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第四幕 ー魔境へのいざないー
十二、舜海のこころ
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千珠がひとり千瑛の元へゆき、業平らが去った後、宇月と舜海は二人囲炉裏を挟んで座っていた。
お互いに思案することがあり、口をきかないまま数刻が過ぎてゆく。
「お茶、入れましょうか」
ふと、宇月がそう言って立ち上がり、舜海ははっとする。
「そうやな。頼むわ」
宇月は湯を沸かしながら、舜海にこんなことを尋ねた。
「千珠さま、鬼に誘われてしまわれたのですね」
「ああ、そうやねん。まったく…………って、お前、聞いてたんか!?」
「はい、お風呂をいただいて帰ってまいりましたら、お二人の声がしていたので」
「あ、そう。え?じゃあ……」
その後になされていた行為や会話も、聞かれてたということか!? と、舜海は大いに焦った。
しかし、宇月は表情を変えることもなく、静かな口調で言う。
「はい。しかしお二人の関係については、すでに存じておりますから大丈夫ですよ」
「……」
舜海は多少ばつが悪そうに、頭を掻く。
「接吻だけで千珠さまの気があんなにも落ち着くとは。驚きでございます」
「……さらっと言うな」
宇月から茶を受け取った舜海は、渋い顔でそう言った。宇月、少し微笑む。
「同族がいたのでは、血が騒ぐのは当然のこと。舜海様の言うとおり、千珠さまはあの鬼を殺せないでしょう」
「せやな……」
「舜海様にも、明日は陣に入っていただきたい。千珠さまが油断を見せれば、あの鬼は千珠さまを魔境へ攫ってゆくかもしれません」
「……まさか」
「鬼門を開く陣の中で、千珠さまをお守りする結界を成すのです。私と、舜海様とで。よいですな?」
「ああ、もちろんや」
舜海は力強く頷いた。宇月も頷くと、一口、熱い茶をすする。そしてため息をつくと、千珠が出て行った障子の方を見遣る。
「千珠さまとは、ずっとあのようなご関係でございますか?」
「……何でや」
舜海は怪訝な顔で聞き返す。千珠との関係について、あまり他人から口を挟まれたくないと言いたげな、頑なな硬い表情である。
「千珠さまは、ゆくゆくは自分で妖力を操作するすべを身につけなければなりませぬ。そうは思いませぬか?」
「……そりゃあ、な」
舜海は、囲炉裏の方に目を向けて、少しばかり苦しげに眉を寄せる。
——……そんなことは、言われなくても分かっている。
分かっているけど、そうなって欲しくない。いつまでも自分を頼りにして欲しい……。
舜海はそんな自分の甘えた考えを恥じるように、目を伏せた。
「おそらく、年齢的なものもあるとは思います。千珠さまは半妖。妖力の動きには、まだまだ未熟な精神面の影響が出るのでしょう。人間と同じように」
「ほう」
「加えて千珠さまが人の世で暮らし始めてまだ数年。しかもまだお若いがために、迷いや不安で気が安定しない」
「……ここで生きて行くって、決めていてもか?」
「まだまだ、自分に言い聞かせているのでしょう。それもあり、今回の鬼との邂逅でより不安定になっているのです」
「……」
舜海は、少し痛そうな表情で手元の湯呑を見下ろした。
「宇月は、医者みたいやな」
「気の流れで、分かってしまうのです。ちなみに、今の舜海様のお気持ちも、何となく分かります」
「へえ、言うてみろや」
舜海は少し意地悪な気持ちになり、敢えて挑戦的な口調になってそう言った。宇月は困ったような顔で少し微笑むと、言葉を並べる。
「私がこんなことを言って、少し腹を立てていらっしゃる。そして、千珠さまにも少し腹を立てていらっしゃる……まだ迷っているのかと。でもお優しいあなたは、千珠さまのお気持ちを無碍には出来ません。だから、あの方の不安を抱きとめるしかない。でもそうすることで、自分の欲も満たしている」
