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第一章 青葉の国
五、花音
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千珠を助けたのは、青葉国第十四代目当主、大江光政である。
先代の父・大江政春が亡くなり、齢十九であった光政が家督を継いでから、四年の月日が流れていた。
青葉国は備前と播磨の国境に位置する、瀬戸内に面した国だ。穏やかな気候と豊かな自然に守られて、この国は大きな争い事もなく繁栄してきた。
海では漁師たちが魚を獲り、町では海路を使う商人たちが賑やかに商いをし、女子どもは溌溂と男たちの仕事を助ける。人々の暮らしは活気に満ちている。
千珠の匿われている寺は、青葉の国の山間にある寺だ。寺名は霊仙寺というが、国の名から"青葉の寺"と呼ばれることがもっぱらである。
約二百年前に建立されたこの寺には、本尊を祭る阿弥陀堂と能舞台、そして二層造りの鐘楼が、広々とした庭を囲むように配置されている。
正門をくぐって正面に聳える阿弥陀堂は、本尊たる阿弥陀如来立像、両脇壇に聖徳太子像と法然上人坐像を安置する、古めかしくもどっしりとした建物である。
それらの伽藍の裏手には二つの僧坊と、更に山奥へと進んだ先にある離れの建物が立ち並び、そこいらはいつも子どもの声で賑やかだ。
ここの住職はもう高齢であるが面倒見が良く、困っている者を放っておけない人物であった。
戦や天災で親を失った子どもたちを見捨てることを良しとせず、あちこちから保護されてきた子どもらを青葉の寺で育てている。
❀
千珠の世話係となった花音も、そうして拾われた子どもの一人だ。
花音は昼餉を持って、千珠のいる離れへとやってきた。
障子をそっと開けて中を見ると、千珠は壁にもたれ、座り込んでいた。片膝を立てて腕に顔をうずめている。
花音は心配そうに眉を寄せ、すっと部屋の中に入った。
「お昼ごはん、食べる?」
そっと横から千珠を覗き込む。
「……」
「あたしたち、ふたりともみなし子になっちゃったんだね」
千珠は顔を上げた。琥珀色の目はどことなく濁り、虚ろな目をしているものの、泣いてはいない。
「聞いていたのか」
「うん。でも、大丈夫だよ。ここの人は皆優しいし、食べるものにも困らないもん」
「……お前も、苦労したみたいだな」
「まぁね」
と、花音は笑った。
「光政様も、良い人なんだよ」
「……」
「あたし、ここへ来たばっかりの頃、遊んでもらったことがあるんだ。とっても強くて、とっても優しい人だよ」
「お前も、俺があいつの下僕になればいいと思っているのか」
「違うよ。でもね、そうなったら、千珠さまはずっとここにいてくれるんでしょ? あたし、千珠さまはここにいて欲しいもん」
「……なんでだよ」
「一人ぼっちは嫌だもん」
花音の真剣な眼差を受け、千珠はその意図が分からず困惑してしまう。
「お前には寺の奴らがいるだろう」
「千珠さまが一人ぼっちなのもいやなの!」
「俺は鬼だ、人間と一緒にするな」
「あたしがいやなの!」
千珠は困り果てた顔で、溜め息をつく。慣れない人間の女童相手に、どう反応していいやら分からない。
しかも、この花音は鬼を恐れる風もない。それが更に、千珠を戸惑わせる。
「分かるんだから、寂しいって。さっきも本当は泣いていたくせに」
「泣いてなんか……」
「うそ! 寂しがり屋のくせに!」
花音は目に涙をいっぱいにためて、じっと千珠を見つめてくる。
「……」
さっき心を占めていたのが、寂しいという感情なのだろうか……ふと、そんなことが頭をかすめる。
千珠は、白珞族の仲間たちしか知らなかった。
戦闘種族と呼ばれる鬼でありながら、戦いの中で生きるということがどういうことかまだ分からぬまま、一人になった。千珠はまだ、戦を経験したことがなかったからだ。
この世にたった一人取り残され、たった一人で生き延びて。これからどうすればいいのか、まるで皆目見当がつかないでいる。
——俺はどうすればいいんだろう……。
花音の言葉は、いちいち胸に深く突き刺さってくる。
段々と自分の本音が顕にされるような感覚を誤魔化すように、泣きそうな表情で俯いている花音の頭を、千珠はおずおずと撫でる。
「……分かったよ。分かったから泣くな。確かに、一人でいるよりはお前たちといた方が良さそうだな」
千珠がそう言うと、花音が顔を輝かせて笑う。
「そうでしょう?」
「戦が終わるまでは、お前らの味方でいてやるよ」
「戦が終わっても、ずっとここにいたらいいじゃない」
「人間と暮らせってのか? 冗談じゃない、戦が終われば俺は……」
「帰る所なんか、ないんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあここにいたらいいよ、ずうっと、ずうっと」
花音の言葉に、言い返す台詞が見つからない。
戦が終われば、光政の生命を奪って里へ帰る。それが白珞鬼のやり方だが、帰る場所はもはやない。
