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9、騎士道精神?
しおりを挟む「はぁ……疲れた……」
「お疲れさん。ほら、これ飲むか?」
俺たちは一旦荷物を置きに車に戻ってきた。
助手席に乗り込んだ途端、ティルナータはふうう~っと疲れたようにため息をつき、目を閉じて脱力している。
俺は通りすがりに自販機で買っておいたホットミルクティを、ティルナータに手渡した。缶の熱さにびっくりしたり、プルタブが開けられなくて缶をひっくり返したり、転がしたりしているティルナータが可愛くてニヤけそうになったが、俺はクールぶって無言のまま缶を取り、ぷしゅと飲み口を開いてもう一度渡す。
「おお……なんと美味な……」
「よかった。甘い物、大丈夫だった?」
「うん……あったかくて、甘くて、ほっとする」
「そ、そか」
そんな可愛らしいことを言いながら、ティルナータはズズズズーっと派手に色気のない音を立てながら紅茶をすすった。……一応、こういうものは音を立てて飲むもんじゃないということを教えておく。
ティルナータは、ダボダボのユルユルだった俺の服から、全身まっさらな衣服に着替えていた。
ユカさんがキャーキャー言いながら時間をかけて選んでくれた服は、確かにティルナータによく似合っている。といっても、この顔とこのスタイルならば、きっと何を着たって様になったんだろうなぁ……と、それなら留守番させといて俺が選んで買って帰ればよかったかな何てことを考えつつ、着替えを済ませたティルナータの全身をちらちらと眺めまわす。
ざっくりとした織り目のきれいな白いハイネックセーターと、濃紺のスキニーデニム、そして黒のムートンブーツ。ユカさんにいいように遊ばれていたティルナータだったが、ムートンブーツだけは「なんと暖かい……!! これがいい、これにしてくれ、ユウマ」と直接おねだりをされたので逆らえなかった。
アウターも是非! とユカさんにはいろんなコートを勧められたけど、ティルナータは頑なに俺のモッズコートを手放さなくて「これがいい」と言い続けていて……それはちょっと嬉しかった。
しかし、ティルナータはものすごく白がよく似合う。肌の色も白いし、髪の毛の色も明るい金色だからだろう。ただの国産ワゴン車の中が、まるで高級リゾートホテルの一室のように見えてくるから不思議だ。無造作に髪の毛を一つにまとめて高い位置でくくり、しなやかな首筋を見せているのがまた色っぽい。そんでもって熱々の缶をセーターの袖で包んでチビリチビリ飲んでいるところとか……マジ天使か。「洗い替えがいるでしょ!」とユカさんにいっぱい買わされたけど……うん、許せる……。来月もバイト頑張ろう。
「ユウマ」
「……んっ!? なに!?」
気づけば思いっきりティルナータの方を向いて全身を眺めていた俺は、突然の呼びかけに仰天して缶コーヒーを取り落としかけた。ティルナータは若干疲れの残る顔でこっちを見ている。
「どした?」
「今日これから会う人物というのは、僕をエルフォリアに戻す能力を持っている人物なのか?」
「えっ、う、うーん……どうなんだろう。ヒントはくれるかもしれないけど……正直、わからないよ」
「そうか……」
「ホームシックか? 自分の国が恋しくなってきた?」
「恋しい……という感覚かどうかは、よく分からない。ただ僕は、一刻も早く戦線に戻りたい。気になることもあるし……仲間に尋ねたいこともあるんだ」
「気になること、って?」
「……」
ティルナータは缶をぎゅっと握りしめ、うつむいた。屋内駐車場の薄ぼんやりとした灯りの中に、ティルナータの端正な横顔が滑らかに浮かび上がっている。
「……いや、何でもない。ユウマには関わりのない話だ」
「……そ、そっか」
ティルナータはぼそりとそう言って、残っていたミルクティーを飲み干した。そして眠たげに目をこすり、後部座席に置いていた俺のモッズコートを引っ張り出して、着込む。
壁を作られた、と感じた。
そりゃまぁ、俺はまさに言葉通り住む世界が違う人間だから、ティルナータの事情を理解できないかもしれない。だから突き放されるのはしょうがない事だろうけど……。なんとなく、ティルナータの遠い目つきに距離を感じて、寂しくなった。
ちょっと浮かれていた自分を、殴りたい。ティルナータはいわば迷子だ。俺は、迷子を保護してるだけなのに。
俺にべったり甘えているように見えるのは、俺しか彼の言葉を理解する人間がいないから、頼らざるを得ないってだけのこと。ティルナータの心がそうさせているのではなく、状況がそうさせているだけなのに。
甘えてもらうのが嬉しくて、それを幸せだと思ってしまった。俺は今まで、こんなふうに誰かに丸っきり寄りかかってもらった経験なんかなかったから、それがすごく誇らしくて。……はぁ、ほんと、馬鹿みたいだ。
