ロスト・ナイト—異世界から落ちてきたのは迷子の騎士でした—

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4、目覚めた少年

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「あ、お、起きたのか……」
「くいもの……」
「え?」
「くいものぉぉ……!!!」
「うぉおっ!!」

 少年は俺や淡島には目もくれず、獣のように四つ脚でベッドからジャンプして、ちゃぶ台の土鍋に食らいついた。

 よほど腹が減っていたのだろう。手掴みでガツガツとうどんを屠り、いい感じに固まっていた卵を鷲掴んで丸呑みにし、両手で土鍋を持ち上げて、出汁の一滴も残さずに鍋焼きうどんを飲み干した。気持ちいい食べっぷり……を全力で通り越した、激しすぎる食いつき方に俺たちは呆気にとられていた。

 土鍋だけでは飽き足らず、少年は淡島が手にしていた取り皿を素早く奪い、そこにあったうどんまで食い尽くしてから、ガラスのコップに注いであった麦茶をグビグビグビーっと一気飲みし、ぶはぁっ! と漢らしくため息をついて、口元を拳で拭う。

 可憐な見た目をしているのに、えらく雄々しいことだぜ……しかし、腹が減っていたならしょうがない、食欲は理性を凌ぐもんな、うん……。

 絹糸のような金髪を振り乱してうどんを平らげてようやく落ち着いたのか、少年ははたと目を瞬いて俺を見た。

「あんたは……さっきの」
「あ、はい……どうも……」
「僕を、助けてくれたのか」
「ええと、うん。……そうなるかな」

 さっき俺を半殺しにした時とは比べ物にならないくらい穏やかな目つきで、少年はじっと俺を見つめた。本当にきれいな目だ。こんな目の色をした人間がこの世にいるのかと驚いてしまうほどに、少年の深紅の瞳は美しくて、ついまじまじと凝視してしまう。

 まさに、透明度の高いルビーだ。さっきは切羽詰まった雰囲気と目の色が相まって、ものすごく狂気じみた表情に見えたけど、単に腹が減ってただけだったのかな……。


「ところで……、ここは、何という名の街だ? 僕はついさっきまで戦場にいたんだが」
「せ、戦場?」
「真っ白な光に飲み込まれたかと思ったら、急に身体が浮いて、気づいたときには落下してた。……竜巻にでも巻き込まれたんだろうか」
「え……?」


 ……ん? やっぱり頭を強く打ったんだろうか? 戦場って何だ?


 俺は淡島と目を見合わせ、きょろきょろと物珍しげに俺の部屋を見回している少年をもう一度見た。すると少年は、「変わったもののある家だな……」とつぶやき、床に落ちていた羽毛布団に触れ、「おおお……なんと柔らかな上掛けだ。まるで羽根のような……」と、それなりにもっともなことを言っては目を輝かせている。

「あんたは……見たところ、戦士ではなさそうだな」
「え? せ、戦士……?」
「頼りない身体だな。農村の村人でもないようだし……あぁ、あれか。魔術師の一派か? 彼らは揃いも揃って枯れ木のような身体をしている」
「魔術師? 枯れ木……!? え、え、俺……そんなに細い……?」

 い、いやいやいや、これは着瘦せだよ!! 俺、そんなに痩せてねえよ!! つうか自分の方がよっぽど細いだろーが!!    俺、結構厳しい全国区の剣道部で頑張ってたから、着痩せして見えても結構身体は筋肉質なんだよ!? てか今も続けてるし……自慢できるのはこれくらいなんですけど……。立石さんも、セックスに関しては何も褒めてくれないけど、身体つきだけは褒めてくれるんだけどな……。俺が唯一男らしさアピールできるとこ、全否定されたんですけど……か、枯れ木とか言われたんですけど……泣いていいかな。

 ……と、ショックのあまり脳内ではあれやこれやと文句を垂れたが、俺は初対面の相手にいきなりそんなこと言えない。

「悪かったな。か弱き身体にあんなことをして……痛むか?」
「えっ……あ」

 俺がしょぼくれていると、少年はカーペットの上に膝をつき、タートルネックセーターの首元を指先で引き下げた。そこにはくっきりと指の痕が赤く刻まれていて痛々しく、淡島に見られたらやばいかなと思って服を着替えたのだ。案の定、淡島は「おい、それ! どうしたんたよ!」と声を荒げている。

 その声で、ようやく少年は淡島の存在に気づいたらしい。そして「お前は……魔術師ではないようだな。戦士か」と言われていて……おい、俺は枯れ木で淡島は戦士かよ。ふざけんな!!

