25 / 339
第三章 合戦の合図
八、諍い
しおりを挟む
その日は、昼前から降り始めた激しい雨に行く手を阻まれ、仕方なく再び廃城に戻ることとなった。軍勢は、そこで雨をしのぎ、しばしの休息を得る。
その晩の軍議で、舜海は千珠が僧兵による呪いを受けたことを話した。
そんな状態でも、千珠は既に一人で一つの軍勢を潰しているため、"せっかくの鬼がいるのに、これでは意味がない"と顔に書いてある重臣たちも、文句を言い難い様子であった。
しかし、唯輝だけは違った。
「せっかくの鬼の力が得られぬとは、殿が命を張って契約した意味がありませぬな」
まさに鬼の首をとったかのように、勝ち誇った笑みを浮かべてそう言った。
光政は少し険しい視線を、唯輝に向けた。
「……それでも、叔父上がここにいる意味よりは、千珠のいる価値のほうが重い」
冷ややかな光政の言葉に、その場が凍りついた。普段にこやかな宗方の表情も、強張る。
「……それは、一体どういう意味かな」
唯輝は怒りに身体を震わせながら、敢えて笑みを浮かべて光政を睨めつけた。光政はすっと目線を上げて、まっすぐに唯輝を見る。
「後方に控えているだけのあなたが、この場で意見する権利もない。それに、千珠のことをとやかく言う権利もない」
「……若様が、鬼に誑かされるとは……」
唯輝は笑みを引っ込めて立ち上がると、光政の襟首を掴み上げた。光政は抵抗せず、じっと叔父を見上げた。
「美しい見てくれに、騙されているのではあるまいか!? あいつは、卑しき妖なのだ! 人間ではないのだぞ!」
「帝を護るこの戦に、人も妖も関係ないだろう! あいつはよっぽど貴様よりも帝を護っているではないか!」
「……!」
唯輝は、立ち上がって自分を見下ろす甥を、悔しげに見上げた。乱暴に手を放す。
「何故そんなに千珠にこだわるのだ」
光政はじっと強い目で唯輝を見据え、低い声でそう訊ねた。唯輝は苛ついたように、荒々しいため息を吐く。
「嫡男というだけで……生意気な若造が……!」
「まだそれにこだわるのか。しつこい男だ」
光政がそう吐き捨てると、唯輝は怒りに目をらんらんとさせながら、鎧を鳴らして軍議の席を出て行ってしまった。
宗方はゆっくり立ち上がると、光政の肩を叩く。
「言い過ぎだ。少し落ち着け。唯輝殿は私がなだめておくから、お前も後で謝罪するのだぞ、いいな」
「……分かってる!」
光政も重臣たちに背を向けて、窓から外を見下ろした。
皆が黙り込んだ冷えた板の間に、ざぁざぁという雨の音だけが、気まずく響いている。
舜海を始め、皆が光政の態度に戸惑っていた。
光政はいつも冷静で、若い割に視野の広い、落ち着いた長だった。家督を継ぐにあたり、いざこざのあった唯輝に対してもそつなく礼を尽くしていた。
しかし、ここへ来て二人の亀裂は決定的になってしまったのだ。
「唯輝殿は、千珠さまという力を得て更に権力を増すお前のことが許せないのだ。千珠さまご自身をどうこう言っているのではない。分かっているな」
静かに諭す宗方を、光政は横顔で見遣る。その目に揺れていた苛立ちの色が、少しずつ落ち着いてゆく。
「……ああ、分かってる。早く行ってくれ」
穏やかさを取り戻した光政に宗方は微笑を見せ、急ぎ足で唯輝を追っていった。
「まぁまぁ……今夜はこれで終わりにしようや、な!」
「そ、そうだな。明日は今日の遅れを取り返すべく、たくさん歩かねばならぬし、早く休まなければ」
舜海と留衣がその場を取り持って、軍議は終わった。ぞろぞろと重臣たちが広間を出ていく。
舜海と留衣だけがその場に残り、じっと口を閉ざしている光政の大きな背中を見つめていた。
「……すまん」
ぽつりと、光政はそう言った。
「ええって。若いくせに殿はいつも立派すぎる。あんな奴、あれくらい言ってやって丁度いいんや」
と、舜海はこともなげに言う。
「そうだ。あいつ、いつも口先だけで何もせず。兄上の行動に文句ばかりいいやがる」
と、留衣も同調する。
「……お前たち、ありがとうな」
振り返った光政の顔は、苦笑していた。いつもの穏やかな目をしている。
「とはいえ、少し言い過ぎた。明日から面倒だな」
「今は戦のことだけ考えましょうや、宗方殿がうまいこと言ってくれはるわ」
「……だといいがな」
光政は腕を組んで、降り止む気配のない、雨夜空を見上げる。
雨風を防げる場所で休めることは幸いだった。明日はおそらく激しい戦が待っている。雨に濡れながらの休息では、兵たちの士気にかかわる。
光政は軽く息をついて、訊ねた。
「千珠の様子は?」
「まぁ、落ち着いてきてるな。回復力も俺らとは桁違いやから」
「そうか。僧兵どもめ……」
「明日から、大丈夫やろうか。千珠のやつ、あんなにも苦しそうに……」
と、舜海。
皆がため息をつく。光政は苦笑すると、
「お前らも休め。俺が千珠についている」
「分かった、殿も休めよ」
「ああ」
一人になると、深いため息が光政の口から漏れた。
国の内でも外でも、何かしら不穏因子はあるものだが、ずっとぎりぎりの均衡を保ってきていた唯輝との諍いは、光政を心底疲れさせた。