「……大丈夫。きっと、何かいい手があるはずだ」
「……うん」
「ティルナータ、もう少し、お前の世界の話を聞かせてくれよ」
「……うん」
俺がそう声をかけると、萎れていたティルナータの眼差しに光が差した。不意打ちのそんな表情はやっぱりすごく可愛くて、俺はハンドルに手をかけてかっくりと項垂れる。
「ユウマ?」
「あ、ごめんごめん。そーだなぁ、そのセッティリオって王子様のこと、教えてくれよ」
「……セッティリオ様……」
その名前を出した途端、ティルナータは再びしおしおと萎れてしまった。……しくった。古傷に塩を塗り込むようなことしちゃったよ……。ぱぁっと咲いた大輪の花があっちゅう間に散っちゃったみたいな雰囲気だよ。……はぁ、俺ってほんとダメだな……。
と、俺まで一緒に萎れていると、ティルナータはポツリとこんなことを言った。
「兄のように慕っていた。あの方のことを」
「兄……?」
「僕は、物心ついた頃には既に騎士団の訓練施設にいた。そこで知り合った歳の近い仲間たちが、僕の唯一の家族だった」
「……そうなんだ」
ティルナータは膝を抱えて、ぽつぽつと話を続けた。
「セッティリオ様が第一王子だと知ったのは、実は最近のことだった。晴れて僕も近衛騎士のひとりとなり、王宮に出仕するようになって初めて、あの方がどんなに高貴な方なのかを知った。……施設ではいつも、僕らと同じように薄汚れた普段着に身を包んで、僕らと同じように泥まみれなって鍛錬を重ね、僕らと同じものを食べて、笑って……。いつもあの人は大きくて、朗らかで、頼もしくて……親を知らぬ僕は、あの人の持つ木漏れ日のような暖かさに、いつだって励まされていた。思うように力を発揮できないもどかしさも、きつい剣技の鍛錬も、あの人がいたから耐え抜くことが出来た。いつだって、あの人のそばにはゆったりとした風が吹いていて、とてもとても心地良かった。……そういう、人だった」
「……」
静かな声だった。しかしその声には、セッティリオという王子を大切に思う気持ちが溢れているように感じられた。兄のように慕っていると言っていたけれど、ティルナータの心にあったのは、それだけの感情だったんだろうかと、野暮な勘ぐりをしてしまうのは、俺がゲイだからだろうか。
……と、そんなことを考えてしまう自分の矮小な感受性に、げんなりしてしまう。ティルナータの語る言葉の重みには、その人物への確固たる信頼と慕情が溢れているというのに。
「……立派な人だったんだな」
「……ああ。すごく。……本当に、素晴らしい人だった。今までずっとお側にお仕えしていたというのに、あの方の最期に立ち会えなかったことが、悔やまれてならない。僕は、あの人を守る騎士だったはずなのに。どうして……」
ティルナータの台詞の最後の方は、ほとんど涙声になりかけていた。でも、ティルナータは涙を見せることはなく、ぐっと下唇を噛んできつい眼差しを前方に向けた。まるで、フロントガラスの向こうに戦場を見ているような目つきだった。そこにあるのは薄暗い駐車場。無感情な車の列があるだけだというのに。
……きっと泣きたいんだろうなと、感じた。大事な人が、手の届かないところで消えてしまうなんて……そんなの、悲しくて仕方がないだろうに。騎士道精神というものがどういうものなのかは俺には分からないが、ティルナータは悲しさや悔しさ、そして寂しさといった人間らしい柔らかな感情の全てを他人に悟らせぬよう、心の奥底に押さえ込んでいるように見えた。
でも、ティルナータの緋色の瞳には隠しようのない怒りと後悔、そして深い哀しみが見て取れる。ここは現代の、日本だ。涙をこらえなければならない理由なんて存在しない。自由に感情を表現したっていい世界なんだ……。
ティルナータにそう声をかけたかったが、うまく言葉が出てこない。それがまた、無性にもどかしくてやりきれなかった。
そうこうしているうち、ティルナータは眠たそうに目をこすりはじめた。
「……ユウマ」
「……ん?」
「すまない。すごく、眠いんだ。……約束の時間まで僕は……」
「うん、いいよ。慣れない場所で、人がいっぱいで、疲れたよな」
「……うん」
「俺はずっとここにいるから。寝てていいよ」
「……うん」
ティルナータは抱えた膝の上に頭を乗せて、吸い込まれるように眠りに落ちていった。
俺はただ、その寝顔を見つめながら、ティルナータの生きていた世界のことを想像することしかできなかった。
そして気づいた。
俺は、ティルナータがこの世界の人間ではないということに、疑いを抱かなくなっている。
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