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第六章 引き受けるもの
一、名付け親
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業平は悔しげに歯を食いしばりながら、苦い表情を浮かべていた。血に塗れて力なく倒れた、猿之助の大きな掌を見下ろして。
かつての仲間の死。
道を違った、幼馴染の死……。
業平は真っ暗な空を仰いだ。
晴れゆく霧の中、ぼんやりとした糸月が見えた。
「業平さま……」
佐為が業平に歩み寄り、その腕に触れた。業平ははっとして、佐為を見下ろす。
「藤之助さまを探してきます」
「あ、ああ……そうだな。私も行こう」
「いいえ、業平様は千珠たちを。この裏手で戦っています」
「……分かった」
業平はがくっと膝をついた。佐為が慌ててその身体を支える。
「手当を?」
「いや、大丈夫だ……。少し休めばいい」
「無理をなさらないで。では」
佐為は業平を縁側に座らせると、そのまま風の様に消えた。
佐為の後ろ姿を見送りながら、業平は藤之助のことを思った。
藤之助にとって唯一の家族を殺した自分を、彼は今でも、親友と呼んでくれるだろうか……と。
✿
藤之助は影龍と共に、土御門邸の裏手にある神社へと来ていた。
そこに、佐為が採取した千珠の血液があるはず。その血液を使って、千珠を呪詛するのが二人の役目であった。
しかし術は発動せず、影龍は苛立っていた。
発動するわけもない。佐為は、自ら殺した清水保臣の血液をその小瓶に残していたのだから。
細く聞こえてくる夜顔の雄叫び、術の破裂する爆音を聞くにつけ、藤之助は気が気ではなかった。夜顔のことが、心配で仕方がなかった。
「佐為のやつ……!! どこまでも俺を馬鹿にしやがって!!」
影龍は描いた陣の上に小瓶を叩きつけた。ぱしっと鋭い音と共に小瓶の硝子が弾け飛ぶ。
「影龍、もういい。援護に行くぞ」
藤之助は影龍の肩を揺さぶってそう言ったが、影龍はその手を乱暴に払い除け、鋭く藤之助を睨みつけた。
その目には、はっきりとした憎しみの色が見える。
「……兄弟だからといって、こんなぬるい男が猿之助様の右腕とは」
「何だと?」
影龍は藤之助に向き直った。
影龍が息をするたびに、憎しみの炎がじわりじわりと燃え盛るように見えた。
影龍が腰に帯びた刀を抜き、しゃりん……と鞘と刀身が触れ合う音が鋭く響く。藤之助は目を疑った。
「今は仲間割れをしている場合ではないだろう! すぐに援護に向かうんだ!」
更に腹を立てたのか、影龍は刀の柄を強く握りしめた。
「この機を逃せば、疑われずして貴様を消すことはできぬ。貴様を殺して、援護に行くまで」
「お前……!」
「あの調子では、夜顔はお前の武器となってしまう。お前を殺して、完全に猿之助様のものにするのだ」
藤之助はぐっと奥歯を噛み締めた。
「武器、だと? あの子が」
「そうだ。他に何と呼べば良い?」
「……お前らに、あの子の何が分かる! 渡さぬぞ!」
藤之助も刀を抜いた。藤之助の殺気に、影龍は微かに後ずさる。
二人は暗い神社の境内で、向かい合った。黒装束は闇に溶け、はっきりと姿は見えねども、殺気だけが二人の居場所を示している。
じり、じりと間合いをはかりながら切先を突き合わせる中、一際大きな爆音が響いてきた。
「印を結べば、殺す」
影龍はそう言った。印を結んだ瞬間に斬り込むつもりなのだ。
「それはこちらも同じこと」
藤之助も油断なく影龍を見据える。
「そんなにも欲しいか、あの力」
と、影龍。
「力ではない。あの子は、ただの子どもだ。あの憎しみと暗闇から、私が拾い上げて育てる!」
「くだらんな……」
「くだらなくはありません」
ひゅうっと霧が動いて、影龍の背後に佐為が現れた。影龍が振り返る前に、佐為は先程猿之助を貫いた刀を、その首にぴたりと押し付ける。