血のつながりも濃い相手だからこそ、煩わしい。
その心はこの土砂降りのように、重い。
その晩の軍議で、舜海は千珠が僧兵による呪いを受けたことを話した。
そんな状態でも、千珠は既に一人で一つの軍勢を潰しているため、"せっかくの鬼がいるのに、これでは意味がない"と顔に書いてある重臣たちも、文句を言い難い様子であった。
しかし、唯輝だけは違った。
「せっかくの鬼の力が得られぬとは、殿が命を張って契約した意味がありませぬな」
まさに鬼の首をとったかのように、勝ち誇った笑みを浮かべてそう言った。
光政は少し険しい視線を、唯輝に向けた。
「……それでも、叔父上がここにいる意味よりは、千珠のいる価値のほうが重い」
冷ややかな光政の言葉に、その場が凍りついた。普段にこやかな宗方の表情も、強張る。
「……それは、一体どういう意味かな」
唯輝は怒りに身体を震わせながら、敢えて笑みを浮かべて光政を睨めつけた。光政はすっと目線を上げて、まっすぐに唯輝を見る。
「後方に控えているだけのあなたが、この場で意見する権利もない。それに、千珠のことをとやかく言う権利もない」
「……若様が、鬼に誑かされるとは……」
唯輝は笑みを引っ込めて立ち上がると、光政の襟首を掴み上げた。光政は抵抗せず、じっと叔父を見上げた。
「美しい見てくれに、騙されているのではあるまいか!? あいつは、卑しき妖なのだ! 人間ではないのだぞ!」
「帝を護るこの戦に、人も妖も関係ないだろう! あいつはよっぽど貴様よりも帝を護っているではないか!」
「……!」
唯輝は、立ち上がって自分を見下ろす甥を、悔しげに見上げた。乱暴に手を放す。
「何故そんなに千珠にこだわるのだ」
光政はじっと強い目で唯輝を見据え、低い声でそう訊ねた。唯輝は苛ついたように、荒々しいため息を吐く。
「嫡男というだけで……生意気な若造が……!」
「まだそれにこだわるのか。しつこい男だ」
光政がそう吐き捨てると、唯輝は怒りに目をらんらんとさせながら、鎧を鳴らして軍議の席を出て行ってしまった。
宗方はゆっくり立ち上がると、光政の肩を叩く。
「言い過ぎだ。少し落ち着け。唯輝殿は私がなだめておくから、お前も後で謝罪するのだぞ、いいな」
「……分かってる!」
光政も重臣たちに背を向けて、窓から外を見下ろした。
皆が黙り込んだ冷えた板の間に、ざぁざぁという雨の音だけが、気まずく響いている。
舜海を始め、皆が光政の態度に戸惑っていた。
光政はいつも冷静で、若い割に視野の広い、落ち着いた長だった。家督を継ぐにあたり、いざこざのあった唯輝に対してもそつなく礼を尽くしていた。
しかし、ここへ来て二人の亀裂は決定的になってしまったのだ。
「唯輝殿は、千珠さまという力を得て更に権力を増すお前のことが許せないのだ。千珠さまご自身をどうこう言っているのではない。分かっているな」
静かに諭す宗方を、光政は横顔で見遣る。その目に揺れていた苛立ちの色が、少しずつ落ち着いてゆく。
「……ああ、分かってる。早く行ってくれ」
穏やかさを取り戻した光政に宗方は微笑を見せ、急ぎ足で唯輝を追っていった。
「まぁまぁ……今夜はこれで終わりにしようや、な!」
「そ、そうだな。明日は今日の遅れを取り返すべく、たくさん歩かねばならぬし、早く休まなければ」
舜海と留衣がその場を取り持って、軍議は終わった。ぞろぞろと重臣たちが広間を出ていく。
舜海と留衣だけがその場に残り、じっと口を閉ざしている光政の大きな背中を見つめていた。
「……すまん」
ぽつりと、光政はそう言った。
「ええって。若いくせに殿はいつも立派すぎる。あんな奴、あれくらい言ってやって丁度いいんや」
と、舜海はこともなげに言う。
「そうだ。あいつ、いつも口先だけで何もせず。兄上の行動に文句ばかりいいやがる」
と、留衣も同調する。
「……お前たち、ありがとうな」
振り返った光政の顔は、苦笑していた。いつもの穏やかな目をしている。
「とはいえ、少し言い過ぎた。明日から面倒だな」
「今は戦のことだけ考えましょうや、宗方殿がうまいこと言ってくれはるわ」
「……だといいがな」
光政は腕を組んで、降り止む気配のない、雨夜空を見上げる。
雨風を防げる場所で休めることは幸いだった。明日はおそらく激しい戦が待っている。雨に濡れながらの休息では、兵たちの士気にかかわる。
光政は軽く息をついて、訊ねた。
「千珠の様子は?」
「まぁ、落ち着いてきてるな。回復力も俺らとは桁違いやから」
「そうか。僧兵どもめ……」
「明日から、大丈夫やろうか。千珠のやつ、あんなにも苦しそうに……」
と、舜海。
皆がため息をつく。光政は苦笑すると、
「お前らも休め。俺が千珠についている」
「分かった、殿も休めよ」
「ああ」
一人になると、深いため息が光政の口から漏れた。
国の内でも外でも、何かしら不穏因子はあるものだが、ずっとぎりぎりの均衡を保ってきていた唯輝との諍いは、光政を心底疲れさせた。
血のつながりも濃い相手だからこそ、煩わしい。
