ロスト・ナイト—異世界から落ちてきたのは迷子の騎士でした—

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2、落ちてきた少年騎士

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 疲れ眼の錯覚だろうかと、ごしごしと目をこすってもう一度上を見ると、チラ、とまた光が瞬くのが見えた。
 雪が降ってるんだから、星空が見えるわけがない。まさかUFO? いやいや、そんなもんいるわけないじゃんと思いながらも、馬鹿みたいに口を半開きにしてじっと空を見上げていたら、ぴちゃん、ぴちゃん、と、顔に何か冷たいものが。そして、半開きにした口の中にも、何かが、入ってきた。


「ん、ぐっ……げぇっ!! なんだこりゃ! がはっ、げほっ……!」


 とっさに顔に触れた指先には、ねっとりとした赤い水滴が付着している。俺はぞっとして激しく咳き込み、今飲み込んでしまった何かを吐き出そうとしたけれど、それはもう後の祭りだった。


 血、血だよ……!! これは血だ!!
 なんで空から血が降ってくるんだ!? ありえねぇよ!!


 俺がオタオタしながら咳き込んでいると、カッ!! っと一瞬、空が真っ白になった。ほんの一瞬だが、まるで真昼のような明るさに。


 涙目になりながらもう一度空を見やったが、そこにはいつもと変わりばえしない夜空しかない。困惑しつつ辺りを見回した次の瞬間、ズドーン!!! と激しい音が炸裂した。


「うぉわああああ!!!?」


 何だ!? 何の音だ!?
 俺は身を守るように両腕を抱き締めつつ、恐々と目を開いて辺りを見回した。
 すると、傍にあったゴミ置場から、もうもうと埃が舞い上がっている。明日はクリスマスだが資源ゴミの日だ。放火が心配だから夜のうちにゴミを出すなという張り紙がしてあるというのに、ここいらの住人たちはえらく身勝手で不真面目……いやいやいや!! 今そんなことはどうでもいい!!

 うず高く積まれた雑誌類、新聞紙、古い布団、フライパンなどの鉄くず、黒ずんだぬいぐるみなどなど……そのど真ん中に人が埋もれている……ような気がするんですけど……気のせいか、な……?  


 いや、いる……人が、いるぞ……。


「……えっ? え、うそ? じゃあ今の音、人が落ちてきた音!? え、まじで!? どうしよ!!」

 もう一度空を見るも、何もない。ヘリコプターや飛行機から落ちた? 夜景を見ながらヘリコプターでクルージング出来るプランがあるよなんてことを朝のニュースで見たけど、まさかそんな高さから人が降ってくるなんてこと、あるか? いや、あるわけがない。ラピュタじゃねーんだから……っていやいやだからそんなことはどうでもいい!

 混乱しつつゴミ置場を覗き込むと、そこにはやっぱり一人の人間がいた。運良く古い布団と週刊誌の中にはまり込んでいるから、恐らく死んではいないはずだが……。

「ん……っ」
「あ、あの、大丈夫、ですか……?」

 大丈夫なわけないだろうが、俺は一応声を掛けてみた。救急車を呼ぶべきか? 空から人が降ってきましたなんてことを救急隊に説明すんのか? 酔っ払いの戯言だと思われるに決まってるよな……。

「ん……? な、何だこの格好」

 よくよく見てみると、そこに倒れているのは、上半身に銀色の甲冑を身につけた、小柄な人物だった。苦悶に満ちた呻き声を漏らす顔は、後頭部から目と鼻にかけてをすっほりと覆う形をした兜のせいで、全然見えない。

 金属で出来た白銀色の胸当てに、街灯の明かりがぼんやりと映っている。肩と胴の部分は銀色の甲冑に覆われているが、下半身は黒い革製のズボンと、黒色のブーツ。それらはあちこちが煤けていて、まるで火事場から逃げ出してきたような有様だった。全身が激しく土や泥にまみれていて細かい傷だらけで……よく見ると、黒い皮布に覆われた左腕の一部が裂け、そこから夥しい量の血液が流れ出しているのが見える。……俺は青くなった。

