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13、九条の提案
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その日俺は大学へ行く野暮用があり、ティルナータを連れてキャンパスへ向かった。
東京芸術工科大学は、東京郊外の山裾に広大なキャンパスを広げている。
俺の所属する芸術学部は、文化財保存修復学科のほかに、文芸学科と総合美術コースというものがある。その二つは教員免許が取得できたりもして、つぶしがきくので割と人気だ。そして昨日知り合ったばかりの九条は、芸術学部美術科の彫刻コース。美術科は彫刻コースの他に、日本画コース、洋画コース、版画コースなどがある。
保存修復学科は他に比べて座学も多いため、アトリエではなく講義棟を使うことも多い。化学薬品を使う機会もあるし、学年が上がるごとに繊細で緻密な作業を行う実習も増えるため、俺たちはアトリエではなく研究室っぽい雰囲気の部屋をあてがわれている。
だからたまに美術科のアトリエに行くと、その広さや解放感に驚かされたりもする。美術科のアトリエは特に広々と作られていて、まるで体育館が倉庫のような広さなのだ。まぁその分、夏は暑いし冬は寒いんだけど。
今日は作業をしに来たんじゃなくて、借りていた本を図書館に返しに来ただけで、用事はすぐに終わった。ティルナータに図書館の中を見せてやりたかったけど、あいにく冬季休業中。このまま帰るのも味気ないなと思った俺は、ふと思い立って美術科のアトリエの方へ向かって歩き始めた。そしてちらりと、俺は隣を歩くティルナータを見下ろしてみる。
今日は黒のざっくりしたセーターに、グレーの細身パンツだ。モッズコートは乾燥中だから、俺のネイビーカラーのダウンジャケットを貸している。
今日は長い髪はそのまま下ろしていて、ダウンジャケットの襟の中に隠れてる。シャンプーの匂いのする柔らかな髪や丸みのある後頭部をついつい撫でたくなる衝動を抑えつつ広々としたキャンパス内を歩いていたら、美術科彫刻コースのアトリエに到着した。
「ここにクジョーがいるのか?」
「うん、あいつは授業のない日はほとんどアトリエにこもってるんだって。昨日のお礼を言わなきゃだしね。色々面倒引き受けてもらったみたいだから」
「ほほう」
重たいスライド扉を開くと、目の前に吹きっさらしのだだっ広い空間が広がる。もう冬休みに入っているけど、数人の学生が部屋の隅っこで入り口に背を向けて、作業に勤しんでいる姿が見えた。巨大な石の塊を鑿でコンコン削っている学生や、男の裸体像と思しきブロンズ像の作成に勤しんでいる学生、そして入り口から一番遠い隅っこで作業している黒いフード頭……どうやらあれが九条っぽい。
後ろから近づいて手元を覗くと、九条はフードの上からヘッドホンをして、一心不乱に1メートル大のトーテムポールを削り出している。足元にはごろごろとたくさんのトーテムポールが転がっていて、なんだか……不気味だ。まだ着色されていない無垢材のトーテムポールは、まるで打ち捨てられた卒塔婆のようにも見える。……何作ってんだこいつ。
「九条。なぁ、九条ってば」
「……」
シャカシャカ音漏れするほど大きな音で音楽を聴きながら、九条は脇目も振らずに小刀で木材を削いでいる。ってか小刀って……今は便利で使い易い彫刻刀がたくさんあるのになぁ。なんかこだわりがあるんだろうけど。
「おい、九条ってば!」
「うほぉおおお!!」
ぽん、と軽く肩を叩いただけなのに、九条は大げさにびっくりして涙目になりながらこっちを振り返った。そして俺たちを認めるや「あぁ、なんや」と言って胸を撫で下ろしている。
「ちょっと話、いいか? 昨日は悪かったな」
「あぁ……かまへんかまへん。すき焼き御膳の鍋の下にさ、固形燃料があったやろ? あれが急に天井まで燃え上がったって説明したら、いけた」
「そ、そっか……ありがとな」
九条はヘッドホンを外し、小刀を丁寧に布に包んでカバンにしまい込んでから、ひょいと立ち上がって木屑を払った。猫背だからティルナータと同じくらいの背丈に見えるけど、背筋を伸ばしてしゃんとすればもう少し大きそうだ。
