異聞白鬼譚

餡玉

文字の大きさ
上 下
171 / 339
第二章 再会

一、懐かしい声

しおりを挟む
 千珠は、朦朧としながら味方の陰陽師たちを眺めていたが、ふと槐のことが気に掛かり、立ち上がろうとした。
 しかし膝に力が入らず、千珠は再び地面に手を着いてしまう。


 ——気分が悪い……吐きそうだ。


 生まれて初めて幻術を食らった。見せつけられたおぞましい幻影の不快さが尾を引き、千珠の精神はぐらぐらと揺れていた。

 耳飾りを引き千切った千珠の耳朶から、ぼたぼたと血が流れている。
 その血の赤が、幻術の中の風景を呼び起こすように千珠の心を揺らすのだ。

「……くそ……くそっ。何なんだ、この気持は……」

 自分の世界が、崩れそうになる。今まで積み上げてきたものが、無意味なもののように感じられて喚き出したくなる。
 苛々して、悲しくて、悔しくて、もういっそのこと、幻影にのまれて狂ってしまえば良かったとすら思ってしまう。
 不意に鋭い頭痛と吐き気に襲われ、千珠は思わず右手で口を覆う。うまく息が出来ず、苦しくて堪らなかった。


 ――孤独、恐怖、恨み、殺意、絶望……。


 落ち着け、この気持ちは……あの子どもの感情が流れ込んだだけなんじゃないのか……?


 いや、違う。これが本当の俺の、気持ち……?


「千珠!!」


 遠くから、懐かしい声がした。
 幻術の中で、千珠に一縷の光を与え、現実へ引き戻した。

 一番、聞き親しんでいた。
 ずっとずっと、すぐそばで聞きたいと願っていた。


 ――舜海……。


「おい! 千珠、大丈夫か?」

 肩に触れる大きな手。暖かく、力強い霊気。
 太陽のような、この匂い。


 ――舜。


 気力を振り絞って、千珠はゆっくりと顔を上げた。脂汗が流れ、意識が混濁して視界がぼやける中、自分をまっすぐに見つめるあの目を見つけた。

 はっきりと結んだ焦点の先には、懐かしい目があった。千珠を心配そうに見つめる、黒い瞳。力強く凛々しい光を湛えた、あの瞳が。

「……舜……」
「どうした!? どこか、傷を負ったか!?」

 その張りのある声、しっかりと抱き留められた身体。
 千珠は安堵して、その衣に縋り付く。

「……舜海……! 舜、海……!」

 千珠は掠れた声で、何度も何度でもその名を呼んだ。待ち侘びていた明るい笑顔を見つけて、千珠は心底安堵していた。

「千珠、もう大丈夫やで」

 自分を抱き、身体に触れるこの感触。本物だ。
 これは、現実……。

「舜……。やっと、会えたな……」
「あぁ、やっと会えた」

 再び遠のいていく意識の中、千珠は舜海の目を見つめて微笑んでいた。切な気に微笑み返す舜海の頬に触れ、そのぬくもりを確かめる。

 包み込まれる安堵感に、張り詰めていた糸がぷっつりと切れる。
 千珠は、そのまま意識を失った。
 


 ✿



 胸にしがみついたまま眠りに落ちた千珠の肩を、舜海はしっかりと支えた。全ての体重を自分に預け、瞼を閉じている千珠の蒼白な顔を、改めて見下ろす。

「……久しぶりやな、千珠」

 舜海は穏やかな声で千珠にそう囁いた。こんな状況の中ではあったが、懐かしさと喜びについつい顔が緩んでしまう。

 ――ほんまに、ここにいる。千珠が、ここに。

 もっと強く、抱きしめたい。
 しかし今は、千珠の手当が先だ。舜海は気を引き締めると、千珠の身体を調べ、怪我がないかどうか確認する。
 閉じた瞼が微かに震えて、長い睫毛がぴくりぴくりと動いている。初めて食らった精神攻撃に驚いた脳が、必死に情報を処理しているのだろう。

 目立った怪我はないが、片耳の耳飾りが無くなっている。いつも千珠の頬の横で揺れていた、透き通る紅色の耳飾りが。
 攻撃を受けた拍子に、奪われでもしたのだろうか。痛々しく引き千切れた福耳を手当してやろうと手を翳した時、背後から低い女の声が降ってきた。

「それが千珠ってやつか」

 舜海が顔を上げると、そこには業平の娘、詠子がいた。弓を肩にかけ、たすきがけをして逞しい両腕を顕にしている。
 その顔は、ひどく不機嫌そうだ。

「お、おう。そうやけど」
「ふうん……」

 詠子もそこに膝をつき、千珠の顔を覗き込むと、目を見張る。

「これが、あの陀羅尼を追い払った鬼か? あの海神の龍を退けたという?」
「……そうやけど?」
「こんな、女みたいなやつが? 私はもっと、強そうな男を想像していたのに」

