27 / 46
26、分かっていたこと
しおりを挟む
加賀屋教授と共にその絵を大学のアトリエへと搬入し、教授と二人で今後の修復プランなどを話し合っていると、あっという間に日が暮れてしまった。
——あいつ、どうしてるかな。
先に自宅に帰り、シュリの携帯に連絡を入れて住所を伝え、うちまでティルナータを連れて帰ってきて欲しいと頼んでみた。するとシュリは「この俺を顎で使うとはなんたる無礼か!! 俺がその気になれば貴様など、」と電話の向こうで何やらギャーギャー怒っていたけれど、俺は新たに舞い込んできた修復依頼のことで頭がいっぱいだったから、無視した。
——異世界の風景。おそらく、エルフォリア王国の景色……。ティルナータがそれを見たら、どういう反応を示すだろう。
……二週間、それまでティルは俺のそばにいてくれるんだろうか。
「……ユウマ、戻ったぞ」
キッチンに立ち、腹を空かせて帰ってくるであろうティルナータのためにレトルトのカレーを温めていると、ガチャリとドアが開いてティルナータが帰ってきた。どことなく、暗い表情を浮かべて。
俺はすぐにティルナータを抱きしめた。ほんの数時間離れていただけなのに、再会がこんなにも嬉しい。しなやかな痩身を強く強く抱きしめていると、ティルナータは俺の背中に腕を回して、苦しげなため息をひとつ吐いた。ちょっと強く締め付けすぎたかと身体を離すと、ティルナータは潤んだ瞳で俺を見上げて、切なげな表情を浮かべている。
「……ティル? どうしたんだ」
「ユウマ……」
ぐいっと背伸びをして、俺にキスをしてくれた。ただの帰宅の挨拶のキスかと思っていたら、ティルナータは俺の首に両腕をしっかりと絡め、自ら舌を挿し入れて、積極的に迫ってくる。俺はびっくりしつつもその行為をあっさり受け止めた。細い腰を抱きしめながらセーターの中に指先を忍ばせ、艶やかな肌を微かに撫でた。
「ユウマ……ユウマ……」
「どうしたんだよ。……シュリと、ゆっくり話せたのか?」
「……ユウマ、僕は」
ティルナータは動きを止め、俺の肩口に顔を埋めた。そしてしばらくの間、じっと押し黙っている。何やら物言いたげな雰囲気は伝わってくるものの、何となく声を掛けづらくて、俺はただティルナータを抱きしめていることしかできなかった。
「……ティル?」
「……なんでも、ない。……そっちはどうだった?」
「え、ああ……。こんな時だけど、仕事が入って……。明日からはしばらく、大学のアトリエに引きこもることになりそうなんだ」
「え……そうなのか」
「一緒に来るか? 手伝ってくれとは言えないけど、そばで作業を見てるくらいなら、許してもらえると思うし。俺も……その、ええと……」
「?」
言い淀んでは見たけれど、今さら恥ずかしがって言葉を選んでいる時間ですら、今は惜しい。俺はティルナータをじっと見つめて、ストレートにこう言った。
「ティルナータと一緒にいたいんだ。ただ見てるだけでつまんないかもしれねーけど、一緒に来ないか」
「……うん、行く。行くよ」
「そ、そっか……」
ティルナータはこくこく頷きながら即答してくれた。俺は嬉しくなって、今度は自分からチュッと音を立てて桜色の唇にキスをする。
「それで……どうしたんだ? シュリからどんな話があったんだよ」
「……それは……」
「? 言いにくいこと、なのか?」
「今は……まだ、言えない。まだ……自分でも信じがたいことで……」
「そっか……」
ティルナータの表情は、やはり冴えない。
帰らねばならないという義務感と、俺のそばで平穏に生きていたいと願ってしまうことへのジレンマで、ティルナータはひどく苦しんでいるように見えた。
こんな時、どんな風に声を掛けてやれば正解なのか、俺には全く分からなかった。
俺自身の願望を押し付けるならば、元の世界になんて帰るな、ここにいてくれと言い放てばいいだけのことなのかもしれない。でも、ティルナータはそれを望んでいるのだろうか。エルフォリア王国でのティルナータは、騎士団を率いる戦士だった。まだ戦争も終わっていないという状況で、ぬくぬくと自分だけ日本で平和に暮らしてしまおうなどという思考など、ティルナータが持つはずがないことも分かっている。
真面目で、責任感が強くて、仲間思いで、忠誠心が強くて……ティルナータはそういうやつだ。俺一人の願望を押し付けることよりも、ティルナータの願いを後押ししてやれるようなことを伝えられたらいいのだが……。
と、迷えば迷うほど、言葉が出てこない。
俺はただティルナータを抱きしめて、とんとんと背中を叩いてやった。
「……あたたかい」
「うん……」
「ユウマ……昨日みたいに、僕のことを……抱いてくれないか」
「えっ……え?」
「ユウマに愛されたい。ここに居られる時間はあと僅かだから」
「わずか……。じゃあ、やっぱり、帰るんだな……」
「うん……僕は、僕は帰らなければならない。国のために、僕は……」
「うん……そうだな。分かってたことだ。……でも、そっか。うん……」
「ユウマ……好きだよ。僕はあんたが、愛おしい」
「……ティル」
ティルナータの緋色の瞳から、一筋の涙が溢れ出す。
俺はそっとそれを唇で受け止めると、ティルナータを抱き上げて、そっとベッドに横たえた。
「……いいのか、ほんとに」
「僕はユウマに愛されたい。……たとえ僕らに未来はなくとも、ユウマの愛を、この身体に刻み込んでおきたいんだ」
「……未来、か」
——未来はない
分かっていたことなのに、いざ言葉にされると、四肢がばらばらになってしまいそうに重い言葉だった。
ティルナータは、もうすぐ俺の前からいなくなる。元の世界で、全く別の人生を歩むんだ。
分かっていたことだ。覚悟していたはずなのに。
シュリが現れたことで、それは急に現実味を増した。あいつは確実に、ティルナータを連れ帰ることのできる手段を持っているからだ。でもそれは、ティルナータの望みだ。愛だの恋だのというふわふわしたものの心地よさに負け、果たすべき使命を曲げることなど、ティルナータが望むわけがない。
——……俺のためにここ残るなんて選択肢は、もう、ないんだ……。
——あいつ、どうしてるかな。
先に自宅に帰り、シュリの携帯に連絡を入れて住所を伝え、うちまでティルナータを連れて帰ってきて欲しいと頼んでみた。するとシュリは「この俺を顎で使うとはなんたる無礼か!! 俺がその気になれば貴様など、」と電話の向こうで何やらギャーギャー怒っていたけれど、俺は新たに舞い込んできた修復依頼のことで頭がいっぱいだったから、無視した。
——異世界の風景。おそらく、エルフォリア王国の景色……。ティルナータがそれを見たら、どういう反応を示すだろう。
……二週間、それまでティルは俺のそばにいてくれるんだろうか。
「……ユウマ、戻ったぞ」
キッチンに立ち、腹を空かせて帰ってくるであろうティルナータのためにレトルトのカレーを温めていると、ガチャリとドアが開いてティルナータが帰ってきた。どことなく、暗い表情を浮かべて。
俺はすぐにティルナータを抱きしめた。ほんの数時間離れていただけなのに、再会がこんなにも嬉しい。しなやかな痩身を強く強く抱きしめていると、ティルナータは俺の背中に腕を回して、苦しげなため息をひとつ吐いた。ちょっと強く締め付けすぎたかと身体を離すと、ティルナータは潤んだ瞳で俺を見上げて、切なげな表情を浮かべている。
「……ティル? どうしたんだ」
「ユウマ……」
ぐいっと背伸びをして、俺にキスをしてくれた。ただの帰宅の挨拶のキスかと思っていたら、ティルナータは俺の首に両腕をしっかりと絡め、自ら舌を挿し入れて、積極的に迫ってくる。俺はびっくりしつつもその行為をあっさり受け止めた。細い腰を抱きしめながらセーターの中に指先を忍ばせ、艶やかな肌を微かに撫でた。
「ユウマ……ユウマ……」
「どうしたんだよ。……シュリと、ゆっくり話せたのか?」
「……ユウマ、僕は」
ティルナータは動きを止め、俺の肩口に顔を埋めた。そしてしばらくの間、じっと押し黙っている。何やら物言いたげな雰囲気は伝わってくるものの、何となく声を掛けづらくて、俺はただティルナータを抱きしめていることしかできなかった。
「……ティル?」
「……なんでも、ない。……そっちはどうだった?」
「え、ああ……。こんな時だけど、仕事が入って……。明日からはしばらく、大学のアトリエに引きこもることになりそうなんだ」
「え……そうなのか」
「一緒に来るか? 手伝ってくれとは言えないけど、そばで作業を見てるくらいなら、許してもらえると思うし。俺も……その、ええと……」
「?」
言い淀んでは見たけれど、今さら恥ずかしがって言葉を選んでいる時間ですら、今は惜しい。俺はティルナータをじっと見つめて、ストレートにこう言った。
「ティルナータと一緒にいたいんだ。ただ見てるだけでつまんないかもしれねーけど、一緒に来ないか」
「……うん、行く。行くよ」
「そ、そっか……」
ティルナータはこくこく頷きながら即答してくれた。俺は嬉しくなって、今度は自分からチュッと音を立てて桜色の唇にキスをする。
「それで……どうしたんだ? シュリからどんな話があったんだよ」
「……それは……」
「? 言いにくいこと、なのか?」
「今は……まだ、言えない。まだ……自分でも信じがたいことで……」
「そっか……」
ティルナータの表情は、やはり冴えない。
帰らねばならないという義務感と、俺のそばで平穏に生きていたいと願ってしまうことへのジレンマで、ティルナータはひどく苦しんでいるように見えた。
こんな時、どんな風に声を掛けてやれば正解なのか、俺には全く分からなかった。
俺自身の願望を押し付けるならば、元の世界になんて帰るな、ここにいてくれと言い放てばいいだけのことなのかもしれない。でも、ティルナータはそれを望んでいるのだろうか。エルフォリア王国でのティルナータは、騎士団を率いる戦士だった。まだ戦争も終わっていないという状況で、ぬくぬくと自分だけ日本で平和に暮らしてしまおうなどという思考など、ティルナータが持つはずがないことも分かっている。
真面目で、責任感が強くて、仲間思いで、忠誠心が強くて……ティルナータはそういうやつだ。俺一人の願望を押し付けることよりも、ティルナータの願いを後押ししてやれるようなことを伝えられたらいいのだが……。
と、迷えば迷うほど、言葉が出てこない。
俺はただティルナータを抱きしめて、とんとんと背中を叩いてやった。
「……あたたかい」
「うん……」
「ユウマ……昨日みたいに、僕のことを……抱いてくれないか」
「えっ……え?」
「ユウマに愛されたい。ここに居られる時間はあと僅かだから」
「わずか……。じゃあ、やっぱり、帰るんだな……」
「うん……僕は、僕は帰らなければならない。国のために、僕は……」
「うん……そうだな。分かってたことだ。……でも、そっか。うん……」
「ユウマ……好きだよ。僕はあんたが、愛おしい」
「……ティル」
ティルナータの緋色の瞳から、一筋の涙が溢れ出す。
俺はそっとそれを唇で受け止めると、ティルナータを抱き上げて、そっとベッドに横たえた。
「……いいのか、ほんとに」
「僕はユウマに愛されたい。……たとえ僕らに未来はなくとも、ユウマの愛を、この身体に刻み込んでおきたいんだ」
「……未来、か」
——未来はない
分かっていたことなのに、いざ言葉にされると、四肢がばらばらになってしまいそうに重い言葉だった。
ティルナータは、もうすぐ俺の前からいなくなる。元の世界で、全く別の人生を歩むんだ。
分かっていたことだ。覚悟していたはずなのに。
シュリが現れたことで、それは急に現実味を増した。あいつは確実に、ティルナータを連れ帰ることのできる手段を持っているからだ。でもそれは、ティルナータの望みだ。愛だの恋だのというふわふわしたものの心地よさに負け、果たすべき使命を曲げることなど、ティルナータが望むわけがない。
——……俺のためにここ残るなんて選択肢は、もう、ないんだ……。
4
お気に入りに追加
173
あなたにおすすめの小説
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。


婚約者に会いに行ったらば
龍の御寮さん
BL
王都で暮らす婚約者レオンのもとへと会いに行ったミシェル。
そこで見たのは、レオンをお父さんと呼ぶ子供と仲良さそうに並ぶ女性の姿。
ショックでその場を逃げ出したミシェルは――
何とか弁解しようするレオンとなぜか記憶を失ったミシェル。
そこには何やら事件も絡んできて?
傷つけられたミシェルが幸せになるまでのお話です。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
BL
召喚儀式の失敗で、現代日本から異世界に飛ばされて捨てられたオッサン(39歳)と、彼を拾って過保護に庇護するエルフ(300歳、外見年齢20代)のお話です。

うるせぇ!僕はスライム牧場を作るんで邪魔すんな!!
かかし
BL
強い召喚士であることが求められる国、ディスコミニア。
その国のとある侯爵の次男として生まれたミルコは他に類を見ない優れた素質は持っていたものの、どうしようもない事情により落ちこぼれや恥だと思われる存在に。
両親や兄弟の愛情を三歳の頃に失い、やがて十歳になって三ヶ月経ったある日。
自分の誕生日はスルーして兄弟の誕生を幸せそうに祝う姿に、心の中にあった僅かな期待がぽっきりと折れてしまう。
自分の価値を再認識したミルコは、悲しい決意を胸に抱く。
相棒のスライムと共に、名も存在も家族も捨てて生きていこうと…
のんびり新連載。
気まぐれ更新です。
BがLするまでかなり時間が掛かる予定ですので注意!
人外CPにはなりません
ストックなくなるまでは07:10に公開
3/10 コピペミスで1話飛ばしていたことが判明しました!申し訳ございません!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる