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第五章 消えぬ迷い
四、都の朝
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舜海は朝の散歩がてら、京の町並みを見物していた。
予想と違い、京は思いのほか荒廃していた。度重なる戦と飢饉、災害によって、町人たちの家並みは荒れ果てている。
それに伴い、人の心も荒んだもの。都の夜は鬼が闊歩するといわれているほど物騒であったらしい。
——鬼……か。
朝露に着物の裾を濡らしながら、舜海は千珠のことを思う。
普段こそ可憐な容姿をしているが、戦場での千珠は血に濡れれば濡れるほど凄味を湛え、その美しさから目が離せなくなるのである。
普段は冷静な千珠が、谷を滅ぼした僧兵らを殺した時のこと。理性の箍が外れ、完全な鬼になりかけていた千珠を目の当たりにして、舜海は足のすくむような感覚を覚えたものだった。
考えごとをしているうち、いつしか兵たちが屯している館に戻っていた。もうすっかり日は昇り、人々は動き出している。
「舜海、どこに行っていた? もう朝飯であったのだぞ」
と、宗方に声を掛けられる。
「ああ、ちょっと散歩にな。殿はどこに?」
「今日は都を馬で巡ると言っておられたな。そなたも供をするのであろう?」
「いや、聞いてへんな。千珠がついていくんちゃうか?」
「千珠殿は目立つのがいやだと、朝から姿が見えないのだよ」
「そうなんや」
舜海はのろのろとした足取りで廊下を歩いている留衣を見つけ、そちらに駆け寄った。
「留衣、お前が殿の供をするのか?」
留衣はどことなく浮かない顔をして、頷いた。
「そうだ。お前は行かぬのか?」
「俺は朝早くから散歩してたから、ええわ。兄妹水入らずで行って来いや。……ん? どした、浮かぬ顔をして」
「……どうもない」
「なんや、大人しいな。気色悪い」
「五月蝿い! 暑苦しい、どっか行け!」
留衣は完全に不機嫌を顕にした上で悪態をつくと、どすどすと勇ましい足音を立てて行ってしまった。
「なんやねん、あいつ……」
「しかたなかろう。愛する兄上と、恋する千珠さまの、あんな姿を見てしまってはな」
忍の二番頭、留衣の腹心の柊が音もなく現れ、低く響く声が舜海の耳に忍び込んで来る。
「うお!! あのな、忍やからって、いつでも気配消すなや! あと、耳元で喋んな、気色悪い」
「それが忍の仕事や」
と、柊はにやりと笑う。
「あんな姿って?」
と、舜海は耳をほじりながら訊く。
「夜明け前の見廻りに行ったら、殿と千珠さまが交わっておられたのだ」
柊はあいも変わらず舜海の耳元で、ひそひそとそう言った。
舜海はやや複雑な表情を浮かべ、「ああ、噂は本当だったんやな」と腕を組む。
「複雑やろうな。最愛の兄上に、初恋の千珠さまを奪われたわけやし」
柊は眉毛をハの字にすると、腕組みをして首を振った。
「初恋やってんや。俺のこと好きなんかと思ってたのに。……けど、柊は知ってたんやろ? 前から」
「俺はな。留衣さまは知らんかってん。お頭に見廻りなんかさせられへんからな」
そんな話を聞きながら舜海はつい、千珠の抱かれる姿を想像してしまった。
そして数秒後、面白くなさそうな表情を浮かべる。そして、「あかんあかん」と首を振る。
「どないしたん?」
と、柊は怪訝な顔でそう言った。
「千珠もああ見えて一応男やしな」
「何言うてんねん。お前も千珠さまのこと狙うてんのか?」
「阿呆。そんなんちゃうわ」
柊はにやりと笑うと、頷きながらまたもや舜海の耳元で囁いた。
「そうか、千珠さまを殿に取られて悔しいんやな。はよ反撃した方がええんちゃいますのん?」
「おい、耳元でごちゃごちゃ言うな。気色悪い! それにそんなんちゃうって言うてるやろ!」
舜海が手を振り回すと、柊はそれをひらりとかわした。
「まあ、俺は留衣殿の機嫌を直すのに専念するよって」
「しっかりやれや。あと、覗きも大概にせえよ」
「分かってるて。ほんならな」
柊は飄々と歩き去っていく。
舜海はため息をついて、なんとなくすっきりとしない気持ちに、少し苛立ちを感じた。
「何で俺が苛々せなあかんねん」
つい口に出してしまっている。
「何が?」
舜海は驚きのあまり声が出なかった。
当の千珠が、戦の時とは装いを改め、すっきりとした白藤色の直垂姿で立っているのだ。
「何? 苛々してんのか? お前」
千珠はそんな噂になっていることを知らないのか、いつものように淡々とした表情で舜海を見上げている。
「ん、いや別に……。お前、今日は殿のお供はせえへんのか?」
「うん。町中うろうろするんだぞ? 目立ってしょうがないだろ、俺が行ったら」
「それもそうだな」
舜海は無意識に、千珠を上から下までじろじろ舐めるように見回していた。千珠は露骨に嫌な顔をする。
「何だよ、言ってるそばからじろじろ見やがって。殺されたいのか?」
「けっ、殺せるもんなら殺してみい。今日はえらいすっきりしとるなあと思ってな。京がなかなか似合うやんか」
「そりゃ、貴族の血も流れてるんでね」
と、千珠は肩をすくめる。
「遠乗りしないか? ここは退屈だ」
千珠は日の高くなった空色の天を眩しげに仰いで、舜海を見上げた。