 少年はすぐに俺の方へ目線を戻し、両手で優しく俺の首に触れた。傷の具合を確かめるように、まっすぐな目つきで俺の首筋を見つめながら。……ちょっと……いや、思いっきりドキドキしている自分が恥ずかしい。

「あんなことをしたのに、僕を連れ帰って傷の手当てをして、飯まで食わせてくれたのか」
「え、えーと……うん。何となく、放っておけなくて……」
「そうか……すまなかったな。この身に受けた恩は、決して忘れない」
「あ、それはどうも……」
「では、僕は行く。世話になった。馬を貸してくれ、すぐに戦場へ戻らねば……」
「馬? あの、あのさ、ちょっと待って。君さ、さっきから一体何言ってんだ?」
「え?」

 勇ましく立ち上がった少年は、きょとんとして俺を見下ろした。こっちもきょとんとしたいことだらけだが、多分この少年は俺以上に今の状況を分かっていないらしい。

 俺は立ち上がってカーテンを開き、しんしんと雪の降る都会の街を少年に見せてやった。ここは郊外に建つ八階建ての鉄筋コンクリートマンションだ。そして、俺の部屋は最上階。遠くに都会の街灯がキラキラと輝いて見えて、東向きで寒いけど見晴らしだけは最高。

 ついでに窓を開けると、びゅううっと乾いた冷たい空気が入り込んでくる。綿製の薄い衣服一枚の少年は凍えたように身を縮め……そして、目線の先に広がる光の海を、愕然とした表情で見つめた。


「……な、なんだ、これは……!?」
「ここは日本、って国なんだけど……分かる? あんたは、どこから来たの?」
「ニホン……!? 知らないぞ、そんな国は……。それに、何だ、どうして空の星々が大地に落下しているのだ!? 凶事の前触れか……!?」
「えっ!? あぁ、えと、あれは……電気だよ。知らないの? ほら、天井にくっついているこれも、電気の明かりなんだけど……」
「デンキ? 火……炎もないのに、明るい……」
「それにこの世界では、もう馬を移動手段として使ってないんだ……けど、って、話聞いてる?」

 少年はわなわなと身体を震わせながら窓の方へ進むと、裸足のままベランダに出て、身を乗り出して景色を見渡している。

 この反応は偽物じゃない、と俺は思った。少年は凍てつく冬の風に金髪を乱されながら、しばらくの間石のようにじっと固まっていた。声なんか掛けられるような雰囲気じゃなくて、俺はしばらくの間黙ってその華奢な背中を見つめていたのだが……数分経って、少年は「ぶぇっくしょいっ!!」とひとつ、漢(おとこ)らしいくしゃみをした……。

「と、とにかく中に入って!! な、ほら、あったかいもんでも飲もう、な!?」
「この冷たい空気……何なのだこれは……?     世界の終末を予感する禍々しい足音が聞こえくる……」
「はい? ……いやいや、今は冬だから寒いだけだから。あんたの国には、季節がないの?」
「きせつ? ……エルフォリア王国は、いつでも暖かな風が吹いている……雨期と乾期を除けばいつだって暖かな…………へっきしっ!!」
「冬がないのか!? そりゃ単純に羨ましいけど……とりあえず、これ着ててよ。ちょっと大きいかもしれないけど、ないよかマシだろ」
「……あ……」

 俺は今日外に着て出ていたモッズコートを羽織らせ、とりあえず大きめのマグカップに牛乳を注ぎ、チンして少年に手渡した。すると少年は今にも泣き出しそうな表情で俺を見上げ、打ち捨てられた子猫のような雰囲気を漂わせながらホットミルクを飲み、そして「あたたかい……」と、しみじみつぶやく。
 さっきまでの凛々しい表情が嘘のような不安げな表情を見ていると、何だかどうしようもなくこの少年が不憫に思えてきてしまう。