体型は華奢で、なんだかいかにも栄養バランス偏ってそうな不健康な雰囲気。うつむきがちだし、今日もフードをかぶってるし、マスクしてるし……何でこんなカッコしてんだろ。まぁ、彫刻家には猫背のアーティストが多いって話聞いたことあるし、こいつもそういうタイプなだけなのかもしれないけど。
しかし、九条もティルナータには興味津々ぽい。じーっとティルナータを見つめて動かない。するとティルナータは、さっと素早く俺の後ろに隠れて「不気味だ」と呟いた。
「ティルナータさん、こんにちは」
「……こ、コンニチハ……?」
「日本語の発音、なかなか上手に出来はるんやね。なんで時田くんにしか言葉が分かれへんねやろうなぁ」
と、暖房の効いた暖かい学食へ向かう道すがら、九条はティルナータにカタコトで話しかけつつ、俺にそんなことを言った。
「んー……何でだろ」
「もっかいさ、ティルナータさんが落ちてきたときのこと、話してくれへん?」
「いいけど……」
かいつまんでもう一度話をしてみると、そういえば、上空から降ってきたティルナータの血液を飲んでしまったってことを話し忘れていたことに気づく。俺がそのことを口にすると、九条は黒いフードの下で目をギラーンと輝かせ、学食のテーブルの上に身を乗り出し、俺の襟首をつかんでガクガク揺さぶりながら「なんでそんな大事なことを最初に言わへんかったんや!!」とキレてきた。
するとティルナータは素早く立ち上がった。そして、噛みつきそうな顔で迫ってくる九条の腕をむんずと掴んで俺から引き剥がし、「ユウマに乱暴なことをするな」と、凛とした声で宣言した。……マジナイトだぜ……。
「? なんやて?」
「俺のユウマに触るんじゃねーって怒ってるよ」
「うぐっ……また火ぃでも出されたらかなわへんしな……」
九条にティルナータの言葉は分からないが、鋭い目つきで威嚇されたことは伝わっているらしい。すごすごと身を引いて、フードをかぶりなおして小さくなった。そして、小さな声でこんなことを言い出した。
「僕な、思ってん」
「何を?」
「……僕もティルナータさんの血ぃ飲んだら、言葉分かるようになるんちゃうかなって」
東京芸術工科大学は、東京郊外の山裾に広大なキャンパスを広げている。
俺の所属する芸術学部は、文化財保存修復学科のほかに、文芸学科と総合美術コースというものがある。その二つは教員免許が取得できたりもして、つぶしがきくので割と人気だ。そして昨日知り合ったばかりの九条は、芸術学部美術科の彫刻コース。美術科は彫刻コースの他に、日本画コース、洋画コース、版画コースなどがある。
保存修復学科は他に比べて座学も多いため、アトリエではなく講義棟を使うことも多い。化学薬品を使う機会もあるし、学年が上がるごとに繊細で緻密な作業を行う実習も増えるため、俺たちはアトリエではなく研究室っぽい雰囲気の部屋をあてがわれている。
だからたまに美術科のアトリエに行くと、その広さや解放感に驚かされたりもする。美術科のアトリエは特に広々と作られていて、まるで体育館が倉庫のような広さなのだ。まぁその分、夏は暑いし冬は寒いんだけど。
今日は作業をしに来たんじゃなくて、借りていた本を図書館に返しに来ただけで、用事はすぐに終わった。ティルナータに図書館の中を見せてやりたかったけど、あいにく冬季休業中。このまま帰るのも味気ないなと思った俺は、ふと思い立って美術科のアトリエの方へ向かって歩き始めた。そしてちらりと、俺は隣を歩くティルナータを見下ろしてみる。
今日は黒のざっくりしたセーターに、グレーの細身パンツだ。モッズコートは乾燥中だから、俺のネイビーカラーのダウンジャケットを貸している。
今日は長い髪はそのまま下ろしていて、ダウンジャケットの襟の中に隠れてる。シャンプーの匂いのする柔らかな髪や丸みのある後頭部をついつい撫でたくなる衝動を抑えつつ広々としたキャンパス内を歩いていたら、美術科彫刻コースのアトリエに到着した。
「ここにクジョーがいるのか?」
「うん、あいつは授業のない日はほとんどアトリエにこもってるんだって。昨日のお礼を言わなきゃだしね。色々面倒引き受けてもらったみたいだから」
