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第一章 狂いゆく
二、能登の異変
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光政は、小姓から書状を受け取り、すぐさまさっと目を通した。
その顔が、みるみる険しくなっていく。そばに控えていた柊は、そんな光政の表情の変化を敏感に見て取っていた。
「ええ話ではないようですね」
「……そうだな。全くもって、いい話ではない」
光政は書状をぐしゃりと握り締めると、ため息をつく。
「全く、最近はどうしてこういうことばかり起こるかな」
「何です?」
「また、千珠を所望している国がある」
「またですか。千珠さま、ぶつくさ文句を言わはりますね」
「……それはどうかな」
「え?」
光政は皺になった書状を柊に渡した。柊も素早くそれに目を通す。
それは能登守からの書状であり、救いの手を嘆願する旨の文書であった。
能登の国は太古から大妖怪が多く存在するような、自然や神、妖との繋がりが深い土地柄である。土着の人々はそれらを当たり前のように崇めながら共存し、国は豊かに栄えていたのだという。
しかし十年前、かの大戦の前後から、戦に利用するために妖を狩るものが能登を訪れ、国を荒らし始めたのだった。大名から依頼を受けた祓い人たちが乱暴に妖を狩り、従わぬものを無残に殺し、それまで保たれていた人と妖の秩序が乱れてしまったのだという。
妖は凶暴化し、怒った神は土地を海を痩せ細らせ、人間たちを能登から追い出そうと動き始めたのだ。
その犠牲の中に生まれ落ちたのが、夜顔である。
書状の中には、国をあげて祓い人たちを排したと書かれている。今後も、厳しく取り締まっていくとも書かれていた。
しかしながら、とある一匹の妖が、怒りを鎮めることなく暴れ続けているというのである。
古から伝わる名のある妖、雷燕という名の大妖怪である。
雷燕の守り治めていた土地は瘴気によって荒れ、人々はそこから離れることを余儀なくされた。雷燕の怒りはとどまるところを知らず、じわじわと瘴気の毒を広げ、能登国から人間を排そうとしているのだという。
とても人の力では抑えきれない上、ひとたび瘴気を吸ってしまえば、只人は長く生きられないというのである。
そこで、千珠の噂を聞きつけた能登守が、青葉に頭を下げてきたのだ。
千珠の力を貸して欲しいと。
「何で千珠さまが祓い人たちの尻拭いをせなあかんのかと、俺は思いますね」
柊は書状を床において、腕組みをした。
「そうだな」
光政も頷く。
「それに、こういうことこそ朝廷の仕事でしょうが」
「その通りだ。その辺りについては、より詳細な情報が欲しいと返事を送った。……俺から断ってもいいが、千珠には一応伝えねばならんだろう」
「まぁ……内容が内容やし、黙っているというわけにはいかないですね」
光政は肘をついて、難しい顔をした。
「嫌な感じがするんだ。だから、正直あいつには行かせたくはない」
「……珍しいですね、殿が予感に頼るとは」
「何故だろうな。どうも、胸騒ぎがしてな」
光政は、ふと外を見た。
さっきまで晴れ渡っていた空が、光政の不安を反映するようにどんよりと曇り始めている。
「能登守からの連絡を待って、千珠には話す。それまで、お前は何も言わないでくれ」
「分かりました」
柊は頷くと、すいと姿を消した。
ごろごろと雷鳴が轟く。
嵐の予感に、光政は眉を寄せた。
✿
能登の国。
日本海に面したこの国はいつも曇天で、海は常に人を寄せ付けぬ荒波だ。
そんな海を、切り立った崖の上から見下ろす男が二人。
黒い装束に編笠を被り、強い海風に裾をはためかせながら、何かを探すように視線を巡らせている。
まだ真昼だというのに、薄暗く陰気な空気だった。
男の一人が編笠を少し上げると、そこから抜けるような白い肌が覗く。陰陽師衆が一人、一ノ瀬佐為である。
佐為はいつになく険しい顔で、崖の下の一箇所を見つめていた。そして、隣に立つ男に言う。
「あそこに夜顔の妖気の残滓を感じますね。……雷燕と、ほとんど同じ匂いだ」
「やはり、彼は雷燕の子か……」
もう一人の男も、編笠を少しずらして跪くとじっと目を凝らして、かつて夜顔が封じられていた場所に波がぶつかって砕ける様子を見つめた。
「ということは、千珠に封じたのも雷燕の妖気、という事になりますね」
「そういうことになるか」
もう一人の男、芦原風春は吹き上げる潮風に目を細めた。
二人は能登守からの依頼を受け、この地に検分にやってきていたのである。都の陰陽師衆が力を貸すかどうかを判断する材料を求めて。
「雷燕を封じるには、特別大きな術が必要だな」
「封じる? 殺す、の間違いでしょう?」
と、佐為は風春にそう言った。
「あれを封じるなんて甘いこと言っていたら、僕ら全員死にますよ」
「……そうだな」
「千珠をここへ近づけるのは危険ですね。彼の持つ夜顔の匂いに引かれて、雷燕が何をしでかしてくるやら分かりませんから」
「ああ。今回は、なんとしても私達だけで何とかしなければ」
