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「雪兄! いらっしゃい!」
「お邪魔します。ほら、ピザだよ」
「わーうまそう! あがってあがって、早く食べよ!」

 とある日。ひさびさに雪兄と二人きりで過ごせる夜がやってきた。
 ピザの箱とコーラを手に現れた雪兄に抱きつきたい衝動を必死でこらえ、爽やかな笑顔で出迎えた。

 今でも俺たちの親同士は仲が良くて、年に一度は二泊三日の旅行に出かけていく。幼い頃は俺たちも同行していた旅行だったけど、雪兄が部活なんかで参加できなくなってからは、俺も留守番をするようになった。

 親はつまらなそうだが、俺にとっては雪兄とふたりきりで夜を過ごせる貴重な数日。俺は毎年、その日をワクワクドキドキしながら待ち侘びていた。

 しかも最近は、こうやって家を行き来する機会も減っている。雪兄とのんびり過ごせるなんて何か月ぶりだろう。
 あ、髪をちょっと切ったみたい。淡い栗色の癖っ毛は幼い頃のままですごく可愛いんだけど、なんせ顔もスタイルも抜群だから、ところどころ毛先が跳ねていてもすごくおしゃれに見える。

 それに、また少しガタイも良くなった気がする。毎日部活を頑張っている成果だろう。雪兄を追いかけて同じ高校に入ったから、雪兄が三年のエースとしてバリバリ活躍していることも俺はよく知ってるんだ。

 ——ああ……一緒にお風呂入りたいなぁ。今、脱いだらどんな感じなんだろう。腹筋とか、胸筋とか、きっとすごいんだろうなぁ。ぎゅってしてくんないかなぁ……。

 リビングのローテーブルにテキパキとピザやサラダを並べている雪兄の広い背中を見守りながら、溢れでそうになるよだれを必死でこらえる。

 ああ……目をガン開きにして凝視すれば……見える、見える気がする。そのこじゃれた長袖Tシャツの中に隠し持っている美体が……。

 広い背中、キュッと引き締まった腰と尻。そしてそのやたら長い脚の間に収められている立派なアレも……。

「……せい、柊生ってば」
「………………えっ!? あっ、な、なに!?」
「皿持ってきてってば。どうしたんだよ、ぼうっとして」
「あっ、皿!? うん、わかった……!」
「あれっ……目真っ赤だよ? どうしたの?」
「なんでもないよ!」

 いかんいかん……雪兄の裸体を透視しようとしたせいで、眼球がカサカサに乾いてしまった。俺は慌てて目をこすり、わざとらしい笑顔でその場を取り繕った。
 だが雪兄はすごく心配そうに眉を下げ、リビングからキッチンまでやってきた。そしてひょいと身を屈めて、俺の目をじいっと見つめてくる。

「熱でもあるの? 大丈夫?」
「へっ…………だ、だいじょうぶ……だよ……?」
「本当に? なんだか顔もすごく赤いし……」

 百六十センチそこそこの俺より二十センチは長身な雪兄は、今でもこうやってわざわざ俺に視線を合わせてくる。そういうところもマジで好き。大好き。

 それに、近くで見れば見るほどやっぱりカッコいい。優しく整った顔立ちはちょっと気弱そうにも見えるけれど、そういうところも特に好き。

 熱っぽいや……とかなんとか言って、このまま雪兄に抱きついちゃってもいいですか——……?

「柊生?」
「ぁっ……!? あ、いやぜんぜん大丈夫だって! 春だってのにすげー暑いよな~!」
「そう? 肌寒いくらいだと思うけど……」
「そ、そっかな!? 俺、代謝いいからな~~!」

 あぶないあぶない、心配そうに見つめられたことに興奮して、思わず『好き』が溢れてしまいそうになっていた……。
 皿とグラスを準備し、若干へっぴり腰でリビングへ向かう。
 何を隠そうさっきから俺、勃ちっぱなし。雪兄がこの部屋に来た瞬間から半勃ちだったけど、さっき間近で見つめられて、さらに硬くなってしまった。

 ——うう……ジーパンきつい、苦しい……。でも、ダボっとしたの穿いたら勃ってんのバレちゃうしな……。

 雪兄を置いてトイレへ抜きに行くわけにはいかない。俺は落ち着かない下半身を抱えたまま、雪兄とピザを食べ始めた。
 ……そして気づく。今日の雪兄には元気がない。

 派手なバラエティ番組を眺めつつピザを口に運ぶ雪兄の横顔は、なんだか少し疲れが見える。やつれているとかそういうのではなくて、長年そばにいる俺だからわかる程度の、ほんの翳りだ。

「雪兄、どした。疲れてるね」
「え……そう?」
「俺の目はごまかせないよ。なんかあったの?」
「いや、何かあったわけじゃないんだけど……」

 そのとき、テーブルの上に置かれていた雪兄のスマホが振動した。何の気なしに画面を見てみると、そこに表示されているのは明らかに女子の名前だ。……俺の頬、ぴくりと引きつる。