 詠子はがっかりしたような顔をして、舜海と千珠を見比べた。

「見たことなかったんか」
「陀羅尼の一件の頃、私は別の任に出ていたからな」

 詠子はしげしげと千珠を観察し、そのままちろりと舜海を見上げる。

「国に大事な者がいるという噂がたっていたが、こいつのことじゃないだろうな」
「は? 何やねんその噂。別にこいつは……。あ、そんなこと言ってる場合ちゃうやろ。こいつを陰陽寮に連れて来いって業平殿が……」
「おい、質問に答えてないぞ」

 詠子は不機嫌な顔で舜海に詰め寄ってくる。

「いや、ほら、今はそんなこと言ってる場合じゃ……」
「お、舜海お前。こっちで女できたんか」

 とそこへ、槐をおぶった柊がふらりと現れた。詠子の問いかけにしどろもどろになっていた舜海は、渡りに船とばかりに柊の声に飛びつく。

「おお、柊!! 久しぶりやなぁ!」 

 そして、柊の背にいる槐を見て、目を丸くした。

「お前……槐、なんでこんなとこにおんねん」
「……」

 槐は怯えきった表情で黙りこみ、柊の背に顔を隠そうとしたが、ふと舜海の腕に抱かれている千珠を見つけて、がばっと顔を上げた。

「千珠さま……!」
「いててて!」

 結い上げられた柊の髪を引っ張り、肩を乗り越えようとするような格好で、槐は身を乗り出した。そして、蒼白な顔色で微動だにしない千珠の様子に顔を青くし、わなわなと唇を震わせる。

「どうしよう……僕のせいで、千珠さまが……死んじゃったぁ……うわぁあああん!!」
「ど阿呆、死んでへんわ! 寝てるだけや」
「えぐっ……ううっ……ぼ、ぼんどうでずが?うえっ……」
「大丈夫やから、泣くな。とりあえず、こいつは陰陽寮へ連れて行くで。千瑛殿には柊から伝えておいてくれ」
「はいよ」
「ほんとに、大丈夫なのですか?」

 槐は涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を舜海に向け、尚も不安そうな表情をしている。舜海は、安心させるように笑い、ぽんと頭の上に手を置いた。

「当たり前やろ。千珠は強いんやで、こんなことで死ぬわけないやん。ちょっと疲れて寝てるだけや。それに、別にお前のせいじゃない」
「……でも」
「そういう話は後や。夜が明けて落ち着いたら連絡するから待ってろ。ええな」
「はい……」

 槐はいつになくしおらしく返事をすると、柊の背中に戻ってしがみついた。
 柊たちが行ってしまうと、詠子はまた千珠をじろじろと覗き込む。

「なぁ、さっきの子どもと、こいつの顔……似てないか?」

 舜海はぎくりとしたものの、それを表情に出さぬよう必死に努めた。

「に、にに似てへんやろ。それにこんな綺麗な顔、誰と似るっちゅうねん」
「……」

 詠子は訝しげな表情から、次第に憤怒の形相へと変貌すると、舜海の太腿を思い切り蹴飛ばした。

「いってぇ!! 何すんねん!」

 舜海の問を無視して、詠子はどすどすと足音を轟かせて仕事に戻っていってしまった。

「……ったく、乱暴な女や。何で蹴られたんや、俺」

 舜海はぶつくさ文句を垂れながら千珠を抱え直し、陰陽寮の置かれている土御門邸へと足を向けた。

しおりを挟む
感想 15

あなたにおすすめの小説

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

催眠アプリ(???)

あずき
BL
俺の性癖を詰め込んだバカみたいな小説です() 暖かい目で見てね☆(((殴殴殴

王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?

名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。 そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________ ※ ・非王道気味 ・固定カプ予定は無い ・悲しい過去🐜 ・不定期

ガテンの処理事情

BL
高校中退で鳶の道に進まざるを得なかった近藤翔は先輩に揉まれながらものしあがり部下を5人抱える親方になった。 ある日までは部下からも信頼される家族から頼られる男だと信じていた。

暗殺者は愛される

うー吉
BL
暗殺者として育った少年が 国を抜け隣国で愛されることを知って 愛する事を知る話です R18は※を付けます 作者の好きなように書きたいように書いてます

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

視線の先

茉莉花 香乃
BL
放課後、僕はあいつに声をかけられた。 「セーラー服着た写真撮らせて?」 ……からかわれてるんだ…そう思ったけど…あいつは本気だった ハッピーエンド 他サイトにも公開しています

処理中です...