異聞白鬼譚

餡玉

文字の大きさ
上 下
121 / 339
第四幕 ー魔境へのいざないー

十七、戒めの鬼

しおりを挟む
 申の刻になり、辺りは暮れゆく夕日によって、都は長い影に沈み始めていた。


 紫宸殿の前庭では、五人の陰陽師たちが五芒星を描くように立ち並んでいる。足元には鬼道を開くための陣が完成していた
 陣の中心部には、舜海と宇月が立つ。千珠が魔境へと攫われぬよう、護りの結界を成すためである。

 千珠は、承明門の上に腕を組んで立ち、夕闇に暮れていく都を見下ろしていた。
 冷たい風が、千珠の結い上げた銀髪を乱して吹き抜ける。今宵は、自分の妖力を物質化した白い狩衣を身に纏い、その身の守りをさらに強めていた。

 千瑛を始めとする神祇官たちは、陰陽師たちの背後に立ち、市中へと影響が出ぬようにするための結界を張る。更に承明門、建礼門の外では、数多の衛士たちが佐々木派の者たちを内裏に入れぬよう、護りを固めている。
  
 皆、緊張しながら鬼が現れるのを待っていた。夜暗に備え、あちこちで松明が焚かれ始め、ぱちぱちと薪の爆ぜる音が、静寂した御苑に響く。



 千珠は、ふと血の匂いを嗅ぎ取った。


 すると、先ほどまではすっきりと澄んでいた冬の空気が、急に烟り始める。
 昨日と同じ、濃い霧が立ち込め始めた。その場にいた者たちが全員、息を呑む。

 千珠は数珠を外すと、その掌から宝刀を抜いた。それを合図に、陰陽師衆による術式の詠唱が始まった。


 黒い影が、ゆっくりと建礼門に近づいてくるのをその目に認めると、千珠は承明門から健礼門の上へとひらりと飛び移り、陀羅尼を待つ。
 巨体を引きずりながら、白い砂利道を進んでくる陀羅尼は千珠の姿を認めると、低い唸り声を響かせた。昨日千珠に切り裂かれた傷はまだ塞がっておらず、肉が露わになり柘榴のような赤い色を覗かせていた。そして、忌々しげに目を眇めて、言った。

「……またお前か」

 千珠は冷たい風に髪をなびかせながら、風の音に負けじと声を張った。

「今日は、お前の邪魔はしない。今宵、この扉の向こうに鬼道が開く。お前を魔境に帰してやる。大人しくするがいい」

 陀羅尼はぴくりと眉を動かし、唸り声を止めた。

「……何だと」
「お前は無理に召喚されたのだろう、俺にはお前を殺す理由がない」

 千珠と陀羅尼は向い合って、視線を交じらわせた。陀羅尼の黄色い瞳が、千珠の言葉の真偽を疑うように、その琥珀色の瞳をじっと窺っている。

「……偽りではないようだな」

 陀羅尼はそう言うと、するすると人の姿になった。千珠は健礼門から飛び降りて、数歩、陀羅尼に近付く。
 近くで並んでみると、千珠よりほんの少し大きいくらいの身の丈である。ごわごわとした黒く長い髪を風に乱されながら、陀羅尼はじっと千珠から視線を外さない。
 肌の色は土気色で、まるで死人のように乾いている。口から覗く鋭い牙と、額から飛び出る二本の短い角。そして指にあるのは、千珠のものとは比べ物にならないほど大きな鉤爪だ。

「つくづく分からんやつだ。お前は何がしたい?」

 陀羅尼はそう言った。

「……別に。俺はとある人間と盟約を交わしている。そいつの敵は斬り、味方は護る。それだけだ」
「はっ! ぬくぬくと飼われて、歯牙を抜かれたか。すぐに俺を殺せば話は早かったものを」
「殺す相手はお前ではないと判断した」

 陀羅尼は初めて瞬きをすると、ゆっくりと、額を覆う髪の毛をかき上げてみせた。

「それは……」

 陀羅尼の額には、六芒星の呪印が焼き付いていた。それは妖鬼を戒め縛しつける、呪術の証だ。

「もうすぐあの忌々しい人間もここへ来るぞ。さて……操られ自我を失った俺に、お前はどこまでそんな悠長なことが言えるかな」
「……ねじ伏せるまでだ。そのまま魔境へ帰るがいい」
「ふん……言うではないか」