舜海はごくりと唾を飲み込んだ。どこまでも見透かされていることに、心底驚いたのだ。
宇月はふと俯いて「すみません」と、言った。
「いや、言えって言ったんは俺や。ええねん、全部その通りや」
舜海は右手で額を抑え、自嘲気味に笑う。
「千珠のため、っていいながら、俺はあいつをただ抱きたいだけや。ただ、あいつを手放したくないだけなんや」
「……」
「こんなことになるなんて、思わへんかった。こんな気持になるなんて、思わへんかったんや。でも、どうにもならん」
舜海は両目を覆って顔を伏せてしまう。宇月は、何も言わずに、舜海の膝に手を置いた。
「……状況は、だんだんと変わっていくものでございますよ」
「……」
「今は、想いのままにされたらよいでしょう。千珠さまがもっと成長されて、舜海様を求めなくなったときには、あなた様のお心にも変化があるかもしれませぬ」
「それはそれで寂しいねんな」
「お察しいたします。でもきっと、その頃には何か異なる心持ちにもなっているかもしれませぬよ」
舜海は顔を上げ、宇月の穏やかな顔を見た。目が合うと、にっこりと微笑む宇月を見ていると、まるで母親に微笑まれているように心が落ち着くことに気付く。
「ならええけどな」
舜海は照れ隠しのつもりで少し唇を歪め、笑ってみた。宇月は頷くと、また微笑む。
「お前、いくつやっけ? まるで母ちゃんに諭されてるみたいや」
「何をおっしゃいます。私はまだ二十二でございます。舜海さまのお母上になるには、少しばかり若輩かと」
「へ、へえ……」
自分と二つしか変わらない。舜海はそれにも驚いて、改めて宇月をまじまじと見た。
長い前髪を真ん中で分けて広い額を見せ、短い後ろ髪の毛を耳の後ろで一つに束ねているような、女の色気など微塵も感じさせぬような宇月の姿。
千珠よりもずっと小柄で、一見可愛らしい子どものようにも見える。黒目がちの丸い大きな瞳や、小さな鼻と口も、彼女を童顔に見せているので尚更だ。
「見えへん……。童顔の割に、言う事は言うんやな」
「よく言われます」
宇月はさらりとそう言うと、ずずっと茶を啜った。
お互いに思案することがあり、口をきかないまま数刻が過ぎてゆく。
「お茶、入れましょうか」
ふと、宇月がそう言って立ち上がり、舜海ははっとする。
「そうやな。頼むわ」
宇月は湯を沸かしながら、舜海にこんなことを尋ねた。
「千珠さま、鬼に誘われてしまわれたのですね」
「ああ、そうやねん。まったく…………って、お前、聞いてたんか!?」
「はい、お風呂をいただいて帰ってまいりましたら、お二人の声がしていたので」
「あ、そう。え?じゃあ……」
その後になされていた行為や会話も、聞かれてたということか!? と、舜海は大いに焦った。
しかし、宇月は表情を変えることもなく、静かな口調で言う。
「はい。しかしお二人の関係については、すでに存じておりますから大丈夫ですよ」
「……」
舜海は多少ばつが悪そうに、頭を掻く。
「接吻だけで千珠さまの気があんなにも落ち着くとは。驚きでございます」
「……さらっと言うな」
宇月から茶を受け取った舜海は、渋い顔でそう言った。宇月、少し微笑む。
「同族がいたのでは、血が騒ぐのは当然のこと。舜海様の言うとおり、千珠さまはあの鬼を殺せないでしょう」
「せやな……」
「舜海様にも、明日は陣に入っていただきたい。千珠さまが油断を見せれば、あの鬼は千珠さまを魔境へ攫ってゆくかもしれません」
「……まさか」
「鬼門を開く陣の中で、千珠さまをお守りする結界を成すのです。私と、舜海様とで。よいですな?」
「ああ、もちろんや」
舜海は力強く頷いた。宇月も頷くと、一口、熱い茶をすする。そしてため息をつくと、千珠が出て行った障子の方を見遣る。
「千珠さまとは、ずっとあのようなご関係でございますか?」
「……何でや」
舜海は怪訝な顔で聞き返す。千珠との関係について、あまり他人から口を挟まれたくないと言いたげな、頑なな硬い表情である。
