奥手淫魔と世話好き魔法使いが両想いになるまでの話

山吹花月

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4 二日酔い、共同生活の始まり

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 キッチンにリンゴをすりおろす瑞々しい音が響く。
 ひとり調理の場に立つノエルは、すったリンゴを氷の入ったグラスに入れ、水を加えて軽く混ぜた。
 すでに日は高く昇っているが、キッチンにティーアの姿は見当たらない。
 リンゴ水と胃腸薬をトレイに乗せ、ノエルは二階にあるティーアの寝室に向かった。ノックの後、中からくぐもった呻き声がする。
「どぉぞぉ……」
「入りますね」
 ベッドには体をくの字に曲げ、地を這うような呻き声を吐きながらティーアが横たわっている。
「ティーアさん、おはようございます」
「ぅぅ、おはよ……」
 わずかに布団から顔を出したティーアだが、目はほとんど開いていない。
「胃腸薬持ってきました」
「わ、ありがと」
 鈍い動きでシーツから抜け出そうとする背中に、ノエルが手を添え介助する。やっとの思いで起き上がったティーアの手にグラスを握らせ、口元まで持ち上げる。
「……ん、美味しい」
 程良い酸味のおかげでスムーズに飲み込むことが出来た。自覚はなかったが喉が渇いていたようで、体を潤す水分が心地よくとても美味しく感じる。
「リンゴ?」
「はい、すりおろしてみました。お口に合いましたか?」
「飲みやすい。ありがとね」
 充分潤った口内に胃腸薬を流し込み一気にグラスを空にする。
「なにか食べますか?」
「んん、今はいいや。もうちょっと寝るね」
 声が掠れている。喉が潰れるほど酒を飲んだのはいつ以来だろうか、とうっすら考えてみるも激しい頭痛に思考を邪魔される。
 昨晩買い込んだ酒をしこたま飲んだティーアは、近年まれにみる二日酔いに見舞われていた。体はだるく頭は割れんばかりに痛い。眉間に皺を寄せながらうっすらと瞼を押し上げる。目を開けるのすらつらい。
 瞳に映るノエルは、昨晩同じく大量の酒を飲んだはずなのにぴんぴんしていた。
「はい、おやすみなさい」
「ん……」
 まともに答える元気もなく、いそいそとベッドへ潜り込む。ふんわりと頭部を包んでくれる枕の柔らかさに安堵し肩の力が抜ける。
 眼前に気配を感じ薄く目を開けると、ベッドの脇へ寄り添ったノエルが真正面からティーアの顔を覗き込んでいた。
 両手を揃え、そこに顎を乗せている。なんともあざとい姿だが、当の本人にはその自覚は無さそうだ。ベッドの上の飼い主を見る犬のようで微笑ましい。
 言葉にはしないがなにかを求めるように輝く瞳がまっすぐ注がれる。期待に満ちた、なにかを待っているような表情。
 痛みに邪魔されて頭はうまく回らないが、直感的にこれかな、と彼の頭をわしゃわしゃと撫でくり回す。冷静に考えれば、成人男性の頭を不用意に撫で回すのは人によっては屈辱的な行為になってしまう。
 やってしまった後で、まずかったか、とノエルを窺い見たが杞憂だった。ティーアの手にされるがまま身を委ね、わずかに綻ばせた口元は若干嬉しそうだ。目を伏せなでなでを堪能する姿は本当に犬っぽくて可愛い。
「お昼には食べられると思うから。お粥、リクエストしてもいい?」
 みるみるノエルの瞳が輝きを増す。
「もちろん! 美味しいの、作りますね!」
 満開の笑顔にきゅんとときめき、また彼の頭を撫でた。彼の背後で激しく振り回されるふさふさの尻尾が見えるようだった。

 昼を少し過ぎるまで眠ったティーアは、無事復活し元気を取り戻した。
 着替えて軽く髪を梳いた後キッチンに降りていくと、約束通りお粥を作っているノエルの背中が見えた。
「わあ、良い匂い」
「あ、ティーアさん。もう出来ますよ。待っててくださいね」
「楽しみ。あ、グラス持ってくね」
「はい、ありがとうございます」
 分担して食卓を整えていく。
 コンソメの良い匂いと共に、まだ熱々でくつくつとしているお粥がテーブルに運ばれる。
「わ、美味しそ。いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
 柔らかく煮た米がとろっとして熱そうな湯気を立てている。
 念入りに冷ました後そっと口に運ぶ。
「ん! 沁みる!」
 温かさが喉から胃へ流れてじんわり染み渡る。
 アルコールの分解で栄養分が枯渇した体が喜んでいる。
「味はどうですか? 濃かったり薄かったり」
「絶妙! 美味しいよ」
 心配そうにティーアを見ていたノエルは、返事を聞き安堵した様子だった。
「ノエルも食べなって! 本当に美味しい!」
 作ったのは彼だがなぜかティーアが勧めている。促されるままノエルも食事を始めた。
「そういえば、ノエルは体、大丈夫なの?」
 昨晩ティーアと同じペースで酒を飲んでいたとは思えないほど、彼はいつも通り健康体に見える。
「はい、特には。魔族は人間よりアルコールに強いみたいで」
 容姿は似ている部分の多い人間と魔族だが、構造はやはり違っているようだ。
「へえ、魔族ってほとんど会ったことがないからなあ。逆に食べられない物とかある?」
「毒系はさすがに難しいですね。トリカブトとか。それ以外ならなんでも。あとは個々の好みです」
「ノエルの好き嫌いは?」
「基本的には特には……あ」
「ん? なあに?」
 突然なにかを思い出したようにノエルが視線を上げた。
「あの、えっと……好きなもの、あります」
「なになに教えて? お礼に今度御馳走したい」
「えっと……」
 ノエルは言い淀んだ。もじもじと、どことなく恥じらいが垣間見える。
「……ハンバーグ。……外側が、カリカリの」
 伏し目がちに彼が言う。顔を伏せているが口元が嬉しそうに綻んでいる。
 ノエルが落ちてきた日の食事を思い出す。
 ティーアの中では失敗かと思っていたハンバーグだが、ここまで手料理を気に入ってもらえるのはやはり嬉しい。
「ふふ。そんなに気に入ったんなら、また作ってあげる」
 ぱあっとノエルの表情が輝く。心なしかオレンジの瞳がきらきらと輝いた。

