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5、ティルナータのいた世界

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 翌朝俺は、ほこほこと暖かい布団の中で、重たい瞼をうっすらと開いた。のろのろと目を上げると、カーテンの隙間から差し込む朝日が、天井に白い筋を描いている。


 重い……こんなにまぶたが重いのは久しぶりだ。昨晩はなかなか寝付けなかったからな……。


 眠れないのも当然だよな、と、俺はもう一度目を閉じて、昨日の出来事について想いを馳せた。

 突然空から美少年が降ってきて、首絞められて、ご飯をあげたら懐かれて主になって……なんて状況に陥ったんだ。まだこれが現実だという実感もないし、だいたい、ティルナータの正体は依然として不明のままだ。

 あの騒動の後、ティルナータは今自分がいる世界、つまりは現代社会のことを知りたがった。何から教えればいいのやらと迷ったが、淡島からの「テレビ見せたら早いんじゃないか?」という一言で、とりあえずはニュース番組から見始めることにしたのだが……。


 ティルナータのいた世界には、テレビなんてものは存在しないらしい。
 テレビが点いた瞬間「この中にも誰かいるのか!? 小人か!?」と大仰天してしまい、今にもテレビに拳をめり込ませそうになっていた。そりゃ小さいよ、うちのテレビは小せーよといじけつつも、俺は「ここに人はいない! 映っているだけ!!」と必死で説明して何とか宥め、家にあったスナック菓子で気をひきながら何とかテレビの前に座らせて、ようやく落ち着いたのである。


 ちょうどその時、テレビでは中東で勃発している戦争についてのニュースが流れていた。ティルナータは「……ここでも戦が起きているのか……」と重々しく呟き、自国で起きていた戦争のことをぽつぽつと俺たちに語って聞かせたのだった。


 ティルナータのふるさとの名は、エルフォリア王国。とても穏やかで、実り豊かな国だったそうだ。

 その国に四季はなく、気候は基本的に年中温暖。だから、この冬の寒さは経験した事がなかったらしい。

 王都を中心に、国を守るよう張り巡らされた城壁の外には、広い広い大平原が広がっている。
 その大平原では、短い周期で雨期と乾期を繰すらしいのだが、雨期には平原が海になり、乾期には平原が砂漠になるという極端な乾湿差があるらしい。城壁の中が何故温暖な気候を保っていられるのかと問うと、「王都に仕える魔術師たちが、城壁を境に”結界”を張っているからだ」と言う……。

 俺は”結界”という言葉を聞いて、すぐにそれがどんなものか想像できなかったけど……ティルナータのいる世界には、どうも魔法のようなものが存在するらしい。残念ながら俺には、その”結界”なるものが一体どういう仕組みで機能しているのか想像もできなかった。

 よほどの科学技術があるのか、それとも本当に、ファンタジーの世界のように魔法が存在しているのか……それとも、ティルナータの妄言か……俺はまだ、ティルナータの言葉すべてを信じているわけではない。俺は結構現実的な男なのだ。


 話は戻るが、大平原の向こうには数多の敵国があるらしい。

 魔法によって統治された美しく豊かな大地を求めて、敵国は何度となくエルフォリア王国を落とそうと攻めてきた。しかし、エルフォリア王国には強力な魔力と武力を兼ね備えた先鋭の騎士たちが存在する上、魔力を持たない戦士たちの武力も相当なものであるらしく、一度たりとも戦争で負けた事はなかったという。

 それに加え、国を守るように拡がっている大平原のおかげで、外から攻められにくい立地をしているということも幸運だった。かくして、長きにわたってエルフォリア王国は平和を保ち、繁栄を続けてきたのだが……。


 現国王・フォルタラーヌ王の治世となった頃から、時折国内で不審な事件が起こるようになったらしい。

 城壁を守護する南北の砦で異変が起き始めたのだ。砦に駐屯し、国境を守っている魔術師や騎士たちが多数行方不明になり、厳しい気候から国を守っている結界が歪み、国の一部に甚大な被害を受けたこともあった。