「お前からお誘いとは珍しいやないか。俺も退屈してたし、行くか!」
予想と違い、京は思いのほか荒廃していた。度重なる戦と飢饉、災害によって、町人たちの家並みは荒れ果てている。
それに伴い、人の心も荒んだもの。都の夜は鬼が闊歩するといわれているほど物騒であったらしい。
——鬼……か。
朝露に着物の裾を濡らしながら、舜海は千珠のことを思う。
普段こそ可憐な容姿をしているが、戦場での千珠は血に濡れれば濡れるほど凄味を湛え、その美しさから目が離せなくなるのである。
普段は冷静な千珠が、谷を滅ぼした僧兵らを殺した時のこと。理性の箍が外れ、完全な鬼になりかけていた千珠を目の当たりにして、舜海は足のすくむような感覚を覚えたものだった。
考えごとをしているうち、いつしか兵たちが屯している館に戻っていた。もうすっかり日は昇り、人々は動き出している。
「舜海、どこに行っていた? もう朝飯であったのだぞ」
と、宗方に声を掛けられる。
「ああ、ちょっと散歩にな。殿はどこに?」
「今日は都を馬で巡ると言っておられたな。そなたも供をするのであろう?」
「いや、聞いてへんな。千珠がついていくんちゃうか?」
「千珠殿は目立つのがいやだと、朝から姿が見えないのだよ」
「そうなんや」
舜海はのろのろとした足取りで廊下を歩いている留衣を見つけ、そちらに駆け寄った。
「留衣、お前が殿の供をするのか?」
留衣はどことなく浮かない顔をして、頷いた。
「そうだ。お前は行かぬのか?」
「俺は朝早くから散歩してたから、ええわ。兄妹水入らずで行って来いや。……ん? どした、浮かぬ顔をして」
「……どうもない」
「なんや、大人しいな。気色悪い」
「五月蝿い! 暑苦しい、どっか行け!」
留衣は完全に不機嫌を顕にした上で悪態をつくと、どすどすと勇ましい足音を立てて行ってしまった。
「なんやねん、あいつ……」
「しかたなかろう。愛する兄上と、恋する千珠さまの、あんな姿を見てしまってはな」
忍の二番頭、留衣の腹心の柊が音もなく現れ、低く響く声が舜海の耳に忍び込んで来る。
「うお!! あのな、忍やからって、いつでも気配消すなや! あと、耳元で喋んな、気色悪い」
「それが忍の仕事や」
と、柊はにやりと笑う。
「あんな姿って?」
と、舜海は耳をほじりながら訊く。
「夜明け前の見廻りに行ったら、殿と千珠さまが交わっておられたのだ」
柊はあいも変わらず舜海の耳元で、ひそひそとそう言った。
舜海はやや複雑な表情を浮かべ、「ああ、噂は本当だったんやな」と腕を組む。
「複雑やろうな。最愛の兄上に、初恋の千珠さまを奪われたわけやし」
柊は眉毛をハの字にすると、腕組みをして首を振った。
「初恋やってんや。俺のこと好きなんかと思ってたのに。……けど、柊は知ってたんやろ? 前から」
「俺はな。留衣さまは知らんかってん。お頭に見廻りなんかさせられへんからな」
そんな話を聞きながら舜海はつい、千珠の抱かれる姿を想像してしまった。
そして数秒後、面白くなさそうな表情を浮かべる。そして、「あかんあかん」と首を振る。
「どないしたん?」
と、柊は怪訝な顔でそう言った。
「千珠もああ見えて一応男やしな」
「何言うてんねん。お前も千珠さまのこと狙うてんのか?」
「阿呆。そんなんちゃうわ」
柊はにやりと笑うと、頷きながらまたもや舜海の耳元で囁いた。
「そうか、千珠さまを殿に取られて悔しいんやな。はよ反撃した方がええんちゃいますのん?」
「おい、耳元でごちゃごちゃ言うな。気色悪い! それにそんなんちゃうって言うてるやろ!」
舜海が手を振り回すと、柊はそれをひらりとかわした。
「まあ、俺は留衣殿の機嫌を直すのに専念するよって」
「しっかりやれや。あと、覗きも大概にせえよ」
「分かってるて。ほんならな」
柊は飄々と歩き去っていく。
舜海はため息をついて、なんとなくすっきりとしない気持ちに、少し苛立ちを感じた。
「何で俺が苛々せなあかんねん」
つい口に出してしまっている。
「何が?」
舜海は驚きのあまり声が出なかった。
当の千珠が、戦の時とは装いを改め、すっきりとした白藤色の直垂姿で立っているのだ。
「何? 苛々してんのか? お前」
千珠はそんな噂になっていることを知らないのか、いつものように淡々とした表情で舜海を見上げている。
「ん、いや別に……。お前、今日は殿のお供はせえへんのか?」
「うん。町中うろうろするんだぞ? 目立ってしょうがないだろ、俺が行ったら」
「それもそうだな」
舜海は無意識に、千珠を上から下までじろじろ舐めるように見回していた。千珠は露骨に嫌な顔をする。
「何だよ、言ってるそばからじろじろ見やがって。殺されたいのか?」
「けっ、殺せるもんなら殺してみい。今日はえらいすっきりしとるなあと思ってな。京がなかなか似合うやんか」
「そりゃ、貴族の血も流れてるんでね」
と、千珠は肩をすくめる。
「遠乗りしないか? ここは退屈だ」
千珠は日の高くなった空色の天を眩しげに仰いで、舜海を見上げた。
「お前からお誘いとは珍しいやないか。俺も退屈してたし、行くか!」
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