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第二幕 ー呪怨の首飾りー
十二、正義の在り処
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千珠が紗代の寝所を訪れると、そこには見慣れない僧侶が二人座っていた。
壮年の僧侶たちは頭を丸め、きちんと法衣に見を包んで袈裟をかけ、背筋を伸ばして数珠を携えている。千珠の目には、彼らは舜海などと比べ物にならないほど立派な坊主に見える。
紗代の枕元には舜海が座り、三人で紗代を囲み読経をしている。舜海は千珠の姿を認めると、二人に目配せをして立ち上がった。
部屋を出ると、舜海は大きく伸びをして首を回しながら千珠の報告を聞き、ふんふんと頷いた。
「そういうことか。じゃあその姫君の怨念がこの紗代様の中におるっちゅうわけやな」
「そうなるな。早いうちに供養してやってくれないか。あの村を」
「分かった」
舜海が部屋に戻り、僧侶たちにその旨を話している様子を眺めながら、千珠は部屋の戸口から遠目に紗代の顔を見た。疲労の色なのか、どんどんやせ細ってきているように感じる。
「さっき目を覚まさはってなぁ」
「どっちが?」
「紗代様や。頭が朦朧とする、寒い、自分は病か、と」
「ふん……」
「その後、急に身体が痙攣してな、お前を襲った奴が出てきた」
「それで?」
「ここから出せ、この国の者全員殺す、まずこの女を殺す、赤子を喰わせろ、とな。恐ろしいもんやった。よほどの思いがあるらしい」
「そうか……」
千珠は荒れ果てた村のことを思った。仲間同士で疑い合い、殺し合い、奪い合う……いかばかりの苦悩があったことだろう。
「すぐ本山から供養に行ってもらうから、そっちのことは心配ない」
「こっちの姫はどうする?」
「……仲間たちが浄化されたら、一緒に消えていって欲しいもんやけど」
舜海は顎を撫でながら空を仰いだ。
「まぁしばらくは結界で抑えられるが、紗代様の気力がもうもたへん。今夜中にはその里の供養も済むやろうし、それでも紗代様から怨霊が抜けへんようなら、調伏するしかないな」
「そうだな」
不意に寝所の中でがたがたと派手な物音がし、僧たちの読経が声高になった。千珠と舜海が振り返ると、紗代がむくりと身体を起こしている。
紗代は青白く痩けた頬をして、目の下には墨で施したような影を作り、ぎらぎらと恨みがましい目で二人を睨めつける。
そして、千珠に目を留めた。
『……お前が千珠か……この女の記憶、見せてもらったよ……』
紗代は低くくぐもった声でそう言うと、にたりと笑う。千珠は眉を寄せ、肩の傷を押さえた。
『……この結界、お前の血で書かれているんだね……どうりで破れないはずだ。鬼には敵わないものなぁ……』
千珠は、舜海を押しのけ紗代に近寄ると、その憎しみに染まった蒼白い顔を見下ろした。
「ずいぶんと苦労したみたいじゃないか。身内で殺し合い、滅んだそうだな。何故この国を狙う?」
『……満ち足りた国じゃないか……私たちは戦に巻き込まれてあんな目にあったというのに……。幸せそうだねぇ、女子どもが平和に暮らし、明るい未来を見ることができるのだから……羨ましいねぇ……本当に、憎たらしいほど羨ましい』
紗代は俯いて、肩を揺らす。泣いているのかと思ったが、笑っているのである。
『良いではないか、女子ども一人や二人呪い殺されようが、苦しもうが……何の問題もなかろうて……』
「問題大ありだ。お前が取り憑いている女は、この国の主の奥方様だ。それにお前自身、一人や二人を呪殺して何が救われる?」
『……何も救われはしない。だが、何もせずただ消えて行くのはごめんだ……』
紗代はじっと千珠を見上げ、そしてゆらりと立ち上がった。僧侶たちの読経が更に大きくなり、張り詰めた空気が寝所を満たした。
千珠は紗代のどろりと黒く濁った目から視線を逸らさず、紗代もまた、千珠の琥珀色の瞳をじっと見つめている。
