スパダリホストと溺愛子育て始めます 愛されリーマンの明るい家族計画

餡玉

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1巻

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 お言葉に甘えてダイニングに座り、コーヒーを一口。普段ブラックは飲まないけれど、今朝ばかりはその苦味が俺の頭をすっきりさせてくれる。両手でマグカップを包み込んでいると、掌がじんわりと温かい。ようやく人間に戻った気分だ。

「……空くん、いくつ? お母さんは?」
「空は四歳で、母さんは二年前に亡くなったんだ。胃がんが見つかってさ、そっから早くて」
「え……そうなんだ」
「それにこいつ、俺とは父親が違うんだよね」
「そっか、どうりで歳が離れすぎてるなと」
「俺が高一の頃に父さん死んでさ、そっから母さん、時々夜の仕事にも出はじめたんだ。……んで、気づけば客のひとりとマジな感じで付き合いはじめちゃってこいつできたんだけど……結局、相手に逃げられてさ」
「……そうなんだ」

 ちら、と彩人の顔を改めて見つめてみる。昨日は綺麗に整えてあった栗色の髪は、あちこち毛先の遊んだ無造作ヘア(単なる寝癖かもしれないが)だ。耳たぶにはピアスの穴だけが見え隠れしている。
 うっすら無精ひげの生えた下顎に、妙に時の流れを感じる。二重まぶたの形のいい目やスッと通った鼻筋は昔のままで、実に顔が良い。が、長いまつ毛に縁取られた目元には疲れが見える。時刻はまだ七時過ぎだ。あまり寝ていないのだろう。

「彩人、ホストやってんだよな。空くん、夜は?」
「ああ……うん。二十四時間保育してくれる保育園に預けてんの。俺の仕事終わってから迎えいくから、連れて帰んのは午前二時過ぎくらいかな」
「……そっ⁉ そんなに遅いのか⁉」
「うん、そーなんだよ。昨日もさ、お前のことタクシーに乗せて一緒に保育園迎えに行ったんだ。寝てる空抱っこして、タクの運ちゃんに手伝ってもらってお前運んでさー、大変だったわ」
「ごっ……ごめん! そんな迷惑かけてたなんて……」
「ううん、いーよ。なんか面白かったし」

 彩人はこともなげに笑うと、椅子に背をもたせかけてコーヒーを飲んだ。その仕草はとても大人びて見え、ほんの少しだが見惚れてしまう。……なるほど、顔の良い男は疲れていても様になる。さすがホストだ。

「ま……俺がもっと頭良けりゃさ、昼の仕事で空のこと養えたと思うんだ。でも俺、かーさん死んだ頃にはもうホストの仕事しててさ、こっちの世界の稼ぎに慣れちまったら、いまさら昼の仕事なんてできねーし。空はこれから金がかかるから、俺が稼がないと」
「確かに、そうだな……」
「……って、ははっ、再会したばっかなのに、重くてごめん」

 慌てて首を横に振ると、彩人はちょっと照れたような顔で笑みを作った。恋人もいなければ子育てなど未知の世界である俺にとって、彩人の苦労は想像することしかできない。
 だが、あのやんちゃだった彩人が、こうして目の下にクマを作りながら弟の子育てを頑張っているのか思うと、その姿は素直に俺の胸を打った。

「ごめんな。迷惑かけた上に、朝飯まで」
「何言ってんだよ。久々の再会じゃん? いろいろ話したかったしさ」
「うん……」
「ねぇー、いっせーはどこからきたの?」
「ん、俺? 俺はね」

 丸いほっぺたをさらに丸くしてホットケーキを頬張り、朝のテレビ番組を見ていた空くんが、突然話に割って入ってくる。俺が今住んでいる街の名前を空くんに教えると、彩人がちょっと身を乗り出してきた。

「へぇ、近所じゃん! お前は実家出てんの?」
「うん。実家はさ、兄貴が嫁さん連れて帰ってきてんだ。俺、居場所ないからひとり暮らし」
「へぇー、そうなんだ」

 ひとり暮らしなど気ままなものだが、彩人はどのような生活を送っているのだろう。苦労しているんだろうな……としめっぽい気分になりかけたその時、「ごちそうさま!」という元気いっぱいな声が部屋に響く。
 彩人に口を拭いてもらいながら満足げな顔をしている空くんは、ちょうど始まった子ども向けアニメのオープニング曲に合わせて踊りはじめた。