「千珠さまは、ゆくゆくは自分で妖力を操作するすべを身につけなければなりませぬ。そうは思いませぬか?」
「……そりゃあ、な」
舜海は、囲炉裏の方に目を向けて、少しばかり苦しげに眉を寄せる。
——……そんなことは、言われなくても分かっている。
分かっているけど、そうなって欲しくない。いつまでも自分を頼りにして欲しい……。
舜海はそんな自分の甘えた考えを恥じるように、目を伏せた。
「おそらく、年齢的なものもあるとは思います。千珠さまは半妖。妖力の動きには、まだまだ未熟な精神面の影響が出るのでしょう。人間と同じように」
「ほう」
「加えて千珠さまが人の世で暮らし始めてまだ数年。しかもまだお若いがために、迷いや不安で気が安定しない」
「……ここで生きて行くって、決めていてもか?」
「まだまだ、自分に言い聞かせているのでしょう。それもあり、今回の鬼との邂逅でより不安定になっているのです」
「……」
舜海は、少し痛そうな表情で手元の湯呑を見下ろした。
「宇月は、医者みたいやな」
「気の流れで、分かってしまうのです。ちなみに、今の舜海様のお気持ちも、何となく分かります」
「へえ、言うてみろや」
舜海は少し意地悪な気持ちになり、敢えて挑戦的な口調になってそう言った。宇月は困ったような顔で少し微笑むと、言葉を並べる。
「私がこんなことを言って、少し腹を立てていらっしゃる。そして、千珠さまにも少し腹を立てていらっしゃる……まだ迷っているのかと。でもお優しいあなたは、千珠さまのお気持ちを無碍には出来ません。だから、あの方の不安を抱きとめるしかない。でもそうすることで、自分の欲も満たしている」
舜海はごくりと唾を飲み込んだ。どこまでも見透かされていることに、心底驚いたのだ。
宇月はふと俯いて「すみません」と、言った。
「いや、言えって言ったんは俺や。ええねん、全部その通りや」
舜海は右手で額を抑え、自嘲気味に笑う。
「千珠のため、っていいながら、俺はあいつをただ抱きたいだけや。ただ、あいつを手放したくないだけなんや」
「……」
「こんなことになるなんて、思わへんかった。こんな気持になるなんて、思わへんかったんや。でも、どうにもならん」
舜海は両目を覆って顔を伏せてしまう。宇月は、何も言わずに、舜海の膝に手を置いた。
「……状況は、だんだんと変わっていくものでございますよ」
「……」
「今は、想いのままにされたらよいでしょう。千珠さまがもっと成長されて、舜海様を求めなくなったときには、あなた様のお心にも変化があるかもしれませぬ」
「それはそれで寂しいねんな」
「お察しいたします。でもきっと、その頃には何か異なる心持ちにもなっているかもしれませぬよ」
舜海は顔を上げ、宇月の穏やかな顔を見た。目が合うと、にっこりと微笑む宇月を見ていると、まるで母親に微笑まれているように心が落ち着くことに気付く。
「ならええけどな」
舜海は照れ隠しのつもりで少し唇を歪め、笑ってみた。宇月は頷くと、また微笑む。
「お前、いくつやっけ? まるで母ちゃんに諭されてるみたいや」
「何をおっしゃいます。私はまだ二十二でございます。舜海さまのお母上になるには、少しばかり若輩かと」
「へ、へえ……」
自分と二つしか変わらない。舜海はそれにも驚いて、改めて宇月をまじまじと見た。
長い前髪を真ん中で分けて広い額を見せ、短い後ろ髪の毛を耳の後ろで一つに束ねているような、女の色気など微塵も感じさせぬような宇月の姿。
千珠よりもずっと小柄で、一見可愛らしい子どものようにも見える。黒目がちの丸い大きな瞳や、小さな鼻と口も、彼女を童顔に見せているので尚更だ。
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「よく言われます」
宇月はさらりとそう言うと、ずずっと茶を啜った。
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