「佐為! お前……!」
「影龍、猿之助は死んだ」
「な、に……!? そんなはずはない!」
「粛清されたのだ。そして、お前も」
「お前が殺ったのか!?」
影龍は、動揺隠せぬ震える口調でそう尋ねた。
「さぁてね」
佐為の軽い口調に、影龍は激昂したように霊気を荒立たせ、肘で佐為の胸を突き、身を屈めて刃から逃れた。
そして、ひたと佐為に刀を突きつける。
しかし、その手は動かなかった。影龍の背後で、藤之助が印を結んでいたからだ。
「……く、くそ……」
「お前は昔から、すぐ感情に流されるね」
藤之助はどことなく淋しげに、静かな声音でそう言った。
「お前ら……! この裏切り者がぁ!!」
「裏切り者はあなたですよ、影龍。あなたも粛清します」
佐為の黒い瞳が、一瞬きらめく。
刀が空を切る音と共に、影龍の首が地に落ちた。
頭を失った影龍の身体が、後ろにゆっくりと倒れてゆく。
佐為は冷ややかな目線をそれに向けると、懐から懐紙を取り出して、優美な動きで刀身の血を拭った。
「佐為……」
藤之助の、諦めと疲労に掠れた声がする。佐為は何事もなかったかのように、にっこりと笑った。
「藤之助様、お迎えに参りました」
「佐為。……そうか、間者だったのだな」
「ええ、それもありますが。私は純粋にあなたについていっただけです」
「……苦労をかけたな。お前になら、この首刎ねられても後悔はない」
藤之助は首を振って、疲れたようにそう言った。
「あなたを殺せとは言われていません。殺す気もありません」
「しかし……」
「夜顔を育ててくださるのでしょう? 僕を育ててくれたみたいに」
藤之助は霧の中に浮かぶ、佐為の白い顔を見つめた。糸目で、穏やかな笑顔をした青年を。
佐為を保護した日のことを思い出す。
ちょうど、夜顔と同じくらいの歳の頃だったか。痩せこけてぼろぼろになり、腐臭漂う暗い部屋に座り込んでいた子ども。
その部屋の中には、複数の腐りかけた男の遺骸がごろごろと転がり、鉄の鎖や鞭、汚物にまみれた褥などが散乱し、目を覆いたくなるような有り様であった。
大人たちにどんな仕打ちを受けてきたのか、身体の傷を見ればすぐに分かった。しかし、果てのない暴力と凌辱に身を汚されようとも、何人足りとも消すことは出来ぬような清い光をその目に湛えている、健気な幼子。
そんな少年に、佐為という新たな名を与えたのは藤之助だった。
――美しい名ですね……。
名付けた後に佐為は笑った。
「千珠は、夜顔を殺しません。あなた方二人を逃がすつもりです」
「あの、白い鬼がか? 何故……」
「本願寺で、あなたと一瞬目を見合わせたそうですね。それ以来、千珠はあなたのことをずっと気にかけていたんです。夜顔のことも、助ける手立てがないかずっと考えていたのですよ」
「……」
「千珠も半妖。幼い頃に仲間を失い、たった一人で人の世へ来た。彼は夜顔のことは同胞だと思っているのです。そして僕も、夜顔を他人とは思えない」
「お前も?」
「僕には、妖の血が流れています。……ご存知だったのでしょう?」
「佐為……」
「僕は、藤之助様を本当の父親のように思っています。どうか、夜顔も僕のように育ててやってください」
藤之助の目から涙が一筋、流れた。佐為は藤之助に歩み寄ると、ぎゅっとその大きな身体にしがみつく。
頬を藤之助の胸に押し付けて、佐為は少しの間じっとしていた。藤之助の腕が、佐為をふわりと包み込む。
「佐為……!」
「今まで、ありがとうございました。僕はあなたと一緒に過ごせて、とてもとても幸せでした」
「私もだよ……本当に、ありがとう」
佐為の目にも、光るものがあった。それを覆い隠すように、ぎゅっと目を閉じる。
「もう……今日を最後に、お会いすることはないでしょう」
「……ああ、そうだね」
佐為はゆっくりと藤之助から離れると、じっとその顔を見つめた。藤之助の穏やかな瞳を、じっと記憶するかのように。