「ええと……か、かか、か、彼女……?」
「彼女じゃないよ。ただ、ちょっと強引な子で、困ってるんだ」
「そうなの? 雪兄、告られたら誰とでもホイホイ付き合うんじゃないの?」
「えっ!? 俺、そんなふうに見えてるの!?」

 日頃から思っていたことがぽろっとこぼれてしまい、俺は慌てて口をつぐんだ。が、覆水盆に返らず。雪兄は明らかにショックを受けている。

「だ、だってそうじゃん……フラれたってへこんでても、また一週間くらいしたら違う女と歩いてるしさ。雪兄モテるし、すぐ彼女できるんだろ?」
「いやいや! さすがに一週間てことはないよ!? それに俺……高一の冬くらいからは誰とも付き合ってないし」
「えっ? だって、いつも女連れで……」
「それはただの女友達」
「またまたぁ。向こうはそう思ってないっしょ」
「……そういうこともあるけど。告白されても、ちゃんと断ってる」

 俺はピザを片手に持ったまま、ぽかんとハニワのような顔で固まった。

「へぇ……そうだったんだ」
「ショックだなぁ。まさか女の子を取っ替え引っ替えしてると思われてたとは」
「だってさ、あんま俺んち遊びに来てくれなくなったし」
「それは……俺たちももう子どもじゃないし、いつまでもべったりってのもどうかなと思って」
「え、そなの? けど、けどさ、去年も全然俺と遊んでくれなかったし……!」
「柊生、受験生だったろ。俺もレギュラーになってからは部活がハードで、余裕なくて」
「あ、受験……部活……」
「『雪兄と絶対いっしょの高校行くから!』って柊生すごく勉強頑張ってたし、邪魔なんてできないよ」

 そう言って、雪兄はほんわり優しいスマイルを俺にくれた。
 ……腹の奥からときめきがこみあげて、俺は思わず両手で口を覆った。そうでもしなければ、キュンキュン変な音が外に漏れてしまう。

「それに俺、ちょっと反省したんだ」
「反省って……?」
「相手の押しに負けて付き合って、幻滅されてこっぴどくフラれるっていうパターンが続くと、さすがちょっとにこたえるだろ」
「あ、ああ……うん、女性不信になりそう」
「押しに弱いところ、直そうと思ったんだ。もっと自分の気持ちに正直にならないと……ってね」
「うんうん、確かに俺も心配だった。そのうち、とんでもないワガママ女とデキ婚とかしちゃうんじゃないかと……」

 と、またつねづね思っていたことをさらりと口からこぼれ落としてしまい、俺は咄嗟に口を覆った。怒られるかと思ったけど、雪兄は「あははっ」と軽やかに笑っている。

「ほんと、柊生の言う通りだよ。かなわないな」
「ご、ごめん。……つまり、そのLINE女の告白もきっぱり断るつもりなんだね」
「うん……けど、断るのもけっこう労力がいるんだよなぁ……って、そんなこと言ってる場合じゃないか」

 そう言いつつ、雪兄はあいかわらずチラチラとスマホを気にしている。
 雪兄がロック解除した隙に画面を覗き込んでみると、緑色のトーク専用アプリの横に、『50』という数字を内包した赤い通知マークがチラ見えした。

「通知すごっ、これ全部その女? どんな内容? なんの用だよ!」
「短文刻んでくるタイプの子だから、別に大した内容じゃないと思うよ」
「うう~~~うぜー! せっかく久々に雪兄と遊んでるってときに……!!」

 俺がスマホの持ち主なら即ブロックして無視するところだが、雪兄はポコポコと増えていく通知数をかなり気にしている様子だ。俺が目の前にいるのに、意識は思いっきりスマホの向こうにいる強引女に向いているではないか。

 交際を断る相手なのに、その相手を傷つけまいと心を砕く雪兄は優しいのかもしれない。……けど、相手の女に対してそれでいいのか? どっちみちフラれる相手から優しくされたら、相手の女だって雪兄をすんなりあきらめられないかもしれないじゃないか。

 ——すぐ目の前に俺がいるのに……雪兄、さっきから全然俺に集中してくれない。なんだか、一緒にいるのにひとりぼっちみたいだ……。

 もう我慢の限界だ。俺は雪兄からむんずとスマホを取り上げて、電源をぶちっと切る。そして、大声で言い放った。

「もう、煮え切らねーな雪兄はっ!! そんな女なんてどうでもいいじゃん! いま目の前にいるのは俺だろ!?」
「あ……ご、ごめん」
「くそぉ、そんな女より……俺のほうがずっと、ずっと……っ!」

 悲しみの内側からむくむくと湧き上がってくるのは、自分でも戸惑ってしまうほどの激しい苛立ちだった。……俺は、誰に対してこんなにもイラついているんだろう。

 中途半端な雪兄か、雪兄を我が物にしようとする女たちか、それとも……。

 ——そうだよ、煮え切らないのは俺も同じだ。こんなに雪兄のこと好きでたまんないのに、ずっと逃げてる俺自身に、俺はめちゃくちゃ苛立ってるんだ……!!

 困惑顔の雪兄からあえて視線を外したまま、俺は硬い口調でこう言った。

「見せたいものあるから……十分くらいしたら、俺の部屋きて」
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