たちの酷薄な笑み。


 笑っている?
 笑っているのに……何故、こんなにも、禍々しい。


 何故、俺を襲う……!!
 




「……はぁっ!!」

 雷燕は目を開いた。

 また、夢を見ていたようだ。
 夢など、ここ数十年見たことはなかったというのに、あの子鬼に斬りつけられてから、いやに昔のことを思い出す。

 美しい想い出も、憎々しい思い出も。
 どちらも思い出したくなどはないものなのに、記憶の底から引き摺り出される。


 雷燕は頭を押さえた。


 頭が痛い。
 何故、涙があふれるのだ。
 何故、こんな気持ちを思い出す。


 ——俺は、この地を統べる妖だ。俺を止めることができるものなど、この世にはおらん。


 あの白い鬼、殺してやる。
 さすれば、この胸の痛みはきっと止む。


 あいつがこの地にいるせいで、俺の心ははこんなにも揺さぶられる。


 雷燕は暗闇の中、目を細める。


 腹の傷はほぼ癒えた。これならば、飛べる。
 ず、ずず……と重い体を引きずる音が、洞穴の中に響く。


 洞穴の縁に立つと、足元には白く砕ける高い波。眼前には曇天の重い灰色の空。
 夢で見たあの美しい空など、どこにもないのだ。もう、この世界には。


 ——殺そう、あの子鬼を。そしてその白く美しい体を屠ってやろう。


 雷燕はにいと笑うと、大きな黒い翼を広げた。
 空を仰いでひとつ大きく羽根を伸ばすと、すうと空へ飛び出していった。

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