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第三章 陰陽寮のひとびと
三、金平糖
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その朝、藤之助は夜顔に握り飯を食べさせようと苦戦していた。
昨晩茶を飲んだまでは良かったのだが、それ以降やはり食べ物を口にしようとしないのである。
妖なのだから、人と同じ食事は取らないのかもしれない。しかし、このような幼子になんの食事も与えぬというのはあまりに可哀想で、一口くらいは食べさせたいと思うのは人情だ。そのため、朝から夜顔につきっきりなのだ。
そのそばで、佐為が大人用の狩衣を夜顔のために仕立て直しながら、藤之助の様子を見ている。
「ほら、うまいぞ。一口くらい、食べろ」
「……」
夜顔はにべもなく、あくまでも無反応である。藤之助はため息をついた。
「藤之助様、もう無理ですよ。きっと夜顔はそのような物は食べないんですよ」
「じゃあ、何を食べさせたらいいのだ?」
「そもそも、そういう食事方法なんですかね」
「……分からぬ」
ふと、佐為は思い立ったように懐から白い包み紙を取り出した。かさりと開いた和紙の中には、乳白色の金平糖が入っている。
「子どもなんだし、甘いものなんてどうかな」
「お前、そんなもの食うのか? 女子供の食べ物だろう」
「それは偏見ですよ。頭を使うと甘い物が欲しくなるのです。都で動いているときに、あまりに美しいので買ってしまいました」
佐為は夜顔の傍らに座ると、一つつまんで日に透かしてみせた。白く歪な形をした砂糖菓子に、うっすら陽の光が透けて、不思議な陰影が揺らめく。
夜顔の目が、少し動いた。佐為は手応えを感じたのか、ひと粒自分の口に放り込んで見せた。
「美しい食べ物だろう? 甘いんだよ」
「……」
夜顔は珍しく瞬きをして金平糖を食べる佐為の顔を見ている。佐為は微笑んでもうひと粒取り出すと、夜顔の手を取って掌の上に置いた。
じっと金平糖を見つめる夜顔を、二人は固唾を呑んで見守っていた。
すると、夜顔はゆっくりと掌を持ち上げて、金平糖を口に含んだ。藤之助が、ひとつ手を叩いて嬉しそうに笑う。
「食べたぞ! 佐為、やるじゃないか」
「やはり子どもには甘味ですね」
淡々とした佐為の反応は気にかけず、藤之助は夜顔の頭をわしわしと撫でた。
「食べれたな、うまいか?」
「……うまい?」
「そうだ、食べるっていうのは大事なことだ」
「うまいより、甘いでしょ」
と、佐為。
「あまい……」
夜顔が、がり、と金平糖を奥歯で噛む音が聞こえる。藤之助は、また微笑んだ。
そこへ、猿之助がのっそりと部屋に入ってきた。夜顔の世話をする藤之助を見下ろすと、どこか小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「食事、ね。昨日あれだけ僧侶を屠れば、しばらく食事などいらぬだろうに」
「兄上、そんな言い方は」
と言いつつも、昨晩味方の首に喰らいついていた夜顔の、獣じみた行動が蘇る。今はこうして大人しくしているが、あちらが夜顔の本来の姿なのかもしれない。
「……喰っていたのかは、定かではありませぬ」
藤之助は、小声でそう言った。
「でも、そう見えただろう? なかなかの殺しっぷりだった」
猿之助は夜顔の前に座り込み、その目を覗き込む。千珠の耳飾りで力を抑えられている夜顔だったが、それでもまだ溢れ出る妖気は隠しきれるものではなく、追手を撒くために再び封印術をかけられている。
「あの子鬼め、忌々しいものを。佐為、早く抜き去らぬか」
猿之助は夜顔の喉元に覗く赤い石を、憎々しげに見下ろすと、佐為に向かって乱暴にそう言った。
「ですから、それを抜くと夜顔の力が持って行かれるおそれがあるのです」
「やってみなければ分からぬであろう。これがあっては、あの子鬼を倒せぬ」
「夜顔の力が失われてしまったらどうするおつもりです?」
佐為は負けじと猿之助に食い下がる。猿之助は冷たい表情で、じろりと佐為を睨み付けた。
「それならば、こいつを打ち捨てて、また代わりを探すまでだ」
藤之助はぴくりと眉を寄せ、反抗的な目つきで猿之助を見上げた。そんな弟を見返す猿之助の表情は冷たく、どこまでも決然としている。本気でそうするつもりなのだろう。
「でも、夜顔には幻術もある。まだまだ手放すには惜しいのではないか?」
と、藤之助は硬い口調でそう言った。
「……まぁ、それもそうだな。あの子鬼、幻術を食らってからは、まるで生ける屍のようだった。あの隙に、俺達が殺ってもよかったかもしれぬな」
猿之助は顎に手を当てて、鼻を鳴らす。
「まぁ、いい。もう少し置いておこう。佐為、お前はいい方法がないかどうか考えておけよ」
「はい」
佐為は仕立てている途中の衣を脇に置くと、背筋を伸ばして、きちきちと猿之助に頭を下げた。三人に冷ややかな一瞥をくれてから、さっさと猿之助は部屋を出ていく。
ふと気付くと、夜顔が無表情に藤之助を見上げていた。
「……」
その目つきは、兄の言葉に対して不安を感じているように見える。また一人ぼっちにさせられるのではないかと、怯えているように。