 陀羅尼は、そう言って少し唇を釣り上げ、笑みのような表情を作った。その表情が、急に意思を失ったように凍りつくと、陀羅尼はがくっと膝を折ってその場に崩れ落ちる。
 千珠がじっとその様子を窺っていると、倒れ伏した陀羅尼の背後に、陰陽師の群れの気配を感じた。大勢の足音と気配があたりを囲い、霧の中に黒い影が並ぶ。

 霧の向こうから、佐々木猿之助が現れ、千珠に向かってにやりと笑った。

「やれやれ、鬼同士通じるものがあるのかな。すっかり私のしたことがばれてしまった様子」
「すぐに分かったさ。お前の手に負えないんだろ? 俺が地獄に返品しといてやる」

 千珠がそう言うと、佐々木猿之助はまた低く笑った。

「こいつはこれから、帝を殺めに参るところ。それが済みましたら、どうぞお好きに」
「!」

 千珠は表情を険しくした。

「鬼退治を仕損じ、帝のお命を奪われたとあっては、神祇省もおしまいです。……そこで再び、我ら陰陽師がこの国の政を動かすのだ。そのためのなのですよ、この鬼は」

 猿之助は恐れるふうも無く陀羅尼の傍らに立つと、印を結んで一息、息を吹きかけた。すると、陀羅尼はびくんと身体を蠢かした後、むくりと起き上がる。

 黄色い目は淀み、まるで何も見てはいない。半開きになった口からは、だらりと長い舌がはみ出し、涎が流れる。千珠は険しい顔をして猿之助を睨みつけた。

「道具だと……おのれ、貴様らのような人風情が、ふざけた真似を」
「おや、妖鬼らしい口調になってこられたではないか。千珠どの」

 再び猿之助が異なる手印を結ぶと、陀羅尼は狂ったように四肢をばたつかせながら、千珠の懐に飛び込んできた。その不気味な動きに驚かされ、反応が遅れた千珠は、その胸を鉤爪で切り裂かれてしまう。

「ぐっ……!!」

 千珠は脚で陀羅尼を蹴り、その反動で飛び退った。狩衣が裂け、真っ赤な血が吹き出す。陀羅尼は四足になり、再び巨大な獣の姿へと変貌を遂げ、千珠の方に顔を向ける。そしてまた、千珠に踊りかかってきた。

 千珠は宝刀で陀羅尼の鉤爪を受け止め防いだものの、あまりの力の強さに押し負けそうであった。地面に踵がめり込み、白砂利が跳ねる。千珠は歯を食い縛り、雄叫びを上げて妖力の全てを解放した。


「おおおおおお!!」
 

 千珠の圧倒的な力に陀羅尼は弾き飛ばされ、建礼門を突き破った。立ち昇る土煙が、霧を更に濃いものにしてゆく。


 すると千珠の背後で、ぎぎぎぎ……と承明門の開く重たい音が響いた。


 結界と、鬼道の開放の仕度が整った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

エレベーターで一緒になった男の子がやけにモジモジしているので

こじらせた処女
BL
 大学生になり、一人暮らしを始めた荒井は、今日も今日とて買い物を済ませて、下宿先のエレベーターを待っていた。そこに偶然居合わせた中学生になりたての男の子。やけにソワソワしていて、我慢しているというのは明白だった。  とてつもなく短いエレベーターの移動時間に繰り広げられる、激しいおしっこダンス。果たして彼は間に合うのだろうか…

少年野球で知り合ってやけに懐いてきた後輩のあえぎ声が頭から離れない

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
少年野球で知り合い、やたら懐いてきた後輩がいた。 ある日、彼にちょっとしたイタズラをした。何気なく出したちょっかいだった。 だがそのときに発せられたあえぎ声が頭から離れなくなり、俺の行為はどんどんエスカレートしていく。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます

夏ノ宮萄玄
BL
 オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。  ――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。  懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。  義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。

新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~

焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。 美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。 スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。 これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語… ※DLsite様でCG集販売の予定あり

淫獄桃太郎

煮卵
BL
鬼を退治しにきた桃太郎が鬼に捕らえられて性奴隷にされてしまう話。 何も考えないエロい話です。

男色医師

虎 正規
BL
ゲイの医者、黒河の毒牙から逃れられるか?

食事届いたけど配達員のほうを食べました

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
なぜ自転車に乗る人はピチピチのエロい服を着ているのか? そう思っていたところに、食事を届けにきたデリバリー配達員の男子大学生がピチピチのサイクルウェアを着ていた。イケメンな上に筋肉質でエロかったので、追加料金を払って、メシではなく彼を食べることにした。

処理中です...