「ははっ、元気だな~」
「まーね。それだけがこいつの取り柄」

 そう言って、彩人は軽く笑った。笑顔が空くんと瓜二つで、思わず二度見をしてしまう。
 だが、彩人の笑顔からはすぐに力が抜け、どこか物憂げな表情になる。眠そうだ。

「毎日、大変じゃないのか? 空くんもいて夜の仕事とか……ちゃんと寝れてんの?」
「うん、まー、慣れたよね。朝こいつのこと保育園送って、俺はちょっと寝て、昼からは営業とか開店準備とか。……店開ける前にもいろいろあってさ、結構忙しーの」
「へぇ、馴染みのない世界だなあ」
「だよな~。まあ、変な時間に活動してっからさ、空なんて、家にいるより保育園にいる時間のほうが断然長いわけ。……寝てるこいつ迎えにいくたび、申し訳ねーなって」
「申し訳ない?」
「普通のガキは、家で家族といっぱい過ごしてる時期だろ? なのに空は親いねーし、ほぼほぼ俺とも一緒にいられない。保育士の先生たちに良くしてもらってるから、なんとかやれてるって感じで……」
「でも、それは仕方ないんじゃないか? 彩人はえらいよ。お袋さん亡くなって大変だったろうに、子育ても頑張っててさ。すごいことだって」
「……そっかな」

 彩人は俯いて、自嘲気味に微笑んだ。子育て経験はおろか、セックスの経験さえない俺の励ましの言葉など、どの程度彩人に届いたかはわからないが。
 ――結婚したいし、家族は欲しいけど……こういう生活見ちゃうとひとりって楽だなって思っちゃうよな。
 己の気楽な生活を思い返しつつ無言でマグカップを見つめていると、不意に彩人がこんなことを言った。

「なぁ……連絡先教えてくんない?」
「え?」
「よかったら……さ、また遊びに来ねぇ? 俺、昔のと会うの久しぶりで、懐かしいっつか……」

 見た目の割に遠慮がちな口調で、彩人はうなじを掻いている。その姿も、何だかとても意外だった。
 中学時代の彩人は、もっとチャラくて軽くて明るくて、良い意味でも悪い意味でもバカな男子中学生をやっているように見えた。彩人を取り巻く派手なメンツは学内でも目立っていて、インポに悩みながら優等生をやっていた俺とは、全く接点がなかった。
 だが、ひょんなことから一緒に実行委員をやることになり、彩人と言葉を交わすようになってから、俺の価値観は少し変わった。裏表もなく、誰に対しても人懐っこい笑顔を見せる彩人といると純粋に楽しくて――懐かしい思い出が、脳内に去来する。
 俺よりもずっと友達は多かったはずだが、仕事のことや空くんのことで、周りと時間や調子が合わないのかもしれない。そう思うと、何だか放っておけないような気持ちになる。俺はスマホをポケットから抜き、彩人の前に差し出した。

「これ、俺のID。また会おうぜ、こんなふうに再会したのも何かの縁だしさ!」
「うん。……さんきゅな」

 彩人は安堵したように表情をやわらげて、嬉しそうに笑う。その笑顔は、まるで花が綻ぶようだ。だが、ふとテレビに表示された時刻を見て、彩人が慌てた声を出す。

「あっ、そろそろ保育園送ってかねーと」
「え? あ、もうそんな時間か」
「そういや壱成、仕事は?」
「通信教育の教材作る仕事。地味だろ」
「ううん、さすが。かしこそーな仕事じゃん? じゃ、昨日はその接待だったんだ」
「うん、そう。俺あんま酒飲めないのに、接待多くてさ」

 苦笑する俺を見つめ、彩人は頬杖をついて微笑んだ。茶色みがかった明るい虹彩の瞳は、やはり空くんとよく似ている。心の奥底まで見透かされてしまいそうな、綺麗な色だ。
 自分にはない色を持つ彩人の華やかさに、俺はしばしぽうっとなっていたらしい。だが、空くんの一言で、はたと我に返った。

「にーちゃん、うんち」
「おー、行ってこいよ。そろそろひとりでできんだろー?」
「まだむりだから! ……ねぇいっせー、いっしょにいこ?」
「えっ⁉ あ、俺で良ければ……」
「おい何言ってんだ壱成はお客さんだろ! 悪ぃ、こいつまだひとりでできなくて。……ちょっと待ってて」
「う、うん、ごゆっくり」

 手をつなぎ、トイレに駆けていく早瀬兄弟の背中を微笑ましく見送る。
 開け放たれた窓から、ほんのりと冷えた春風がふわりと吹き込んできた。


 それから一週間ほどが経ったが、彩人からの連絡は何もない。
 ああして奇妙な再会をした新鮮さから連絡先を交換したはいいけれど、もともと特に親しかったわけでもないし、これといった用事もないのだから、連絡の取りようもないのが現実だ。
 ――それに彩人、めちゃくちゃ忙しそうだったしな……
 疲れたように笑う彩人の顔を思い出すと、何か手伝うことができれば良いのに……と思ってしまう。が、それがかえって迷惑になってしまうのではないかとか、じゃあいざ手伝うとしたら何をすれば良いのか――それが独り身の俺にはわからない。
 次の企画会議に上げる資料を作成しながらふと顔を上げ、ため息をついた。

『壱成って呼んでいい? よろしくー』

 中三の夏休み明け、初めて彩人と口をきいた。当時クラス委員をしていた俺は、なかば押しつけられる格好で文化祭実行委員になった。そしてもうひとりの実行委員は、ジャンケンで負けた彩人だった。
 彩人は当時から背が高いほうで、ゆるく着崩した制服が似合っていた。今よりも髪の毛は短かったため、校則を破って開けていたピアスがよく目立っていたものだ。
 授業中は寝ていることが多かったし、教師に指名されてもろくに答えることができない。だが不思議と、彩人が失敗しても教師は怒らず、むしろ授業の雰囲気が和むのだ。
 一方俺は隠れインポの優等生だったため、彩人がまとうゆるいモテ男ふうの空気が、あの頃は妙にカンに障ったものだった。見るからにチャラくてモテそうでヤリチンそうな彩人のことが、ただ単に気に食わなかったのだ。
 だから実行委員を一緒にやることになった時、俺は内心舌打ちをした。どうして俺がこんなやつのお守りをしなきゃいけないんだ、と。
 だが思いのほか、彩人は真面目に仕事をした。裏方できっちり仕事をする俺と、人の心を掴むのが上手い彩人。俺は大勢の前に立つことが苦痛でしかなかったが、彩人は緊張とは無縁なようで、どんな場面でも堂々としていた。そのあたりは、とても相性が良かったように思う。
 俺の作った資料を見て、『お前よくこんな細かいことまで考えられんね。天才かよ?』と目を丸くしたり、『塾あんの? じゃー俺が後片付けしとくわ』と手を貸してくれたり。実行委員の言うことなど聞くはずもないだろうと、最初から労働力として数えていなかったヤンキーたちにも軽く声をかけてくれた。結果、彼らヤンキーの実行力がものを言い、とても助かったことを覚えている。
 会議などの後に、ふたりで一緒に帰ったこともあった。
 彩人はおしゃべりで、俺に対する質問も多かった。自分に関心を抱いてくれているのかと思うと悪い気はしなかったし、彩人といると会話が弾んだ。思春期の悩みを抱えていても、彩人と話していると楽しかった。
 煩わしく感じていた文化祭が終わってしまうことを、寂しいとさえ思った。
 何もなければ、彩人は俺のような人間と親しくはならない。文化祭という目標があるから一緒に過ごせているけれど、それが終わればあとは受験。彩人とは、進む道が違うのだ。
 彩人はあの頃のまま、あっけらかんと生きて行くのだろうと想像していた。
 それがまさか、息子と言っても差し支えないほどの年齢の弟を、ひとりで育てようとしているとは……
 ふと、デスクの上に置いておいたアメの包み紙が目に留まる。あの日の別れ際、空くんがくれたものだ。
 ――空くんのことも、気になるしなぁ……
 早瀬兄弟の生活が、一般家庭的な暮らしぶりではないことは確かだ。俺自身も話を聞いた時は、空くんのことを『かわいそう』だと感じた。だが、家庭の事情はそれぞれで、部外者がとやかく言う筋合いはない。それに、空くんは健やかに成長している。
 彩人の店は日曜が定休日で(一般的に、日曜定休の店が多いらしい)、つまりは週一日しか休みがない。丸一日でも眠って過ごしたくなりそうなものだが、空くんは遊びたい盛りの四歳児だ。
 それなら、彩人はいつ休むのだろう。……そんなことを考え出すと、やはり気になって仕方がなくなる。