 また、王都の中心部でも、不審な事件が頻繁に起こるようになり始めた。殺人・強盗・強姦・放火……今までこの国では、こういった類の暴力事件など起きたこともなかったのだという。平和に、穏やかに日々を営んでいた人々にとって、こうした忌まわしい事件は恐怖でしかない。徐々に人々の表情には陰りが生まれ、不穏な雰囲気が国中を満たし始めた。


 ちょうどその頃、王宮の中では次期国王を決めるにあたり、派閥争いが勃発していた。
 身体の弱いフォルタラーヌ王は次期国王に自らの長子・セッティリオ第一王子を指名していた。にもかかわらず、国王の弟・ラディエラが玉座を強く所望したがために、派閥争いは起こった。

 フォルタラーヌ国王は病床にある身であったが、密偵を使ってラディエラの身辺を徹底的に洗い、国で起きていた不穏な出来事はすべて、ラディエラが敵国の兵を国内に引き入れて起こした事件であったことを暴いた。そしてラディエラ一派を追放し、エルフォリア王国は再び平和を取り戻したかに見えたのだが……。


 一度惑わされた国民たちの不信は拭い去ることが難しく、同様に王宮の中でも、次なる裏切りがいつまた生まれるのかという冷え冷えとした不安が、澱のように漂い続けていた。

 そんなエルフォリア王国の動揺を敵国が見逃すはずもなく、戦争は頻度を増し、激化し……そしてついに、ティルナータが忠誠を誓っていた第一王子・セッティリオが戦死したという知らせが届く。

 その訃報を知らせにきた騎士は、付き合いの長い同胞だ。嘘をつくような人物でないことは分かっている。つまりセッティリオの死は、真実ーー。

 兄弟のように育ってきた第一王子の死を俄かには信じられず、ティルナータは持ち場を離れて王宮へ戻ろうとしたらしい。そして、謎めいた白い光に飲み込まれたのだと……。


 長い長い話を途切れることなく語り終え、ティルナータは涙をこらえるように下唇を噛み締め、片手で目元を覆った。
 その態度に、嘘や偽りのようなものは何も感じられなかった。元いた世界のことを語るティルナータの目つきは凛として強く、口調には絶対的な説得力があった。だからこそ俺は、余計に混乱してしまった。


 だって、それが本当なら……ティルナータは、本当に、ここではない世界からやって来たことになる……。


 救いだったのは、淡島が俺より冷静さを保っていたことだろう。
「オカルト好きの友達に聞いてみてやる」と言って、その場で他学科の友人にアポを取ってくれた。俺たちよりもずっと超常現象に詳しい人物と会うことができると思うと、ちょっと胸がホッとする。今俺の目の前で起こっている事態について、何かヒントをくれるかもしれないからだ。それに、ティルナータは元の世界へ戻りたがっている。彼を帰してやるための方法を、何か知っているかもしれない。


 と、そんなことを話し合っているうち、ティルナータは大欠伸をしてテーブルに突っ伏し、寝息も立てずに眠ってしまった。話し疲れたのか、腹が膨れてほっとしたからか何なのか……死んだように眠ってしまった。

 そろりと近づいて覗き込んだ寝顔には、意外にもあどけなさが残っていて驚かされた。そして俺は、金色の長い睫毛に、小さな涙の雫が一粒くっついているのを見つけてしまった。

 外見は高校生くらい、だいたい十六、七歳前後に見えるけれど、ティルナータは俺なんかよりもずっとずっと大人びている。
 ティルナータの言葉が本当ならば、若い身の上で、敵と命を奪い合う戦場に立つ生活を送ってきたということだ。故郷を脅かされ、武力によって命のやり取りをするような熾烈な日々……現代日本でのほほんと暮らしてきた俺には、到底想像もできない世界だ。彼はそういう過酷な環境で生きてきたから、このえらく老成した雰囲気を身につけることになったのだろう。

 いろいろつらいこともあったんだろうな……と、眠るティルナータの横顔に不思議な感傷を抱いてしまう程度には、俺はティルナータの言葉を信じてしまっているのかもしれない。

  

「んー……」

 考え事をしていたら、目が冴えてきた。今日の午前中は工房でバイトだ。そろそろ起きないと遅刻する……と、目をこすりこすり寝返りを打つと……。


 美少年が、隣で寝ていた。


「……う、うおわぁあああ!!」
「んー……?」
「な、おまっ、お前っ……! なに勝手に入ってきてんだよっ!」

 ティルナータはもぞもぞと布団の中で寝返りを打ち、ちょうど俺と真正面に向き合う格好になった。約十五センチという至近距離でティルナータの美貌を目の当たりにしてしまうと……やばい、なにこの子。マジでどんだけ美形なんだよ……。

 眠たげな目元は妙に無防備で、昨日険しい顔で王国の危機を語っていたときとは比べ物にならないほど、年相応の少年っぽく見える。

 くっきりとした二重まぶた、長い長い金色の睫毛、そして明るい緋色をした大きな目。すっと通った鼻筋や、意外にも厚みのある薄紅色の唇はなかなかに色っぽく、いつまででも見ていたいと思わされるほどにきれいだった。するとティルナータは、その麗しの唇で、意味不明なことを言い始めた。

「……氷の妖精の吐息の如し冷気に包まれて、死神の足音が聞こえたような気がしてな……」
「……ん? え? それって何? 寒かったってこと? 寒すぎて死にそうだったってこと?」
「そうだ……はぁ、それに引き換え、ここはなんと暖かい」
「ひぇっ」

 そう呟き、ティルナータはもぞもぞと俺にすり寄ってきた。……いつもより布団があったかかったのはこのせいだったのか……ッ!

 薄暗がりの中で間近に見つめ合っていると、何だか変な気分になってくる。うっすらと差し込む朝陽で柔らかな光を湛える肌は若々しく艶めき、そこはかとなく危険な色気が……や、やばい、なんかドキドキしてきた……。


 ——……って、待て待て待て待て!!
 この子は未成年だから!! 迷子の高校生(?)捕まえて淫らな行為なんかしでかした日にゃ、俺の未来全部パーだから!! 踏みとどまれ……踏みとどまるんだ俺……!!


 と、俺がブンブン激しく頭を振っておかしな気分を振り払っていると、ティルナータは訝しげな目つきで俺を見上げた。

「何をしている?」
「ふえっ……。え、えと……ええと」
「しかし、寒い……僕はここから出たくない」
「まぁ、その気持ちはよく分かるけど……。じゃあさ、ヒーターつけてやるから、ちょっとどけって」
「どこへ行くのだ。ユウマがいなくなると、寒い」
「だから部屋の中あっためて、寒くないようにしてやるから」
「ほぉ、それもデンキという名の魔法か」
「魔法じゃねーよ…………って、」

 壁際にいた俺は、ベッドから出ようと布団の中から這い出した。すると、その拍子に捲れた布団の下は肌色一色。

 つまり全裸だ。寒い寒いと言いつつ、こいつは全裸で眠っていたのだ。細く引き締まった肉体を、無駄のない美しい筋肉に覆われたしなやかな肉体を、惜しげもなく晒して俺の隣で眠っていたのだ。つまり全裸で。


 うつ伏せになっているせいで、なだらかな曲線を描く背中や細くくびれた腰のライン、そして小さくて丸い白桃のような双丘が何の前触れもなく現れたのだ。そしてシーツや枕の質感をうっとりしながら堪能している愛らしい表情がまた、これ……コレ……。


「フトォンというのは実に肌触りがいいな……ん? どうした? 鼻から深紅の濁流が」


 ……俺、この子とここでしばらく生活するとか、大丈夫なんだろうか……。
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