ぽん、と小さな頭に手を乗せて、藤之助は笑顔を見せた。
「大丈夫、お前を追い出したりしないよ」
心なしか、夜顔の強張った目元が緩む。
佐為はそんな二人へ、あくまでも冷静な眼差しを向けている。
昨晩茶を飲んだまでは良かったのだが、それ以降やはり食べ物を口にしようとしないのである。
妖なのだから、人と同じ食事は取らないのかもしれない。しかし、このような幼子になんの食事も与えぬというのはあまりに可哀想で、一口くらいは食べさせたいと思うのは人情だ。そのため、朝から夜顔につきっきりなのだ。
そのそばで、佐為が大人用の狩衣を夜顔のために仕立て直しながら、藤之助の様子を見ている。
「ほら、うまいぞ。一口くらい、食べろ」
「……」
夜顔はにべもなく、あくまでも無反応である。藤之助はため息をついた。
「藤之助様、もう無理ですよ。きっと夜顔はそのような物は食べないんですよ」
「じゃあ、何を食べさせたらいいのだ?」
「そもそも、そういう食事方法なんですかね」
「……分からぬ」
ふと、佐為は思い立ったように懐から白い包み紙を取り出した。かさりと開いた和紙の中には、乳白色の金平糖が入っている。
「子どもなんだし、甘いものなんてどうかな」
「お前、そんなもの食うのか? 女子供の食べ物だろう」
「それは偏見ですよ。頭を使うと甘い物が欲しくなるのです。都で動いているときに、あまりに美しいので買ってしまいました」
佐為は夜顔の傍らに座ると、一つつまんで日に透かしてみせた。白く歪な形をした砂糖菓子に、うっすら陽の光が透けて、不思議な陰影が揺らめく。
夜顔の目が、少し動いた。佐為は手応えを感じたのか、ひと粒自分の口に放り込んで見せた。
「美しい食べ物だろう? 甘いんだよ」
「……」
夜顔は珍しく瞬きをして金平糖を食べる佐為の顔を見ている。佐為は微笑んでもうひと粒取り出すと、夜顔の手を取って掌の上に置いた。
じっと金平糖を見つめる夜顔を、二人は固唾を呑んで見守っていた。
すると、夜顔はゆっくりと掌を持ち上げて、金平糖を口に含んだ。藤之助が、ひとつ手を叩いて嬉しそうに笑う。
「食べたぞ! 佐為、やるじゃないか」
「やはり子どもには甘味ですね」
淡々とした佐為の反応は気にかけず、藤之助は夜顔の頭をわしわしと撫でた。
「食べれたな、うまいか?」
「……うまい?」
「そうだ、食べるっていうのは大事なことだ」
「うまいより、甘いでしょ」
と、佐為。
「あまい……」
夜顔が、がり、と金平糖を奥歯で噛む音が聞こえる。藤之助は、また微笑んだ。
そこへ、猿之助がのっそりと部屋に入ってきた。夜顔の世話をする藤之助を見下ろすと、どこか小馬鹿にしたように鼻で笑う。
「食事、ね。昨日あれだけ僧侶を屠れば、しばらく食事などいらぬだろうに」
「兄上、そんな言い方は」
と言いつつも、昨晩味方の首に喰らいついていた夜顔の、獣じみた行動が蘇る。今はこうして大人しくしているが、あちらが夜顔の本来の姿なのかもしれない。
「……喰っていたのかは、定かではありませぬ」
藤之助は、小声でそう言った。
「でも、そう見えただろう? なかなかの殺しっぷりだった」
猿之助は夜顔の前に座り込み、その目を覗き込む。千珠の耳飾りで力を抑えられている夜顔だったが、それでもまだ溢れ出る妖気は隠しきれるものではなく、追手を撒くために再び封印術をかけられている。
「あの子鬼め、忌々しいものを。佐為、早く抜き去らぬか」
猿之助は夜顔の喉元に覗く赤い石を、憎々しげに見下ろすと、佐為に向かって乱暴にそう言った。
「ですから、それを抜くと夜顔の力が持って行かれるおそれがあるのです」
「やってみなければ分からぬであろう。これがあっては、あの子鬼を倒せぬ」
「夜顔の力が失われてしまったらどうするおつもりです?」
佐為は負けじと猿之助に食い下がる。猿之助は冷たい表情で、じろりと佐為を睨み付けた。
「それならば、こいつを打ち捨てて、また代わりを探すまでだ」
藤之助はぴくりと眉を寄せ、反抗的な目つきで猿之助を見上げた。そんな弟を見返す猿之助の表情は冷たく、どこまでも決然としている。本気でそうするつもりなのだろう。
「でも、夜顔には幻術もある。まだまだ手放すには惜しいのではないか?」
と、藤之助は硬い口調でそう言った。
「……まぁ、それもそうだな。あの子鬼、幻術を食らってからは、まるで生ける屍のようだった。あの隙に、俺達が殺ってもよかったかもしれぬな」
猿之助は顎に手を当てて、鼻を鳴らす。
「まぁ、いい。もう少し置いておこう。佐為、お前はいい方法がないかどうか考えておけよ」
「はい」
佐為は仕立てている途中の衣を脇に置くと、背筋を伸ばして、きちきちと猿之助に頭を下げた。三人に冷ややかな一瞥をくれてから、さっさと猿之助は部屋を出ていく。
ふと気付くと、夜顔が無表情に藤之助を見上げていた。
「……」
その目つきは、兄の言葉に対して不安を感じているように見える。また一人ぼっちにさせられるのではないかと、怯えているように。
ぽん、と小さな頭に手を乗せて、藤之助は笑顔を見せた。
「大丈夫、お前を追い出したりしないよ」
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