「うーん」

 キーボードに手を置いたまま唸っていると、隣の席に座る同期のゆきてるが、メガネを押し上げつつこっちを覗き込んでくる。小柄で身体の線が細く、神経質そうな顔立ちに銀縁メガネ。俺はいつも、小田を見ていると針を連想してしまう。

「どうしたんだい? 行き詰まってるの?」
「えっ? いや、ごめん。うるさかった?」
「ううん、君が悩んでんの珍しいなと思ってね」
「そうかなぁ」
「霜山くんって仕事早いし、先生たちにも気に入られてるからさ。いろいろ楽勝だろ?」
「……や、そうでもないけど」

 好青年っぽく見えるらしい外見と愛想の良さも手伝って、確かに監修の先生方とのやり取りはスムーズだ。年上受けのいい人懐っこい笑顔や、社会人になってから身についた軽妙な営業トークが役に立つ。
 だが俺とて、顔とノリだけで世渡りをしているわけではない。ほど良い関係性を維持するための努力もしているし、気疲れで時折胃痛を起こすほどなのに。
 加えて、今は有名進学塾『ステージクリア』(略してステクリ)とのコラボ企画が進行している最中だ。これも俺が営業先でプレゼンをし、獲得してきた仕事である。
 教授受けがいいから、営業が上手いから、といろいろ仕事を任されるのはいい。だがたまには労ってほしいものだ。

「あ、今度ステクリの塾長さんの接待だよね? 店は決まった?」

 と、何気ない口調で小田が言う。俺はやや不愉快な気持ちを腹に抱えつつ、「いーや、まだ」と返した。

「女塾長さんだからなぁ? どんな店がいいんだろうね。まずはいつもの料亭として、その後が肝心だ」
「小田が決めてよ。俺、あれくらいの歳の女性の気持ち、よくわかんないし」
「いや僕もわからないよ」
「前、英誠大学の女性教授の担当してたろ。その経験を生かして……」

 と言いかけて、俺ははたと黙った。
 小田は書類仕事は早いけれど、空気の読めないところがある。そのせいで、何かと扱いの難しい女性教授を相手にいろいろと失言をやらかしているのだ。つい先日も、研究室に出禁を食らったばかりで――案の定、俺の言葉に反応した小田は、それこそ針のように鋭い目つきでこちらを睨んでいた。

「僕の経験なんて何の役にも立たないさ。でも霜山くんはモテそうだし、女友達に聞いてみたらどうだい? 熟女が好きそうな店のひとつやふたつ、あっという間に候補が上がるだろ」
「……んー、そう言われても」

 ――いやいやいや、モテてても意味ねーんだって。モテたってその先進めねーんだから。
 小田の台詞せりふがちくちくと耳に痛い。モテたところで何の役にも『勃』たない己の分身について嫌味を言われた気分になり、俺は密かに自暴自棄に陥った。
 それに、小田はあくまでこっちに仕事を押し付ける気でいる。接待の店選びからの予約作業など煩わしさしかないのだが、いまいちまだ勝手のわかっていない後輩たちに頼むのも怖いものがあるし……などと考え出すと、それならばさっさと自分がやってしまおう、というところに落ち着く。
 ――くっそ。結局俺がやんのかよぉ……
 悔しさと切なさと心細さに歯噛みしつつパソコンに向き直ったその時、はたと彩人のことを思い出した。
 彩人の勤務するホストクラブは、高級感重視の落ち着いた店だと言っていた。ホストの年齢層も広く用意されていて、年上のイケオジにひたすら甘やかされたい女性に人気がある――彩人は雑談の中でそう語り、別れ際に名刺をくれた。

