ロスト・ナイト—異世界から落ちてきたのは迷子の騎士でした—

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43、今までも、これからも

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「僕のペンダント……ずっと、しててくれたんだな」
「うん。……本気で、肌身離したことない」
「そうなんだ。ふふっ……嬉しいな」
「でも、もう外してもいいかもな。ティルが戻ってきてくれたから」
「うん、そうだな。……このペンダントを見ていると、複雑な気持ちになるよ」
「複雑?」
「うん……。かつての自分には、騎士として、王として……守るべきものがたくさんあった。でも今の僕は、あまりにも非力で、生きる意味さえも曖昧で……」


 俺の裸の胸にさらりと滑る黄金の鎖を、ティルナータの白い指先がたどっていく。ペンダントヘッドを飾る赤い宝玉を見つめるティルナータの瞳は、どこか遠くを見つめていた。


「ティル? どうした? 大丈夫か?」
「うん、大丈夫……。この家、前と違うな。引っ越ししたんだな」
「うん。ちょっとね、ティルがいないあの部屋にいると、つらくてさ。あのあとすぐ引っ越したんだ」
「……そう……」

 ティルナータはかすれた声でそう呟きながら、気だるげに寝返りをうって部屋の中を見回した。

 俺が以前住んでいたアパートは、大学のすぐそばにあったけど、今は大学の最寄り駅のすぐ近くのマンションに住んでいる。ここは都市部からは遠い市街地だから、家賃は駅近でもさほど高くはない。相変わらずワンルームだけど、駐車場つきで築浅、南向きで日当たりが良く、移動にも便利なこの家を俺はそれなりに気に入っていた。

「そういえば、ティルはどこの大学に行ってるんだ? 寮ってどこにあるの?」
「ここから電車で……三十分くらい、かな。英誠大学の文学部で、日本文化について学んでる」
「ええっ!? 超名門じゃねーか! ティル、頭いいんだな、さすが」
「うん……そこじゃないと学費を払わないと言われていたから、すごくがんばったんだ」
と言って、ティルナータはちょっと物憂げに微笑んだ。


 激しいセックスの後の、けだるくも心地良い雰囲気に身を委ね、俺たちはのんびりとベッドに寝っ転がっている。

 脱ぎ散らかした服やなんかで部屋はひどい状態だけど、俺の腕枕でうとうとしながら眠たそうに話をするティルナータは、容姿は変わってもやっぱり天使。俺は骨ばった背中を撫でながら、ふと、気になっていたことを聞いてみた。

「ティルは、どうしてそんなに自分の身体を恥ずかしがるんだ? 綺麗な身体なのに」
「……父は、ハーフである僕を他人に見られることを、ひどく嫌ってた。それであまり外に出してもらえなくて、こんな貧相な体つきに。……昔とは全然違うから、ちょっと恥ずかしくて」
「えっ!? な、何だよそれ!? 監禁されてたってこと!?」
「そこまでじゃない、かな。一応学校には行かせてもらっていたし……。けど、行きも帰りも父の部下の送迎で、友達もあまりできなかったし、部活とか、外で遊ぶこととか、させてもらえなかったんだ」
「送迎……? 今の父親は、金持ちなのか?」
「うん、建築士でね。大きな事務所を抱えてる。……広い広い家にいると、いつも寒くてさみしかった。母は僕のことを哀れんでいたみたいけど、父には何も口出しできないみたいで、逆にかわいそうに思えて……。食事もね、何を食べても味がしない。美味しいと思えたことがない。母と二人、質素な生活をしていた頃の方が、ずっとずっと楽しかった。でも、父は母のことは愛しているみたいだから……僕さえ距離をおけば、問題は全て解決すると思って」
「そんな……」
「でも、実際楽になったよ。寮に入ってまだ三週間程度だけど、すごく自由で気が楽だ。寮にはいろんな国の学生がいるから、僕の髪の色も目の色も、誰も気にしない。日本人の学生たちも、いい人ばかりで、すごく楽しい」
「そっか……それならよかった。でも、ひどすぎだろ今の父親。ティルのどこが変だっていうんだ」

