ロスト・ナイト—異世界から落ちてきたのは迷子の騎士でした—

餡玉

文字の大きさ
上 下
34 / 46

33、伝えたい

しおりを挟む
 
 午前中、俺が作業をする間、ティルナータは淡島と九条とともに寺社仏閣巡りへと出かけることになった。


 今日は十二月三十日。
 ティルナータがこっちにいられるのは、あと、たった一日。
 大晦日の夜、年がかわるその瞬間に、シュリは術式を用いて時空を穿ち、ティルナータをエルフォリアへと導く道を作るらしい。


 一緒に、初詣に行けたらどんなに良かっただろう。
 人混みに驚きながらも、ティルはあの独特なお祭りムードを楽しんでくれただろうか。静謐な寺社仏閣の雰囲気と、新年を祝うめでたい空気が混ざり合う、あの感じ。ティルナータは、きっと気に入ってくれるに違いない。


 お賽銭を投げ入れる瞬間であるとか、おみくじを引く時……ティルナータは一体どんな反応を見せてくれるんだろう。お得意のなぜなぜ攻撃をくらって、俺が説明に困ってしまうであろう場面がやすやすと想像できる。


 冷えた夜の空気の中、口にするあたたかい甘酒であるとか、お汁粉であるとか……始めてのものを口にするティルナータを見てみたかった。驚きと感動を素直に表現する愛らしい表情を見ていたかった。そして、『うまいな、ユウマ』と言って笑うティルナータの笑顔を、見てみたかった……。


 指先では細かい作業を着々とこなしているのに、頭の中では、そんな考えばかりがぐるぐるとめぐった。無意識に流れ落ちる涙が、ひとすじふたすじと頬を伝う。俺はすぐさまそれをぐいっとぬぐい、作業用のゴーグルをかけて作業に戻る。


 ——泣いてる場合か。俺は、どうしてもこの絵をティルナータに見せなきゃならない。集中しろ……。


 手にしたピンセットで血液を剥離しつつ、綿の手袋をした指先で絵の表面を撫でる。


 徐々に徐々に、絵画に体温が戻ってくるような感じがした。



 +  +



「……ユウマ?」
「おう、来たか」

 午後になり、ティルナータがひとりでアトリエに入って来た。淡島と九条には「ティルと二人きりで話したい」と伝えてあったため、二人はここには来ていない。

 ティルナータはいつものように俺のモッズコートを着込んでいたが、今日は寒かったせいか、ジッパーを一番上まで上げている。少し長め丈のモッズコートの裾から伸びる細い足や、あの日欲しがったムートンブーツ、眩すぎる金髪を隠すためのニット帽……現代風のいでたちがすっかり板について来たなぁと、俺はしげしげとティルナータの全身を見つめた。


 もうすぐ、ティルはあの白銀の鎧に身を包む。
 そう思うと、ティルナータの愛らしい洋服姿が、とても愛おしく感じられて、涙がまた……。


「ユウマ? それが、例の絵か?」
「えっ、あ……うん、そうだよ」


 俺の感傷をよそに、ティルナータは壁に立てかけてある絵画に興味津々といった様子で歩み寄っている。麻の布をかけてあるその絵の中身が、気になって仕方がないようだ。


 全ての血液を剥離できたわけではないが、午前中の作業がはかどったおかげで、絵画の全体像はちゃんと見て取れるようになっている。
 俺は何をもったいぶるでもなく、ティルナータに微笑みかけてから、さっとその麻布を外した。


「……! これは……」


 砺波氏が描いていたものは、『勝利』。
 若く美しい王が、血を流しながらも勝利を手にし、多くの戦士を率いてエルフォリアに凱旋する……まさにその瞬間を描いたものだった。


 背後に描かれている戦士たちの表情は皆明るく、希望に満ちている。勝利の雄叫びを上げながら剣を高く掲げる戦士たちの目線は、もれなく中心に立つ金髪の青年の方へと向いている。


 その金髪の青年は、悠然と風にはためくエルフォリアの国旗を左肩に担ぎ、右肩には傷ついた騎士に肩を貸している。美しく整った細面には誇らしげな笑みが浮かび、緋色の瞳には晴れ晴れとした光があった。身体のそこここから血を流している描写はあるものの、その青年の両脚は、力強く大地を踏みしめている。


 金髪の青年の、顔立ち。
 それは紛れもなく、ティルナータのものだ。見間違いようがない。今よりも数年後の、ティルナータの姿を描いたものに違いない。


 くるんとした目元や、頬のラインが今よりもすっきりとして、少しばかり大人びている。周りにいる戦士たちと身長もさほど変わらない様子を見ると、背丈も少し伸びているのだろう。


