吉原の日陰

餡玉

文字の大きさ
上 下
10 / 21

九、迷子

しおりを挟む
 
 宗次郎の言うとおり、その晩清之介はやって来た。

 今日は以前のように供を連れて、なかなかに艶やかな朱と黒の色の入った着物を身に纏っている。それは私が誂えたものであったが、色の白い清之介にはとても良く似合っていた。

「……よく似合う」
 母屋の玄関先に立っている清之介にそう言うと、彼は微笑んでお辞儀をした。供の男を前のように玄関先に座らせて、清之介だけが奥へと上がってくる。

「久しぶりだな、旦那」
「ああ、忙しいそうだね」
「うん……まぁ、相当稼いだからいいんだ」
「今夜はゆっくりしていくといいさ。なにか食べるかい。葛餅をもらったのがあるんだが」
「うん、食べる」

 笑顔でそう言い、正座を崩す清之介の顔は、以前よりも少し痩せて疲れているように見えた。気休めにしかならないと分かっているが、甘い葛餅と熱い茶を用意してやると、清之介はほっとしたようにため息をつく。

「うめぇな、溶けそうだ」
「そうだろう。京土産だから」
「京か……旦那が行ったの?」
「ああ、ちょっと仕入れにね」
「へぇ、いいなぁ」
「君にも見せてやりたいよ、京には美しいものがたくさんある。寺や町並みもいいが、そこで扱われている品物たちもとても雅だからね」
「へぇ……行ってみてぇな」

 清之介の口調は、半ばそれをすでに諦めたような、力のない音をしている。私ははっとして、清之介を見た。

 吉原で囚われの身である彼に、都へ行く機会など一生無い。私は軽はずみなことを言ってしまったことを、悔いた。

「少し痩せたか」
「……そうかな。背が伸びねぇな」
「おいで」
 あまりにも儚げに見える清之介に、私は何も考えずにそう言っていた。少しばかり涼しくなってきた夜に、清之介があまりに寒そうに見えたからだ。

 彼は目を丸くしたが、差し伸べた私の手を見て、安堵したように笑う。湯のみを盆の上に置き、清之介は四つ這いで私に近づいてきた。

 そのままその細い身を抱きしめると、清之介が大きく息を吐くのが分かった。背中に回った腕が、ぎゅっと私の羽織を掴む。肩口に顔を埋め、私にしなだれかかるようにして体重を預ける清之介の身体は、やはり以前よりも少し痩せてしまっている。

「……旦那」
「ん?」
「俺が汚くないのかい」
「え? 何故」
「忙しいってことはさ、毎晩男相手に色んな事されてるってことだよ。旦那みたいなちゃんとした人から見たら、そんな俺は汚くないのか」
「汚いだなんて、思ったこともないよ」
「……本当かな」
「どうしたんだい、そんなことを言うなんて」
「ちょっと疲れただけだ……」
「そう、か。もう眠るといいよ」
「うん……」

 隣の寝間に連れて行くと、清之介は着物を落として単姿になる。髪を解き、彼はいつものようにそそと布団に転がった。

「何もしないのに、何で俺を呼ぶんだい」
「……前も言ったろう、君と話がしたいと思ったんだ。それに、この間は何もしなかったわけじゃないだろう」
「あ、そっか」
 清之介は私にしがみつく。私は肘枕をしたまま彼の背を抱き、つるりとした黒髪を弄んだ。

「元気なときに、珠算でも学んでみないか」
「珠算……そろばん?」
「ああ。君は物知りだ。金勘定が出来るようになっておくと、ゆくゆく宗次郎さんや女将さんの役にも立てる」
「……そっかぁ。いいかもしんねぇな」

 私の腕の中で顔を上げた清之介の目に、少しばかり明るい色を見つけた私は微笑む。彼はやる気があるようだった。

「でも旦那、金払って俺に珠算教えるのか?」
「若者を育てるのも大人の役目さ。それに、藍間屋さんはもう立派な取引先だからね。なにか手伝ってもらえることもあるだろう」
「そうか。身体を売る以外にも、俺にできることがあるなら、やりたい」
「じゃあ……これから毎週、この曜日に、私のところへおいで」
「え、毎週? 高く付くぜ」
「今の私には、それくらいの余裕はあるのさ」
「頼もしいね」

 清之介は今夜初めて、明るい笑顔を見せた。そして再び私にぎゅっとしがみつくと、浴衣に頬ずりする。
「ここにいると安心する」
「そうか」
「もうずっと……ここにいられたらいいのになぁ」

