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終章 生きる場所
二、攫われた命
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由宇は茶と簡単な朝餉を用意してくれた。久々にまともな物を胃に入れたことに気付くと、暖かく優しいものが体内に満ちてくるような心地がした。
「ちょっとお痩せになりましたわね、戦はおつらかったでしょう」
「そんなことは、ありませぬ……」
千珠が顔を上げて目を合わせると、傍らに正座して給仕をしていた由宇は、ややはにかむように目を伏せる。
「そなたは、俺のことが恐ろしくないのですか」
千珠の美しい目にじっと見つめられ、由宇は一層頬を赤らめた。
「怖くなどありませんわ。始めてここへ千珠さまが来られたときから、あなたは何か恐ろしいことをする方ではないと感じていましたから」
由宇は千珠の膝先あたりを見ながら、恥ずかしそうにそう言った。
「花音にも、あなたはとても優しくしてくださった」
「……花音は? まだ寝ていますか」
由宇は、ふと、表情に翳りを見せた。そして寂しそうにこう言った。
「あなた方が戦に出立されてから二週間後に、花音は亡くなりました」
「えっ……?」
「あの子は、生まれつき胸の病に冒されていたのです」
「そんな、あんなに、元気だったのに……?」
「あなたに優しくしてもらって、ご本を読んでいただいて、とても楽しそうだった。あの子のあんな顔、私は見たことが無かったのですよ」
屈託の無い笑顔が、ふと千珠の脳裏に浮かぶ。
「黄泉の国から、千珠さまをお守りすると、花音は申しておりました」
「俺を?」
「はい。千珠様に苦しいことがないように、と……」
由宇は袖で目元をそっと拭った。後から後から、涙が溢れてくるようだった。
「一度発作が起きてしまうと、薬師も手の施しようが無くて。私も何も、できなかったのです。申し訳ありません」
「そなたがそのように謝ることは……」
「あなたが花音を、幸せにしてくれるのではないかと、心のどこかで思っていましたから。何だか、千珠さまのお顔を見てしまうと、何だか……」
由宇は顔を覆う。
花音がもういない。
俺を最初に孤独から救ってくれた少女は、もういない。
千珠は茫然と、泣いている由宇を見ていた。
あれだけの人間をこの手で殺したのに、彼らに死をもたらしたのは自分だったのに、花音は千珠の手が届かぬ所へと、攫われていってしまっていたというのか。
千珠は膝で立ち上がると、おもむろに由宇を抱きしめていた。
「千珠さ……」
「……すまない。しばらく、こうしていてもらえませぬか」
千珠の目からも、熱い涙が流れていた。
この喪失感を、心よりも身体が先に感じているかのように、後から後から涙が流れた。
由宇を抱きしめたのは、この涙を他人に見られたくなかったからなのか、花音を失ったことへの動揺を隠したかったからなのか、千珠にはよく分からなかった。
心の何処かで、また会えると信じていたものが、なんの前触れもなく消えていた。
花音の笑顔が、浮かんでは消える。
「……俺はもうここにはいられないかもしれない」
千珠は、突発的に心に浮かんだその言葉を、そのまま口にしていた。
「なぜ!?」
すると、由宇が弾かれたように顔を上げ、千珠はびくりと肩を揺らす。
「なぜそのようなことを、あなたまでおっしゃるのです!? 花音も、あなたまでもいなくならないでくださいませ!」
涙声で、強い口調でそう言われ、千珠は驚いて由宇の泣き顔を見つめる。
「もうこれ以上、いなくならないで欲しいのです。千珠さまにはここにとどまって欲しいのです。花音のためにも、私たちのためにも……」
「由宇殿」
「どうか」
由宇が千珠の胸に縋る。女とこのように話したこともなければ縋りつかれたことなど初めての千珠は、どうしていいか分からず、ただその肩をつかまえていた。
「……おかしなことを言って、申し訳なかった。日が高くなったら、花音を参りたい。墓所へ連れて行ってもらえぬだろうか」
「……はい」
由宇は心底安心したような表情を浮かべた。そしてふと我に返ると、真っ赤な顔をしてぱっと千珠から離れた。
「申し訳ございませぬ。私こそ、ご無礼を」
と、指をそろえて深々と頭を下げる。
「やめてください。そんな」
目元を拭いながら座っている由宇を見て、千珠はふと尋ねた。
「由宇殿は、おいくつなのですか」
「わたくしですか? 私は今年で十八になります。舜海と同じ歳なのですよ」
「そうですか。では俺より四つ年上なのですね」
「あら、もっと若く見えまして? 千珠さま、恐れながら、おなごに年を聞くことは、殿方としてはあまり褒められたことではありませんのよ」
「え、あ、申し訳ない。覚えておきます……」
さっきまで優しげだった由宇の目が、ほんの少しだけ怖くなったように思われ、千珠は慌てて謝った。
そんな千珠の困り顔に、由宇は口元を押さえて笑う。