 俺に見せる素直で愛らしい表情は、影を潜めている。華のある精悍さや頼もしさを感じさせる美青年へと成長したティルナータの姿が、生き生きと絵画の中に存在しているのだ。


 勝利の女神を彷彿とさせる、美しく神々しい笑顔。
 戦士たちから向けられる、親愛の情がこめられた目線。


 今よりもなお一層美しく成長したティルナータの姿もさることながら、俺はそこに描かれている人物たちの表情にも心を揺さぶられた。


 皆がティルナータのために、国のために力を出し切った。皆の力でエルフォリアを取り戻した。


 王になったティルナータは、決して孤独ではない。彼らの眼差しを見ていれば、自ずと分かる。


 俺は何よりもそれが一番、誇らしかった。


「……これは……僕、なのか……?」
「そうだよ、間違いない。この絵を描いた砺波さんて人は、日本からエルフォリアに迷い込んだんだ。その頃国は戦争の真っ只中で、砺波さんは大平原で兵士に捕まって、若い王様の前に連れ出されたって言ってたんだって」
「……ニホンから、人が?」
「そう。砺波さんは殺されるって思ったらしいんだけど、若い王様は、砺波さんを丁重に扱ってくれたらしい。戦火の及ばない場所でかくまってもらって、戦争が終わったあとは、エルフォリアで宮廷画家っていう仕事をもらったらしい」


 俺は食い入るように絵画を見つめるティルナータの表情を見つめながら、さらに続けた。


「ティルは自信がないって言ってたけど……俺は、大丈夫だと思うんだ。ティルナータは、すっげー優しくて、かっこいい、最高の王様になれるよ」
「……え?」
「これを見て、確信した。ティルは立派にエルフォリアを勝利に導いて、皆の顔に笑顔を取り戻す」
「……」
「俺は、お前がいつかこういう未来を切り拓くと、信じていた」
「……え?」


 俺がそう言い切ると、ティルナータは大きな目を瞬いて視線を絵画から外し、じっと俺を見つめた。まるで何かを探るような眼差しを受け止めながら、俺は一歩二歩と、ティルナータに歩み寄る。


 そっと金色の頭を撫でると、ティルナータは微かに小首を傾げ、「……ユウマ?」と呟いた。


「これまでの自分を思い出して、自信を持つんだ。風も、炎も、水も、氷も、すべての精霊がお前に味方する。何万人もの戦士や民が、お前の帰りを待ってる。お前が王となることを、誰しもが歓迎する」
「……ユウマ……? 何を、言ってるんだ」
「特別なことは、何もしなくていい。ただ、今までどおりの自分であればそれでいい。これまで培って来た絆たちは、決してお前を裏切らない。俺には分かる。絶対に、ティルナータは素晴らしい国王になる」
「……ユウマ……?」
「何も心配しなくていい。お前は必ずやり遂げる。だから……大丈夫」


 ティルナータの瞳が、何かを感じ取ったかのように微かに揺れた。
 長いまつ毛を上下させながら、俺の中に潜む何かを必死で見つけ出そうとするような、熱い眼差し。


 ——この瞳が好きだった。愛おしくて、たまらなかった。


 ——伝えたい。たとえこの先そばにいられなくても、俺の想いがティルの心を支えるものになるならば……。


 俺はティルナータに真正面から向き合った。そして、少し冷たいティルナータの両手を握りしめる。


「ティル、俺な……記憶があるんだ」
「記憶……?」
「うん……」


 ティルナータの左手を取り、指先にキスをした。
 そしてまっすぐにティルナータを見つめ、俺は今まで言えなかったことを、告げた。


「セッティリオだった頃の、記憶」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

カラメル

希紫瑠音
BL
高校二年生である優は学園内で嫌われている。噂の的(主に悪口)である彼に、学園内で手の付けられない不良だと噂の的であるもう一人の男、一年の吾妻に「好きだ」と言われて……。 読み切り短編です。 【()無しと吾妻】後輩後輩(不良?)×先輩(平凡・嫌われ者?) 【川上】先輩(兄貴肌)×後輩(優等生) 【加瀬】後輩(強引で俺様な優等生)×先輩(ビビり・平凡)

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

Label-less

秋野小窓
BL
『お兄ちゃん』でも『リーダー』でもない。ただ、まっさらな自分を見て、会いたいと言ってくれる人がいる。 事情があって実家に帰った主人公のたまき。ある日、散歩した先で森の中の洋館を見つける。そこで出会った男・鹿賀(かが)と、お茶を通じて交流するようになる。温かいお茶とお菓子に彩られた優しい時間は、たまきの心を癒していく。 ※本編全年齢向けで執筆中です。→完結しました。 ※関係の進展が非常にゆっくりです。大人なイチャイチャが読みたい方は、続編『Label-less 2』をお楽しみください。

虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する

あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。 領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。 *** 王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。 ・ハピエン ・CP左右固定(リバありません) ・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません) です。 べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。 *** 2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。

女神の間違いで落とされた、乙女ゲームの世界でオレは愛を手に入れる。

にのまえ
BL
 バイト帰り、事故現場の近くを通ったオレは見知らぬ場所と女神に出会った。その女神は間違いだと気付かずオレを異世界へと落とす。  オレが落ちた異世界は、改変された獣人の世界が主体の乙女ゲーム。  獣人?  ウサギ族?   性別がオメガ?  訳のわからない異世界。  いきなり森に落とされ、さまよった。  はじめは、こんな世界に落としやがって! と女神を恨んでいたが。  この異世界でオレは。  熊クマ食堂のシンギとマヤ。  調合屋のサロンナばあさん。  公爵令嬢で、この世界に転生したロッサお嬢。  運命の番、フォルテに出会えた。  お読みいただきありがとうございます。  タイトル変更いたしまして。  改稿した物語に変更いたしました。

僕のために、忘れていて

ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

処理中です...