 俺が憮然としながらそう言うと、ティルナータは俺の胸にひたいを寄せてくすくすと笑った。

「……父の家系には、僕のような髪の色をした人間はいないんだ。目の色も全然違うしな。僕はよそ者なんだから、わきまえて行動しなさいと、よく言われてたよ」
「色……って」

 もぞりと身体を横に向け、俺はティルナータを正面から見つめてみた。淡い間接照明の明かりを受けて、茶色味の強い金髪や、淡い色をした瞳が静かな光を湛えている。

 以前のティルナータは、輝かんばかりの金髪に、鮮やかな緋色の瞳。現代人離れした華やかな容姿からは、あふれんばかりの気品と自信が漲っていたものだった。

 今のティルナータからは、儚さの方が強く感じられる。でも、しっとりとした艶を孕んだ柔らかな髪は美しいし、指に滑らかに絡む感触がことのほか気持ちがいい。瞳は確かに珍しい色をしているけれど、やさしい蜂蜜色の瞳には曇りがなく、宝石のようにきらめいている。

「……すごくきれいだよ。髪の色も、目の色も」
「でも……以前の僕と比べたら」
「比べる必要なんかないよ。俺は、すごく好き。今のティルナータの姿も、すごくかわいい」
「……ユウマ」

 ティルナータはうるりと目を潤ませ、ぎゅっと俺にしがみついてきた。そして小さな声で、「ありがとう……」と呟く。

「ロシアにいる頃からずっと、日本に行ってみたいと思ってた。それはずっと、父の故郷だからそうなんだと思ってた。でも、違ったんだ。僕自身が、ユウマのもとに帰って来たかったからだったんだろうな」
「うん……そうだよ、きっと」
「嬉しい。……すごく、嬉しい」


 ティルナータはそう言って俺を見上げると、首を伸ばして俺にキスをしてくれた。


 再会した瞬間よりも、そして倒れた後に目を覚ました時よりも、今のティルナータの表情はぐっと明るくなっている。そうして明るい笑顔を浮かべていると、かつてのティルナータの面影がはっきりと見て取れた。


 以前よりも少し幼さの残る顔立ちは愛らしくて、なんとしてでも俺が守ってやらなきゃっていう気持ちになってくる。


 七年前にティルと出会った頃の俺は、自分に自信がなさすぎるヘタレだったけど、今は違う。


 ティルナータに愛されて、身を千切られるほどの別れを経て、孤独の痛みを乗り越えた。今の俺にはもう、怖いものなんて何もない。


 俺は、この腕の中に戻ってきてくれた柔らかなぬくもりをもう絶対に離さない。憂いのある瞳に、新しい世界を見せてやりたい。ティルナータの存在は、何にも代えがたいほどに大切なものだと、毎日でも伝えてやりたい。


「ティル」
「ん?」
「おかえり」
「え……?」
「言い忘れてたと思って。……ずっとティルのこと、待ってた。帰ってきてくれて、ありがとう」
「ユウマ……」
「愛してるよ。これからも、ずっと」


 心を込めてそう告げると、ティルナータの瞳がことさら明るくきらめいた。見る間に両目から大粒の涙が溢れ、ぽろぽろと白い頬を伝う。


「うん……っ、うん……僕もユウマを愛してる……。ただいま……ただいま、ユウマ」
「おかえり。大好きだよ、ティル」
「うんっ……っ……うん、ただいま、僕も、大好きだ……ユウマ、会いたかった、ずっとずっと……」


 ティルナータの熱い涙が、俺の胸を濡らす。俺はしっかりとティルナータの背中を抱きしめて、小刻みに震える背中をゆったりと撫で続けた。


 そうしているうちに、ティルナータの身体から力が抜けていく。小さな嗚咽が、深い呼吸へと変わっていく。


 ティルナータの寝息に耳を傾けながら、俺も一筋、涙を流した。



 ——俺たちはもう、結んだ手と手を離さない。



 眠るティルナータの身体をしっかりと抱き寄せて、俺は静かに目を閉じる。


 まぶたの裏に、あの日見たエルフォリアの星空が、見えた気がした。
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