「ほほう」
重たいスライド扉を開くと、目の前に吹きっさらしのだだっ広い空間が広がる。もう冬休みに入っているけど、数人の学生が部屋の隅っこで入り口に背を向けて、作業に勤しんでいる姿が見えた。巨大な石の塊を鑿でコンコン削っている学生や、男の裸体像と思しきブロンズ像の作成に勤しんでいる学生、そして入り口から一番遠い隅っこで作業している黒いフード頭……どうやらあれが九条っぽい。
後ろから近づいて手元を覗くと、九条はフードの上からヘッドホンをして、一心不乱に1メートル大のトーテムポールを削り出している。足元にはごろごろとたくさんのトーテムポールが転がっていて、なんだか……不気味だ。まだ着色されていない無垢材のトーテムポールは、まるで打ち捨てられた卒塔婆のようにも見える。……何作ってんだこいつ。
「九条。なぁ、九条ってば」
「……」
シャカシャカ音漏れするほど大きな音で音楽を聴きながら、九条は脇目も振らずに小刀で木材を削いでいる。ってか小刀って……今は便利で使い易い彫刻刀がたくさんあるのになぁ。なんかこだわりがあるんだろうけど。
「おい、九条ってば!」
「うほぉおおお!!」
ぽん、と軽く肩を叩いただけなのに、九条は大げさにびっくりして涙目になりながらこっちを振り返った。そして俺たちを認めるや「あぁ、なんや」と言って胸を撫で下ろしている。
「ちょっと話、いいか? 昨日は悪かったな」
「あぁ……かまへんかまへん。すき焼き御膳の鍋の下にさ、固形燃料があったやろ? あれが急に天井まで燃え上がったって説明したら、いけた」
「そ、そっか……ありがとな」
九条はヘッドホンを外し、小刀を丁寧に布に包んでカバンにしまい込んでから、ひょいと立ち上がって木屑を払った。猫背だからティルナータと同じくらいの背丈に見えるけど、背筋を伸ばしてしゃんとすればもう少し大きそうだ。
体型は華奢で、なんだかいかにも栄養バランス偏ってそうな不健康な雰囲気。うつむきがちだし、今日もフードをかぶってるし、マスクしてるし……何でこんなカッコしてんだろ。まぁ、彫刻家には猫背のアーティストが多いって話聞いたことあるし、こいつもそういうタイプなだけなのかもしれないけど。
しかし、九条もティルナータには興味津々ぽい。じーっとティルナータを見つめて動かない。するとティルナータは、さっと素早く俺の後ろに隠れて「不気味だ」と呟いた。
「ティルナータさん、こんにちは」
「……こ、コンニチハ……?」
「日本語の発音、なかなか上手に出来はるんやね。なんで時田くんにしか言葉が分かれへんねやろうなぁ」
と、暖房の効いた暖かい学食へ向かう道すがら、九条はティルナータにカタコトで話しかけつつ、俺にそんなことを言った。
「んー……何でだろ」
「もっかいさ、ティルナータさんが落ちてきたときのこと、話してくれへん?」
「いいけど……」
かいつまんでもう一度話をしてみると、そういえば、上空から降ってきたティルナータの血液を飲んでしまったってことを話し忘れていたことに気づく。俺がそのことを口にすると、九条は黒いフードの下で目をギラーンと輝かせ、学食のテーブルの上に身を乗り出し、俺の襟首をつかんでガクガク揺さぶりながら「なんでそんな大事なことを最初に言わへんかったんや!!」とキレてきた。
するとティルナータは素早く立ち上がった。そして、噛みつきそうな顔で迫ってくる九条の腕をむんずと掴んで俺から引き剥がし、「ユウマに乱暴なことをするな」と、凛とした声で宣言した。……マジナイトだぜ……。
「? なんやて?」
「俺のユウマに触るんじゃねーって怒ってるよ」
「うぐっ……また火ぃでも出されたらかなわへんしな……」
九条にティルナータの言葉は分からないが、鋭い目つきで威嚇されたことは伝わっているらしい。すごすごと身を引いて、フードをかぶりなおして小さくなった。そして、小さな声でこんなことを言い出した。
「僕な、思ってん」
「何を?」
「……僕もティルナータさんの血ぃ飲んだら、言葉分かるようになるんちゃうかなって」
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