「あんたは……なんと心優しい魔術師だろう。こんなにも暖かなものを一瞬で作り上げ、僕に施してくれるとは……」
「いやいや、チンしただけだから。これくらい誰でもでき、る……」

 少年は突如俺の眼の前に跪き、すっと流れるような動きで俺の手を取った。そして俺の手の甲に、ちゅっと音を立てて、キスをした。

 ……って、何してんの、この子……。

「僕はエルフォリア王国第一王子直属騎士隊が一人いちにん、ティルナータ・ディルヴォリアス・ラナティットリア」
「えっ? ってか名前長っ」
「あんたの名は? 教えてくれないか」
「え、えと……俺は時田悠真、っていいます……」
「ユウマ。……では、ユウマ。僕の命を救い、暖かな食事を与えてくれた恩義に報い、あんたを我が主として迎えたい。こちらの世界に留まる間、僕はユウマを主人として敬い、命を賭して、あらゆる危機から守り抜くことをここに誓おう」
「……はい?」
「戦況は最悪の様相を見せていたというのに、僕はセッティリオ様のおそばを離れてしまった……。しかも、僕には率いるべき部下もいたというのに、騎士隊長にあるまじき行動を取って暴走して……」
「はぁ」
「その結果がこれだ。暗闇に支配され、凍てつく風の吹きすさぶ最果ての国へと迷い込んでしまった。……これは、罰だ。きっとその罰なのだ。天罰なのだ」


 ——……ん? んん? 暗闇に支配された最果ての国……? それって、冬の日本の夜のこと?


 俺は目をしぱしぱさせながら、ティルナータと名乗った少年の行動を見守っていたのだが……おいおい、こっちの不安も増していく一方なんだけど。え? 騎士? この世界に留まる? 我が主人として迎えたい? え? マジで何言ってんのこの子!?


 うわぁあ、どうしよう。この子、実は精神病とか患ってて、妄想が派手に爆発してる厨二病で、本当にヘリとか飛行機とか飛行船から落下してきた現代人だったらどうしよう!? だったら、だったら、早く病院に戻してあげたほうがこの子のためになるんじゃないの!? 俺、どうしたらいいんだ……!?


 俺の大混乱をよそに、少年はひたと俺を見つめ、自らの胸に手を添えて真摯に言葉をつなぎ続けた。

「ユウマ。……僕は、あんたに忠誠を誓う。だからどうか、僕を元の国へ戻して欲しい」
「……へっ……でも、俺、そんな」
「お願いだ、頼む……!! 僕は何としても戻らねばならんのだ……!! 何でも言うこと聞くから!! あんたの言う事はなんでも聞く!! 魔術師だろ!? それくらい容易いのであろう?!    忠誠を誓うから!!」
「えぇぇ!?」

 ちょ、ちょっと待ってくれよ!! なんだ、どうすりゃいいんだこの忠誠心の押し売り!! 俺、どうすりゃいいんだよ……!!

「なー、悠真」
「うっせーな淡島!! お前さっきからのんびり見物してるだけじゃなくて何とか言えよ!!」
「……いやいや、それは置いといてさ」
「置いとけねーよ!! この状況なんとかしてくれよ!!」
「さっきからこの子、何語で喋ってんの?」
「え?」


 俺、もう一回きょとん。
 淡島は首をひねりながら、こんな事を言った。


「英語でもフランス語でも、スペイン語でもないし……何語だ? お前、英語ですら聞き取れないって、前に言ってたよな?」
「えっ!? だって、日本語喋ってんじゃん、この子!」
「喋ってねーよ。悠真には言葉が分かるのか?」
「……な、なんだよそれ、どういうことだ?」
「お願いだ!! 忠誠を誓うから!! 僕を元の世界へ!!」
「だーもー!! 分かったよ!! 分かったから静かに考え事させてくれ!!」
「そ、そうか……!! 僕をそばに置いてくれるか……!!」


 ティルナータの言葉は確かに聞き取れている。
 こちらの言葉も通じている。なのに淡島には彼の言葉が分からない……? 何だそりゃ、一体全体どういう事だ?


 分からない事だらけで混乱していた俺は、はたと今、重大な事に気がついた。


 俺……うっかりティルナータの主人あるじになってしまった。
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