波はいよいよ高くなるばかり。
強い風に巻き上げられた波飛沫が、二人を退けるように砕け散る。
その顔が、みるみる険しくなっていく。そばに控えていた柊は、そんな光政の表情の変化を敏感に見て取っていた。
「ええ話ではないようですね」
「……そうだな。全くもって、いい話ではない」
光政は書状をぐしゃりと握り締めると、ため息をつく。
「全く、最近はどうしてこういうことばかり起こるかな」
「何です?」
「また、千珠を所望している国がある」
「またですか。千珠さま、ぶつくさ文句を言わはりますね」
「……それはどうかな」
「え?」
光政は皺になった書状を柊に渡した。柊も素早くそれに目を通す。
それは能登守からの書状であり、救いの手を嘆願する旨の文書であった。
能登の国は太古から大妖怪が多く存在するような、自然や神、妖との繋がりが深い土地柄である。土着の人々はそれらを当たり前のように崇めながら共存し、国は豊かに栄えていたのだという。
しかし十年前、かの大戦の前後から、戦に利用するために妖を狩るものが能登を訪れ、国を荒らし始めたのだった。大名から依頼を受けた祓い人たちが乱暴に妖を狩り、従わぬものを無残に殺し、それまで保たれていた人と妖の秩序が乱れてしまったのだという。
妖は凶暴化し、怒った神は土地を海を痩せ細らせ、人間たちを能登から追い出そうと動き始めたのだ。
その犠牲の中に生まれ落ちたのが、夜顔である。
書状の中には、国をあげて祓い人たちを排したと書かれている。今後も、厳しく取り締まっていくとも書かれていた。
しかしながら、とある一匹の妖が、怒りを鎮めることなく暴れ続けているというのである。
古から伝わる名のある妖、雷燕という名の大妖怪である。
雷燕の守り治めていた土地は瘴気によって荒れ、人々はそこから離れることを余儀なくされた。雷燕の怒りはとどまるところを知らず、じわじわと瘴気の毒を広げ、能登国から人間を排そうとしているのだという。
とても人の力では抑えきれない上、ひとたび瘴気を吸ってしまえば、只人は長く生きられないというのである。
そこで、千珠の噂を聞きつけた能登守が、青葉に頭を下げてきたのだ。
千珠の力を貸して欲しいと。
「何で千珠さまが祓い人たちの尻拭いをせなあかんのかと、俺は思いますね」
柊は書状を床において、腕組みをした。
「そうだな」
光政も頷く。
「それに、こういうことこそ朝廷の仕事でしょうが」
「その通りだ。その辺りについては、より詳細な情報が欲しいと返事を送った。……俺から断ってもいいが、千珠には一応伝えねばならんだろう」
「まぁ……内容が内容やし、黙っているというわけにはいかないですね」
光政は肘をついて、難しい顔をした。
「嫌な感じがするんだ。だから、正直あいつには行かせたくはない」
「……珍しいですね、殿が予感に頼るとは」
「何故だろうな。どうも、胸騒ぎがしてな」
光政は、ふと外を見た。
さっきまで晴れ渡っていた空が、光政の不安を反映するようにどんよりと曇り始めている。
「能登守からの連絡を待って、千珠には話す。それまで、お前は何も言わないでくれ」
「分かりました」
柊は頷くと、すいと姿を消した。
ごろごろと雷鳴が轟く。
嵐の予感に、光政は眉を寄せた。
✿
能登の国。
日本海に面したこの国はいつも曇天で、海は常に人を寄せ付けぬ荒波だ。
そんな海を、切り立った崖の上から見下ろす男が二人。
黒い装束に編笠を被り、強い海風に裾をはためかせながら、何かを探すように視線を巡らせている。
まだ真昼だというのに、薄暗く陰気な空気だった。
男の一人が編笠を少し上げると、そこから抜けるような白い肌が覗く。陰陽師衆が一人、一ノ瀬佐為である。
佐為はいつになく険しい顔で、崖の下の一箇所を見つめていた。そして、隣に立つ男に言う。
「あそこに夜顔の妖気の残滓を感じますね。……雷燕と、ほとんど同じ匂いだ」
「やはり、彼は雷燕の子か……」
もう一人の男も、編笠を少しずらして跪くとじっと目を凝らして、かつて夜顔が封じられていた場所に波がぶつかって砕ける様子を見つめた。
「ということは、千珠に封じたのも雷燕の妖気、という事になりますね」
「そういうことになるか」
もう一人の男、芦原風春は吹き上げる潮風に目を細めた。
二人は能登守からの依頼を受け、この地に検分にやってきていたのである。都の陰陽師衆が力を貸すかどうかを判断する材料を求めて。
「雷燕を封じるには、特別大きな術が必要だな」
「封じる? 殺す、の間違いでしょう?」
と、佐為は風春にそう言った。
「あれを封じるなんて甘いこと言っていたら、僕ら全員死にますよ」
「……そうだな」
「千珠をここへ近づけるのは危険ですね。彼の持つ夜顔の匂いに引かれて、雷燕が何をしでかしてくるやら分かりませんから」
「ああ。今回は、なんとしても私達だけで何とかしなければ」
波はいよいよ高くなるばかり。
強い風に巻き上げられた波飛沫が、二人を退けるように砕け散る。
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