その心はこの土砂降りのように、重い。
11
お気に入りに追加
236
あなたにおすすめの小説
女だけど生活のために男装して陰陽師してますー続・只今、陰陽師修行中!ー
イトカワジンカイ
ホラー
「妖の調伏には因果と真名が必要」
時は平安。
養父である叔父の家の跡取りとして養子となり男装をして暮らしていた少女―暁。
散財癖のある叔父の代わりに生活を支えるため、女であることを隠したまま陰陽師見習いとして陰陽寮で働くことになる。
働き始めてしばらくたったある日、暁にの元にある事件が舞い込む。
人体自然発火焼死事件―
発見されたのは身元不明の焼死体。不思議なことに体は身元が分からないほど黒く焼けているのに
着衣は全く燃えていないというものだった。
この事件を解決するよう命が下り事件解決のため動き出す暁。
この怪異は妖の仕業か…それとも人為的なものか…
妖が生まれる心の因果を暁の推理と陰陽師の力で紐解いていく。
※「女だけど男装して陰陽師してます!―只今、陰陽師修行中‼―」
(https://www.alphapolis.co.jp/mypage/content/detail/892377141)
の第2弾となります。
※単品でも楽しんでいただけますが、お時間と興味がありましたら第1作も読んでいただけると嬉しいです
※ノベルアップ+でも掲載しています
※表紙イラスト:雨神あきら様
俺だけ毎日チュートリアルで報酬無双だけどもしかしたら世界の敵になったかもしれない
亮亮
ファンタジー
朝起きたら『チュートリアル 起床』という謎の画面が出現。怪訝に思いながらもチュートリアルをクリアしていき、報酬を貰う。そして近い未来、世界が一新する出来事が起こり、主人公・花房 萌(はなぶさ はじめ)の人生の歯車が狂いだす。
不意に開かれるダンジョンへのゲート。その奥には常人では決して踏破できない存在が待ち受け、萌の体は凶刃によって裂かれた。
そしてチュートリアルが発動し、復活。殺される。復活。殺される。気が狂いそうになる輪廻の果て、萌は光明を見出し、存在を継承する事になった。
帰還した後、急速に馴染んでいく新世界。新しい学園への編入。試験。新たなダンジョン。
そして邂逅する謎の組織。
萌の物語が始まる。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。
カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。
今年のメインイベントは受験、
あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。
だがそんな彼は飛行機が苦手だった。
電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?!
あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな?
急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。
さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?!
変なレアスキルや神具、
八百万(やおよろず)の神の加護。
レアチート盛りだくさん?!
半ばあたりシリアス
後半ざまぁ。
訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前
お腹がすいた時に食べたい食べ物など
思いついた名前とかをもじり、
なんとか、名前決めてます。
***
お名前使用してもいいよ💕っていう
心優しい方、教えて下さい🥺
悪役には使わないようにします、たぶん。
ちょっとオネェだったり、
アレ…だったりする程度です😁
すでに、使用オッケーしてくださった心優しい
皆様ありがとうございます😘
読んでくださる方や応援してくださる全てに
めっちゃ感謝を込めて💕
ありがとうございます💞
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
異世界召喚でクラスの勇者達よりも強い俺は無能として追放処刑されたので自由に旅をします
Dakurai
ファンタジー
クラスで授業していた不動無限は突如と教室が光に包み込まれ気がつくと異世界に召喚されてしまった。神による儀式でとある神によってのスキルを得たがスキルが強すぎてスキル無しと勘違いされ更にはクラスメイトと王女による思惑で追放処刑に会ってしまうしかし最強スキルと聖獣のカワウソによって難を逃れと思ったらクラスの女子中野蒼花がついてきた。
相棒のカワウソとクラスの中野蒼花そして異世界の仲間と共にこの世界を自由に旅をします。
現在、第三章フェレスト王国エルフ編
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる