ロスト・ナイト—異世界から落ちてきたのは迷子の騎士でした—

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23、黒塗りリムジンに乗せられて

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 乗せられた黒塗りリムジンの中は驚くほど広くて、そしてとても上品な香りがした。黒革のシートの手触りはとても柔らかく、心地よく尻をホールドされる感触がいかにも高級……ってことはどうでもよくて。

 俺は今、ティルナータとふたりでリムジンに乗っている。シュリと名乗った男はあの後、「大事な話がある」とかなんとか言ってティルナータの肩を抱き、そのまま車に連れ込もうとしていた。けどティルナータがそれを拒み、「ユウマが一緒じゃないと嫌だ」と言ったため、俺もこのでかいリムジンに同乗することになったのだった。

 シュリという男は悠然と長い脚を組み、隣に座ったティルナータを優しい眼差しで見つめながら、高そうなティーカップに注がれた紅茶を飲んでいる。……そうそう、車内は広いからさ、座席はゆったりとしたL字型。しかも俺たちの他に、給仕係みたいな若い男が乗ってるんだ……なんつうか、こう……住む世界が違うって感じだよな……。


 そんでさっきからシュリって男、俺のことまるでガン無視なんだけど。


「五年前に俺が落ちた場所は、日本のスラム街のような場所だったんだ。ちょうどその時、その場所では派手な暴力団抗争が繰り広げられていてね、たまたま俺に日本刀を振りかざして襲いかかってきた男を殴り倒したら、親父さんにえらく感謝された。ずっとここにいて、用心棒になってくれと頼まれたのだ」
「親父さんって、誰だ?」
「組長の、晴海橋弥一という男だ。彼はずいぶんと俺によくしてくれたものだからな……力を貸すことにしたのだ。住む場所と食事、そして若いチンピラたちを束ねる仕事を与えてくれた。無法者のあつまりだったが、国王軍の一師団を率いていた俺にとっては易い仕事だった。その能力を見込まれて、俺は二年前に若頭の地位を賜ったというわけだ」
「……ふうん」

 多分、ティルナータは”組”とか”暴力団”とか”チンピラ”というワードについては理解していないようだけど、シュリが晴海橋組長に恩義を感じていることだけは理解したらしい。「なるほどな」と呟いて静かに紅茶を口にすると、顔を上げて俺の方を見た。

「僕がユウマに拾われた状況と、よく似ている」
「に、似てるか……?」

 俺が弱々しくそんなことを言うと、シュリはあからさまに面白くなさそうな表情で、ジロリと俺を睨みつけてきた。俺のつま先から頭のてっぺんまで値踏みするように見回して、ぷいと興味を失ったように目線をそらす。……失礼なやつだな。

「で、さっきからべたべたべたべたとティルナータにつきまとっているお前は、どこの誰だ。一体うちのティルと一体どういう関係なんだ」
「お、俺は……すぐそこにある東京芸術工科大の学生だ。どういう関係って言われると……」
「ユウマは、今の僕の主人だ」

 口ごもる俺の言葉を引き継いで、ティルナータはそう言った。するとシュリは目から氷柱つららが飛び出すんじゃねーかってくらい冷たくて鋭い目つきで俺を睨んできた……が、ティルナータがくすんと鼻をすすったことで、俺とシュリは、即座に注意をティルナータに戻し、同時にその白い手を握った。……そんでまた、睨まれた。

「セッティリオ様のこと……ずっとお前に尋ねようと思っていた」
「そうか……」
「本当に……あの方は、亡くなられたのか?」

 小さく震える涙声で、ティルナータはそう尋ねた。するとシュリはティルナータの手を握ったまま、痛ましげな表情を浮かべ、小さく頷く。

「……本当だ」
「……そう、か」
「すまない」
「シュリが謝る必要はない。でも……どこかで、本当は生きておられるのではないかと、希望を持っていた。リオ様は強い方だ。瀕死になりながらも生き延びて……エルフォリアで、笑って生きていてくれるのではないかと」
「……すまん」

 シュリは思い声でそう言うと、目を閉じて、痛みを殺すような表情を浮かべた。俺が到底割り込めるような世界じゃない。この二人は、共に生きてきた戦友を亡くしたのだから。

 ティルナータもしばらく目を伏せていた。そして一筋だけ、頬に涙を滑らせる。
 とっさ手を伸ばして指で頬を拭うと、ティルナータは俺を見て、優しく切なげな笑顔を浮かべた。そして小さく、「大丈夫だ。覚悟はしていた」と呟く。

「……」

 そんな俺たちのやり取りを眺めていたシュリは、仕立てのいいジャケットの内ポケットから黒い名刺入れを取り出した。
 長い指に挟まれ、スッと差し出された名刺。上質な紙で作られた小さな紙片には、『誠明会晴海橋一家 花仙組若頭 晴海朱里』と書かれている。