「こ、コスプレ……の、怪我人だ。どうしよう……」

 無事を確かめるためにももっとよく顔を見ようと、俺はその人物に近づいた。

「大丈夫……ですか?」
「……ん……?」

 もう一度声をかけると、その鎧姿の人物は微かに首を振って呻き声を漏らした。目と鼻を覆う兜の下から、目の前に立つ俺の姿を認識したらしい。両目の部分をアーモンド型にくりぬかれた兜の奥で、ちらりと瞳のきらめきが揺れた気がした。

「セッテ……リオ……さ、ま……」
「え?」
「も、どらなければ……城へ……国を、まも……っ」

 掠れていて苦しげで、途切れ途切れに聞こえてきた男の声。その声はまだ若い男の声のように聞こえたけど、ぞくっとするくらい重く悲壮な声色で、俺はどう反応したらいいか分からなかった。

 すると、その人物はフラフラとゴミ置場の中から立ち上がり、兜の鼻先に手を突っ込んで、もどかしげに白銀色の兜を脱ぎ捨て、苦しそうに深い息を一つ吐いた。

 さらりと流れ落ちる、黄金色の細い光。それは、街灯の光を受けてきらめく、鮮やかな金色の髪だった。そして俺を真っ直ぐに射抜く彼の双眸は、びっくりするほどに明るい色をした紅色だ。透き通るルビーのような、鮮やかな緋色。

 味気ない都会のベットタウン。色のない住宅地の片隅。くすんだ灰色の世界の中で、その鮮やかすぎる色彩は俺の視線を完璧に奪った。そして、兜を脱ぎ捨てた少年の凛々しく整った顔立ちは驚くほどに美しく、俺は呼吸を忘れてその素顔に見惚れていた。

 天使だ、と思った。
 烟るような金髪に、艶を湛えた白い肌。透明度の高いルビーを嵌めたような美しい目を縁取る金色のまつ毛は重たげに長く、瞬きをするたび頬にうっすらとした陰を落とす。

 意志の強そうな切れ長の大きな目だ。どう見ても俺より年下のように見えるけれど、凛とした凄みのある目つきは、その少年の姿を年齢以上に勇ましく、頼もしく見せている。

 少年は一瞬たりとも俺から視線をそらすこともなく、物言いたげな目つきできつく俺を見据えていた……かと思うと、目にも留まらぬ素早さで、一足飛びにこっちに飛びかかってきたではないか。そして気づいたら俺は、その少年に首を絞められ、冷たい道路に押し倒されていた。

「……ッ!?」
「ここは、どこだ……!? 王都は、セッティリオ様、は……」

 さっきルビーのようだと見惚れた瞳が、禍々しく血に染まっているように見えた。俺の首を締め付ける力に容赦はなく、みしみしと気道が押しつぶされていくのを感じた。咄嗟に相手の手首を掴んで抵抗してみたけれどびくともしない。呼吸は出来ず、血流は止まり、視界が真っ赤に染まっていく。


「や……、め……ッ」
「ここは、どこだ……僕は、どうして……」


 その時、ぐぎゅるるるる……という聞き慣れた音が俺の耳に届いてきた。

 俺の首を絞める少年の指から、魂が抜けるみたいに力が抜けていく。解放された喉にどっと空気が入り込み、俺は求めていた酸素を思う存分吸い込みつつも、痛む首筋を庇って激しく咳き込んだ。すると、ふらついた少年の身体が、どさりと俺の上に覆い被さってくる。

「ひぃい!! ひとごろしっ……! いやだ!! 俺はまだ死にたくな、」

「……はらが…………」

「……えっ?」

「はらが……………へった………」


 すとんと意識を手放した少年は、俺の腕の中でぐったりと意識を失った。


 俺は、……一体どうしたらいいんだ……。
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