異聞白鬼譚

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第二幕 ー呪怨の首飾りー

十六、対決

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 千珠が寝所に着くと、舜海の配下の兵が一人、部屋から戸板をぶち抜いて投げ出される場面に出くわした。

「!」
 急ぎ部屋に飛び込むと、紗代が立ち上がり目をぎらつかせながら結界に体当たりをして、破り裂こうとしているところだった。
 読経の声が高く響き渡り、魔封じの香が焚き染められている部屋の空気は流石に毒であり、千珠は思わず鼻を覆う。

『ここから出せぇぇぇ!!!』
 断末魔のような怨霊の悲鳴で空気がびりびりと震えた。皆が耳を塞ぐ。
「村の供養が始まったらしくてな、最後の悪あがきを始めよってん!」
 舜海が千珠を見つけてそう言った。
 紗代は檻に入れられた獣のごとく、頭をかきむしりながら狭い結界の中をぐるぐると歩きまわり、呻き声を上げている。顔は土気色で、艶やかだった黒髪は観る影もなく乾き、まるで藁のようだった。

『おおおおああああ!!』
 咆哮とともに再び放たれた霊気で、結界が保たず破裂する。凄まじい怨念の瘴気が部屋中に満ち、その場にいた留衣と柊が、魂を抜かれたかのようにふらついて倒れてしまった。二人とも、霊的な障害には慣れていないのだ。


「お前ら! この二人外に出せ! あと、他のやつは絶対ここに近づけるな!」
 舜海は兵たちに大声でそう命じると、錫杖を構えて紗代の前に立ちはだかった。千珠も宝刀を抜いて構える。
「もうこうなったら、調伏するしかないな。こいつが外に出たら、大事や」
「始めからそうしておけばよかったものを」
「しゃーないやろ。紗代様の身体やで、あまり無茶できひんからな」
「どうする?」
「俺が悪霊を調伏する。詠唱が終わるまで、時間稼げ」
「分かった」

 紗代は破れた結界から、一歩一歩、ふらつきながら外に出てきた。乾いた長い黒髪が、まるで蛇のようにゆらゆらと動き、その隙間から暗く光る眼がのぞく。

『余計なことをしてくれたな…』
「阿呆、優しさや。とっとと成仏せんかい!」
『お前……なかなかの霊力を持っているね……お前を喰えば、私の力も強くなろう!』
 紗代は瞬く間に舜海に掴みかかってきた。舜海は錫杖で防御するが、あっという間に力負けして床に押し倒される。押し付けられた床板がめきめきと音を立てて裂けてゆき、凄まじい圧迫感に背骨が悲鳴を上げ、舜海は顔をしかめた。

 千珠は一足でそんな紗代に斬りかかると、舜海に絡みつく髪の毛を断ち、紗代の身体を体当たりで跳ね除ける。
 紗代の身体は吹っ飛び、鈍い音と共に壁に激突した。

「こいつを喰うのはこの俺だ。俺の獲物に喰いつくんじゃない」
 紗代は痛みを感じる様子もなく、にたぁりと笑って立ち上がった。再び髪の毛が伸び、千珠に跳びかかる時機を窺うようにうようよと漂っている。 
「こら! 下手に斬りかかるな! 身体は紗代様なんやぞ!」
 舜海が起き上がると、千珠に向かってそう喚く。千珠はむっとした顔で、「分かってる! 髪切っただけだろうが!」と言い返した。

 その隙をついて、再び紗代の髪の毛が千珠に襲いかかってきた。千珠は宝刀でそれを薙ぎ払うと、ふわりと跳んで間合いをとった。
 そんなことを繰り返しながら時間を稼いでいる間に、舜海は調伏の経を唱え始める。
『黙れえええええ!!』
 苦しみ紛れに紗代の放った霊気が、閉めきっていた寝所の壁をぶち破った。外に控えて結界を張っていた僧が一人吹っ飛ぶ。

 大穴の空いた壁の向こうに、心配そうな表情を浮かべて庭に立つ光政の姿が見えた。変わり果てた妻の姿を見て、光政はその表情を険しくする。
 紗代は、一瞬夫の姿を目にして怯んだ様子だったが、すぐにそれを好機と捉えたらしく、開いた壁の穴に向かって動いた。