 消え入るような清之介の声に、私は彼の顔を見下ろした。ほどなくすぅすぅと平和な寝息を立て始めた清之介の頭を撫でながら、私はふとした考えを閃いていた。

 今の台詞が本心であろうということは、身体を通じて伝わってくるものがあったからだ。

 私はごろりと仰向けになり、長い黒髪を指に絡ませながら、しばらくその考えが実現可能であるか、考えていた。



   ❀



 夜が明けてすぐ、清之介は供の翁と共に藍間屋への帰路についていた。

 翁はいつも何も喋らず、ただ影のように清之介の前をゆく。何か客との問題が起こった時に、こいつで片がつくのだろうかという疑問が毎度のように頭をよぎるが、宗次郎が信頼しているので従っている。

 しかしその翁は、吉原に入る手前の道で、ふと声を出した。

「清之介さんは、胡屋の旦那と会うようになってから、変わったね」
「え?」

 ぼんやりしていた清之介は驚いて、前を歩く翁の痩せこけた背中を見る。声を聞くのも初めてで、喋れたのかと意外に思った。

「そうさね……弱くなった」
「俺が?」
「あぁ、そうだね。情を感じて、あの若旦那が特別な存在になってしまった。そうなると、他の客に抱かれる自分を汚らわしいと思ってしまう。客にとっても迷惑な話だ。あんたは客をも汚らわしいもんだと思うようになってくる」
「……何、言ってんだてめぇは」

 図星をつかれ、清之介は剣のある視線を翁に向けて立ち止まる。翁はゆっくりと歩きながら、無表情な声で言った。

「あんたはまだ若い。そういうことが起こるのも仕方なかろう。菊之丞さんも、宗次郎さんにも真に想う相手がいるようだし」
「……」
「でも、出会うのが早すぎたね。まだまだ仕事に不慣れなうちに、あんな上客と出会っちまった」
「不慣れだと? 俺はもう二年も、この仕事をこなしてきたじゃねぇか!」
「そうやっていきり立つのが未熟な証拠さね。……とっととあの旦那にも抱かれて、客の一人だと身体に分からせるこったね」
「……でも、あの人は」
「あんたにしゃぶられて、今朝もいい声出してたじゃねぇか。やれるさ、あんたなら」
「聞いてたのかよ」
「それが俺の仕事だからね」

 翁はそれっきり、何も喋らなかった。清之介は、その場に縫い付けられたように動くことができず、唇を震わせてその場に佇んでいた。

 朝もやが、徐々に晴れていく。

 しんとした空気の中で色街の大門が、妙に毒々しく、目に映った。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

紺碧のかなた

こだま
BL
政界の要人を数々輩出し、国中にその名をとどろかす名門・忠清寺(ちゅうしんじ)の僧見習い・空隆(くうりゅう)と澄史(とうし)。容姿端麗なだけでなく、何をやっても随一の空隆は早くから神童と謳われていたが、ある夜誰にも何も告げずに寺から忽然と姿を消してしまう。それから十年の月日が経ち、澄史は空隆に次ぐ「第二の神童」と呼ばれるほど優秀な僧に成長した。そして、ある事件から様変わりした空隆と再会する。寺の戒律や腐敗しきった人間関係に縛られず自由に生きる空隆に、限りない憧れと嫉妬を抱く澄史は、相反するふたつの想いの間で揺れ動く。政界・宗教界の思惑と2人の青年の想いが絡み合う異世界人間ドラマ。

秘めてはいるけど男が好きな真面目系お武家様が、美丈夫の陰間にとろとろにされちゃう話。

瀧野みき
BL
江戸は湯島天神。 宵の口、武家の跡取り養子の佐伯光之進(さえきこうこしん)は陰間茶屋「みなとせ」へと忍んで行った。陰間茶屋とは言いつつ、「みなとせ」は男を抱く場所ではなかった。男に抱かれたい者が来る場所である。 いつも通り馴染みの竜泉(りゅうせん)を指名し、座敷に通された光之進は、期待に高揚しながら男を待つ。 ※作中に出てくるのは、あくまで「みなとせ」の作法あるいは光之進と竜泉のやり方です。 ※なろうにも投稿している作品です。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

恋する熱帯魚

箕田 悠
BL
大手食品メーカーに務める松原は、取引先に連れてこられた風俗界隈でハルヤと名乗る青年と出会う。こういった場所を嫌い、素気ない対応をした松原だったが、駅で絡まれていたハルヤを助けたことをきっかけに自分の気持に懊悩し始める。 一方で母を探しにこの界隈に身を沈めていたハルヤは、義理の兄に見つかったことで途方に暮れていた。そこに現れた松原に助けられ、次第に惹かれていくも素直になれず―― 過去のトラウマを抱えた二人の恋物語。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...