『……お前も、多くの人間を殺してきただろう……それに比べれば、私のこの行いなど、取るに足らない出来事ではないか……』
千珠の眉がぴくりと動いた。紗代はその反応を楽しそうに見つめた。
『ふふふ……戦だから、という理由は言わなくともよい。しかし、そんなお前にどうこう言われたくはないのう……』
「阿呆抜かせ! 千珠はこの国と西軍を護ったんやぞ! それがなきゃ、いまのこの平和はないんや! 黙って聞いてりゃお前……!」
舜海が千珠を押しのけて紗代にそう言い放った。紗代は薄ら笑いをやめ、冷ややかな目で舜海を見遣る。
『それは勝ったものの言い草だ。勝てば正義か』
「……それは」
舜海は詰まった。紗代は勝ち誇ったような表情で、再び千珠を見た。
結界から手を伸ばそうとするが、見えない壁に阻まれて、紗代の手は内側に弾かれる。紗代はそれすら面白そうに笑った。
『美しいのう……お前は。その美貌でこの国の主さえも搦取っておるとは、なんと強かな子鬼じゃ』
「……」
『……この女、お前にいつも嫉妬心を駆り立てられていたらしい……可哀想にのう、子を成しておるというに、それでもまだお前を羨むとは』
「そんなことあるわけないだろ。戯言を言うな」
『いいや……妻ゆえに、お前を見る夫の目付きには敏感にもなる』
紗代は唇を吊り上げ、目を細めた。心底おもしろがっている表情である。
「……もういい、黙れ。お前の村を供養してやるから、お前も消えろ」
千珠はそう言うと、くるりと背を向けて紗代から離れようとした。紗代は高笑いをして、千珠に向かって大声で言った。
『大勢を殺め、この女を苦しめ、あまつさえ主君さえも苦しめるとはのぅ! まこと、とんでもない禍もたらす鬼よ!』
千珠は振り返らずに寝所を出て行く。
「お前、いい加減に黙れ!」
舜海は紗代に向かって声を荒げると、僧侶たちに目配せをし、再び声高に読経を始めた。
紗代は苦悶に身体をよじりながらも高笑いを続けた。その声は城中に響き渡り、千珠の耳にもその声はねっとりと絡みついて離れなかった。
壮年の僧侶たちは頭を丸め、きちんと法衣に見を包んで袈裟をかけ、背筋を伸ばして数珠を携えている。千珠の目には、彼らは舜海などと比べ物にならないほど立派な坊主に見える。
紗代の枕元には舜海が座り、三人で紗代を囲み読経をしている。舜海は千珠の姿を認めると、二人に目配せをして立ち上がった。
部屋を出ると、舜海は大きく伸びをして首を回しながら千珠の報告を聞き、ふんふんと頷いた。
「そういうことか。じゃあその姫君の怨念がこの紗代様の中におるっちゅうわけやな」
「そうなるな。早いうちに供養してやってくれないか。あの村を」
「分かった」
舜海が部屋に戻り、僧侶たちにその旨を話している様子を眺めながら、千珠は部屋の戸口から遠目に紗代の顔を見た。疲労の色なのか、どんどんやせ細ってきているように感じる。
「さっき目を覚まさはってなぁ」
「どっちが?」
「紗代様や。頭が朦朧とする、寒い、自分は病か、と」
「ふん……」
「その後、急に身体が痙攣してな、お前を襲った奴が出てきた」
「それで?」
「ここから出せ、この国の者全員殺す、まずこの女を殺す、赤子を喰わせろ、とな。恐ろしいもんやった。よほどの思いがあるらしい」
「そうか……」
千珠は荒れ果てた村のことを思った。仲間同士で疑い合い、殺し合い、奪い合う……いかばかりの苦悩があったことだろう。
「すぐ本山から供養に行ってもらうから、そっちのことは心配ない」
「こっちの姫はどうする?」
「……仲間たちが浄化されたら、一緒に消えていって欲しいもんやけど」
舜海は顎を撫でながら空を仰いだ。
「まぁしばらくは結界で抑えられるが、紗代様の気力がもうもたへん。今夜中にはその里の供養も済むやろうし、それでも紗代様から怨霊が抜けへんようなら、調伏するしかないな」
「そうだな」