「とりあえず……俺は光政に勝利をもたらさねばならない。全てはそれからだ」
千珠は、否応なしに現実を突きつける花音と過ごすことに疲れてしまい、裸足のまま裏山の中へと逃げ込んだ。
先代の父・大江政春が亡くなり、齢十九であった光政が家督を継いでから、四年の月日が流れていた。
青葉国は備前と播磨の国境に位置する、瀬戸内に面した国だ。穏やかな気候と豊かな自然に守られて、この国は大きな争い事もなく繁栄してきた。
海では漁師たちが魚を獲り、町では海路を使う商人たちが賑やかに商いをし、女子どもは溌溂と男たちの仕事を助ける。人々の暮らしは活気に満ちている。
千珠の匿われている寺は、青葉の国の山間にある寺だ。寺名は霊仙寺というが、国の名から"青葉の寺"と呼ばれることがもっぱらである。
約二百年前に建立されたこの寺には、本尊を祭る阿弥陀堂と能舞台、そして二層造りの鐘楼が、広々とした庭を囲むように配置されている。
正門をくぐって正面に聳える阿弥陀堂は、本尊たる阿弥陀如来立像、両脇壇に聖徳太子像と法然上人坐像を安置する、古めかしくもどっしりとした建物である。
それらの伽藍の裏手には二つの僧坊と、更に山奥へと進んだ先にある離れの建物が立ち並び、そこいらはいつも子どもの声で賑やかだ。
ここの住職はもう高齢であるが面倒見が良く、困っている者を放っておけない人物であった。
戦や天災で親を失った子どもたちを見捨てることを良しとせず、あちこちから保護されてきた子どもらを青葉の寺で育てている。
❀
千珠の世話係となった花音も、そうして拾われた子どもの一人だ。
花音は昼餉を持って、千珠のいる離れへとやってきた。
障子をそっと開けて中を見ると、千珠は壁にもたれ、座り込んでいた。片膝を立てて腕に顔をうずめている。
花音は心配そうに眉を寄せ、すっと部屋の中に入った。
「お昼ごはん、食べる?」
そっと横から千珠を覗き込む。
「……」
「あたしたち、ふたりともみなし子になっちゃったんだね」
千珠は顔を上げた。琥珀色の目はどことなく濁り、虚ろな目をしているものの、泣いてはいない。
「聞いていたのか」
「うん。でも、大丈夫だよ。ここの人は皆優しいし、食べるものにも困らないもん」
「……お前も、苦労したみたいだな」
「まぁね」
と、花音は笑った。
「光政様も、良い人なんだよ」
「……」
「あたし、ここへ来たばっかりの頃、遊んでもらったことがあるんだ。とっても強くて、とっても優しい人だよ」
「お前も、俺があいつの下僕になればいいと思っているのか」
「違うよ。でもね、そうなったら、千珠さまはずっとここにいてくれるんでしょ? あたし、千珠さまはここにいて欲しいもん」
「……なんでだよ」
「一人ぼっちは嫌だもん」
花音の真剣な眼差を受け、千珠はその意図が分からず困惑してしまう。
「お前には寺の奴らがいるだろう」
「千珠さまが一人ぼっちなのもいやなの!」
「俺は鬼だ、人間と一緒にするな」
「あたしがいやなの!」
千珠は困り果てた顔で、溜め息をつく。慣れない人間の女童相手に、どう反応していいやら分からない。
しかも、この花音は鬼を恐れる風もない。それが更に、千珠を戸惑わせる。
「分かるんだから、寂しいって。さっきも本当は泣いていたくせに」
「泣いてなんか……」
「うそ! 寂しがり屋のくせに!」
花音は目に涙をいっぱいにためて、じっと千珠を見つめてくる。
「……」
さっき心を占めていたのが、寂しいという感情なのだろうか……ふと、そんなことが頭をかすめる。
千珠は、白珞族の仲間たちしか知らなかった。
戦闘種族と呼ばれる鬼でありながら、戦いの中で生きるということがどういうことかまだ分からぬまま、一人になった。千珠はまだ、戦を経験したことがなかったからだ。
この世にたった一人取り残され、たった一人で生き延びて。これからどうすればいいのか、まるで皆目見当がつかないでいる。
——俺はどうすればいいんだろう……。
花音の言葉は、いちいち胸に深く突き刺さってくる。
段々と自分の本音が顕にされるような感覚を誤魔化すように、泣きそうな表情で俯いている花音の頭を、千珠はおずおずと撫でる。
「……分かったよ。分かったから泣くな。確かに、一人でいるよりはお前たちといた方が良さそうだな」
千珠がそう言うと、花音が顔を輝かせて笑う。
「そうでしょう?」
「戦が終わるまでは、お前らの味方でいてやるよ」
「戦が終わっても、ずっとここにいたらいいじゃない」
「人間と暮らせってのか? 冗談じゃない、戦が終われば俺は……」
「帰る所なんか、ないんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあここにいたらいいよ、ずうっと、ずうっと」
花音の言葉に、言い返す台詞が見つからない。
戦が終われば、光政の生命を奪って里へ帰る。それが白珞鬼のやり方だが、帰る場所はもはやない。
「とりあえず……俺は光政に勝利をもたらさねばならない。全てはそれからだ」
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