異聞白鬼譚

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第二幕 ー呪怨の首飾りー

十、千珠の嗅覚

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「師匠……?」

九十九は呼ばれたような気がして振り返った。しかし石膏の白い大地には九十九の他に誰もいない。
「……」
九十九はここで六十八が待っていると思っていた。掟を破った九十九を殺すために……その覚悟で来た。
しかし――そこには誰もいなかった。
「何故……」
そこで九十九は奇岩の陰に何か置いてあることに気付いた。走り寄ってみると、それはいつか六十八が九十九に見せた、歴代のレッセイたちの作ったプレパラートの入った平たい木箱だった。木箱には藍色の鉢巻きが結ばれている。
「師匠のだ」

九十九の中でドクン、と心臓が鳴る。嫌な予感がした。空はわずかに薄闇、夜明けが近い。
九十九は大急ぎで宿営地へと走って戻った。


「確かに死んでいます。後頭部が割れていますから」
そう言って従者は頭の周囲に赤黒い血を流して倒れている六十八の様子を確かめた。
「ふん、つまらん死に方だったな。目障りだ、さっさと埋めてしまおう」
「七条様、あれを」
従者の言葉に七条は顔を向けた。誰か走ってくる。九十九だ。
七条は嗤う。
(自らノコノコやってくるとは……探す手間が省けたわ)
「こんな朝早くから何を集まってるんだ?」
ハアハアと息をつきながら九十九は声をかけると輪の中に入り――目を見張った。

「師匠……師匠……!!」

九十九は血がつくのも構わず目をつぶったまま倒れている六十八の遺骸にすがり、そしてその頬を両手で包んだ。
「そんな、一体、どうして。なんで!?」
「飛び降りたのだ。その男は、掟を守ると言って飛んだ」
七条が言った。九十九は茫然とする。掟を守る――破ったのは九十九だ。なぜ。

――わからないの?

九十九の脳裏に七十七の言葉が響く。そうだ。掟を破ったのは九十九だ。
一二三である六十八に弑されなくてはならなかった――しかし六十八はやってこなかった。


自分の愛弟子を殺すことができなかった。


それは掟破りだ。だから――掟に従って、死んだ。

九十九の瞳からぼろぼろと涙がこぼれた。ぬぐっても、ぬぐっても落ちてくる。
(――師匠になら殺されてもいいよ、なんて)
なんて勝手な言い草だったのだろう、自分は。

たちまち九十九の脳裏に六十八に拾われてからの果てしない旅路が色鮮やかによみがえった。
砂の海、青を閉じ込めた水面。師の背中に揺られながら七色の空を仰ぎ見た。
――懐かしく厳しい笑顔。

(俺は、本当に何も知らなさすぎる)

いつか自分は六十八をどこかへ置いてなど行けないと思った。師を見捨てることなどできないと。
なのになぜ自分は――六十八は自分を殺せるなどと思ったのだろう。 
(大馬鹿野郎だ、俺は)

嫌になる――後悔ばかりで。

師匠、と九十九は嗚咽を漏らした。
六十八を包む血だまりは次第に結晶化していく。やがてそれは六十八の身体を覆い、わずかに顔だけ残し赤い鉱床となった。
「残念だったな、鎮魂の祈りでも捧げ給えよ。そのあと死んでもらう」
七条のセリフに九十九は立ち上がった。目を拭うと、
「どういう意味だ」
「君には世話になった。それだけは感謝しよう。だが、貴様には罪人の血が流れている。ゆえに我々はとどめを刺しに来たのだ。自分が罪深い存在である事はわかっているのだろう?」
「……カガクシャのことか。どこでそれを」
「どこで知ろうがどうでもいい。我々はお前たちに千年もの間苦しめられてきた。レッセイが死ねばすべてはおさまる。七十七とやらもこの男も死んだ。お前も死ぬのだ」
従者たちが槍や回路を持ちだす。
七十七姉まで……九十九は頭を振った。


「何をしているの!?」


玲瓏な声が響いて一同は動きを止めた。ロサの入り口から、少女が出てくる。
アルタだ。

「何を――何をしているのエズ? 九十九? ……武器など持ちだして……」
アルタは早くに発つだろう、九十九たちを見送るつもりでいち早く起きてきたのだ。しかしその場の異様な雰囲気を察し、不審な顔で近づいてきて――息を飲んだ。
「これは、————レッセイの惣領では!? なぜ!?」
「アルタ様お下がりください。我々はこれから処刑を行わなくてはならない」
七条は冷ややかに言った。
「できればあなたに見せたくはなかった」
「何を言ってるの、エズ」
「私はもう七条です、アルタ様。レッセイ・ギルドは殺す。この世界のために」
「何を言ってるのよ!!」
アルタの表情が壊れる。六十八の亡骸と九十九を交互に見、
「まさかエズ――いえ七条。あなたがやったの」
「その男は勝手に自ら死んだだけです。残るは九十九、貴様だけだ」
「どうしてそんなことするのよ!」
アルタは悲鳴を上げて七条の腕にすがった。
「それはあなたが一番よく知っておいでのはずだ!!」
七条はアルタの手を払い、叫ぶ。
「穢れたカガクシャの――その千年後の姿がこ奴なのです! いてはならない!」
「七条……! 貴方、九十九と私の会話を聞いていたのね……! だめよ、九十九はカガクシャとは違うわ! 私たちを助けてくれた! 神様なのよ!」
「この男は神などではありませんぞ。悪魔です。アルタ様は騙されているのです! レッセイ・ギルドさえいなければクリスタリスはいなくなるんだ!」
そうすればロサも――と、言葉を続けようとしたところで下腹部に走った鋭い痛みに七条はガクリと膝をついた。

腹から、剣が突き出でている。
血が垂れ、地面に落ちて――染みた。ヴァルル、とアルタは息を飲む。

七条を刺したのは源上だった。

剣を刺したまま、源上はなぜ、と声を震わせる。
「なぜレッセイを殺すのですか。彼らの正体がなんであれ、僕たちの救世主だった。いや、それよりも――なぜ七条、あなたがそんな殺戮をするのですか。手を汚すのですか。――そんなのは騎士の姿ではない! なぜ! なぜ堕ちてしまったのです! あなたを尊敬していたのに! 僕の尊敬する騎士長は死んでしまった!!」

慟哭。

源上はずるりと剣を引き抜くと、
「あなたはもう騎士などではない!」
――そういって剣を放り出した。血を吐き、七条が手をつく。
「源上、貴様――」
「彼を殺すというならあなたはただの人殺しだ!」
そう叫んで源上は膝を折り泣いた。畜生、畜生、と。
七条は放りだされた剣を見る。それは七条――エズが持っていた、騎士のつるぎだった。騎士の証。
ロサの誇りある騎士の剣が――穢れた。

レッセイだけじゃない。
自分も汚れている。
もう騎士の姿などどこにもない。
思わず目をつぶった。

「――それでも!」

ドン、と七条は地面を拳で叩く。塞がっていく腹の痛みに耐えながら、叫んだ。

「それでも私はロサを生かす! アルタ様を生き延びさせてみせる!! あなたを! 守ると! 私は誓った……! 例え堕ちようと……そのためにレッセイを殺す、殺してみせる!」

我が王よ……! 

そういって七条は苦悶の表情でアルタの足元に突っ伏した。アルタはめまいがする思いでその姿を凝視し、その場に崩れ落ちそうになって――踏みとどまった。
(――ああ、生きることはこんなにも汚い。生き延びることはこんなにも辛い)

彼の何を責められるというのか。
七条の罪は――自分の罪だ。
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