「!」
 千珠は紗代が光政に掴みかかる一歩手前でそれを防ぎ、紗代ととっ組み合った。
『あなたあぁぁぁ! 助けてええええ!』
「光政! 下がってろ!! 喰われるぞ!」
 千珠は紗代の圧倒的な力をぎりぎりで抑えながら、光政に向かって叫んだ。しかし、あまりの光景に光政は動けずにいる。

「これは一体、どういうことだ! あれは……紗代なのか?!」
『あなたぁああああ!』
「舜海、早く!」
 千珠は今にも外に飛び出しそうな紗代を、全力で抑えつけていた。斬ることのできない相手なので、まるで相撲でも取るかのように全身で抑えるしかない。

 紗代は光政の強張った顔を見て、突如高笑いをし始めた。
『あっはははは! お前がこの国の棟梁だね!? お前を喰って、この国を滅ぼしてやる!!』
「させるかよ!!」
 千珠が渾身の力で紗代を突き倒すと、紗代の身体は反対側の壁に激突した。

 同時に舜海が経文の詠唱を終え、錫杖を翳す。
「調伏!!」
 そこからまばゆい白い光があたり一面を覆い尽くし、紗代は目玉が零れ落ちそうになるほどに、目を見開いた。

『ぎゃあああああああ!!!!』
 耳をつんざく叫び声が細く長く尾を引きながら、ゆっくりと消えてゆく。


 紗代の身体は糸が切れたように、その場に崩れ落ちた。
「紗代!」
 光政が駆けこんで紗代を抱き起こし、顔を覗き込む。紗代の顔色は相変わらず蒼白であったが、微かに息をしているようである。
「薬師を呼べ!」
 光政は家臣たちにそう命じると、紗代を抱き立ち上がった。そして、舜海と千珠を見る。
「手間をかけさせたな。……二人とも、身体はどうもないか?」
「ああ、なんとか……」
 舜海は始めの紗代からの一撃で、かなり痛手を負っているようだった。千珠は紗代と取っ組み合ったときに、あちこちに小さな切り傷を作ったくらいである。

「これでもう、呪いは消えたのだろうか?」
「まだうっすら匂いがある。お前、ちゃんと調伏したんだろうな」
 千珠は鼻をひくつかせながら、舜海に訝しげな目を向けた。舜海は錫杖で身体を支えながら、「ああ、無理やりあの世へ行ってもらったで」と言った。
「なんだ…この感じ……まだ何か残っているような」


 部屋の隅で、千珠に切り落とされた髪の毛の束が、ぴくりぴくりと動いた。するとそれは、まるで意思を持った黒い矢のように、まっすぐ光政に向け飛び掛って来る。

「危ない!」
 先に気配を感じ取った舜海が、光政を庇って突き飛ばした瞬間、舜海の脇腹を、その髪の矢が貫いた。
「舜!!」
 光政は声を上げた。千珠が跳びかかって、毛髪を宝刀で真っ二つにすると、赤黒い炎と共にそれは消えた。


 光政は舜海に近寄ると、血が溢れ出す傷を強く押さえる。
「なんて無茶をするんだ!」
「い……てぇ……。殿は、無事か?」
「喋るな、すぐに薬師が来るからな」
「見せてみろ」
 千珠も舜海の傍らに座り込んで、傷を調べる。針で細く貫かれたような傷は、舜海の脇腹の筋肉を貫通しており、内腑には影響がなさそうであった。
 千珠は安堵しつつも、少し眉根を寄せ「呪いの傷だ。治癒には少し時間がかかりそうだな。でも死にはしないから安心しろ」と、光政に伝える。
「……そうか!」

 光政は心底安心したように微笑み、舜海は苦痛に顔を歪めながらも、ちょっとだけ笑ってみせた。
「こんなもんで……死ぬわけないやろ、伊達に戦を切り抜けてきてへんねんぞ。大げさやな、殿は」

 紗代は薬師たちに運ばれて別の部屋へと移され、舜海も別の部屋で治療を受けることになった。他にも、怨霊の瘴気にあてられた兵たちの手当も行われ、城の中はざわざわと人の声で騒がしくなった。


 しかしながら、もうこの場所に呪いの気配は無い。それを皆敏感に感じているのか、その場に漂うのは、重苦しさから解放され、すっきりと軽やかな空気であった。
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