「あー……いい店あるじゃん」
「ん? 本当かい? へえ~さすがは霜山くん」
「塾長さんが気に入るかわかんないけど……まぁ、ちょっと予約いけるか聞いとくわ」

 いいタイミングで、彩人と連絡を取る口実ができた。やや口元を緩めながらスマホを操作しはじめると、横からじっとりとした視線を感じる。見ると、なぜだか小田が面白くなさそうな顔をしていた。

「……なに?」
「別に。いやぁ、やっぱり頼もしいなぁ霜山くんは」

 どこまでも嫌みったらしい口調に腹が立つけれど、そんなことはどうでもいい。時刻は午後三時で、もうそろそろ家を出ている時間かもしれない。あの日、空くんを保育園に送る道すがら、いろいろと彩人の生活について話を聞いたのだ。
 ホストは夜の仕事だから、昼間は暇なのではと思い込んでいた。
 しかし、開店前に行うミーティングはしっかり時間をとって行うし、お客へ営業メールを送る作業、だしなみを整えるための時間などなど、なにかとやることが多いらしい。
 特に、彩人の勤務する店は高級感を大事にしているため、ナンバー入りしているホストたちの装いには相当うるさいとのことだ。
 彩人はナンバー3の座に就いているらしく、毎日ヘアメイクを行うことはもちろんのこと、体型を保つためにジムへ通うことも義務付けられている。もちろん、店が金を出すという。
 高級ホストクラブでナンバー3、というところには素直に感嘆した。
 すると彩人は照れくさそうに笑って、『俺、愛想だけはいーからさ~』と言った。ナンバー上位ホストはヘルプ担当の若いホストたちの育成にも力を入れねばならないらしいが、この間の様子だと、彩人は若者からも慕われているのだろう。
 オーナーと一部の古株スタッフは、空くんのことも理解してくれているという。のっぴきならない事情で彩人が店を早抜けすることもあるが、大目に見てくれているのだとか。その恩に報いるためにも、もっと努力して売り上げを伸ばせるようにならなければ、と彩人は意気込んでいた。
 仕事にやりがいを感じている彩人の横顔は、中学生の頃と変わらず清々しい。家庭のことで苦労していても、性根の部分は変わっていないのだということがわかって、俺は何だか嬉しかった。
 彩人の瞳の色を思い浮かべながら、簡潔にメールを送った。そわそわと腹の奥が落ち着かないような気分である。

「ねえ、どうしてニヤニヤしているんだい?」
「……えっ? 誰が?」
「霜山くんだよ。ああそうか、彼女か何か? 仕事中に私用メールはいただけないな」
「ち、違う違う‼ 友達だよ! 店のことで……」
「ふうん。顔がゆるいから、てっきり女かと」

 小田は相変わらず不機嫌そうな横顔だ。高速でカタカタとキーボードを叩く音がやたら刺々しく、向かいに座る女性社員がちらちらと気にしている。新卒で入ったばかりのごうだ。こちらの会話も丸聞こえだったことだろう。
 俺は軽く咳払いをして、頼みにくいことを伝えておくことにした。

「郷田さんも塾長先生の接待、ついてきてね」
「……はいっ? なんで私も?」
「なんでって、先生にはこれからもいろいろと世話になることもあるだろうから、きっちり顔をつないどかないと」
「でも……若い女が一緒に行って大丈夫ですかねぇ。あの先生イケメン好きで有名でしょ? 気分を害されたりしませんかね」
「大丈夫だよ。それに、先方が気分を害さないように頑張るのも仕事だから。ね!」
「……はぁい」

 念を押すように、やや圧を込めて笑みを見せると、菜々子はほんのり頬を染めて頷いた。
 すると小田が、ひときわ強くエンターキーを叩きはじめたではないか。カタカタカタ、ターン‼ カタカタカタ、ターン‼ というやかましい音が耳に突き刺さり、俺は苛立ちに引きつった笑みを浮かべつつ、菜々子と軽い打ち合わせをした。


 コラボ企画の件で忙しない日々が続いていたため、彩人と会えないまま接待の日となった。
 だが、詳細についてはメールで打ち合わせ済みだ。
『ステージクリア』女塾長はどんな人物か――彼女、さこあつについての知りうる全てを、彩人に情報提供した。
『ステージクリア』の企業理念、迫田が海外の有名大学を出ていること、中学高校と女子校出身であること。さらにはバツ2で男に失望していることや、最近ホストクラブに関心を抱いていること、好みの男のタイプなど……これまでの会話、塾のスタッフらとの雑談から得られた情報を、彩人に細かくメールしておいた。
 彩人からの返信は短かった。『壱成、相変わらずだなー』と、『了解、あとは任せといて』というものだけだ。たったそれだけのやり取りだが、なぜだか彩人に任せておけば全て上手くいく気がした。
 こういう感覚は初めてだ。俺は普段、接待や大事な仕事の前はいつも、必要以上に細かなことが気にかかってしまう。こういう自分のメンタリティにはへきえきするが、もともと完璧主義なところがあるため、気が抜けない。


 そして当日、俺は後輩の郷田菜々子を伴って、迫田を京懐石料理の店へと案内した。
 普段から派手な服装を好む迫田だが、今日は春らしいピンク色のツイードスーツに丸っこい身体を包み込み、あえて白に染めているという豊富な髪をゴージャスに巻いて現れた。気軽な調子で手にしたバーキンはしっくりと様になっているし、御年五十八の御婦人が履くにはいささかとがりすぎではないかというようなハイヒールも、彼女にはよく似合っている。
 会議の時よりもぐっと派手な装いで現れた迫田に、菜々子はすっかりひるんでいた。
 序盤は完全に引きつった笑みと上滑りするトークを展開していたため、俺はひたすらフォローだ。先輩は後輩をフォローするために存在する生き物なのだ。その甲斐あって、なんとか和やかな食事となった。
 そして、緊張のあまり必要以上に出来上がってしまった菜々子が『じゃー先生、これからイケメンいーっぱいいる店行きましょーね‼』と盛り上げて――いい雰囲気と流れで(多分)、彩人の店へと場所を移すことになったのである。


     ◇ ◇ ◇


 彩人の勤務する店の名は、『sanctumサンクタム』という。
 一歩踏み込んだ夜の街は、まばゆいほどの光と欲望に溢れていた。
 細い道路と、雑多に人が行き交う歩道を挟んで、よく似た形状のビルが連なる中、一際黒く艶めくビルが見えてくる。細長いフォルムのスタイリッシュなビルで、外壁は全てガラス張り。夜のネオンを鏡のように映すビルの一階に、『sanctum』という英字が流麗なフォントで記されている。

「ほわ~これがクラブか~。え、ここ? ここで霜山先輩の友達が働いてらっしゃるんですか?」
「うん、そうだよ」
「ハァ……すごいわねぇ。あたし、ホストクラブって入るの初めてなんだあ。ずっと興味あったんだけど、なかなかねぇ。ほら、入るのって勇気いるじゃない?」
「わかります、わかりますよ先生‼」

 酔ってはしゃぐ菜々子と並んでビルを見上げる迫田の瞳はすでにキラキラと潤んでおり、期待のこもった眼差しだ。
 俺はにこやかに、「僕もホストクラブは初めてです。僕だけ追い出されたらどうしましょう」などと軽口を叩きながら、ドアを押し開く。するとその奥には、ワインレッドの絨毯が敷かれた長い廊下があった。壁には額装されたホストの写真が等間隔に並んでおり、まるで美男子を飾る美術館のようだ。

「うわ、うわ、イケメンばっかり~‼ ねぇ先生、どんな子がいいです? わたし迷っちゃう~」
「そうねぇ……あたしはもうちょっと熟した男のほうがいいわねぇ。ねぇ霜山くん、もっと年嵩としかさのホストもいるって言ってたわよね?」
「ええ、もちろんです」

 彩人の話によると、この店の最年長ホストは四十五歳だ。なんでも、別の店のオーナーをやりつつ、『sanctum』で現役ホストもやっている強者で、しかもナンバー入りを果たしているとのことだ。一体どんな働き方をしているのか……と、一般人の俺は首を捻るばかりである。
 女を誘うような目つきで、カメラを見つめるイケメンたち。入り口に近ければ近いほど入店間もないホストであるらしく、俺の目にも若さや粗さのようなものが見て取れた。中には、あの夜俺に絡んできた若い男の顔もあり、不思議と懐かしいような気持ちになる。


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