「さぁ、こちらへ」
佐為は藤之助の前を走りだした。
千珠との、約束の場所へ。
かつての仲間の死。
道を違った、幼馴染の死……。
業平は真っ暗な空を仰いだ。
晴れゆく霧の中、ぼんやりとした糸月が見えた。
「業平さま……」
佐為が業平に歩み寄り、その腕に触れた。業平ははっとして、佐為を見下ろす。
「藤之助さまを探してきます」
「あ、ああ……そうだな。私も行こう」
「いいえ、業平様は千珠たちを。この裏手で戦っています」
「……分かった」
業平はがくっと膝をついた。佐為が慌ててその身体を支える。
「手当を?」
「いや、大丈夫だ……。少し休めばいい」
「無理をなさらないで。では」
佐為は業平を縁側に座らせると、そのまま風の様に消えた。
佐為の後ろ姿を見送りながら、業平は藤之助のことを思った。
藤之助にとって唯一の家族を殺した自分を、彼は今でも、親友と呼んでくれるだろうか……と。
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藤之助は影龍と共に、土御門邸の裏手にある神社へと来ていた。
そこに、佐為が採取した千珠の血液があるはず。その血液を使って、千珠を呪詛するのが二人の役目であった。
しかし術は発動せず、影龍は苛立っていた。
発動するわけもない。佐為は、自ら殺した清水保臣の血液をその小瓶に残していたのだから。
細く聞こえてくる夜顔の雄叫び、術の破裂する爆音を聞くにつけ、藤之助は気が気ではなかった。夜顔のことが、心配で仕方がなかった。
「佐為のやつ……!! どこまでも俺を馬鹿にしやがって!!」
影龍は描いた陣の上に小瓶を叩きつけた。ぱしっと鋭い音と共に小瓶の硝子が弾け飛ぶ。
「影龍、もういい。援護に行くぞ」
藤之助は影龍の肩を揺さぶってそう言ったが、影龍はその手を乱暴に払い除け、鋭く藤之助を睨みつけた。
その目には、はっきりとした憎しみの色が見える。
「……兄弟だからといって、こんなぬるい男が猿之助様の右腕とは」
「何だと?」
影龍は藤之助に向き直った。
影龍が息をするたびに、憎しみの炎がじわりじわりと燃え盛るように見えた。
影龍が腰に帯びた刀を抜き、しゃりん……と鞘と刀身が触れ合う音が鋭く響く。藤之助は目を疑った。
「今は仲間割れをしている場合ではないだろう! すぐに援護に向かうんだ!」
更に腹を立てたのか、影龍は刀の柄を強く握りしめた。
「この機を逃せば、疑われずして貴様を消すことはできぬ。貴様を殺して、援護に行くまで」
「お前……!」
「あの調子では、夜顔はお前の武器となってしまう。お前を殺して、完全に猿之助様のものにするのだ」
藤之助はぐっと奥歯を噛み締めた。
「武器、だと? あの子が」
「そうだ。他に何と呼べば良い?」
「……お前らに、あの子の何が分かる! 渡さぬぞ!」
藤之助も刀を抜いた。藤之助の殺気に、影龍は微かに後ずさる。
二人は暗い神社の境内で、向かい合った。黒装束は闇に溶け、はっきりと姿は見えねども、殺気だけが二人の居場所を示している。
じり、じりと間合いをはかりながら切先を突き合わせる中、一際大きな爆音が響いてきた。
「印を結べば、殺す」
影龍はそう言った。印を結んだ瞬間に斬り込むつもりなのだ。
「それはこちらも同じこと」
藤之助も油断なく影龍を見据える。
「そんなにも欲しいか、あの力」
と、影龍。
「力ではない。あの子は、ただの子どもだ。あの憎しみと暗闇から、私が拾い上げて育てる!」
「くだらんな……」
「くだらなくはありません」
ひゅうっと霧が動いて、影龍の背後に佐為が現れた。影龍が振り返る前に、佐為は先程猿之助を貫いた刀を、その首にぴたりと押し付ける。
「佐為! お前……!」
「影龍、猿之助は死んだ」
「な、に……!? そんなはずはない!」
「粛清されたのだ。そして、お前も」