 食事を終え、ゆったりとティータイムをふたりで楽しむ。
 今日は清涼感が心地いいミントティーだ。
「これ、もしかしてうちの庭の?」
「はい、いい頃合いのがあって。勝手にすいません」
「全然。そろそろだなって思ってたからちょうど良かった。茶色の柵の中は食用だから自由に使っていいよ。今の時期は野菜も毎日食べ頃だし」
 まるでこれからもノエルがこの家で暮らすかのような言い方をしていたことに気付く。昨晩は勢いのままに連れ帰ってしまったが、この後彼がどうするのかなにも聞いていない。
「ノエルはしばらくこの街にいるの?」
「そのつもりです。というか、別の街に行くにも実家に戻るにもまだ体力が足りなくて」
 ノエルが苦笑する。
「あ……えっと、その、収穫? あれから、あんまりだった、とか?」
 淫魔にとっての収穫、食事、という意味での質問だが、声にしてから後悔した。
 彼らにとってはただの栄養補給であっても、人間であるティーアにとってそういった性的な交流は特別な意味を持つ。
 ノエルが他の女性に触れる姿を想像して、ぎゅっと心臓が痛んだ。
「はは、その通りです。全滅で。ほんと僕淫魔に向いてないみたいで」
 全滅。ということはまだ誰とも触れ合っていないのか、と安堵の息が洩れる。
 安心している自分にティーアは驚いた。
「ああ、えっと、そっか。あっ! これ、パウンドケーキ、たくさんもらったから食べて! あと、ドライフルーツも。他にジャーキーとか……」
 自身の思考に動揺が隠し切れない。誤魔化すように次々食糧を取り出しテーブルに並べていく。
「わあこんなに! ありがとうございます。美味しそうです」
 思い付く限りの食糧をテーブルへ並べる。ノエルはひとつひとつ手に取ってじっくり眺めてから次々口に放り込んでいく。ひと口ごとにゆっくり噛みしめ、嬉しそうに口元を綻ばせている。
 おそらく人間と同じ食事量では賄いきれないのだろう。さっきの食事も一般的な人間の一人前しか食べていない。
 街で食糧を調達できないうえ淫魔としての食事もままならない。そんな危うい状態のノエルをこのまま放っておくことはティーアには出来なかった。 
「あのさ、うち、住む?」
 脳が思考を吟味する前に口をついて出てしまった。
「へっ?」
 オレンジの瞳が大きく見開かれる。
 知り合って間もない相手に突然申し出る内容ではないことをじわじわと理解した。とんでもない提案をしてしまったと気付いた時には遅く、口からはつらつらと言葉が零れ落ちていった。
「あ、えっと、そんなに深刻な話じゃなくってね! その、えと、そう! ノエルの料理! 癖になっちゃったっていうか! たまに御馳走してほしいなあなんて。だから、ノエルの収穫がなかった日とか寝床なかったらうち使えばいいんじゃないかなって! あの部屋、落ちたとこ、あそこの窓なら外からも開けられる鍵だし、物置だけど好きに使っていいし」
 取り繕えば繕う程、なにを言っているのか自分でもわからなくなっていた。
 淫魔、それ以前にひとりの男を女のひとり暮らしの家へ呼び寄せる。なんという大胆なことをしているんだろうと思いながらもティーアの口は止まらなかった。
「私ずっとひとりで暮らしてるから、ノエルが来てくれると楽しいなあとかっ……あっでも絶対毎日帰って来いってわけでは……」
「いいん、ですか……」
「っ……」
 ノエルの声で、とめどなく流れ出ていた言葉がようやく止まる。
 彼を見ると心底驚いた顔ではあるが、嫌悪感は感じられない。むしろうるうると揺れる瞳は歓喜で輝いているように見えた。
「うん……おいで?」
 少々失礼な言い回しだったかと後悔しかけたその時、ノエルに手を取られた。
「はい……、是非」
 左手の薬指に彼の唇が軽く触れた。柔らかくて心地のいい感触。きゅっとティーアの指先を握りノエルは微笑んだ。
「美味しい食事、たくさんたくさん作りますね!」
 至近距離で満開の笑顔が咲く。美しさとあどけなさが同居するその表情に、ティーアの心臓はうるさい程早鐘を打っていた。




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