ロスト・ナイト—異世界から落ちてきたのは迷子の騎士でした—

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 そして俺たちは、再び例の採石場へとやって来た。


 採石場の静寂を守るかのように、黒塗りのセダンが辺りを山道を封鎖している様子は物々しくていかにも異様だが、事情を知らない一般人に見られるのは厄介だ。こういうことが軽くできてしまうあたり、さすががはヤクザの若頭だなと俺は思った。


 採石場には数台の大きな投光器が設置されていて、あたりを昼間のように明るく照らしていた。そして、いつぞや九条が謎めいた魔法陣を描いていた場所に、違う絵柄の魔法陣が描かれている。


 八角系という基本的な形は同じだが、その周囲にはいくつもの円が重なり合って描かれていて、複雑怪奇な文様を浮かび上がらせている。車を降りたティルナータは、吸い寄せられるようにその陣の方へと歩み寄っていった。


「……これで、道を開くのか」
「あぁ、そうだよ、ティル。宇宙そらに星々が直列する時、この地に眠る精霊たちの力が最大限に引き出される。その力を借りて、この魔法陣を起動させるのだ。これが、鍵だ」


 そう言って、シュリは首元からシルバーのペンダントを引っ張り出した。それはティルナータが身につけていたものとよく似ているが、はまっている石の色が違っている。ティルナータのものはルビーのような色をした美しい石だが、シュリのものは黒とも青ともいえない複雑な色をした石だった。


「……僕らは本当に帰るんだな、エルフォリアに」
「その通りだ。皆が、お前の帰りを待っているよ」
「……そうか」


 ティルナータは空を見上げた。まだ開いていない異世界への道を夜空に探すかのように、暗い空を睨みつけている。あいも変わらずしんしんと降り続いている雪が、ティルナータのまつげにふわりと乗った。


かしら……俺は、もう下がった方がいいでしょうか」
と、俺たちをここまで連れて来てくれたあの若い男が、シュリにおずおずと声をかけた。そういえば、シュリは今回のことを、組員たちにどう説明したんだろう。世話になったと言っていた親父さん……つまりは組長にも、どう話をつけて来たんだろう……と、俺はふとそんなことが気になった。

「そうだな、下の奴らと合流していろ。零時を過ぎたら、すぐに組へ帰れ。おやじには、もう話をつけてあるから」
「……はい」
「世話になったと、皆に伝えてくれ。花仙組のやつらは皆、俺の話を信じてくれた。俺の異能を受け入れ、居場所と仲間を与えてくれた……恩に着る」
「は……はいっ……!! こっちこそ、本当に、本当に世話んなりました……!!」

 その若い男は、絞り出すようにそう返事をして、九十度に体を折った。見る間にその目からはぽたぽたと涙が流れ、冷え切った地面を小さく濡らす。

 シュリはその男の頭を抱き寄せて、ぽんぽんと背中を叩いた。数秒間そうしていた後、シュリはその男の首根っこを掴んで身を離すと、ちゅっとひたいにキスをする。

「元気でな」
「はっ……はい……!!」
「泣いてないで、早く行け」
「……はい……!!」

 男は涙声で返事をし、もう一度深く頭を下げた。そして、ふらふらと車に乗り込んで、静かにその場を去って行く。
 そんな二人の姿を隣で見守っていたティルナータの手が、そっと俺の手を握った。

 その男を見送ったシュリが、俺たちの元へ歩み寄って来る。そして、寄り添う俺たちの傍に立ち、並んで魔法陣を見下ろした。

「シュリは、ちゃんと別れを済ませて来たのか」
と、ティルナータがシュリに尋ねた。
「まぁな。若い者には泣かれたよ。五年も組にいたからな」
「五年……か。長い年月だ」
「そうさ。情が湧くには十分すぎる時間だった。運命とは、残酷なものさ」
「僕が見つからなかったら良かったと思うか?」

 ティルナータがそんなことを言うと、シュリはアイスブルーの瞳をティルナータに向けた。そしてティルナータの頭をポンと撫で、首を振る。

「そんなわけないだろ。お前を守り、国へ連れ帰ることこそが、俺の使命であり目的なのだ」
「……そうか」
「あちらに戻ったらもう、ティルのことをお前呼ばわりできないな。お前は俺たちの王になる男なのだから」
「今のうちに好きなだけお前呼ばわりしておけばいいさ」

 ティルナータがそんなことを言うと、シュリはふっと笑って黒いロングコートを脱いだ。
 白銀色の鎧を身に纏ったシュリの姿が、懐かしい。それもそのはずだ。俺は、セッティリオであった頃、シュリとも深い友情を築き上げてきたのだから。

 ふと、死に際に交わした会話のことを思い出す。セッティリオと最後に言葉を交わしたのは、他ならぬシュリだった。
 俺を置いて行くことに、罪の意識を感じていなかっただろうか。血を吐くようなシュリの声色と、痛々しい表情を思い出し、俺は思わずシュリに向かって声をかけていた。

「シュリ」
「……ん? 何だ」
「あの時、王を連れて逃げてくれて、ありがとうな」
「え……?」
「ティルナータのこと、よろしく頼む。俺はお前のことを、親友(とも)として愛していたよ」
「……何だと?」

 シュリが怪訝そうに眉を寄せて首をかしげた時、魔法陣を描く黒い線が、淡く光を湛え始めた。
 ふわ……とかすかな風が魔法陣から生まれ、粉雪をひらひらと下から舞い上げる。


 時計を見ると、時刻は二十三時四十五分。もうすぐ、惑星直列が成立する時間だ。


「そろそろ時間のようだな。……最後の別れをしたい。シュリ、僕らを二人にしてくれ」
「……ああ」


 なおも訝しげな目つきをしているシュリを遠ざけて、ティルナータは俺に向き直った。そして、ぎゅっと両手を握りしめる。


 眉根を寄せ、涙を堪えるような表情を浮かべて俺を見上げるティルナータのことを、最後に強く強く、抱きしめた。


「……元気でな」
「……うん」
「こんな時……何か気の利いたセリフが言えたらいいのにさ……何も出てこないよ」
「ふふっ……。もう何も、言わなくてもいいさ。僕は、たくさんのものをユウマからもらった。自信も、確信も、頼もしい言葉も。そして……あふれんばかりの愛情も」
「……ティル……」
「僕を愛してくれて、ありがとう。本当に、幸せだった」
「……俺も、俺も幸せだった。お前が好きだ。大好きだよ、ティル……」
「ユウマ……キスを」
「うん……」


 ティルナータを抱きしめて、唇を重ねる。最後の、キスだ。
 この愛おしいぬくもりを身体にしっかりと記憶させたくて、俺は強く強くティルナータを抱きしめた。


「……さようなら、愛しいユウマ」
「……っ……」
「泣いているのか?」
「泣いて、ねーよ……っ……」


 ティルナータは指先でそっと俺の頬を拭い、静かに静かに涙を流した。微笑みながら涙するティルナータの頬を両手で包み込み、俺はその美しい緋色の瞳を、しっかりと見つめた。


 その時、魔法陣がさらに強い光を放ち始めた。
 風はいよいよ強くなり、白い雪がぐるぐると空へ向かって巻き上げられていく。


「ティル。陣の中へ入れ……もう、時間だ」
「分かった」


 ティルナータは凛とした声でそう応じると、もう一度俺を見上げて微笑んだ。ティルナータがマフラーとモッズコートを脱ごうとしたが、俺は襟元を掴んでそれを押しとどめる。そして、「持ってけよ。お前、寒がりなんだからさ」と言って笑って見せた。


「……ありがとう」
「ううん。……かぜ、ひくなよ」
「うん。……ユウマも」
「大丈夫だよ。……さぁ、行って」
「ああ……行くよ」


 繋がっていた指と指が、ゆっくりと離れて行く。
 ぎりぎりまでティルナータの体温を感じていたくて、俺は夢中で手を伸ばした。
 一歩一歩と後退し、陣の中心へと向かうティルナータの目からまた、涙が一筋こぼれ落ちる。


 そしてついに、俺たちの指は離れてしまう。 
 もう、ティルナータの涙を拭うことも叶わない。


 陣の中心で、シュリがするりとペンダントを外した。
 そしてそれを、陣の中心に押し当てる。


 ふたりの長い髪を逆巻いて吹きすさぶ突風が、あたりの砂利を跳ね上げた。思わず後ずさってしまうほどの強い風が、二人を一気に包み込む。がしゃん、がしゃんと派手な音を立てて投光器が倒れていく。


 煌々とあたりを照らしていたライトが消えてしまったにもかかわらず、魔法陣はまばゆい光を放って、暗い夜空を明るく照らした。


 中心に立つ二人の姿が、真っ白な閃光の中に少しずつ少しずつ、溶け始める。


「……ティル……!! ティル……頑張れよ……!! 俺は、ずっとお前を想ってる!! ずっとだ!!」


 俺の叫びに、ティルナータは力強く頷いた。
 口を開いたティルナータの唇が、『ゆうま』と動いたように見えた。


 轟々という激しい風音にかき消されて、聞こえるはずのないティルナータの声が、聞こえた気がした。


 その次の瞬間、かき消すようにして光が消えた。
 ほんの一瞬のことだった。


 二人の姿は、もう、そこにはなかった。


 辺りは何事もなかったかのように静寂が戻り、しんしんと静かに雪が降る。


 俺はその場に崩れ落ち、膝をついた。
 砂利の冷たい感触が膝に突き刺さるが、それを冷たいとも痛いとも、感じなかった。


「ティル……ティル……っ……うっ……ぁああああ!!」


 叫ばずにはいられなかった。
 涙がどっと溢れ出し、全身から力が抜けていく。


 俺はその場でうずくまり、冷たい砂利をぎゅっと掴んだ。
 ついさっきまでこの手に握りしめていたティルナータのぬくもりを、探すように。


「うっ……うううっ……ティル……。うぁ、ああああああ……!」


 涙ばかりが、俺の頬を熱く濡らした。
 どんなに声を枯らしても、その声はもう、ティルナータには届かない。



 この数日間の、夢のような幸せが、終わりを告げる。
 泣き濡れた顔で空を見上げると、俺の頬に降りかかる雪が、ふわりと溶けて消えていった。


 ——いつまでも、一緒にいたかった……。一緒にいて、もっともっと、ティルナータを愛したかった。笑わせてやりたかった。いろんなものを、見せてやりたかった……。


 目を閉じると、エルフォリアで最後に見た星々が、まぶたの裏に見えた気がした。
 地球ここでは見ることのない幻想的な星空を思い出しながら、俺はもう一度、天に願う。



 ——来世でもいい。もう一度、ティルナータと出会いたい。もし出会えたら、今度こそ、絶対に離れないと誓う……。



 俺の声に応えるものは、何もない。


 ただ静かに、雪が降る。
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