「これからは、もっとくだけてお話しになって」
由宇はにっこりと笑う。
「はぁ……」
久方ぶりに感じる平和な空気に、千珠の心は少し緩んだ。
ほんの少し、笑った。
「ちょっとお痩せになりましたわね、戦はおつらかったでしょう」
「そんなことは、ありませぬ……」
千珠が顔を上げて目を合わせると、傍らに正座して給仕をしていた由宇は、ややはにかむように目を伏せる。
「そなたは、俺のことが恐ろしくないのですか」
千珠の美しい目にじっと見つめられ、由宇は一層頬を赤らめた。
「怖くなどありませんわ。始めてここへ千珠さまが来られたときから、あなたは何か恐ろしいことをする方ではないと感じていましたから」
由宇は千珠の膝先あたりを見ながら、恥ずかしそうにそう言った。
「花音にも、あなたはとても優しくしてくださった」
「……花音は? まだ寝ていますか」
由宇は、ふと、表情に翳りを見せた。そして寂しそうにこう言った。
「あなた方が戦に出立されてから二週間後に、花音は亡くなりました」
「えっ……?」
「あの子は、生まれつき胸の病に冒されていたのです」
「そんな、あんなに、元気だったのに……?」
「あなたに優しくしてもらって、ご本を読んでいただいて、とても楽しそうだった。あの子のあんな顔、私は見たことが無かったのですよ」
屈託の無い笑顔が、ふと千珠の脳裏に浮かぶ。
「黄泉の国から、千珠さまをお守りすると、花音は申しておりました」
「俺を?」
「はい。千珠様に苦しいことがないように、と……」
由宇は袖で目元をそっと拭った。後から後から、涙が溢れてくるようだった。
「一度発作が起きてしまうと、薬師も手の施しようが無くて。私も何も、できなかったのです。申し訳ありません」
「そなたがそのように謝ることは……」
「あなたが花音を、幸せにしてくれるのではないかと、心のどこかで思っていましたから。何だか、千珠さまのお顔を見てしまうと、何だか……」
由宇は顔を覆う。
花音がもういない。
俺を最初に孤独から救ってくれた少女は、もういない。
千珠は茫然と、泣いている由宇を見ていた。
あれだけの人間をこの手で殺したのに、彼らに死をもたらしたのは自分だったのに、花音は千珠の手が届かぬ所へと、攫われていってしまっていたというのか。
千珠は膝で立ち上がると、おもむろに由宇を抱きしめていた。
「千珠さ……」
「……すまない。しばらく、こうしていてもらえませぬか」
千珠の目からも、熱い涙が流れていた。
この喪失感を、心よりも身体が先に感じているかのように、後から後から涙が流れた。
由宇を抱きしめたのは、この涙を他人に見られたくなかったからなのか、花音を失ったことへの動揺を隠したかったからなのか、千珠にはよく分からなかった。
心の何処かで、また会えると信じていたものが、なんの前触れもなく消えていた。
花音の笑顔が、浮かんでは消える。
「……俺はもうここにはいられないかもしれない」
千珠は、突発的に心に浮かんだその言葉を、そのまま口にしていた。
「なぜ!?」
すると、由宇が弾かれたように顔を上げ、千珠はびくりと肩を揺らす。
「なぜそのようなことを、あなたまでおっしゃるのです!? 花音も、あなたまでもいなくならないでくださいませ!」
涙声で、強い口調でそう言われ、千珠は驚いて由宇の泣き顔を見つめる。
「もうこれ以上、いなくならないで欲しいのです。千珠さまにはここにとどまって欲しいのです。花音のためにも、私たちのためにも……」
「由宇殿」
「どうか」
由宇が千珠の胸に縋る。女とこのように話したこともなければ縋りつかれたことなど初めての千珠は、どうしていいか分からず、ただその肩をつかまえていた。
「……おかしなことを言って、申し訳なかった。日が高くなったら、花音を参りたい。墓所へ連れて行ってもらえぬだろうか」
「……はい」
由宇は心底安心したような表情を浮かべた。そしてふと我に返ると、真っ赤な顔をしてぱっと千珠から離れた。
「申し訳ございませぬ。私こそ、ご無礼を」
と、指をそろえて深々と頭を下げる。
「やめてください。そんな」
目元を拭いながら座っている由宇を見て、千珠はふと尋ねた。
「由宇殿は、おいくつなのですか」
「わたくしですか? 私は今年で十八になります。舜海と同じ歳なのですよ」
「そうですか。では俺より四つ年上なのですね」
「あら、もっと若く見えまして? 千珠さま、恐れながら、おなごに年を聞くことは、殿方としてはあまり褒められたことではありませんのよ」
「え、あ、申し訳ない。覚えておきます……」
さっきまで優しげだった由宇の目が、ほんの少しだけ怖くなったように思われ、千珠は慌てて謝った。
そんな千珠の困り顔に、由宇は口元を押さえて笑う。
「これからは、もっとくだけてお話しになって」
由宇はにっこりと笑う。
「はぁ……」
久方ぶりに感じる平和な空気に、千珠の心は少し緩んだ。
ほんの少し、笑った。
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