不意に寝所の中でがたがたと派手な物音がし、僧たちの読経が声高になった。千珠と舜海が振り返ると、紗代がむくりと身体を起こしている。
紗代は青白く痩けた頬をして、目の下には墨で施したような影を作り、ぎらぎらと恨みがましい目で二人を睨めつける。
そして、千珠に目を留めた。
『……お前が千珠か……この女の記憶、見せてもらったよ……』
紗代は低くくぐもった声でそう言うと、にたりと笑う。千珠は眉を寄せ、肩の傷を押さえた。
『……この結界、お前の血で書かれているんだね……どうりで破れないはずだ。鬼には敵わないものなぁ……』
千珠は、舜海を押しのけ紗代に近寄ると、その憎しみに染まった蒼白い顔を見下ろした。
「ずいぶんと苦労したみたいじゃないか。身内で殺し合い、滅んだそうだな。何故この国を狙う?」
『……満ち足りた国じゃないか……私たちは戦に巻き込まれてあんな目にあったというのに……。幸せそうだねぇ、女子どもが平和に暮らし、明るい未来を見ることができるのだから……羨ましいねぇ……本当に、憎たらしいほど羨ましい』
紗代は俯いて、肩を揺らす。泣いているのかと思ったが、笑っているのである。
『良いではないか、女子ども一人や二人呪い殺されようが、苦しもうが……何の問題もなかろうて……』
「問題大ありだ。お前が取り憑いている女は、この国の主の奥方様だ。それにお前自身、一人や二人を呪殺して何が救われる?」
『……何も救われはしない。だが、何もせずただ消えて行くのはごめんだ……』
紗代はじっと千珠を見上げ、そしてゆらりと立ち上がった。僧侶たちの読経が更に大きくなり、張り詰めた空気が寝所を満たした。
千珠は紗代のどろりと黒く濁った目から視線を逸らさず、紗代もまた、千珠の琥珀色の瞳をじっと見つめている。
『……お前も、多くの人間を殺してきただろう……それに比べれば、私のこの行いなど、取るに足らない出来事ではないか……』
千珠の眉がぴくりと動いた。紗代はその反応を楽しそうに見つめた。
『ふふふ……戦だから、という理由は言わなくともよい。しかし、そんなお前にどうこう言われたくはないのう……』
「阿呆抜かせ! 千珠はこの国と西軍を護ったんやぞ! それがなきゃ、いまのこの平和はないんや! 黙って聞いてりゃお前……!」
舜海が千珠を押しのけて紗代にそう言い放った。紗代は薄ら笑いをやめ、冷ややかな目で舜海を見遣る。
『それは勝ったものの言い草だ。勝てば正義か』
「……それは」
舜海は詰まった。紗代は勝ち誇ったような表情で、再び千珠を見た。
結界から手を伸ばそうとするが、見えない壁に阻まれて、紗代の手は内側に弾かれる。紗代はそれすら面白そうに笑った。
『美しいのう……お前は。その美貌でこの国の主さえも搦取っておるとは、なんと強かな子鬼じゃ』
「……」
『……この女、お前にいつも嫉妬心を駆り立てられていたらしい……可哀想にのう、子を成しておるというに、それでもまだお前を羨むとは』
「そんなことあるわけないだろ。戯言を言うな」
『いいや……妻ゆえに、お前を見る夫の目付きには敏感にもなる』
紗代は唇を吊り上げ、目を細めた。心底おもしろがっている表情である。
「……もういい、黙れ。お前の村を供養してやるから、お前も消えろ」
千珠はそう言うと、くるりと背を向けて紗代から離れようとした。紗代は高笑いをして、千珠に向かって大声で言った。
『大勢を殺め、この女を苦しめ、あまつさえ主君さえも苦しめるとはのぅ! まこと、とんでもない禍もたらす鬼よ!』
千珠は振り返らずに寝所を出て行く。
「お前、いい加減に黙れ!」
舜海は紗代に向かって声を荒げると、僧侶たちに目配せをし、再び声高に読経を始めた。
紗代は苦悶に身体をよじりながらも高笑いを続けた。その声は城中に響き渡り、千珠の耳にもその声はねっとりと絡みついて離れなかった。
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