 ——うわ、本当に若頭なんだ。……若頭ってあれだよな。ヤクザん中でも結構なお偉いさんだよな。見た目……まだ二十代後半あたりって感じだけどさ……。誠明会晴海橋一家なんてさ、一般人の俺ですら知ってるくらいのでかい組なんですけど。時々ニュースで名前出てくるぞ……。

「ふん……。貴様のことを認めたわけではないが、ティルナータが世話になったことは礼を言う。で、あんなところで何をやっていたんだ。あの場所は、俺たちがエルフォリアに帰るためのゲートを開く場所として選定した、神聖な場所なのだ。そんなところにあんな巨大な落書きをしやがって……一体どう落とし前をつけるつもりだ」
「え? ゲートって……え!? 何それ、どういうことだよ」
「何って、そのままの意味だ。俺は、エルフォリアの魔術師たちから術式を預かってきている。それを使えば、エルフォリアへ戻ることなど容易い」
「えええっ!? 惑星直列とか、そういうのは!? 魔法陣は!?」
「八芒星の陣は使用するが、あんなにもゴテゴテと飾ったものは必要ないのだ。それに、術式があれば天体の動きなど関係ない」
「え、そなの?」
「ただ、時空間を超えるためには、それなりに”地”と”天”の力が強い場所でなければならないのだ。だからこの数年、俺はずっと、ゲートを開くための適切な場所を探していた。それが、あそこだった」
「へぇ……」

 九条が聞いたら狂喜乱舞しそうなことを淡々と口にしつつ、シュリは給仕の若い男に空になったティーカップを手渡し、滑らかな低音で「ありがとう」と言った。その声を聞くや、給仕の(お付きの、と言ったほうがいいのかもしれない)男は頬を薔薇色に染め、上ずった声で「は、はいっ」と返事をしている。てか、うわ、こっちもまた可愛い系のイケメンだ……。

「その大切な場所に、ズカズカとお前らが侵入してきたんだ。若いやつを見張りに立たせておいてよかった」
「そ、それは……申し訳なかった」

 一応、謝る。つか、勝手に侵入して落書きしたのは九条だけどな!

「まぁそのおかげで、ティルナータを見つけ出すこともできたのだが。……ティル、お前は五年前のままだな。相変わらず、なんと可憐な美しさ」
「お前は随分と老けたな、シュリ」
「そりゃ、色々と苦労もあったからな。二十歳そこそこだったあの頃とは、違うのさ」
「二十歳そこそこ?」

 俺がその言葉に反応すると、シュリは血塗れの氷柱でも彷彿とさせるような目つきで俺を睨みつけてくる。……あれ、俺、めっちゃくちゃこいつに嫌われてない?

「なんだ貴様。俺がもっと老けて見えるとでも?」
「ち、違うけど。そういえば、ティルナータっていくつなのかなぁって……」
「エルフォリアで用いていた暦と、日本の暦は若干の違いがある。日本の暦で計算するならば、ティルナータは消失当時十七歳。そして俺は二十二だった。つまり今は二十七だ。何か文句があるのか」
「十七……」
「ティルにとっては、エルフォリアからここへ飛ばされたのはほんの数日前のことなのだろうが、俺は五年間もお前を探していた。この五年、降り立つ国を間違えたのか、時代を間違えたのか……色々と不安に感じることもあったが、こうしてようやく、お前を見つけ出すことができた」

 シュリはよく通る低い声でそう言うと、ティルナータの手を両手で掴み、そっとその手の甲にキスをした。キザったらしい動きだが、西洋風の美形同士のそういうやり取りは見ていてとても麗しいものがある。けど、あまりいい気持ちはしない。

 ティルナータは、俺にとって大事な存在だ。昨日あんなに密な時間を過ごして想いを交わし合ったばかりなんだ。
 元の世界での仲間だったということも、互いのことが懐かしいのもよく分かる。分かるけど……ベタベタしないで欲しいんだ。あ、まだ手ぇ握ってやがんだけど。早く離せよロン毛野郎。

 この車に乗せられた時から若干イライラしていた俺は、そろそろシュリに文句を言ってやろうかと思って身を乗り出した。


 するとその時、俺のスマホからけたたましい着信メロディが流れ出す。シュリはわざとらしい呆れ顔に勝ち誇ったような笑みをくっつけて、大仰に鼻を鳴らしながらこんなことを言った。

「ふんっ、マナーのなっていないやつだ。人と一緒に過ごす時はマナーモードにしましょうと親に教わらなかったのか?」
「うぐ。そ、それは……。あ、うだ、やべ、教授だ。俺、なんかやらかしたっけ……!?」

 スマホの画面に映し出されていたのは、俺の指導教授の名前だった。
 ちくちくネチネチと文句を言いつづけているシュリと、不思議そうにスマホを見つめているティルナータに断って、俺は恐る恐るその電話に出た。
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