「お前が殺ったのか!?」
影龍は、動揺隠せぬ震える口調でそう尋ねた。
「さぁてね」
佐為の軽い口調に、影龍は激昂したように霊気を荒立たせ、肘で佐為の胸を突き、身を屈めて刃から逃れた。
そして、ひたと佐為に刀を突きつける。
しかし、その手は動かなかった。影龍の背後で、藤之助が印を結んでいたからだ。
「……く、くそ……」
「お前は昔から、すぐ感情に流されるね」
藤之助はどことなく淋しげに、静かな声音でそう言った。
「お前ら……! この裏切り者がぁ!!」
「裏切り者はあなたですよ、影龍。あなたも粛清します」
佐為の黒い瞳が、一瞬きらめく。
刀が空を切る音と共に、影龍の首が地に落ちた。
頭を失った影龍の身体が、後ろにゆっくりと倒れてゆく。
佐為は冷ややかな目線をそれに向けると、懐から懐紙を取り出して、優美な動きで刀身の血を拭った。
「佐為……」
藤之助の、諦めと疲労に掠れた声がする。佐為は何事もなかったかのように、にっこりと笑った。
「藤之助様、お迎えに参りました」
「佐為。……そうか、間者だったのだな」
「ええ、それもありますが。私は純粋にあなたについていっただけです」
「……苦労をかけたな。お前になら、この首刎ねられても後悔はない」
藤之助は首を振って、疲れたようにそう言った。
「あなたを殺せとは言われていません。殺す気もありません」
「しかし……」
「夜顔を育ててくださるのでしょう? 僕を育ててくれたみたいに」
藤之助は霧の中に浮かぶ、佐為の白い顔を見つめた。糸目で、穏やかな笑顔をした青年を。
佐為を保護した日のことを思い出す。
ちょうど、夜顔と同じくらいの歳の頃だったか。痩せこけてぼろぼろになり、腐臭漂う暗い部屋に座り込んでいた子ども。
その部屋の中には、複数の腐りかけた男の遺骸がごろごろと転がり、鉄の鎖や鞭、汚物にまみれた褥などが散乱し、目を覆いたくなるような有り様であった。
大人たちにどんな仕打ちを受けてきたのか、身体の傷を見ればすぐに分かった。しかし、果てのない暴力と凌辱に身を汚されようとも、何人足りとも消すことは出来ぬような清い光をその目に湛えている、健気な幼子。
そんな少年に、佐為という新たな名を与えたのは藤之助だった。
――美しい名ですね……。
名付けた後に佐為は笑った。
「千珠は、夜顔を殺しません。あなた方二人を逃がすつもりです」
「あの、白い鬼がか? 何故……」
「本願寺で、あなたと一瞬目を見合わせたそうですね。それ以来、千珠はあなたのことをずっと気にかけていたんです。夜顔のことも、助ける手立てがないかずっと考えていたのですよ」
「……」
「千珠も半妖。幼い頃に仲間を失い、たった一人で人の世へ来た。彼は夜顔のことは同胞だと思っているのです。そして僕も、夜顔を他人とは思えない」
「お前も?」
「僕には、妖の血が流れています。……ご存知だったのでしょう?」
「佐為……」
「僕は、藤之助様を本当の父親のように思っています。どうか、夜顔も僕のように育ててやってください」
藤之助の目から涙が一筋、流れた。佐為は藤之助に歩み寄ると、ぎゅっとその大きな身体にしがみつく。
頬を藤之助の胸に押し付けて、佐為は少しの間じっとしていた。藤之助の腕が、佐為をふわりと包み込む。
「佐為……!」
「今まで、ありがとうございました。僕はあなたと一緒に過ごせて、とてもとても幸せでした」
「私もだよ……本当に、ありがとう」
佐為の目にも、光るものがあった。それを覆い隠すように、ぎゅっと目を閉じる。
「もう……今日を最後に、お会いすることはないでしょう」
「……ああ、そうだね」
佐為はゆっくりと藤之助から離れると、じっとその顔を見つめた。藤之助の穏やかな瞳を、じっと記憶するかのように。
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